第504話 奥方様の提案

「え?考え……ですか?」


戸惑う私を青い宝石のような美しい瞳で見つめながら、奥方様はコクリと首を縦に振った。


「ええ。あの汚らわしい帝国人がこのように好き勝手出来るのも、そもそも私の力が足りない所為。……だからエレノアちゃん。私の力が復活出来るように、貴女の力を貸して欲しいの」


奥方様曰く、普通の精霊では防げない精神操作系の、もはや呪いに近い魔力でも、大精霊の血を継ぐ自分であれば、解呪は出来ずとも抑え込む事は可能だったとの事。


「エレノア嬢、その通りだ。帝国人の使う魔力は精神を操る、いわば『禁術』に近いもの。だからこそ、それらと繋がっているかもしれぬ輩を監視し纏め上げる任を、大精霊の守護を受ける我がヴァンドーム公爵家が負っていたのだ」


「……そう。だからこそ、ベティはキーラ嬢と婚約したんだ。俺達兄弟の中で、最も母上の力を受け継いだ子だからね」


公爵様のお言葉を補足するアーウィン様が、ほろ苦い笑みを浮かべながら、ベネディクト君を見つめる。すると逆に、ベネディクト君はスッキリしたような屈託のない笑顔を浮かべた。


「大丈夫です、アーウィン兄上!全てはヴァンドーム公爵家と、このアルバ王国の為。そりゃあ、ストレスも多少溜まりましたけど……。でもそれも素晴らしい出会いを得る為の試練であったと、今ならそう思えるのです!」


そう言って、私を見ながら微笑むベネディクト君。え?ち、ちょっ!素晴らしい出会いって、ひょっとして私の事ですか!?


「……流石は幼くとも三大公爵家直系。このような緊迫した状況下において、どさくさ紛れにいらん事を混ぜ込んでくるとは……」


オ、オリヴァー兄様?笑顔が黒いです!


そして、こんな緊迫した状況下でも、私を腕の中でギュムギュムするのを忘れない兄様も大概だと思うのですが……。


「……ヴァンドーム公爵夫人。失礼ながら、エレノアの力を使い、何をするおつもりなのですか?」


オリヴァー兄様が疑心のこもった眼差しを、アーウィン様の腕の中にいる奥方様へと向ける。そんな兄様に対し、奥方様は真剣な表情で頷いた。


「……エレノアちゃんの……いえ、彼女の『聖力』を、私に分けて欲しいの」


「え!?私の力……ですか!?」


「ええ。私と共に海底神殿に行って、私の身体に貴女の力を注いでほしい。そうすれば一時でも、弱まった結界を元に戻し、邪悪な帝国人をも捕らえる事が可能になるわ。……本当に、あの微生物騒ぎがなければ、そもそもあの者達はこの島に入る事さえ出来なかった筈なのに!」


「母上、私の腕を叩かないで下さい。地味に痛いです」


奥方様が、ムキー!と、自分を抱き締めているアーウィン様の腕をバシバシ叩いている。うん、こんな状況だけど、やっぱり和むわ。


……ん?あれ?でもそれって、わざわざ海底まで行かなくても、今この場で私の力を奥方様に与えればいいんじゃないでしょうかね?


「残念ながら、私は今精神体だから、貴女の『聖力』をこの場でもらっても、このウミガメがとっても元気になるだけなのよ」


「あ、そうなんですか……」


そうか、ウミガメがとっても元気になったって、結界は復活しないもんね。……って、奥方様!もうすっかりナチュラルに私の思考読むようになりましたよね!?


「だが、公爵夫人!!そもそもどうやって、海底神殿とやらに行く気だ!?第一、この結界から外に出るのは危険過ぎるだろ!?」


再び始まった、マロウ先生の攻撃魔法に対抗する為、顔を歪ませながら結界に力を注いでいるリアムが、怒鳴るように声を上げる。


「……ここには、私とその血を継ぐ者、そして私から許された者しか通れない、海底神殿と繋がっている『扉』があるの。どのみち、この結界も長くはもたないでしょう。ならば、元々『魔眼』の精神支配が効かないうえに、『光の祝福』を授かっているエレノアちゃんと大精霊の私、そして私の血を最も濃く受け継ぐベティとで、海底神殿に向かうべきだわ!」


「――ッ!」


「そ……れは……!!」


オリヴァー兄様とクライヴ兄様がなにかを言いかける。……が、そのまま口を閉じてしまった。


『そういえば、ここぞという時にしか発動しないから忘れていたけど、私……アシュル様に『光』の加護をもらっていたんだった!』


だとすると、マロウ先生に殺されそうになった時に攻撃を防げたのは、ぺんぺんの力だけじゃなくて、『光』の加護の力もあったのかもしれない。というか間違いなく、『光』の加護が私を護ってくれたんだろう。


『でも、加護があるのは私だけ……なんだよね』


私は目の前のマロウ先生に目をやる。


もはや姿を隠す事もせず、ひたすらに風魔法による攻撃を続けているマロウ先生の力は、先程までの比ではなくなっている。このままでは間違いなくジリ貧だ。


尤も、たとえ結界が壊されても、『認識阻害インビジブル』を使えないマロウ先生なら、この場にいる人達で十分倒せるだろう。


だけど結界から出てしまえば、マロウ先生のように誰もが『反転』させられてしまう可能性が高い。そして、今この場に居る誰が『反転』させられても、大惨事になってしまうのは必須だろう。


勿論、私と出会ってまだ日が浅いヴァンドーム公爵家の方々ならば、『私』に対して好意があったとしても、マロウ先生のようになる可能性は低い。


けれどもし、彼らの強い家族愛を『反転』させられたとしたら……?


「兄様方、セドリック、リアム……。私、奥方様の許に行きます!!」


「エレノア!?」


「だって、このまま帝国なんかの思い通りになんてなりたくない!!その為には、このままでは絶対に駄目です!少しでも可能性があるのであれば、私はなんでもする!ここにいる皆を……私は護りたいんです!!」


当然、その中にはマロウ先生も含まれている。

そう、帝国なんかの為に、親しい人達や大切な人達を失ってたまるもんか!!


「……公爵夫人。……必ず……護って下さいますか……!?」


オリヴァー兄様の、振り絞るような声に、奥方様はコクリと力強く頷いた。


「ええ!セイレーンの名に誓って『女神の愛し子』を……いえ、エレノアちゃんを護るわ!」


私はオリヴァー兄様を、胸が締め付けられそうな思いで見つめた。


「オリヴァー兄様……」


本当なら兄様は片時も離れず、自分の手で私を守りたいに違いない。……けれどオリヴァー兄様は……いや、クライヴ兄様も、セドリックも……結界の外で私と一緒にいる事は出来ない。


それは結界を張り続けなくてはならない、リアムやマテオ、ウィルや、私を守ろうとこの場に居る多くの人達もそうだ。


だって、彼等がもし『反転』させられてしまったら、間違いなく私を襲おうとするだろう。

それは今現在、私達を攻撃しているマロウ先生の姿を見れば、一目瞭然の未来だから。


「クロス伯爵令息、そして他の方々。エレノア嬢は必ず、俺が護ります!我が名と命にかけて!!」


「……ヴァンドーム公爵夫人……いや、大精霊様。そしてベネディクト殿。どうか……お願い致します!」


「ヴァンドーム公爵令息、俺達の至宝を、必ず護ってやってくれ……!!」


「ベネディクト殿、そしてエレノア……!どうか無事に帰って来てくれ!!」


「兄様方、セドリック……!」


私は潤みそうになる目にグッと力を込め、無理矢理笑顔を浮かべながら兄様達の胸に代わる代わる抱き着いた後、リアムとマテオの方を見る。


すると二人とも、何かを耐えるような表情を浮かべながら、コクリと小さく頷いてくれる。私もそれに小さく応えた。


「……ベティ。お前に負担を強いる事を許してくれ……!」


そう言いながら頭を下げるアーウィン様やクリフォード様方に、ベネディクト君はかぶりを振った。


「いいえ。母上の代わりに、ヴァンドーム領の結界を維持する肩代わりをしている兄上方の力になれるのであるなら本望です!……兄上方や俺の大切な人は、俺が必ず護ります!!」


「ああ、頼んだぞベティ!」


――えっ!?アーウィン様方、結界の維持を負担されていたんですか!?


「ああ。この領海内の結界は、大精霊の血を持つ者でなければ作りだせないんでね。……尤も、母上のような強固な結界を張る事はまだ出来ないんだが」


そう苦笑交じりに言いながら、アーウィン様は奥方様を私に向かって差し出す。え?私が奥方様を抱っこするんですか?


「ベティは護衛の任も負っている。それに母上も、『聖力』のある貴女の傍にいる方が楽なんだそうだ」


「そうなのよー。……あ~!!なんて気持ちいいのかしら!全身の疲れやコリがほぐれていくようよ!」


戸惑いながら奥方様を受け取ると、うっとりとしたように私に縋りついてきた。うん、可愛い。


でも身体のコリって……。なんか自分が磁気シートになった気分になるんですけど。

あれ?なんか、アーウィン様が物凄く羨ましそうな顔を奥方様に向けているんですが?


「リュエンヌ、二人を任せたよ。……君も、どうか無事で」


「ええ、アルロ。行ってくるわ」


公爵様が、ウミガメの頭……いや、奥方様の頭に優しくキスを落とし、奥方様も公爵様の頬に顔を擦り付ける。


うん。知らない人が傍から見たら、まんま主人とペットの微笑ましい触れ合いだけど、ちゃんと愛し合っている夫婦に見えます。夫婦愛万歳!


「……エレノアちゃん。本当に、良いのね?このまま海底神殿に向かったら、後悔……するかもしれない。それでもいいの?」


公爵様とひとしきり別れを惜しんだ後、私の胸に顔を埋めた奥方様が、小さな声で呟く。

その声はとても頼りなげでか細くて……。まるで私を思い止まらせようとしているみたいだった。


『奥方様……』


多分、奥方様は私を巻き込む事を、とても心苦しく思っているのだろう。


「大丈夫です、奥方様!先程も言いましたけど私、絶対頑張って皆を助けます!」


そう言って、安心させるように奥方様を抱く腕に力を込める。

すると奥方様は無言のまま、私にギュッと縋りついた。



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緊迫している状況なのに、やはりウミガメがいると無駄に癒しモードになりますね。

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