第9話 10歳になりました
私がこの世界に転生して、半年が経った。
時の経つのは早いものだ。
それにつれて、精神年齢的なものは今のエレノアの実年齢に引っ張られ、曖昧なものになりつつある。多分このまま折り合いをつけていき、いずれは融合されていくのかもしれない。
勿論、考え方や感受性はそのまま残っているけどね。なんせ、9歳までのエレノアの記憶がスッポリ抜け落ちているのだ。だから前世の18歳までの記憶が元となっているのは変わらないのかもしれない。
私はこの半年間で、すっかりこの世界でのお嬢様という立場に慣れた(筈)
そして使用人達も、私というこの世界的に言えば規格外なお嬢様に慣れた(筈)
なんせ、あの何に対しても至れり尽くせりな、いわば女王様扱いも無くなり、私の良く知る普通のお嬢様扱いになってきたのだから。
いや~、人間って、環境に適応する生き物なんだね。
ちなみに、私の最近の生活といえば…。
「お嬢様!マナーの先生が、もうじきいらっしゃいますよ!さ、起きてお顔を洗って朝食にしましょう!」
「むにゃ~…う~ん…あと5分…」
「駄目です。オリヴァー様に言いつけますよ?」
「…すぐ起きます」
「お嬢様!お部屋に土でドロドロのお洋服がベッドの下に隠されてありましたが、あれはどういった事なのでしょうか?」
「お…お花摘みに夢中になっていたら、ぬかるみに足を滑らせてしまって…」
「そういう時は、隠さずに私どもの誰かに仰って下さい」
「だって、言ったら洋服、即行で捨てられちゃうから…後で洗おうと思って…」
「お嬢様!ご自分でお洗濯などと…!ご乱心あそばされましたか!?」
「何でそうなるの!?」
「お嬢様!おやつにお出しする予定のお菓子の数が足りないと、シェフから訴えがありましたが…まさか…」
「……ダンスのレッスンでお腹が空いて…つい…」
「お嬢様、摘まみ食いなどはしたのう御座いますよ。これはクライヴ様が帰られたら、ご報告差し上げなければなりませんね」
「そ、それだけは!またオヤツ抜きにされちゃう!!」
「でしたら、今後はこのような事はなさいませんように」
「うう…。はい…」
…とまあ、大体こんな感じだ。
なんか、ほぼ一日に一回、誰かしらにお小言を喰らっている。
あれ?でもこれって、私の知ってる普通のお嬢様よりも、扱い酷くない?いくら人間が現状に適応する生き物だったとしても、適応し過ぎだろ?!
…まあ、我儘お嬢様が心を入れ替えて、大喜びしていたのに、今度はお転婆お嬢様にジョブチェンジしてしまった訳だし、皆もお小言ぐらいは言いたくなるだろう。こうもズバズバ遠慮もへったくれも無しなのって、本音で接してくれてるって事だし。
でもさぁ…。一応私、お嬢様なんですよ?このお屋敷では偉い立場なんだよ?グラスハートを持った小さな女の子なんだよ?ちょっとの事ぐらい、大目に見てあげようよ。
そんな事をちょっぴり、剣の練習を一緒にしていた時、クライヴ兄様に愚痴ってみた。
あ、『剣の稽古って何だ?』って思われる人もいるだろうが、これ、れっきとした護身術の一種なのだ。
いざって時、自分の身を自分で守れるようにする為にね。でも、私みたいに嬉々として毎日せっせと訓練に励む女性はマレらしい。よっぽど周囲に優男しかいなかったりとか、守ってくれる男達に不安や不満がある女性が、仕方なく習ったりするものなんだって。
そりゃそうだよね。頼まなくても寄ってたかって男性が女性を守ったり尽くしたりする世の中なんだもん。わざわざ大変な思いをしてまで、護身術なんて習わないよ。
でも私は元々体育会系で身体を動かすのが大好きだったし、ダンスのレッスンは週三回程度しかなかった為、それだけでは到底物足りなかったのだ。
だから私は護身術の事を知るなり、それに飛びつき、「私、剣を習ってみたいです!」と、お父様と兄様達にお願いした。
「剣…。剣かぁ…。柔術ならともかく、剣はなぁ…。危ないから…」
最初、そう言って渋っていた父様を説得してくれたのは、オリヴァー兄様ではなく、クライヴ兄様だった。危なくないよう、自分が責任を持って教えると言われた父様は、私の熱意もあり、最終的には折れてくれた。
という訳で今現在、私は日々、木刀片手に訓練に励んでいるのである。
でも私の身体は、お人形より重いものを持ったことの無いひ弱な9歳児でしかなく、最初は木刀すら満足に振る事が出来なかった。
でも、元々長く剣道を習っていたから剣の基礎は出来ていたらしく、最初は片手間に教えてくれていたクライヴ兄様だったが、最近では私に合わせたトレーニングメニューを考え、真剣に教えてくれるようになった。
私も身体を動かすのが楽しくて、暇さえあれば素振りしているから、半年前まで私がお気に入りだったという、精巧で巨大なドールハウスは、うっすら埃をかぶっている。
「何だ?折角一緒に暮らしているのだから、もっと気さくに接して欲しいと言ったのはお前だろうが」
「うう…。それはそうなんですけど…」
ちなみに今は休憩中。
先程まで、クライヴ兄様は私にせがまれ、剣の型を披露してくれていた。
まるで剣舞のような美しいとしか表現できない剣さばきに、私は食い入るように魅入ってしまった。まるで前世で見た漫画の、鬼を殺して滅する剣士的なアレの技のようだ。
いいなぁ…。私もいずれ、ああいった風に剣を振るえる日がくるのかなぁ…。
「もし今の状態が不満なら、以前の状態に戻してやるが?」
「…今のままでいいです」
「だったらウダウダ文句言ってねえで、とっとと素振り50回終わらせろ」
「はぁい」
コンと軽く頭を叩かれた私は、渋々木刀を握りしめると素振りを再開した。
そんな私をクライヴ兄様と使用人達が、揃って優しい目で見つめていたのを、私は知らなかった。
◇◇◇◇
「エレノア…?ウィルから聞いたけど、今日もこっそり、手すりを滑り台代わりにして遊んでいたらしいね?」
今日も今日とて、私はソファーに優雅に寛ぎ、優しい笑顔を浮かべたオリヴァー兄様の真正面に座らされ、会話という名の尋問に冷や汗をダラダラと流していた。
「…そ、その…。階段が長過ぎて…。わ、私だってやりたくはありませんでした!ですが、時間短縮の為につい…」
「へえ?その割には楽しそうに、階段を駆け上がっては何度も滑り降りていたって、ウィルが言っていたよ?」
「えっ!?」
私が慌てて後方に控えていたウィルを振り返ると、ウィルはすかさず私から視線を逸らした。
くっ…!ウィルの奴め!こっそり見ていただけでなく、更なる犯罪を犯すのを見届ける為、あえて私を泳がせていたというのか!なんて卑怯な…!!
「エレノアが全く我儘を言わない良い子になってくれたのは、とても素晴らしい事だ。でもね、手すりを滑り降りたり、お菓子をこっそり盗み食いしたり、怒られそうだからって、証拠隠滅しようとする…。これって、立派な淑女って言えるのかな?」
「…言えません…」
「だったら、これからは止めようね?せめて、手すりを滑り降りる事だけは絶対止めておくれ。君がいつか怪我をするんじゃないかと、君の父上も僕もクライヴも…そして勿論、使用人達も心配でならないんだから」
言葉通り、オリヴァー兄様の美しい御尊顔が曇っている。胸がズキリと痛んだ。うう…。お兄様、不甲斐ない妹で済みません。
「オリヴァー兄様。私、もう手すりを(なるべく)滑り降りたりしません。…本当にごめんなさい」
「……うん。まあ、とりあえず信じようかな?」
私の心の副音声を感じ取ったか、兄様が含みのある笑顔を浮かべた。
ここがオリヴァー兄様の恐ろしい所で、この人の前で隠し事をするのはほぼ不可能に近い。
例えばだけど、こんな感じにニコニコ顔で核心をズバズバ突かれ、真綿で首を絞めるように尋問されたら、きっと誰もが土下座で許しを請うんじゃなかろうか。
しかも常識外れな美貌が相乗効果となってるんだから、恐ろしいなんてもんじゃないだろう。多分、直情型でズバッと正面から切り込むタイプのクライヴ兄様よりも恐ろしいに違いない。
当のクライブ兄様も「あいつに口で勝てた試しがねえからな。お前もあいつだけは怒らすなよ」と私に口癖のように言っているしね。
私は内心の焦りを誤魔化すように、座っていたソファーから降り、オリヴァー兄様の元へと向かった。そんな私を、オリヴァー兄様は抱き上げ、自分の膝の上へと乗っけてくれる。
私が兄様の首に手を回し抱き着くと、オリヴァー兄様は途端、蕩ける様な笑顔を浮かべながら、私の頬にキスをした。
――うん。こういう時は、甘えて誤魔化すのが一番だ。
実際、オリヴァー兄様にはこの手が一番効く。きっと今迄妹(私の事だが)に冷たくされていたから、その反動なんだろう。こっぱずかしいのであまりやらないようにしているけど、本当に効果てきめん。
こういう所、自分でもこすっからいなーと思うけど、使えるものはなんだって使うさ。私だって命は惜しい。
「可愛いエレノア。じゃあ、お小言はこれで終わり。今日あった事を僕に話してくれるかい?」
「はいっ!オリヴァー兄様のお話もして下さいね!」
オリヴァー兄様とクライヴ兄様が私の日常を知りたいのと同様、私も二人の日常を聞く事をとても楽しみにしている。
なんせ私はほぼ毎日、この屋敷内だけで過ごしているのだ。年の近い子供もいないし、どこかに出かける訳でもない。ぶっちゃけ暇だ。
でも女の子は、ある一定の年齢になるまでは自分の家からあまり出ないのが普通らしい。貴重な『女』に万が一の危険が無いようにする為だそうで、当然の事ながら私も、この屋敷の中で籠の鳥となっているって訳だ。
『ようするに、女の子の親族ないし周囲の人間達は、閉じ込められている女の子を不憫がり、徹底的に甘やかす。そして『世界は自分が中心!』の我儘娘が育つ…って図式なんだよね。だから外の世界に出た途端、一気にはっちゃけるのかな?』
うん、気持ちは分かるけど、はっちゃけ過ぎるのは止めようねと言いたい。
ちなみに貴族の子女がお茶会に参加を始めるのが、大体10歳前後。庶民では、もうちょっと年齢が高くなってから、徐々に社交の場に出て行くみたいだ。
そして、私は来週末に、晴れて10歳の誕生日を迎える。つまり、いずれはどこぞかのお茶会に参加するのである。不安はあれど、とても楽しみだ。
『流石に、一人ぐらいはまともな子がいる…筈。そしたら勇気を出して話しかけてみよう。ひょっとしたら、友達になれるかもしれない』
お父様に雇われた先生達の中には女性もいる事はいるんだけど、妙に年を取っていたり、女性の恰好をした男性だったり(女性が少ないからか、割とそういう人は多いらしい)で、普通のガールズトークは残念ながら出来ていない。先生と生徒の関係性もあるしね。
ぶっちゃけ、私は年の近い同性の友人に非常に飢えているのだ。
前の人生のように、とりとめない馬鹿話に花を咲かせたり、気になる異性の話しで盛り上がったりしてみたい。真面目に。
「お兄様、私、いつ頃お茶会に参加できるのでしょうか?」
「ん?そうだね、おいおいね。それより、エレノアの誕生日だけど、盛大にお祝いしよう。エレノアは何か食べたいものとかある?」
「え?えっと、大きなふわふわのチョコレートケーキが食べたいです!」
「そう。じゃあ、他にも色々なケーキをシェフに頼んで作ってもらおうね?」
「わーい!」
――…あれ?何となく、はぐらかされたような気がする。
その後、それとなくお茶会の話をふってみても、何故かすぐ別の話しにすり替えられて終わってしまった。クライヴ兄様に聞いた時など、はぐらかすどころか華麗にスルーされた。
何故だ…。お茶会に何か重大な秘密でもあるというのか…?
そうして迎えた誕生日当日。
パーティーの準備で大忙しの我が家に、サプライズなお客様達がやって来たのだった。
=============================
ツッコミは愛情の裏返し。
バッシュ邸の人達はみな、エレノアが可愛くて仕方がありません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます