第323話 突き付けられた真実【エルモア・ゾラ視点】

揺れる馬車の振動をこの身に感じながらも、私の意識はバッシュ公爵家本邸での会話を……告げられた言葉を頭の中で繰り返し反復していた。




――感謝する……だと!?娘に冷たく接し、妻共々追い出した貴女がそれを言うのか!?


あの時……。お嬢様が口にした言葉を聞いた瞬間、湧き上がってくる怒りのまま、お嬢様を問いただした。


「ならば何故……。私の代理として、こちらに滞在しておりました我が妻と娘を追い出されたのでしょうか?」


主家の姫にこのような不敬な言動をとったのだ、この後、私には間違いなく厳しい処分が下されることだろう。


だが今まで私の代理として、バッシュ公爵家本邸と、このバッシュ公爵領の為に尽くしてきた妻と娘の無念を代弁してやれるのは私しかいないのだ。


愛する者達の名誉と心を守る為。そしてこのバッシュ公爵領を間違った方向に導かせない為なら、私など、どうなったって構わない。


そんな覚悟を持って、お嬢様を睨み付ける。……だが、そんな私に対し、お嬢様は激高するでもなく、ただ困惑したように眉を下げられた。


「バッシュ公爵様が重用していた……というから、どれ程の男かと思っていたが……。期待外れもいい所だね」


そしてお嬢様の代わり……とばかりに、筆頭婚約者であるオリヴァー様が怒りと侮蔑を含んだ眼差しと言葉を私に向け放った。


私だけではなく、妻や娘をも貶める発言の数々。その内容は、とてもではないが信じる事の出来ないもので……。


だがしかし、戯言を……と声を上げる間も無く、イーサン様からもオリヴァー様の話を肯定され、更にそれだけではないと……。クライヴ様共々、含みのある言葉を投げつけられたのだった。


更には管理者の任だけではなく、地方領主の地位をも剥奪する旨を言い渡された。


だがそれは、エレノアお嬢様を問いただそうとした時点でそうなるだろうと覚悟をしていた事だ。……それよりも私の心を抉ったのは……。


『残念ですよ。エルモア・ゾラ』


心の底から失望したとばかりに言い放たれたイーサン様からのお言葉。あの声が耳元から離れない。


言葉通り、一切感情のこもらない眼差しで見つめられ、全身が……それこそ、思考までもが凍りついたように動かなくなってしまった。正直あの後、どうやって馬車に乗ったかすらも曖昧だ。


『問題が起こったら独自の判断に頼らず、まずは徹底的に情報収集を図り、総合的に判断を下すのは、商人の常識ではないのかな?』


ふと、オリヴァー様のお言葉が脳裏に蘇った。


正直、もう何をどうすればいいのかよく分からない。ならば今、私がするべき事とは……。


「……行き先を、集積市場に変更してくれ!」


御者に自宅ではなく、集積市場に向かう様に命じると、私はズキズキと痛みだしたこめかみに手をあて、きつく瞼を閉じた。





◇◇◇◇






「エルモア!お前、今までどこにいたんだ!?」


集積市場内にある事務所の中、統括を名乗る者に与えられた執務室に入った途端、私の来訪を知らされた副統括のガブリエル・ライトが血相を変えて部屋に飛び込んで来た。


「ああ、お茶などはいいから、私が許可する迄、誰もこの部屋に入れないようにしてくれ!」


秘書を兼ねた事務員にそう告げると、彼は私に対し改めて向き直った。


彼は歴史ある大商会の商会長をしており、私が統括を拝命する前は、彼がこの集積市場の統括であった。


だが「新しい風を吹き込んでくれる後続が出来てめでたい!」と、あっさり統括の地位を私に譲り、他の世話役達と共に一丸となって私の構想の実現に尽力してくれた。いわば大恩人の一人だ。


その彼が、普段の陽気さをかなぐり捨て、怒気を孕んだ厳しい表情で私を睨み付けてくる。


「ガブリエル……私は……」


「ああ、公爵様のお仕事を任されていた事は知っている。だが、仮にもエレノアお嬢様がおいでになられるのだから、一言ぐらいは連絡をくれてもいいだろう!?」


「え?だ、だがイーサン様から、お嬢様の事は良いから、仕事に専念しろと……」


「は?私の所にそんな連絡は来ていないぞ?というか、イーサン様に言われたとしても、それでも連絡の一つはすべきだろう!?全くもって、お前らしくもない!」


「………」


言われた言葉にぐうの音も出ない。


そうだ。私はこの集積市場を預かる統括なのだ。いくら忙しかったとはいえ、そんな事を理由に連絡を疎かにするなど、あってはならない事だ。


――フローレンスがお嬢様に無体をしかれるのではないか。


その事だけで頭が一杯になってしまった結果、そんな初歩的な事を、私は忘れ去ってしまっていたのだ。


「それとだ。私や他の者達があれ程忠告していたというのに、お前、娘に対してどういう教育をしていたんだ!?」


ガブリエルの言葉に、弾かれたように顔を上げる。娘……?娘……だと!?


「フローレンスが……娘が、一体どうしたというのだ!?」


「それも知らんのか!?……お前の娘はよりにもよって、エレノアお嬢様と同じ色のドレスを身に着け、ここにやって来たんだよ!お嬢様のご婚約者様である、クライヴ・オルセン様の『色』のドレスをな!」


「――ッ!?」


――……な……んだと?フローレンスが……。クライヴ様の『色』を……!?


「しかも、ここに一緒に来たというのに、お嬢様をご案内する事もせず、親しい男達との会話に興じていたんだ!挙句に、お前がこちらにいなかった事を詫びた我々に対し、お怒りになるどころか労いの言葉を下さったお嬢様に向かって、「父は公爵様のお仕事をしていたから悪くない。どうか怒りを解いてくれ!」と言い放ったんだよ!……我々を庇いながら・・・・・・・・な!」


私は頭の中が真っ白になってしまった。


……嘘だ……。あの優しい娘が……フローレンスが……そんな事をするなんて……。


呆然とする私を見ながら、ガブリエルが深々と溜息をついた。


「なあ、エルモア。私達が散々お前に言っていただろう?『家族をよく見ろ』って。……なのになぜ、こんな事になるまで放っておいたんだ?」


放っておいたのではない。私はマディナとフローレンスを心の底から信じていたから……。


『お父様、イーサン様が素晴らしいお部屋を私達に用意して下さったのよ!』


脳裏に、嬉しそうなフローレンスの言葉がよみがえる。

同時に『主家の姫の主寝室を強請った』と仰っていた、オリヴァー様のお言葉も……。


ガブリエルの話によれば、娘はバッシュ公爵領の村々から持ち寄られた特産品の視察でも失態を犯していたのだそうだ。


なんと、見た目で農作物の良しあしを判断し、お嬢様にそれを諭された挙句、獣人の子供を突き飛ばして怪我をさせかけ、その子供の両親を『貴族』として罵倒したのだそうだ。

しかも、獣人の子を庇い、貴族としての在り方を諭し諫めたお嬢様に対し、反省するどころか睨み付けたのだというのだ。


「……それを聞いて、色々調べてみたよ。そうしたらお前の娘は、あろう事かお嬢様の悪評を、さも事実のようにあちこちで吹聴して回っていたそうだ。……全く。母が母なら、子も子だ!」


「母……。マディナ……の事か……?」


「ああ。言いたくはないが、細君の事でも苦情が出ているんだ。商会の婦人会会長である妻は『爵位を頂いた途端、それを笠に着て私達平民を見下してくる』と怒り心頭だし、茶会に呼ばれた貴族のご婦人方に至っては、『ただの管理者代理の癖に、まるで公爵夫人になったかのような態度だった』と眉を顰められていたそうだ」


「……なんだ……それは……」


「しかも話の端々で、マリア様やエレノアお嬢様を悪し様に言っていたらしく、大層お怒りだったと。……やり口が、まんま娘と同じだ。いや、娘が母を真似たんだろうな」


知らない。そんな事……何も知らない。……妻も娘も、とても楽しそうで幸せそうで……。


ここで初めて、ガブリエルが痛ましそうな表情を浮かべながら私を見つめた。


「……我が領内で、エレノアお嬢様の情報が極端に制限されていた事には気が付いていた。だがな、一般人と違い、貴族や我々のような立場の人間なら、本気で調べようと思えばちゃんと調べる事が出来たんだよ。……多分だが、ご当主様はそうする事で、お前を含めたバッシュ公爵領を支える立場の者達全てを試されていたのだろう」


ぼんやりとガブリエルの言葉を聞きながら、次々と脳裏に浮かんできたのは、マディナとフローレンスが語っていた『噂』だった。


『あなた、マリア様、めったにバッシュ公爵領においでにならないそうなの。エレノアお嬢様なんて、ここが田舎だと馬鹿にされて、一度しか訪れた事がないそうなのよ?』


『エレノアお嬢様、お美しいご子息に目がないのですって』


『王立学院でも、我儘三昧だという噂を聞いたわ。ご婚約者様方も苦労されているみたい。お可哀想』


……そうだ……。自分は二人が話している言葉を聞いているうちに、それがエレノアお嬢様の『真実』だと、思い込んでしまっていたのだ。


――分不相応な程の豪華な部屋、本邸を訪れるたび豪勢になっていく食事内容、まるで当主夫人に対するように傅く召使いや騎士達の姿……。


私の中で、今までの出来事が次々と駆け巡っていく。


それら全て、妻と娘の成した功績ゆえの対応だと思い込み、ただ誇らしく思っていた。だが、それは彼女達が望み、そうなるように仕向けた結果だったとしたら……。

そしてその虚像が、エレノアお嬢様によって崩れ去り、その結果、本邸を追われてしまったのだとしたら……あの使用人達の態度にも説明がつく。


信じていた全てのものが、足元から音をたてて壊れていく。


身体の力が抜け、その場に崩れ落ちてしまった私の脳裏に、エレノアお嬢様のお顔が浮かんだ。


本来であれば真っ先に、地に頭を擦り付けてお詫びしなくてはならなかった私に対し、罵るでもなく労いの言葉をかけ、優しく微笑んで下さったお嬢様。


そんなお嬢様に対し、私はなんと愚かな事をしてしまったのか……。イーサン様が私を見限られたのも当然だ。


「私……わたし……は……!」


「エルモア、今からでも遅くはない。早急に先ぶれを……いや、このまま本邸に向かえ!お前が心からの謝意を伝えれば、イーサン様……いや、エレノアお嬢様なら、必ず酌量の余地を与えてくれるだろう!」


打ちのめされた心に、ガブリエルの言葉が槍となって突き刺さる。


屋敷を飛び出したあの時、真っ先に本邸に向かうのではなく、集積市場に来ていれば……。いや、応接室で待たされていた時、召使達の誰かにでも尋ねてさえいたら……。


意味のない、たられば話が頭をよぎる。だがもう、全て取り返しがつかない。


信じたい事しか信じようとしなかった。……そんな私の愚かしさが、私から全てを奪っていったのだから。



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バッシュっ公爵領の有力者達は、大なり小なりこうして試され、ふるいにかけられます。

ゾラ男爵へのこれも、いわば新興貴族の通過儀礼とも言えるのです。

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