第253話 主家の姫
「……クリス。エレノアお嬢様がこのバッシュ公爵領に滞在する間の護衛騎士に、お前を命じたのがそれ程不満か?」
目の前の男を静かに睨み付けながら、そう話しかける男の名はジャノウ・クラーク。
代々騎士を輩出する家の出で、自身もその実直な仕事ぶりから騎士爵を賜っている男だ。
アッシュブロンドの髪と黄緑色の瞳を持つ精悍な容姿をした彼は、身長が二メートル近くあろうかという、立派な体躯をしている。
対して、副団長のクリストファー・ヒルの方はというと、黒髪にオレンジ色の瞳を持つ、一件優男風にも見えるほっそりとした体躯をした、柔和な顔立ちの美丈夫である。
身分もジャノウと違い、平民出身で騎士爵も持ってはいない。
だがその容姿からは想像も出来ない程の優れた剣技と、一旦キレると獰猛な猟犬のごとくに、敵の喉笛に喰らい付き離さないとされるその気性から、数多いる爵位持ちの騎士達を蹴散らすように、副隊長の地位へと爆走した男だった。
その彼が今、烈火のごとく怒りを顕わにして、ジャノウに詰め寄っていた。
「僕が怒っているのはそこじゃねぇよ!!どんな女であってもエレノアお嬢様は主家の姫だ!護衛としてお傍に付くのは、バッシュ公爵家の騎士として当然の事だし、寧ろ誉れだろ!……だがなぁ。問題なのは何故、主家の姫が離れに滞在されるのかって事なんだよ!!」
「……本邸の用意が不十分だからだ。そのような状態で、エレノアお嬢様をお迎えする訳には……。それに離れとは言っても、王侯貴族が滞在する為に造られた迎賓館だ。寧ろ格式としては本邸と同格か上で……」
ジャノウの言葉に、クリストファーはハッと、小馬鹿にした様子で鼻を鳴らす。
「へぇ?エレノアお嬢様は『お客様』って訳かい?それに用意が不十分?確かエレノアお嬢様がこっちに来るって通達来たのは、四日前だったよな?天下のバッシュ公爵家本邸が、そんだけ時間があって、主家の姫様の部屋一つ整えられないって?……イーサンの奴も何考えてやがんだ!?使えない無能は全員クビにしちまえ!!」
怒り心頭とばかりに怒鳴り続けるクリストファーを見ながら、ジャノウは顔を顰めた。
強力な魔獣や、収穫直後の農作物を強奪しようとする窃盗団に対峙しない限り、常に飄々とした態度を崩さない彼の尋常ならざる激高ぶりに、眉間に眉が寄る。
だが本来であれば、バッシュ公爵家に仕える騎士としては、寧ろこれが当然の反応なのだろう。
騎士道……いや。主君に仕える者として、そしてアルバの男として。自分の行いがどれ程罪深いのかは嫌という程理解している。クリスの激高は至極尤もなものだ。
だがそれでも、自分やこのバッシュ公爵家本邸にいる者の多くは……。
「――で?団長。あの女とその母親は?主家の姫を離れに追いやるんなら、当然あいつらも本邸から出て行くんだろうな?」
「……ゾラ男爵令嬢、男爵夫人だ。無礼な言い方は止めろ」
ジャノウの言葉に、クリストファーの眉がピクリと跳ね、その額に青筋が浮かんだ。
「はぁ?!無礼?主家の姫への無礼は良くて、たかが男爵令嬢に対しては駄目って、どういう了見なんだ?!大体、エレノアお嬢様を本邸にお泊め出来ないのだって、あの女がよりにもよって、主家の姫が使う主寝室を寝床にしていたからなんだろ?好き勝手自分好みにした部屋なんざ、そりゃあ主家の姫様には見せらんねぇよなぁ?」
「クリス!!それ以上は黙れ!!フローレンス様への侮辱は、この私が許さん!」
「あんたに許して貰おうなんて思ってねぇよ!……なあ、クラーク団長。あんただって、このままじゃ駄目だって分かっているんだろ?」
「……エレノアお嬢様はずっと王都で過ごされ、バッシュ公爵領をなんら顧みられてこなかった。その間、この領内と我々を気ににかけ、我々の努力と献身に感謝をして下さっていたのはフローレンス様だ。しかもフローレンス様は他のご令嬢方とは違い、王立学院に通われる事無く、この領内に留まられた。……騎士団長として、私の忠誠はバッシュ公爵家に捧げている。だが、私個人としては……」
「……話にならないな。ともかく、エレノアお嬢様の護衛任務は僕と僕の直轄の隊で請け負おう。だがあんたも騎士団長であるのなら、あの女に必要最低限の礼儀を諭してやれよ。それが結果的に、惚れた女の為にもなるだろうからな」
「クリス!」
「僕が言いたい事はそれだけだ。じゃあな」
まだ何か言いたそうなジャノウを振り切り、クリストファーは団長室から出て行く。すると廊下の壁に凭れ掛かっていた蜂蜜色の髪と黒い瞳の青年が即座に姿勢を正し、ニッカリと人懐こい笑顔を浮かべながら、自分に向かって敬礼した。
「お疲れ様っす!クリス副団長!」
「ティルか。……話は聞こえていたな?」
「ははっ!そりゃーもう!副団長と団長の怒鳴り合い、ビンビンに筒抜けでしたからね!」
屈託なしに笑うこの青年の名はティルロード・バグマン。
まだ入隊して三年目だが、武具の扱いに異様に慣れている事と、自分同様、後ろ暗い過去を持っていそうな雰囲気が気に入って、直属の部下に抜擢した男である。
更に最初にその話を振った際、「え~!?でも俺、副団長は好みじゃないんっすけど」と言ってのけた猛者である。勿論、その場で床に沈めてやったが。
「主家の姫の護衛なんて、本来であるなら栄誉な話なんだろうけど。今回に関して言えば、僕達に対する嫌がらせだろうな」
「副団長、敵多いですもんねぇ!最近じゃあゾラ男爵令嬢への当りのキツさから、全方位から煙たがられてますもんね!」
「仕方が無いだろう?僕は元々女が苦手だし、身の程を弁えない低能はもっと苦手だ。更に言えば、女に色ボケた野郎共は反吐が出る程嫌いだね!」
「そういう事を平気で口にしちゃうから、「第三勢力野郎が、皆に愛されるご令嬢に対して僻んでる」って言われちゃうんすよぉ!副団長って腕も顔も一級品なのに、そこんとこダメダメなんっすよねぇ。もっと上手く立ち回らなきゃ!……ま~尤も、俺もあのご令嬢嫌いだから、副団長の事とやかく言えないんっすけどね!」
ヘラヘラ笑っているティルだったが、その目は笑っておらず、それどころか剣呑な光さえ浮かんでいる。
クリストファーがそうだから……という訳ではないのだが、彼の率いる隊は何故か第三勢力者が多い。当然というかティルももれなく同類であり、自分同様あの男爵令嬢を嫌っている数少ない同志だ。
「……お前のそういう、上司に対しても歯に衣着せぬトコ、僕は割と気に入っているよ」
「あざっす!!」
少しだけソバカスの浮かんだやんちゃな笑顔の腹心に苦笑しながら、クリストファーは回廊から見える騎士達の演習場に目をやった。
そこには、件の男爵令嬢が数人の騎士達に囲まれ、楽しそうに微笑んでいる姿があった。
――フローレンス・ゾラ男爵令嬢。
乳白色に蜂蜜を垂らしたような、艶やかで癖のない腰まで伸ばされたアイボリー色の髪と、杏子色の瞳。雪の様な肌。儚げな微笑を浮かべた線の細い美貌とほっそりとしたたおやかな肢体は、男の庇護欲を否応なく掻き立てる。
そして父親がやり手の新興貴族である彼女は、母親と共に数年前からこのバッシュ公爵家本邸への出入りを許され、本邸で働く召使い達や騎士達の心を次々と掴んでいった。しかもこの半年間は、管理を名目にバッシュ公爵家本邸に母親共々住み込んでいるのだ。
そこで贅沢をしたり我満を言ったりすれば、「ああ、普通の貴族令嬢だな」で終わったのだが、彼女は他の女性達と違い、自己主張も我儘も言わず、贅沢もせず、常に控えめな態度と笑顔を崩さなかった。
そんな彼女を慕う者達は、このバッシュ公爵家本邸の者達だけではなく、周辺の町や村々にも数え切れない程存在する。この騎士団でも彼女の人気は絶大で、多くの騎士達が、密かに彼女に『騎士の忠誠』を誓っているとも噂されているのだ。
「噂……ねぇ……」
クリストファーはそれが事実である事を知っている。しかも彼女の最大の信奉者が誰あろう、騎士団長のジャノウ・クラークなのだ。
「真面目一徹の朴念仁で、そのうえ女っ気ないヤツだったからなぁ……。そりゃあコロッといくだろうよ。はぁ……。だけどさぁ、どいつもこいつもチョロすぎなんだよ」
――女性は国の宝であり、尊び護るべき存在。
この国の男が、生まれた時から叩き込まれる不文律だ。
自分は第三勢力で女性に興味は無いが、いざという時は盾になって守る覚悟は出来ている。
「だが、あの女は論外だな……」
――努力と献身に感謝している?
自らは何もせず、良い顔をしながら「ありがとう」「お疲れ様」なんて言う事は誰にでもできる。
――王立学院に行かず、領内に留まってくれた?
国中の貴族が集まる学院では、いくら女であっても新興貴族の……しかも地方の男爵令嬢など、容易く埋没してしまう。ならば領内に留まり、大勢の男達からちやほやされている方が、よっぽど気持ちが良いだろう。
それに、本当に思いやりがあるご令嬢なら、いくら用意が整わないとはいえ、主家の姫を離れに追いやり、自分が本邸に留まるなどというとんでもない事など決してしない。いや、そもそも貴族の娘であるのなら、自分より身分が格上の相手に対し、そんな恐ろしい事、しようとも思わないだろう。
そんな事が出来るのは、余程の愚か者か、自分に絶対の自信がある自惚れ屋かのどちらかだ。
……いや。あの娘も、それを諫めもしない母親も、そのどちらでもあるに違いない。
自分から見れば、あの娘はまるでスズランだ。
可憐な姿で男を誘い、その身に隠し持っていた猛毒で、触れるものを破滅に導く毒花。
「狙いは、エレノアお嬢様の婚約者……といった所か?」
クリストファーは自分がまだ新人だった頃、一度だけ遭遇した事のあるエレノアの姿を思い出した。
――常に癇癪を起し、金切り声で周囲に当たり散らしていた、あの野生の子猿のようなご令嬢……。
確かにあのお嬢様なら、自分が離れに泊まらなくてはならない事を告げた瞬間、怒り狂って罵声を浴びせさせるに違いない。
そしてあの女はそれを利用し、『たおやかで優しい』自分とエレノアお嬢様との女としての差を、自分達やお嬢様の婚約者様方に見せ付けたいのだろう。
「エレノアお嬢様のご婚約者様方は、どの方々も極上との呼び声高いからな」
つまりはその方々の目に止まり、あわよくば寵愛を賜りたいとでも思っているのだろう。全くもってくだらない。
普通のご令嬢方のように、真正面から欲望をぶつけようとせず、あくまで自分を被害者に見せようとする所が、また質が悪い。
「いや~、でも副団長、ご婚約者様方って、人外レベルの美形なんでしょ?きっと目の保養になりますよ!楽しみっすね!」
「……人生楽しそうでいいな、お前」
「あざっす!それに実は俺、エレノアお嬢様見るのも楽しみなんっすよ!どっかしらの噂によれば、王家の覚えもめでたい、優しくて勇敢な方だって言うじゃないっすか!獣人達も口々にエレノアお嬢様への感謝を口にしているし!」
「……お前は実物を見ていないからな……」
どう考えてもその噂はデマだろう。あの野生溢れるお嬢様の矯正は……有能であるが激甘なバッシュ公爵様では無理に違いない。おおかた娘の評判を良くする為に、雀に餌をやって
ただ……。
獣人王国からやって来た移民の獣人達の多くは、なぜかエレノアお嬢様への感謝と称賛を口にしている。
言っては何だが、彼等はいかにも草食獣だなという程、裏表のない素朴な者達だ。口裏合わせを強要されているようにはとても見えない。
という事はひょっとして、あの噂もあながち間違ってはいないのか……?……いや、でもしかし……。
「副団長!なに難しい顔してるんっすか?あんまり悩むと髪の毛後退するっすよ!」
あっはっはー!と能天気に笑う腹心の鳩尾に、クリストファーは溜まったストレスと共に渾身の一撃をぶち込んだ。
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のどかなバッシュ公爵領で、まったりスローライフ……とはいかない様子です。
いや、それでもエレノアだったらやっちゃいそうですけどねv
それにしても、覚醒する前のエレノアってどんだけ……。
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