第50話 試食係になりました
リアムが「セドリックに教えてもらって作ったんだ」と言って、学院に謎の黒い物体を持って来たのは、週明けの事だった。
「…こ…これは…!?」
ランチタイムが終わった後、リアムが持って来た『何か』を見た瞬間、私は顔を引き攣らせた。
箱とラッピングはとても可愛いのに、入っているモノが謎過ぎて、何を持って来たのかと聞いてみれば、クッキーを焼いてきたのだという。
そういえば四角い。そして丸い物も入っている。…ただ、黒い。真っ黒だ。これ、クッキーと言うより『元はクッキーだった消し炭』ではないだろうか…。
そう思ったものの、指が包帯やテープだらけになっているリアムを見てしまえば、「そっか…くっきーなんだ。頑張ったね」としか言えない。実際、王族のリアムが手作りで何かを作るって、激レアものなんだろうし。
「えっと…。リアム、でもこれってちょっと、焼き過ぎじゃないかな?」
「何故か、何回焼いても黒くなるんだ」
それとなく「何故こうなった?」と聞いてみると、リアムも不思議そうに首を傾げてる。
「でもこれ、最初作ったものより黒くないよ。あれは大失敗だったよね。試食してくれたクライヴ兄上やアシュル殿下、お腹壊しちゃったし」
教えた側のセドリックも、何だかよく分からないフォローを入れて来るが…ク、クライヴ兄様!よりにもよって、これを食べさせられていたのか!?あ、なんかクライヴ兄様の目が虚ろだ。そ、そういえば昨日帰って来た時、クライヴ兄様顔が真っ白だったよな。夕食も欠席していたし…。
私はそこでハタッと気が付いた。
「セドリックとリアムは試食しなかったの?」
「ああ。万が一の事があったら、作り直せないと思ったからさ」
「僕も。リアムに教えてあげなきゃいけないし、倒れる訳にはいかなかったからね」
…流石は要領の良い末っ子達だ。物凄くちゃっかり…いや、しっかりしている。
「リアム殿下…。そんな劇物…いや、危険なものを何故ここに?まさかと思いますが、エレノアに食べさせるおつもりですか?」
心なし、オリヴァー兄様の顏も引き攣ってる。
「大丈夫だ。ちゃんと毒見は済んでる。これを食べたフィンレー兄上はお腹壊さなかったぞ!」
あ、やっぱり私に食べさせようと、持って来たんだね。…って、リアムー!お前、兄殿下達を毒見役にすんなよー!!
し、しかし…。お腹壊しそうって見た目で分かるヤバイものをしっかり試食してくれるあたり、リアムってお兄ちゃん達に愛されてるんだなぁ…。というか王子様方、普通に凄く良い人達だ。
「リアム、お兄様方にお悔やみを言っておいてね」
「有難う。でも兄上達、ちゃんと生きてるから」
「…とにかく、これはお受け取り出来ません」
「何でだ?俺が婚約者じゃないからか?」
「それもありますが…。ともかく、うちのエレノアに食べさせたかったら、まず少なくとも、クッキーだと分かる見た目のものを持って来て下さい!」
私達のボケボケな会話に頭痛を覚えたのか、額に手を当てたオリヴァー兄様が、リアムにピシャリと釘を刺した。…うん、まあ、気持ちは有難いけど、私もちょっと、消し炭食べる勇気はないかな。
「リアム、だから生地だけ作って、他の人に焼いてもらえば?って言ったじゃないか」
「…他の奴の手を入れずに、全部ちゃんと自分で作ったものを持って来たかったんだ!…でも確かに、次からはそうした方がいいかもな。流石にこれじゃあな…」
あ、リアムの声、なんか落ち込んでる。…そうだよね。男の子なんだから、女の子に持って来るモノは見栄えの良いモノ持って来てカッコつけたいよね。なのに敢えて失敗作を持ってくるなんて…そういう負けず嫌いなトコ、可愛いなぁ。お姉さん、そういう正直で不器用な子は大好きだよ!
私は炭の塊にしか見えないクッキーを一つ手に取ると、躊躇いも無く口に含んだ。
「え?!」
「エレノア!?」
兄様達とセドリック、そして何故かリアムまでもが炭クッキーを口に入れた私を見て慌ててる。私はジャリジャリと音を立て、クッキーと言う名の炭を咀嚼した後、急いで手元の紅茶を一気飲みして喉へと流し込んだ。
「エ…エレノア?大丈夫か?」
恐る恐るといった風に、そう声をかけてくるリアムに、私は苦笑を向ける。…本当は微笑みたかったのだが、苦笑しか出てこなかったのだ。
「今度はもっと、美味しいもの作ってね?」
「――ッ!」
リアムは何か暫くそのままボーっと私を見た後で頷く。
「…ああ、任せとけ!」
そう力強く言うと、リアムはニッコリと凄く嬉しそうな笑顔を私に向けた。
その笑顔を目撃してしまった周囲のご令嬢が黄色い悲鳴を上げる。あ、何人かはよろめいている。眼鏡のお陰で私は分からないが、どうやら凄い破壊力を持った笑顔だったようだ。
「…エレノア…。君って子は…!」
「はい?」
「はい?じゃない!分かっているのか?!君が今、何を言ったのか!」
「勿論、分かっています!大丈夫です兄様、私こう見えてお腹は丈夫ですから!」
「…え?お腹?」
「はいっ!現に今もお腹は痛くなってません。胸は多少ムカムカしますが…。リアム、これから私、試食係としてリアムのクッキーの腕が上がるよう、頑張って協力するから。ちゃんと人に任せないで、全部ちゃんと自分でクッキー作ってくるのよ!?」
私が今度こそ、心からの笑顔を向けると、何故かリアムの唇から笑顔が消えていた。
「…うん、まあ…分かっていた。分かっていたけど…」
「え?何が?」
「いや…。別に何でもない」
「美味しく出来たら、お母様に食べてもらおうね!きっと凄く喜ぶわよ!」
「…ソウダナ」
あれ?何か雰囲気がたそがれてる?あ、兄様達やセドリックが、可哀想な子を見るような眼差しで私達を見つめている。
「…
「オリヴァー、お前もか」
「優しさって、時に残酷なものなんですね…」
え?何それ?私、何かリアムに悪い事したっけ?
そこで私は思い出した。
あ、そうか。女性が異性にお菓子を勧められて、それを受けたら「貴方を受け入れます」ってOKサイン出した事になるって…。あ、しかも私、「また作ってね」なんて言っちゃった!ヤバイ!
「ご、ごめんリアム!私、そういう男女の作法疎くって!そ、それにアレって、相手にお菓子を食べさせてもらったら…なんだよね?!えっと、自分で食べたからセーフ?あ、それにまたアレ食べたいかって言われたら、ちょっと要らないかな?私はただ、頑張ったリアムを真剣に応援する意味で、試食係を…」
「エレノア、もういい。いいから黙れ!」
クライヴ兄様に止められ、私はようやく、リアムが机に突っ伏して撃沈しているのに気が付いた。セドリックがなんか必死にリアムを励ましてる。あ、オリヴァー兄様も、なんか目頭抑えて俯いている。…ヤバイ。誤魔化そうとして完全にやらかしたっぽい。
「…リアム殿下。エレノアはこういう子なんです。これしきの事でいちいち心を折っていたら、この先やっていけませんよ?」
ええっ!?オリヴァー兄様が、リアム殿下を慰めてる!あ、クライヴ兄様も、物凄く同情のこもった眼差しをリアムに向けてる!それってつまり、そんだけ酷い事を私、リアムにしてしまったって事なのかな?!
「…うん、よく分かった。オリヴァー・クロス。クライヴ・オルセン。お前達も苦労してたんだな…」
「…まあ、それなりに…」
「愛があればこそ、乗り越えてこられたというか…」
兄様達とリアムが、謎の連帯感に包まれている。あ、セドリックまで、同意するように深く頷いている。うう…な、なんか、物凄くいたたまれないんですけど…。
「分かった!エレノア、俺はいつかきっと、お前に「このクッキー、美味しい!」と言わせて見せるから、覚悟しておけよ!?」
ビシッと指を指されてそう宣言される。…うん、分かりました。覚悟して試食させて頂きます。
「それで美味しく出来たら、お前にご褒美もらうからな!」
「え?あ、うん」
「エレノア!そこで頷かない!!」
「リアム殿下!どさくさ紛れに何を仰ってるんですか!?」
途端、いつものやり合いが勃発した訳なのだが…。気のせいか、なんか兄様達とリアムが微妙に仲良くなっている気がする。
もっとも、それを指摘したら「断じて違う!」と、双方から否定されたけどね。
それからというもの、毎週明け、リアムは自作のクッキーを持って来るようになった。
「…うん!これなら何とか食べられるよリアム」
「ほ、本当か!?」
「本当本当!苦味の中に、微かに甘みとバターの匂いを感じる。進歩したね!」
「ああ。それもこれも、エレノアが頑張って試食し続けてくれたお陰だ!」
「友達だもん、当たり前じゃない!今は(焦げ)8:(クッキー味)2だけど、徐々に割合を逆転出来るように、頑張ろうね!」
「おう!任せとけ!」
「「「………」」」
まるっと焦げたクッキーを前に、盛り上がっている二人を見ながら、オリヴァー、クライヴ、セドリックは汗を流す。なんか「愛する女性に自分のお菓子を食べさせる」…という目的から、微妙に方向性がずれている気がしないでもない。
「リアム殿下が天然なのか…。それとも、エレノアに感化されてしまっているのか…」
オリヴァーがそう言いながら、微妙に焦げ色が薄くなってきた炭クッキーを手に取り、頬張った。
「…確かに…。微妙に炭以外の味も混ざっている…ような…?」
「まあ、喰えなくもないレベル…にはなってきたかな…?」
「リアムがエレノアのご褒美を貰える日、凄く遠そうですね」
三者三様の感想を口にしながら、炭の味薫るクッキーを数回咀嚼した後、三人はいつものように急いで紅茶を含むと、自力では飲み込めないソレを喉奥へと流し込んだのだった。
◇◇◇◇
「よう、リアム。どうだ成果は?」
「僕らを実験台にしてくれたんだから、当然上手くいったんだよね?」
エレノアに初めて自分のクッキーを食べてもらった当日、城に帰って来たリアムを、ディランとフィンレーが興味津々と言った様子で出迎えた。
「うん。食べてもらえた」
「やったな!まあそりゃ、王族であるお前がわざわざ手作りしたんだ。そりゃ食べるよな!…たとえ消し炭でも」
「王族だからとかじゃなくて、「リアムが頑張って作った」って事実が大事なんだよ。今迄の話を聞いていれば、そういう努力を無視出来ない子だって分かるからね。…でもアレを食べてくれたのって、相当勇気あるって思うけどね」
そう言いながらも、リアムのクッキーの毒見役をさせられた二人の顔色は悪い。
フィンレーは多少の胸やけで済んだのだが、ディランはお腹こそ壊さなかったものの、一日酷い嘔気に襲われたからだ。ちなみにクライヴと一緒に最初のクッキーを試食したアシュルなどは、酷い腹痛と吐き気に襲われ、今日に至るまで、ろくに食事を摂れない有様だった。
「で?どうだ?言質は取ったんだよな?」
たとえ炭ではあっても、異性からのプレゼントを食べてくれたのだ。その時点で『脈あり』と公言したようなものである。
ワクワク顔のディランに、リアムは無表情のまま口を開いた。
「うん。俺のクッキーが美味くなるまで、試食係してくれるって言ってた」
「…え?」
「ちょっと、何それ?彼女、リアムのクッキーを食べたんだろう?」
「俺から食べさせたんじゃなくて、自分から食べたからセーフなんだって」
「………」
「ああ、それと兄上達が試食してくれたって伝えたら、「お悔やみ申し上げます」って言ってたよ」
「…それはどーも」
「…まだ死んで無いけどね。…しかし、そうきたか。変わってる上に、割と侮れない子だね」
フィンレーが眼鏡の奥の瞳を細める。彼が身内の事ではなく、他人の話にここまで興味を示す事は非常に稀だ。
そしてそれはディランも同じで、彼は以前出逢ったという運命の少女を中々見つけられず、酷くふさぎ込んでいたのだが、リアムから学院でのエレノアのアレコレを楽しく聞いているうち、彼本来の快活さを取り戻しつつあった。出逢った少女も何気に規格外だったので、不思議と親近感が湧くのだそうだ。
「さて、じゃあ詳しい話はアシュル兄上が来てからにしようか。ああ、今度父上達も、リアムの話を色々聞きたいって仰っていたよ」
王や王弟達の仕事の補佐で毎日忙しいアシュルだが、一日の終わりにリアムの話を聞くのをとても楽しみにしているのだ。父達も、リアム付きの影達から随時報告は受けている筈なのだが、やはり直接、可愛い息子の口から、お気に入りのご令嬢の話を聞きたいのだろう。
「分かった。じゃあ俺、着替えたら夕食の時間までクッキーの練習してくる!」
「言っとくけど試食係が出来たんだから、もう僕達は毒見しないからね」
「うん、分かった!」
目に闘志の炎を燃やしながら頷くと、リアムは自分の私室へと走って行ってしまった。
そんな弟の様子を、兄二人は微笑ましそうに見つめる。
ほぼ年子で生まれている自分達と違い、遅くに生まれたリアムの事を、兄弟達や父親達は、それこそ目の中に入れても痛くないくらい可愛がっているのだ。
そんな彼が気に入ったというエレノア・バッシュ公爵令嬢。
エレノア本人は全く分かっていないが、今や彼女は王家にとっての注目の的だ。
「母上も「あの子は良い子ね。心がとても綺麗だわ」って凄く褒めておられたから、そろそろ公式にリアムの婚約者候補になるんじゃないかな?」
「ああ。なんてったって、聖女のお墨付きだからな。誰からも文句は出ないだろ」
それに、話を聞いているだけでも、これ程愉快で楽しい子なのだ。彼女がリアムの妃になったら、きっと
ただ、それを彼女の婚約者達が良しとなど、絶対にしないだろう。彼らの親であるバッシュ公爵やクロス伯爵、オルセン子爵も同様で、怒った彼らが一斉に王家に牙を剥けば、非常に面倒な事になってしまう。だからこそ、王宮はリアムとエレノアとの婚約を打診しかねているのだ。
「エレノア嬢自身がリアムに惚れてくれるのが、一番手っ取り早いんだがな」
だが現状、彼女にそういった兆候は見られない。まあ、リアムに初めて逢った時、彼の美貌に怯まず惚れず、「顔が良いと苦労するわね」なんて同情するようなご令嬢だ。むしろ婚約者達を黙らせるより、エレノアにリアムを惚れさせる事の方が難しいのかもしれない。
「まあ、可愛い弟の為に、俺達も色々協力してやるとするか」
「そうだね。…それに僕も一度、彼女と会って話をしてみたい。リアムの援護射撃も兼ねてね」
「それこそ難しいんじゃねぇかな?あのオリヴァー・クロスに返り討ちに遭うぞ」
「あのクロス魔導師団長の息子か…。良いね。彼とは一度、やり合ってみたいと思ってたんだ」
そう言いながら、うっそりとフィンレーが笑う。彼は自身の持っている特殊な属性からか、時に『炎』の属性を持つ自分よりも、攻撃的になる時があるのだ。
自分が目標としているクロス魔導師団長の後継者とされているオリヴァー・クロス。ひょっとしてフィンレーは、エレノアを口実に、彼と会う事こそが目的なのかもしれない。
「程々にしとけよ?」
そんな弟を見ながら、ディランはやれやれと言った様子で肩を竦めた。
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