第49話 それぞれの休日

◇◇エレノア&オリヴァー◇◇



「…退屈…」


私は広いバッシュ邸の中をテクテク歩きながら、そうひとりごちた。


本日は週末の為、王立学院はお休みである。


なので、今日は久々にクライヴ兄様達と剣稽古をしようと思っていたのだが、セドリックがリアムと何やら約束していたらしく、クライヴ兄様はセドリックと共に、王城へと行ってしまったのだった。


セドリックだけでなく、クライヴ兄様まで一緒に行ったのは、弟の警護と情報漏洩を防ぐ為である。


なにせ王宮は海千山千の修羅場を潜り抜けてきた猛者達が集う戦場。(父様談)そして、リアムだけならいざ知らず、兄王子方…特にアシュル殿下が絶対待ち構え、私についてのアレコレをセドリックから聞き出そうとするに決まっている…からだそうだ。


そういった訳で、「考え過ぎでは?」と言ってみた私の言葉はまるっと無視され、満場一致でクライヴ兄様がセドリックに護衛として付いて行く事になったのである。


ちなみに、海千山千の修羅場の大半は、伴侶や恋人を巡っての争いの事だと思われる。つまり王宮には、種を残す為の生存競争を勝ち抜いて来た、エリート中のエリート達が集っていると、そういう事なんだろう。


成程、いくら男子の嗜みを習得していても、所詮は十代前半の子供。しっかりしているとはいえ、セドリックでは彼らに良いように転がされてしまうだろうからね。クライヴ兄様が付いて行ったのは正解だったな。


――ん?でもクライヴ兄様だって、十代後半とは言え女遊びもしないし、そんな連中相手に、どうやって戦うんだろうか?…まあ、クライヴ兄様だったら、色々な意味でなんとかしそうだけど…。


そんな事を考えながら、私は何となく、サロンの方へと足を運んだ。


いつもなら私がこうして退屈していると、オリヴァー兄様が必ずと言っていい程、私のお相手をして下さるんだけど、生憎オリヴァー兄様、最近は休日の度に、バッシュ公爵領のあらゆる事業についてのアレコレをジョゼフの元で学んでいて、物凄く忙しいのだ。


そんな訳で、今日も朝食以降、オリヴァー兄様の姿を見ていない。


勿論、私が強請れば喜んで仕事を中断し、私に付き合ってくれるのだろうけど、当然そんな事はしません。お仕事で忙しい兄様の手を患わすなんてとんでもない事だ。


そうしてサロンへと到着すると、私の数歩後を静かに付いてきたウィルが声をかけてくる。


「お嬢様、まだ昼食には多少時間が御座いますから、お茶と軽いお菓子をご用意いたしましょうか?」


「うん、有難うウィル。…あれ?」


ふといつも座っているソファーの方を見てみると、何故かオリヴァー兄様が横になっていた。


「オリヴァー兄様!?」


慌てて駆け寄ってみると、兄様は目を瞑り、規則的な呼吸を繰り返している。…どうやら眠っているだけのようだ。


「兄様…お疲れなんですね…」


そういえばここ最近、生徒会の仕事が立て込んでいて、たまに一緒に帰れない時があった。そこへもってきて、私の王立学院入学やら、公爵領の経営についての引継ぎ云々である。私の前ではそんな様子を見せないが、本当はとても疲れていたのだろう。


「ウィル、お茶はいいわ。私、兄様の傍で、兄様が起きるまで一緒にいる」


オリヴァー兄様を起こさないよう、小声でそう伝えると、ウィルは微笑みながら頷き、そっとサロンを退出して行った。勿論、しっかり扉を閉めるのを忘れずに。


私は床に腰を降ろし、兄様の眠っているソファーに凭れ掛かかりながら、何をするでもなく、兄様の寝顔を眺めた。


『う~ん…。こうして兄様の寝顔を見るのって初めてだなぁ…』


私の方は、兄様方によく寝顔を見られているが、逆は殆ど…いや、全くと言っていい程無い。だから、こんな隙だらけの兄様の姿を拝めることなど滅多にない。貴重な体験だ。


…それにしても、本当に顔が良いなこの人。睫毛長いし、髪なんてサラサラで、まるで黒い絹糸のようだし。…う~ん…ちょっと…触ってみようかな?


「起こしちゃわないかな」と不安に思いながら、恐る恐る兄様の髪を梳いてみる。うわ~…なにこの感触。本当にサラサラ。ビロードを撫でてるみたいで、超気持ち良い。癖になりそう。


兄様を起こしてしまうかも…という不安も吹っ飛び、私は兄様の髪の感触を大いに堪能した。


「ん…」


兄様の口から、微かに吐息の様な声が漏れる。


慌てて髪から手をどかし、恐る恐る兄様を伺うが、どうやら起きてはいないようでホッとした。


『兄様が起きるまで、ここにいようかと思っていたけど、このままじゃ自然に起きるんじゃなくて、私が起こしちゃいそうだな。そうなる前に、別の所に行こう』


そう思い、腰を上げようとした私の目に、兄様の形の良い唇が飛び込んで来た。

少しだけ逡巡した後、私は薄く開いたその唇に、いつも兄様がしてくれているように、そっとキスをした。


「んっ!?」


途端、物凄い力で身体が浮き上がったと思うと、次の瞬間には、私の身体は兄様の腕の中に納まってしまっていた。当然というか、唇はそのままで。…いや、寧ろ口付け、めっちゃ深くなってしまっている。


「ん…っ。ふ…!」


どうにかして逃げようとするも、後頭部を兄様の手でガッチリ抑えられてしまっている為、逃げるに逃げられない。ようやく解放された時にはもう、心臓はバクバクだわ、酸欠状態だわでヘロヘロ状態。勿論、腰も砕けてしまいました。


「エレノア。素敵な目覚めをありがとう」


そう言って微笑まれた兄様の目元は薄っすらと赤らんでいて、寛げた胸元から見える鎖骨と相まって、滅茶苦茶色っぽかった。ううっ、眩しい!今日も視覚の暴力は健在ですね!


「に…にいさま…っ。お、起きて…おられたのですか…?」


息を荒げ、涙目でそう聞くと、兄様は何かうっとりとした様子で、更に笑顔を深めた。


「ん?寝ていたよ。君がここに来るまではね」


しれっとそう言われ、私の顏は諸々の感情で、瞬時に真っ赤に染まった。


「お、起きてたんじゃないですか!」


「だって、僕が起きるまで君が傍にいてくれるって言うから嬉しくて。しかも、君の方からあんな風に僕に触れてくれた上に、自主的にキスしてくれたから、もう感極まっちゃって。つい…ね」


感極まって、妹を窒息寸前にまでしないで下さい。あ!何ですか?笑顔が妖しい感じになってますよ?え?また顔が近付いてる…?に、兄様ー!ちょっと待ってー!


「休憩時間、もうちょっとあるから。それまで君の花嫁修業に付き合ってあげよう」


つまり、もっと上手く口付けに応えられるようになろうと…?それが花嫁修業?何ですかそれ!?


「いいいいえっ!結構です!お忙しい兄様のお時間を割くような事は…!私はこのまま、失礼します!」


「ああ、そんな遠慮しないで。君と折角、こうして二人っきりなんだから。存分に君を堪能させて?」


そ、そんなに甘くて良い声で囁きかけるなんて…卑怯です兄様!私が断れない事、分かって言ってますね!?


「愛してるよ、僕のエレノア…」


私が兄様の身体の上に乗り上げる格好だったのが、いつの間にか逆転してしまい、私は覆い被さってきた兄様により、散々『花嫁修業』と言う名のスキンシップセクハラを堪能させられたのだった。


ふっ…。『男子の嗜み』初級マナーの上級編、軽くクリアしたな。さあ、次は中級マナーに…って、行くかバカ!


ちなみにだが、オリヴァー兄様の狸寝入りをしっかり見抜いていたウィルの機転により、お昼の時間になるまで、サロンに近付く者は誰もいなかったのだった。








◇◇セドリックとリアム&クライヴとアシュル◇◇




「じゃあリアム。次は砂糖と卵を入れるから」


「分かった」


「あ!違う!卵は直に入れるんじゃなくて、ちゃんと溶きほぐしてから少しずつ!」


「セドリック!なんか分離した!」


「砂糖を先に入れないからだよ。…まあいっか。小麦粉と混ぜちゃえば同じだし」


王城内の巨大なキッチンの片隅で繰り広げられている、王族とその友人によるやり取りを、何人ものシェフやその見習い達は、好奇心と緊張を押し隠しながら、チラチラと伺っていた。


「でもリアム。何でいきなり僕にお菓子を習いたいって思ったの?わざわざ僕に習わなくたって、ここにはシェフが沢山いるじゃないか」


「…だってエレノア、俺が持って来たお菓子、全然食べてくれないし。セドリックの作ったやつは、物凄い喜んで食べるから、セドリックに教えてもらって作れば、食べてくれるかと思って…」


リアムは分離してしまったクッキー生地を一生懸命混ぜながら、少し拗ねた様子で話す。その様子を見たセドリックは、思わず苦笑してしまった。


「エレノアは、僕や兄上達以外の男性のお菓子は食べないんだよ。たとえどんなに美味しそうでもね」


――「食べない」というより、「食べられない」んだけどね…。とは、心の中でだけ呟く。


婚約者のいるご令嬢は基本、婚約者や恋人以外の男性からのお菓子は貰わないし食べない。何故なら、お菓子を食べる=その相手の好意を受け入れるという事になるからだ。

尤も、女性が「この人良いな」と相手を気に入ってしまえば、婚約者が懇願しようが恋人が泣こうが関係なくお菓子を頂いてしまう訳だが。


しかしながら、本来王族が菓子を勧めて、断るご令嬢はいないだろう。万が一断ろうとしても不敬になる為、断る事は出来ない。…筈なのだが、エレノアの場合、アシュルがやらかしてしまったお陰で、リアムのお菓子を断っても角が立たないのだ。


「いわゆる、『婚約者の特権』ってヤツか。…じゃあ、俺がお菓子作っても、エレノア食べてくれないかな」


「う~ん…どうだろう。そこはエレノアだしなぁ…。食べるんじゃない?」


自分の為に、仮にも王子様が一生懸命作ってくれたお菓子だ。エレノアだったら絶対に絆されてしまい、断らないだろう。そう、後でオリヴァーやクライヴに叱られると分かっていても。


「…セドリック。お前、何でそうなるって分かってて、俺にお菓子を教えてくれてるんだ?」


「ん?…う~ん…。なんていうか…リアムは友達だから…かな?」


エレノアは兄達にとっても、自分にとってもかけがえのない大切な婚約者だ。その婚約者を奪いかねない王族のリアムに対し、敵に塩を送るような行為をするなど、本来であれば言語道断だろう。


でも、エレノアを無理矢理王立学院に引っ張り出してきた事はともかく、彼は王族の権威を振りかざして、強引にエレノアを自分のものにしようとはしない。それにオリヴァーやクライヴに対する態度と違い、自分には親しい友人として、気さくな態度で接してくれるのだ。


リアムの自分に対する態度に、打算計算は一切感じられない。


だから兄達程、セドリックはこの目の前の王子様に対し、シビアな態度を取り切れないのだった。


「…エレノアもだけど、お前も大概、変わってるよな」


「そう?エレノアと一緒だなんて、嬉しいな」


「褒めてねーよ」


「ふふ」


鮮やかな空色の髪と瞳。

滅多に顕われないとされるその色は、強力な『風』の魔力を宿している証だ。


まだ一回もリアムの素顔を見た事がないエレノアは知らないだろうが、その透き通るような美貌は、オリヴァーやクライヴと比べても、まるで遜色が無い。なのに、その完璧な見た目と相反して、彼の性格はとても実直で不器用だ。「この相手だ」と決めたら、それを貫く一途さも持っている。


身分といい、才能といい、美しい容姿といい、兄上達同様、僕とは比べ物にならない程魅力的な王子様。


彼は将来、間違いなく自分達の強力なライバルとなるだろう。その時は自分だとて、エレノアを守る為に全力で彼と戦うつもりだ。…でも今ぐらいはこうして、仲の良い友人として接していたい。


「…お前のそういうトコ、敵わないって思うよ」


リアムの呟きに、セドリックが首を傾げる。


「え?何?何か言った?」


「何でもない!で?次は何するんだ?」


「うん、それじゃあ小麦粉を入れて、馴染むまで捏ねてこうか!」




「…いいねぇ、仲良くて。まるで僕と君の関係みたいじゃないか?」


「…反論したいが、確かに一応友人だな。だが、あっちと違って、俺にとってお前は、ただの悪友だ」


「相変わらず辛辣だねぇ」


弟達の奮闘ぶりを、同じキッチンの片隅でお茶をしながら、微笑ましそうに見つめるアシュルの横で、クライヴは溜息をついた。


「お前、弟を見守りたいのは分かるが、そろそろここ、出て行った方が良くねぇか?シェフ達見てみろ、思いっきり挙動不審じゃねぇか」


クライヴの言う通り、第四王子のみならず、第一王子までもが居座っている事により、キッチン内は異様な緊迫感に包まれていたのだ。


「そんな事言ったって、リアムの初めてのクッキングだよ?父上達や母上も見学したいって言うのを宥めて、僕が一部始終を魔力再生するって事で、何とか落ち着いたんだから。しっかり最後まで見届けるさ」


うん、止めて正解だ。今でさえ緊張のあまり、指を切ったり火傷をする者が続出しているというのに、ロイヤルファミリーが総動員で押し掛けたりなんぞしたら、シェフ達がパニックを起こした挙句、爆発事故すら起こし兼ねない。


「全く…。このブラコンが」


「クライヴに言われたくないよ。君、本当はセドリックをここに来させたくなかったんだろう?」


「………」


「エレノア嬢の婚約者としては、当然止めるべきだよね。でもセドリックが友人としてリアムに会いたがっているのを知っていたから、止められなかった。…君もオリヴァーも、僕同様、重度のブラコンって訳だ」


アシュルの指摘に、クライヴは反論する事が出来なかった。


辛い過去を持っているセドリックの事は、オリヴァー共々常に気にかけていた。だからそんな彼がリアムと仲良くしている姿を見て、複雑ではあったが、同時に嬉しくもあったのだ。


リアムの事も、エレノアを奪うかもしれない相手ライバルと認識しているものの、直に接している内に、その実直で素直な人柄を知り、ついつい、情が湧いてきてしまっていたりするのだ。それにリアムのエレノアに対する感情も、まだ恋心と言うには若干、微妙なレベルだ。


最も、彼がエレノアに対して本気になったとしたら、容赦する気は毛頭無いが。


「ま、君達の兄心に免じて、リアムの大切な友人にあれこれ詮索するのは控えるよ。それに、リアムが毎日楽しそうに報告してくれる彼女のアレコレで、こちらも毎日和ませてもらってるしね。先日のマテオの件なんて、兄弟一同、腹を抱えて笑わせてもらったよ」


思い出し笑いをしながら、そう話すアシュルに対し、クライヴは再度溜息をついた。


「お前ら、弟があんだけ嫌がってんだから、もう少しマシな『影』付けてやれよ」


「あれ?マテオがリアムの『影』だって、分かってた?」


「そりゃあな。ふとした拍子に見せる身のこなしや、エレノアの言葉じゃないが、嗅覚の鋭さを見りゃ、おおよその見当はつく」


「ふふ。ああ見えて、マテオは若手ではずば抜けて優秀な『影』だからね。あれ以上となると難しいんだよ。それに、彼ならエレノア嬢に絶対惚れないから、君達に排除されずに済むしね」


「………」


「一応、これでも色々考えてるんだよ。ああでも、エレノア嬢は本当に楽しくて素敵な子だね。早く時間作って、直接話をしに行きたいな」


途端、鋭い眼光で睨み付けてくるクライヴに、アシュルは喰えない笑顔で応戦する。


「…ん?何か焦げ臭い…?」


アシュルの言葉に、クライヴも微かに漂ってくる臭いに気が付き、セドリック達の方を振り向くと、何やら二人が慌てているのが見えた。


「うわぁ…。派手にやったね…」


「…喰えると思うか?これ」


「…分からないけど、誠意だけは伝わるんじゃないかな?あ、でも一応、エレノアの目の前で毒見はした方がいいかもしれない」


「劇物レベル!?」


「否定はしない」


「「………」」


一触即発だった兄達を、自分達の和み行動でほっこりさせ、有耶無耶にしてしまった事にも気が付かず、リアムとセドリックは真っ黒焦げになったクッキーを、いかにして食べられるようにするかを真剣に議論していた。


「チョコを上にかけて誤魔化せないかな?」


「いや、それよりもアイシングした方がいいかも」


焼き直せばいいんじゃないかな?…という、冷静なツッコみ不在のまま、兄達は揃って、アレコレ誤魔化そうとしたクッキーの試食役を任させられ、揃って腹痛を起こす羽目になってしまったのだった。


後にこのクッキーは、エレノアによって『炭クッキー』と命名されたという事である。

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