第51話 どうする事も出来ない事

「エレノア嬢、済まない。右手を痛めてしまって…」


「分かった!…はい、どうかな?」


「うん、痛くなくなった!」


「応急処置だから、あんまり無理しないようにね」


「分かった、有難う!」


笑顔でお礼を言いながら試験に戻って行くクラスメイトに、こちらも笑顔で「頑張ってね」と手を振って見送る。


今日は学期内で四回行われるテストのうちの、四回目。総合試験の日である。


ちなみにその前の三回は筆記試験だけ。前世で言えば、中間テストに当たる。そして学期末に一度、総合試験が行われるのだ。これは体術、剣術、魔術、自由学習…等々、ありとあらゆる学科が含まれる。この総合試験に、定期的に行われる中間テストの成績をプラスした総合得点で、その年の学年順位が決まるのだ。


ちなみに私もテストを受けるが、基本、体術・剣術などの格闘系学科は見学組。当然、試験など受けられない。なので、私の総合得点は相当低いだろう。


どちらかと言えば、筆記試験よりも身体を動かす学科の方が得意分野なんだから、そちらで得点を稼ぎたい所だ。でも万が一、ディラン殿下に気が付かれては不味いという事で、泣く泣く不参加。楽しそうに授業に参加しているセドリックやリアムを指を咥えて見ているしか出来ないのである。


「バッシュ君。君ねぇ…。そんなに授業に参加したければ、僕の助手をさせてあげようか?」


毎回毎回飽きもせず、気分だけでもと、体操着を着こんで授業の見学をしていた私に対し、クラス担任であり、攻撃魔法の教師でもあるマロウ先生に呆れ顔でそう言われ、私は一も二もなく頷いた。


ちなみに助手って何をするのかと言えば、実践練習で吹っ飛ばされて怪我をした生徒の治療。なんでも私の持っている『土』の魔力って、治癒魔法を使うのに最も適しているんだって。


「魔力の練習にもなるし、僕の役にも立てるしで、一石二鳥だろ?」


マロウ先生、そう言って爽やかに笑っていたが…。あんた、いくら授業だからって、生徒吹っ飛ばし過ぎだろ。お陰で毎回、魔力が空っぽになる寸前まで回復魔法かけなきゃいけなくって、最初の内は真面目にヘロヘロ状態だったよ。


まあ、実践で叩き込まれたお陰で、治癒魔法の技術が嫌でも上がったけどね。しかも私の働きっぷりに感心してくれたマロウ先生が、治した生徒の数をカウントし、それを私の総合得点にプラスしてくれるようになったのは、正直有難かった。


なんでも『土』の魔力保持者って女性が多いから、この学院でも治癒師ヒーラーが圧倒的に不足しているんだって。


だから今迄、新入生にはなるべく怪我をさせない様に加減していたんだそうなんだけど、今回は私がいるから、思いっきり全力で授業を出来るようになったんで、そのお礼だそうだ。


…いや、マロウ先生。教師が生徒に怪我させない様に力を加減するのって、常識ですからね?


ともかく、そういった事情で、私は木陰に設置された簡易テントの中、救護班としてポイント稼ぎに勤しんでいるという訳なのである。


「ご、ごめん…エレノア嬢…」


「有難う…。楽になった…」


「うう…。戻りたくない…。このまま倒れていていたい…」


思った以上に、怪我人続出だ。私としてはポイントが稼げるので嬉しいが、これって大丈夫なのかな?


「あの先生は頭のネジが少々ぶっ飛んでいるが、そこら辺は弁えている。お前がいるから、安心して相手が潰れるギリギリのラインで鍛え上げているんだろう」


クライヴ兄様が、私に冷たいアイスティーを渡してくれながらそう話すのを聞いて、私は汗を流す。


「つ、潰れるギリギリの…って…。兄様、それってヤバくないですか?いくら私が怪我を多少治せるからって、本当に大怪我させちゃったら、洒落になりませんよ?」


「心配するな。俺の知る限りで、あいつ程相手の力量を見抜くのに長けている奴はいないからな」


そう言って、クライヴ兄様は楽しそうに笑った。その視線の先には、今まさにマロウ先生の攻撃を、結界を張って防ぎ切ったセドリックがいた。対峙しているマロウ先生の口元にも、薄っすらと笑みが浮かんでいる。


「ああ、セドリックの奴、ロックオンされたな。次の攻撃はもっとエグイのがいくだろう」


「兄様ー!セドリックが死んじゃいますよ!!」


「大丈夫だ。あいつはああ見えて負けず嫌いだからな。婚約者であるお前の目の前で無様を晒すなんざ、死んでもしねぇよ。現にセドリックの奴、今迄お前の治療を受けに来てねぇだろ?」


「そ、そういえば…」


「それに、お前以外にも無様を晒したくない相手が、すぐ傍にいるからな。ほら」


クライヴ兄様に促されると、マロウ先生と対峙しているリアムが目に入った。野外故、頭上に広がっている青空にも負けない、鮮やかな青い髪が陽光を受けて煌めいている。


次の瞬間。


今迄の比ではない程に強力な攻撃魔法がリアムへと放たれ、私は思わず息を飲んだ。だが、攻撃はリアムを傷付ける事無く、彼の目の前で霧散する。それを見たクラスメイト達から感嘆の声が漏れ、ついでに従者に傅かれ、優雅にベンチで寛ぎながら試験を見学していたご令嬢方からも、黄色い歓声が沸き上がった。


「…流石は王族。俺やオリヴァーが喰らったレベルの攻撃を防ぎ切ったか。アシュルを思い出すぜ。…いや、あいつ以上か…」


「兄様?」


「リアム殿下は魔力量がずば抜けて多い。そして多分だが、その膨大な魔力を完璧にコントロール出来ていない。だからクッキーをいつも焦げさせてるんだ」


――え?そこで何でクッキー?


「無意識下で漏れ出ている、微弱な『風』の魔力が、窯の火を増幅させてるんだよ。それを制御出来るようになれば、まともにクッキーを焼く事が出来る筈だ」


「な、成程…そうなんですか」


まさかあの炭クッキー作成の裏に、そんな事情が…。って、あれ?でもそれじゃあ、その事をリアム本人に教えてあげる人はいないのかな?


「教えてどうにかなるもんでもないからな。これも推測だが、お前の事が無くても、リアム殿下は王立学院に通う予定だったのかもしれん。ここにはあのマロウみたいな奴らがゴロゴロいるからな。魔力操作を学ぶにはうってつけだ」


――マロウ先生みたいな人がゴロゴロ?


つまりは、王族に全力で攻撃魔法ぶっぱなすような、ぶっ飛んだ人達が沢山いるって事か。確かに王宮内で王族に対し、あんな命知らずな事が出来る人なんていないだろう。きっとすぐに不敬罪で逮捕されてしまう筈だ。


その時だった。その命知らずな教師の能天気な声が、こちらに向かって投げかけられる。


「おーい!そこの『元、副会長』執事ー!ちょっとこっち手伝えー!」


途端、クライヴ兄様の眉間に青筋が浮かんだ。


「マロウ先生、御冗談がお好きなようですね。在校生だった時ならいざ知らず、今の私はエレノアお嬢様の執事です。お嬢様以外の方からの指図など、受ける義理はありません」


ニッコリ優雅に、だが冷ややかな冷気を込めて言い放たれた言葉を、マロウ先生は飄々と受け流す。


「そんな事言わずにさぁー!君、僕と同じぐらい相手の癖読むの上手いじゃないか。僕もさ、ほら…年だし。少し楽したいっていうかー」


「だったら、とっとと楽隠居する事をお勧めしますね。この学院も多少は平和になる事でしょう」


「元・教え子が冷たい!…そうだ、じゃあバッシュ君、君から執事君に頼んでよ!」


「え?何で私がそんな事を…」


「君のポイント、10倍にしてあげるから!」


「クライヴ、先生を手伝って差し上げて!」


「……かしこまりました」


『お前、後で覚えておけよ』という心の声を込め、私を睨みつけた後、クライヴ兄様は上着を脱ぎ捨て、顔面蒼白になっている一年生達の元へと向かって行った。


「さて、バッシュ君。君にもお願いがあるんだ。この後、2年生の試験があるんだけど、結界用の魔石が足りなくなっちゃったから、僕の部屋から取って来てくれないかな?はい、これ鍵ね」


「え?でも、そうしたら治療は…」


「もう後1/3ぐらいだから、大丈夫。いざとなったら医務室に行かせるから!」


「そうじゃなくて、今席を外したら、ポイント稼げないじゃないですか!」


「…あ、そっち?大丈夫、その分も内緒でプラスしておいてあげるから」


「分かりました!いってきまーす!」


元気よく返事をし、走って行こうとした私の後方から、不機嫌そうな声がかかった。


「おい待て!令嬢が走るな!このがさつ女!」


「え?なによマテオ、何であんたもこっちくんの?」


「あー、君の執事君借りちゃったからさ、護衛にって僕が命じたの。バッシュ君になんかあったら、僕がクライヴに殺されちゃうからね」


だったらそもそも、生徒をパシリに使わなければ良いのでは…?と思ったのだが、マテオに「ほら、さっさと行くぞ!」と声をかけられ、私は慌てて先に歩き始めたマテオの後姿を追い掛けた。


「………」


私達は互いに無言で、長い廊下を並んでテクテク歩く。


「…マテオはもう、試験は終わったの?」


「私は最初の方だったからな」


「………」


「………」


――会話終了。


私から話しかけてもそっけないし、共通の話題リアムがいないと、彼も私に対して言う事が無いのか、いつもの暴言も出て来ない。試験の場所となった闘技場エリアからマロウ先生の部屋までは、かなり距離がある。このままでは間がもたない。


『どうしよっかなぁ…』


いっそ、リアムの趣味とか小さい頃の事とか聞こうかとも思ったが、それでまた変な誤解をされて、更に目の敵にされてはたまらない。非常に気まずいが、ここは魔石を持って帰る迄、我慢するしかなさそうだ。


そう思っていた矢先、私の耳にご令嬢達の聞えよがしな会話が聞こえて来た。


「ねえ、ご覧になって。バッシュ公爵令嬢がまた、婚約者の方々とは別の殿方と御一緒してらっしゃるわよ」


「え?でもあの殿方、確か女性は対象外では…?」


「それでも、あれ程の見目の良さですもの。家柄を使って従わせてらっしゃるのですわ。流石は男漁りが趣味なだけありますわねぇ。少しはご自分の冴えない容姿を自覚して、大人しくなさった方がよろしいのではなくて?」


「野外の授業も欠かさず参加なさってらっしゃるのも、その為でしょ?治療と称して、隙あらば殿方と触れ合おうとなさっているのよ」


「リアム殿下にまですり寄ろうとなさってらっしゃるのよ。お茶会の席で、アシュル殿下にあれだけ袖にされたというのに、恥知らずにも程があるわ!オリヴァー様もクライヴ様も、あのような方が婚約者だなんて、本当にお可哀想!」


…おいおい、あんたら。それ言う為に、わざわざ待ち伏せしていたのかい。いつもの事ながら、相変わらず暇だね。


私は溜息をつきながら、聞こえなかったフリをして彼女たちの横を通り過ぎる。…が、私の横にいたマテオがチッとわざとらしく舌打ちをした。


「この私が、地位があるってだけが取り柄の不細工女に媚びる訳ないだろうが!顔だけじゃなく、頭まで沸いているのか?…ったく。頭空っぽな癖に、品性下劣で口先だけは姦しくよく回る。だから女はやなんだよ!」


炸裂したマテオの暴言に、ご令嬢達が一斉に気色ばんだ。


「な…っ!なんて無礼な物言い!病的な嗜好をお持ちな同性愛好家はこれだから!」


マテオとご令嬢達が睨み合う。実はご令嬢方と同性愛好家達は、非常に仲が悪いのだ。何故かと言えば、彼女、彼らは互いに獲物優良物件を奪い合うライバル達だからだ。彼らはもはや、私そっちのけで互いに罵り合いを開始する。


「非生産的で不毛な愛を押し付けられて、殿方がお可哀想だわ!」


「お前達の機嫌取りに疲れ果てた奴らが、真実の愛に目覚めてんだよ!」


「何が真実の愛よ!わたくし達と違って、何も生み出せないくせに!いくら外見だけ美しく装っても、貴方なんて、この世の中に要らない存在なんですからね!」


その言葉を聞いたマテオの顏が、僅かに歪む。


「…黙れよ。子供産めるって事しか存在価値の無いって、自分自身で公言して虚しくならないのか?雌鶏共が!」


「なんですってー!?」


「マテオ、もうそこら辺でいいでしょ?早く帰らないとマロウ先生に怒られるわよ。ああ、それと貴女方。自分達より綺麗な相手に喧嘩売っちゃダメよ?絶対陰で『ブスの僻み』って言われちゃうから」


「ま…っ!」


「な…っ!」


彼女たちが真っ赤になって絶句している内に、私はマテオの手を引っ張って、その場から急いで立ち去った。


「…なんで、私の事を庇ったんだ?」


暫く無言で歩いていると、マテオがポツリとそう呟く。


「庇った訳じゃないわよ。実際、彼女達より貴方の方が綺麗じゃない」


だって、マテオの顏はしっかりぼやけてるけど、彼女たちの顏は普通だったからね。


「ただ私は、彼女達の言い方に腹が立っただけ」


『お前は要らない存在だ』なんて、絶対に他人に言っていい言葉じゃない。だって皆、誰かにとって、かけがえのない存在である筈なんだから。


「マテオが同性を好きなのって、私の不細工と同じで生まれつきなんだから、どうしようも出来ない事じゃない。なのにそれを攻撃の材料にするなんて、良くない事だって思うから」


私の言葉にマテオは絶句した後、気不味げに顔を伏せた。


「…私も、お前によく不細工と言ってるが…」


「まあ、私の場合は言われても仕方がないから、それに本当の事だし、別にいいよ」


――わざわざ不細工になるように、メイクアップしているんだしね。


そんな私に、マテオがカッと目を見開いた。


「良くない!なにヘラヘラしてるんだ!お前の場合は、自分の欠点を見つめ直して磨いて行けば、今より絶対、多少はマシになれるんだぞ!?なのに何もしないってのは、単なる無精であり怠慢だ!だからイライラすんだよ!いいか、今度私が色々改善点を指摘して、適切な指導をしてやるから、きちんと実践しろよ?!そうすれば不細工から、さっきの雌鶏程度には変われる筈だ!」


「そ…それは…お気遣い、どうも…」


マテオの剣幕に、思わず仰け反りながらお礼を言うと、マテオがまたバツが悪そうな顔になった。

そして何か言いかけようとして、ハッとした様子で姿勢を正し、最敬礼をとった。


「え?マテオ、どうし…」


「やあ、久し振りだ。エレノア・バッシュ公爵令嬢」


不意に後方から声をかけられ、振り向く。

するとそこには、顔がぼやけて口元しか見えない、金髪長身の男性が立っていたのだった。

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