第501話 お願いだ、恐れないで
「――ッ!」
その場の全員の顔が更に青褪める。
「……認めたくはないが……。つまり、誰もが今のマロウのように成り得る……という事か。今、マロウがエレノアをためらいなく殺そうとしているように……!」
その言葉を聞いた瞬間、私の全身の肌が粟立った。
私に向ける好意や愛情が強ければ強い程、その感情が『反転』された瞬間、それはより強い殺意と憎しみになり、私へと向かう……。じゃあもし今、この時でも『反転』が使われてしまったら……。
『この場に居る誰もが、私をためらう事無く傷付け、殺そうとする……という事なの?』
ふと気が付くと、私の肩を抱いているオリヴァー兄様の手が震えていた。
その顔は苦渋に満ちていて、考えたくもない想像に底知れぬ恐怖を抱いているのが手に取るように分かる。
マロウ先生の実力は、兄様達やリアム、そして三大公爵家直系達を一瞬でも出し抜き、私を殺し掛けた事で証明された。彼は紛れもなく、アルバ王国が誇る選ばれしDNAの一員だ。
その先生が容易く洗脳(反転?)されてしまったのだ。……先生の姿は、ある意味自分自身が辿る遠くない未来の姿。
しかも頼みのぺんぺんは、この精霊島のそこかしこに存在しているにもかかわらず、
見回せば、クライヴ兄様もセドリックもリアムも……そして、アーウィン様方もオリヴァー兄様と同じ、苦悶の表情を浮かべている。
――愛する者に向ける気持ちが強ければ強い程、その相手を己の手で傷付けてしまうかもしれない恐怖。
女性を大切にするこの世界の中でも、特に類を見ない程に情が深く、優しい彼らからすれば、それはどれ程の恐怖だろうか。
ふと、私を見下ろすよう見つめるオリヴァー兄様の表情が、泣きそうに歪んだ。
「……僕は……僕は絶対に、君を傷付けたりしない!そんな事になるぐらいなら、その場で自らの命を絶つ!……だからエレノア、お願いだ……。僕を……恐れないで……!」
「――ッ!オリヴァー兄様……!!」
多分だけど私は今、とても怯えた表情を浮かべていたんだろう。私はその不安を打ち消そうと、オリヴァー兄様にギュッと抱き着いた。
「御免なさい、兄様。確かに私、凄く恐い……。でもそれは、兄様達に傷付けられるのが恐いんじゃなくて、そうなってしまった時、兄様達がどれ程苦しむのか……。それを想像してしまったから……!!」
「エレノア……ッ!!」
オリヴァー兄様も、抱き着いてきた私をきつく抱き締め返す。
ちょっと苦しいぐらいだけど、私も兄様に抱き着く腕に力を込めた。
――マロウ先生が私を攻撃してきた時、私は確かに先生の絶望や慟哭を感じた。
あの、バッシュ公爵領で起こった悲劇で、私は痛感したのだ。人の心は、どうやっても完璧に支配し操る事など出来ないって。だからこそ先生も、心のどこかで悲鳴を上げている。
あんな気持ちを、私の大切な人達に味わわせたくなんてない、絶対に!マロウ先生だって、私の大切な恩師だ。どうにかして助けたい。
『そうだ!バッシュ公爵領で
私は両手を組むと、ぺんぺんが咲きますようにと祈りを捧げる。すると、結界の中にぺんぺん草が次々と咲いていった。
「こ、これは……!!」
「これが話に聞いた……!なんという、清浄な力に満ちた雑草だ!」
「ああ、信じられない!しかも本当に雑草だったんですね!」
「でも、雑草だけど白くて可愛いぞ!」
アーウィン様やクリフォード様方が、自分達の足元に突然広がったぺんぺん草の花畑に驚愕した後、その感動を次々と口にする。というか、雑草、雑草言い過ぎ!せめて野花って言ってください!!
くっそう!これが薔薇とか百合だったら、もっとこう……映えるのに!!
『あ、あれ!?で、でも、結界の外には咲いてないよ!?』
驚くべき事に、ぺんぺんが咲いているのは結界の中だけで、外には一本も生えていない。
「な……んで……!?」
――これじゃあ、マロウ先生を正気に戻せないよ!!
「エレノアちゃん、この結界の中には、貴女が無意識に発している『聖魔力』が微弱でも漂っている。だからぺん……いえ、ナズナは咲く事が出来たんだと思うわ。それにしても、なんて清浄な力なのかしら!この中にいれば、たとえ帝国の『魔眼』であっても、干渉を防ぐ事が出来るわ!!」
「奥方様……!」
興奮した様子で、私をキラキラした目で見つめる奥方様の言葉に、絶望しそうになった心が浮上する。
奥方様の言葉を聞き、私を含めた全員が安堵の表情を浮かべている。だって奥方様の言う通りなら、少なくともこの場で『反転』される人はいないんだから。
そうこうしている間にも、結界が激しい攻撃によって、破損し続けていく。それを、リアムやマテオを中心にした、『風』属性を持つ人達が必死に修復し続ける。が、やはり相当の負荷がかかっているのだろう。マテオは苦し気に眉根を寄せているし、リアムの頬にも大粒の汗が伝い落ち、床に落ちていく。
「くそっ!!マテオ!奴との戦い方は!?対抗策はあるのか!?」
「リアム殿下。副総帥は、
「くそっ!あいつ、変態だが腕だけは確かだからな!!」
リアムが悔しそうに唇を噛む。
確かに、『影』の中でも、選ばれ抜かれた精鋭しかなれないとされるのが、王家直属の『影』。それを統括する副総帥であれば、その実力は言わずもがなだ。
しかもマロウ先生は『攻撃魔法』の優秀な教師なだけに、無詠唱であらゆる攻撃を展開している。
召喚魔法や防御の魔法陣とは違い、攻撃魔法で使われる詠唱は、構築と属性魔法の変質、そして錬成イメージを高める為の時間なのだ。
詠唱は、精巧かつ攻撃力が飛躍する一方で、即戦にはデメリットにもなる。なので学院では、詠唱というタメを無くし、尚且つそれに近い精度で攻撃魔法を展開出来る術を学ぶ。
そして座学で学んだ構築や錬成イメージを使い、無詠唱で戦う事を実践で教えるのだ。
ちなみにマロウ先生は、全ての攻撃魔法を無詠唱でおこなう事の出来るスペシャリストである。
以前、オリヴァー兄様とクライヴ兄様が、「純粋な殺し合いなら、マロウの方にやや分がある」と、悔しそうに言っていた。それぐらい無詠唱を極めた魔法使いや魔導師は、厄介極まる存在なんだそうだ。
ちなみにだけど、兄様達やアシュル様、ディーさんは、強力な攻撃魔法の時のみ詠唱する。セドリックやリアムは半々。フィン様はほぼ無詠唱だけど……。あれは攻撃魔法というより、身体の一部を使っているって感じだしね。
まあでも、ここには王家直系であるリアムや、三大公爵家直系達、そしてそれに引けを取らぬ実力を有する兄様方やセドリックがいる。
この人達全員とまともに戦えば、いかに無詠唱を得意とするマロウ先生であっても瞬殺されてしまうに違いない。
……けれど、
実際、咄嗟にマロウ先生の攻撃を防ぐ事が出来たクライヴ兄様とセドリックだけど、一瞬で身体のあちこちを切り裂かれてしまっている。そのうえ護衛騎士達や、マロウ先生の手の内を知っている『影』達でさえ、反撃する間も無く倒されてしまっているのだ。
マロウ先生と同系統の魔力属性で作った結界。これを咄嗟に張った事により、マロウ先生の攻撃を防ぐ事が出来ている。
……でももし、マロウ先生のスキルや攻撃能力を知った者がいなければ、この場の殆どの人達が深手を負わされ、混乱した隙に乗じて、兄様達やヴァンドーム公爵家の誰かしらが『
『間違いなく同士討ちが起こり、大惨事になっていたに違いない。……そして、私の命も……』
その時、スッ……と、ヴァンドーム公爵様が私達の前に立った。
「アーウィン、リュエンヌを頼む」
「はい、父上」
公爵様はそう言うと、背負っていた奥方様をアーウィン様に手渡し、正面に向けて手をかざした。
すると、今私達を包むように展開されている『風』の魔力の結界を覆うように、『水』の結界が展開する。
直後、『水』の結界が、まるで水風船に針を刺したように、パンと弾け飛んでしまい、公爵様がチッと、忌々し気に舌打ちをした。
「やはり、『水』の魔力と『風』の魔力の相性は最悪だな。そのうえ、この地には『風』の魔素が『水』の魔素と同じくらいに潤沢だ。……にしても、三大公爵家直系の魔力を弾くか。マロウという男、余程の命知らずか……それとも馬鹿なのか……」
「……申し訳ありません。うちの副総帥、頭のネジが少々どころか派手にぶっ飛んでおりまして……。味方であろうが、格上の相手であろうが、自分が『敵』と認識した相手は、どんな手段を使ってでも潰そうとするんです」
「つまりは、イカれた大馬鹿者という事だな。……魔素を己の魔力に変換するのは、その者の資質以上に、想像力がものを言う。頭のネジがぶっ飛んでいる奴なら、想像力は無限だろうよ!全く……。王家もなんという厄介な男を飼っているんだ!!」
半ばブチ切れた様子の公爵様に対し、マテオがバツが悪そうに口を開いた。
「王家も飼った事を後悔しているのですが……。野に放った方が危険なものでして……」
……マロウ先生、散々な言われよう!
というか、そんなに危険人物だったんですか!?私のイメージでは、多少変でやる気がなさそうでも、やる時はやる有能な教師なんだけと……。
まあ、王家の『影』だからね。普通じゃないのは当然なんだろうな。
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マテオ:「王家の『影』で一括りにするな!!」
王家の『影』達:「やめて!あの人と一緒にしないで!!」
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