第272話 それぞれの馬車内での攻防

「クライヴ兄様?」


無言


「クライヴ兄様??」


やはり無言。


私は小さく溜息をついた。


クライヴ兄様、最初はともかく、集積市場を出発してから段々とこんな調子だ。多分怒ってる。めっちゃ怒ってる。……うん。やはりこれって、私がはしゃぎ過ぎたのが原因なんだろう。


……にしては、しっかり私をお膝抱っこしているんだけどね。


きっとあれだ。今現在クライヴ兄様は、怒りと溺愛の狭間にいらっしゃるのだろう。難儀な事だが、ヤンデレ気質のアルバの男性ならさもありなん。


「……あんま、笑顔の安売りすんじゃねーよ」


ボソリと呟かれた言葉。それと同時に兄様は、私の首筋にぽふりと顔を埋めた。というか、安売りしていませんがな!私の世界ではスマイルはプライスレスで対人関係を潤滑にする、お得技なんですよ!?


「そもそもクライヴ兄様だって、首都での歓迎パレード(?)では、私に笑えって言っていたくせに!」


私の憤りに、クライヴ兄様が私の首元に顔を埋めたまま話始める。


「自慢のお前を見せ付けてやれるのは気分が良いが……。それ以上に、お前を誰の目にも触れさせたくねえ気持ちがどんどんデカくなってきやがるんだよ。全くもって不甲斐ねえ。こんなんじゃ、オリヴァーの奴を笑えねえな……」


ク、クライヴ兄様!?嫉妬!?嫉妬……なんですね!?ヤバイ。顔が赤くなっていく。そ……それに……。


「クライヴ兄様……!くすぐったいです!!」


震える口調で必死に抗議するが、クライヴ兄様はさらに埋めた顔をグリグリしてくる。


「おまけに、当の本人は無自覚ときてやがる。……ああ、いっそこのまま王都に帰るか?」


「ク、クライヴ兄様!何言って……ひゃあ!」


ペロリと、首筋に温かく濡れた感触を感じ、思わず間抜けな悲鳴を上げてしまう。ってか兄様!な、な、舐めた!?舐めましたね!?お巡りさーん!セクハラです!!


「色気のねえ声。お陰で萎えた」


「~~~!!!」


真っ赤になって口をパクパクしていると、すかさずクライヴ兄様がキスを仕掛けてきた。しかも深いやつ。お……おのれ兄様!卑怯なり!


「ん……」


何度も角度を変えながらのキスに、頭の中がフワフワしてくる。


いつも思うんだけど、クライヴ兄様キス上手だよね。……いや、オリヴァー兄様もセドリックも、滅茶苦茶キス上手いけど。


でも全員、そういった経験が無い……い、いわゆる素人童●(失礼!)なのに、何でこんなに上手いんだろ?……う~ん。やはり男子の嗜みの成果なのか?先生がめっちゃテクニシャンだった……とか?そういや以前、絶賛されたとかなんとか……。


――……モヤモヤ。


再び襲ってきた不可解な胸のモヤモヤに、思わず無意識に不埒なクライヴ兄様の舌を思い切りではないが、強く噛んでしまった。


「――ッ!?」


ビックリした様子のクライヴ兄様に、「しまった!強く噛み過ぎたか!?」と、慌てて噛んでしまったクライヴ兄様の舌を自分の舌で癒やすように撫でる。……うう……こ、これ、ちょっとくすぐったいな。


途端、クライヴ兄様がキスを止め、絡めていた唇を勢いよく離すと、私から距離をとった。その顔は真っ赤で、口元を手で覆っている。


「エ、エレッ……!お、お前……誘ってんのか!?」


「はい?」


えっと……何を誘うと?


小首を傾げた私を、クライヴ兄様が、まるで親の敵を見るような目で睨み付けた。


「くっ…!……こ、この無自覚タラシの小悪魔めが……!あざと可愛すぎだろが……!……ひ、ひとまずお前、向かいの座席に移動しろ!」


「はぁ……」


言われた通り、よっこらしょとクライヴ兄様のお膝から下りると、向かいの席に移動する。すると何故かクライヴ兄様は、そのまま思いっ切り前屈みになってしまった。


――はっ!ひ、ひょっとして、噛まれた舌が痛いのかもしれない。


「御免なさい、兄様!大丈夫ですか!?」


慌てて謝る私を、赤くなったクライヴ兄様がジト目で睨み付ける。


「……結婚する迄さっきのアレ、誰にもやるんじゃねえぞ?!特にオリヴァーにはするなよ!?」


「絶対だぞ!?」と鬼気迫る形相で念を押す兄様に、コクコクと頷く。兄様。舌を噛まれたの、そんなにも痛かったんですね。


「は、はいっ!本当に申し訳ありませんでした!もう絶対にしません!」


「……結婚したら、やってもいい」


「はい?」


え?結婚したら舌を噛んでいいの?なぜに!?ひょっとしてそれが、この世界の常識!?


ううむ……。だとしたら今のうちに、そういった常識や作法を、誰かに詳しく聞いておいた方が良いかもしれない。……でもマリア母様に聞くのは危険な気がするし……。


そうだ!王都に帰ったら、パト姉様に聞いてみよう。パト姉様だったら色々物知りだし、私の知らない常識も懇切丁寧に教えてくれるに違いない。うん、そうしよう。


後にパトリックは「うちの妹……危険過ぎる……」と溜息をつきながら、バイトをしている『紫の薔薇ヴァイオレット・ローズ』で愚痴る事となるのだが、そんな未来を王都で小さくクシャミをしていたパトリックは知る由も無かったのであった。





◇◇◇◇





――一方その頃。もう一台の馬車の中では、目の前で繰り広げられている静かな戦いに胃を痛めるウィルの姿があった。



「貴女の振る舞いには呆れ果てたとしか言えません。まさか市場に同行出来なかった鬱憤から、世話役の方々への挨拶も無しに馬車に戻ってしまわれていたとは……」


「それは大変申し訳なく思っております。ですが父の事や我が身の不甲斐なさに体調を崩してしまって……。後程、お嬢様とクライヴ様にお詫びを差し上げたいと思っております」


「はぁ……。全く貴女は無知ですね。クライヴ様の名をそのまま呼んで良い女性は、この世でお母上と御婚約者であるエレノアお嬢様だけです。今朝がたクライヴ様直々に注意をされたというのに、もうお忘れですか?まあ、エレノアお嬢様と同じお色の服を纏ってくる程のもの知らずですし、仕方がありませんが……」


「そ、それは重々反省しております。ですがこのドレスはクラ……いえ、オルセン様も、エレノアお嬢様が気になさらなければ、そのまま着て良いと仰ったではありませんか!?」


「エレノアお嬢様は慈悲深いお方ですから、許可されただけです。自分の大切なご婚約者様の色を他の女性に着られて、平静でいられる女性などいる訳がないではありませんか。貴族女性で無くとも常識ですよ?」


「……ならば貴方も、使用人としては少々口が過ぎるのではありませんか?いくら本家にお仕えしているとはいえ、私は末席でも一応貴族家の娘。いくら女性を敵視する第三勢力の方だからって、失礼が過ぎましょう?」


「僭越ながら、私は子爵家の次男です。家督を継いでいませんが、貴方同様貴族の端くれです。いい機会ですから教えてさし上げますが、私のように家督が継げず、高位貴族の使用人になる者は一定数いるのです。そのように貴族の権威を振りかざすのは、お止めになった方がよろしいですよ?」


「………」


『うう……。い……胃が痛い……』


ブリザードが吹きすさぶ車内では、ウィルの目の前でシャノンとフローレンスが冷たい言葉の応酬を繰り広げていた。しかもこれ、バッシュ公爵家本邸を出てからずっとなのである。


最初の方は、フローレンスがいつもの調子で「ごめんなさい……。私、もの知らずで……」と、潤んだ眼差しでか弱そうに謝っていたのだが、バッシュ公爵家が誇る美容班達は、そろいもそろって第三勢力同性愛好家である。

当然このシャノンも例に漏れる事無く、バリバリの第三勢力なので、そもそも女の武器は全くもって通用しないし、女性に対して容赦の欠片も無い。


フローレンスが媚びようとする度、逆に心を抉る容赦のない言葉を貴族言葉に変換し、チクチクチクチク投げかけるものだから、段々フローレンスの方も地が出てきて、こうして互いに言い合いを繰り広げているのだ。


ハッキリ言って、こんないたたまれない空気の中に、自分がいる意味あるのだろうか?いや、ない。


……ああ……。エレノアお嬢様要素が足りない……。帰りはあちらの馬車に乗せて頂けないものだろうか……?


だいたいからして、第三勢力とご令嬢という、世の天敵とも言える者同士がこんな密封空間で一緒にいるのだ。諍いが起きない訳がない。


フローレンスから、チラチラと視線を感じる。明らかに媚びを含んだ縋る様なソレに気が付かないふりをするのも、また神経をすり減らす原因なのだ。


例え、大切なお嬢様に対し、含みのある相手であろうとも、自分はシャノンと違い、積極的に女性を責める事はしたくないし、出来ない。そういう意味では、堂々と女性を非難して憚らないシャノンがいてくれて、ある意味助かっているとも言える。もし彼女と二人きりであったなら、もっと居た堪れなかったに違いない。


『だけどもし……』


今現在のエレノアお嬢様を知る前であったなら、自分はあの騎士団長達同様、この女性の見せかけのたおやかさや優しさに心を奪われていただろう。

そして、『正論』を吐くシャノン達第三勢力同性愛好家の言葉に眉を顰め、この令嬢を庇っていたに違いない。


『エレノアお嬢様……』


あの方と出逢った者達は全て、生まれてからこの方、ずっと植え付けられて来た固定観念を覆される。そして見えなかったものや、敢えて目を背けていた問題を直視し始めるのだ。


「女性だからって、無条件に甘やかしてばかりじゃダメだと思う!一人の人間として、間違った事はちゃんと諫めたり、逆に良い事をしたらとことん褒めたりしなきゃ!」


……とは、以前お嬢様が仰っていた事だ。


そしてその宣言通り、お嬢様はお兄様方やお父上方だけではなく、他人の言葉に真摯に耳を傾けられる。

そして自分が悪いと思えば、例え召使に諫められようとも非を認め、謝罪されるのだ。


第三勢力同性愛好家の者達の中には、男女の在り方や女性に幻滅して、後天的にそうなった者達も多い。そして最初からそうだった者達も、その有り様を周囲だけではなく、家族にまで否定されたりしているのだ。


そんな彼らにとって、何の偏見も無く、あるがままの自分を認め接してくれるエレノアは救いであり、癒しなのだ。それは最初は敵愾心丸出しだったマテオ・ワイアットが、容易く心を許してしまう程に……。


そんな奇跡の様なご令嬢相手に、ごく一般的なアルバ女性に対してのみ有効な手法が通じる筈もない。色々と手遅れになる前に、この少女が早くその事に気が付き、心を改めれば良いのだが……。


「だいたい、第三勢力同性愛好家の方々は、女性に対して狭量過ぎるのです!」


「おや?私だとて礼節を尽くすお相手には甘くなりますよ?……尤も、そんな相手は今の所、エレノアお嬢様お一人だけですが……」


再び始まった舌戦に、ウィルは更にキリキリ痛む胸を抑えつつ、溜息をついた。



===============



嬉し恥ずかし……というより、ほぼドツボにはまってしまったクライヴ兄様です。

エレノアの育ってきた情緒がクライヴ兄様を殺しにいっていますね(笑)


そして余談ですが、バッシュ公爵家美容班は、『紫の薔薇』の隠れ常連だったりしますvv

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