第278話 今、幸せですか?
獣人の皆さんが勢揃いした事により、バッシュ公爵領の騎士達はともかく、近衛騎士達やクライヴ兄様、ウィル、シャノンは咄嗟に私を庇おうとする。
彼等は直接、シャニヴァ王国との戦闘を経験しているので、当事者である私を
「クライヴ兄様、大丈夫です。……あの?私に何か御用ですか?」
私はその場から立ち上がると、彼等へ向けて声をかけた。
すると彼らの先頭に立っていた羊獣人の小さな老人が、戸惑いがちに口を開く。
「エレノアお嬢様。我々草食獣人達は皆、いつか貴女様にお会いする事が出来たら……その時は、我々全員の心の内をお伝えしたいと、そう思っておりました」
そう言い終わると、彼は深々と私に対して頭を下げる。するとそれに倣い、後方にいた獣人達もが次々と頭を垂れた。
「我々を暴力と支配の連鎖から解き放って頂き、心から感謝いたします」
小さな身体を折り曲げる様に、精一杯頭を下げる老人の姿に、私は慌てて首を振った。
「あ、あの、皆様顔を上げて下さい!そ、それに……。それは私が行った事では……!」
「いいえ。貴女様が己の命を投げ打つ覚悟で、我々の同胞を救おうとご尽力なされた行為が、結果的に『草食獣人は保護すべき』という方針を打ち出すに至ったと聞き及んでおります。だからこそ我々は『獣人』と一括りにされず、この国での居住資格を得る事が出来たのです。貴女様はまさに、我々の命の恩人です」
老人は顔を上げずにそう告げる。他の獣人達もである。
その場にいた領民達や、クリス達バッシュ公爵領の騎士達が、一体何事なのかと戸惑い騒めきながら私達を見守っている。
「……皆さん。どうか顔をお上げ下さい。……そして一つだけ、私の質問に答えて頂きたいのです」
私の言葉を受け、獣人達が一斉に顔を上げる。その顔には僅かばかりの緊張が見られた。私自身も、湧き上がってくる緊張に口元を引き締める。
そうして私は、ずっと聞きたかったけど恐くて聞く事が出来なかった疑問を口にした。
「貴方がたは今……幸せですか?」
獣人達は皆、目を大きく見開いた後、次々と満面の笑みを浮かべ頷いた。
「はい!私達はとても幸せです!」
「尊厳を踏みにじられる事も、命の危険を感じる事無く生きていける事も、全てに感謝しております!」
「仕事は楽しいし、領民の方々は皆優しいですし。ここはまるで楽園のようです!」
「エレノアお嬢様。本当に有難う御座いました!」
彼等の笑顔と温かい言葉に、心の中で凝っていた不安や疑念がゆっくりと溶けていくのを感じ、目からポロリと涙が零れた。
――本当はずっと、恐かった。
シャニヴァ王国がどんな国であろうとも、彼ら獣人にとっての『故郷』に他ならない。
だけど今現在、東大陸にはもう『シャニヴァ王国』は存在しない。彼らの故郷は永遠に失われてしまったのだ。
そのまま東大陸にいたとしても、彼等は『獣人』として他部族に迫害されるか奴隷にされてしまったかもしれない。勿論、今迄力の強い肉食系獣人に虐げられてはいただろう。でもどれだけ肉食系獣人達が横暴で凶悪であったとしても、『国』という守りが彼らにはあった。
――それを奪ってしまった私達を、彼等は憎んでいるのではないだろうか?
――国が無くなったとしても、本当はあのまま東大陸に残りたかったのではないだろうか?
そんな罪悪感が、私の心には常にあった。
一番身近なミアさんや獣人メイドさん達は、私を命の恩人として感謝してくれているけど、本当は故郷を失ってしまった事を悲しんでいるのではないのか?それを私に遠慮して口に出せないだけではないのだろうか?
……そう何度も聞いてみたかったけれど、「その通りだ」と言われるのが恐くて聞けなかった。
でも今、それが杞憂である事が分かった。
少なくとも、この目の前にいる獣人の皆さんは心の底から笑顔を浮かべ、幸せだと口々に言ってくれている。……今は私が泣いてしまっているから、めっちゃオロオロしているけど。
「ふふ……。良かった。私も貴方がたが幸せでいてくれて、凄く嬉しいです。……本当に、嬉しい……!」
「エ、エレノアお嬢様……!!」
「姫様……!」
獣人の皆さんが、次々と泣き崩れていく。……というか、理由が分かっていなかったっぽい領民の皆さんも、何故かもらい泣きしている。あっ!近衛の皆さんも泣いてる!それにウィルとシャノンまで!ややっ!?クライヴ兄様まで何故かしんみりした顔をしている!?
そんな周囲を見ながら、困惑しているのはバッシュ公爵家の騎士達である。
詳しい理由が分からずとも、単純にもらい泣きしている領民達と違い、彼等は何故こんな状況になっているのか分からず戸惑っているのだろう。うう……御免ね。
「……おい。これ、一体全体どうなってるんだ?」
「さ、さあ……?副団長は理由、御存じですか?」
「いや、僕は知らない。ティル、お前は何か聞いてないか?」
「はぁ?んなもん、聞いている訳ないじゃないっすかー!」
「……そうだよな。お前が知る訳ないよな。聞いた僕が馬鹿だったよ」
「なんすかそれー!!」
ブーブー文句を言う部下を無視しながら、クリスは溜息をついた。
――というか、騎士の最高峰と言われる王宮近衛騎士達までもが、人目も憚らず涙を流しているのは何故なのだ。異様過ぎる。
「うう……っ!!な、何と慈悲深いお心……!!」
「さ、流石は姫騎士……!涙で前が見えん!!」
――いや、見ろよ!仮にもあんたら護衛だろうが!?
などと思いつつ、クリスは戸惑いがちに近衛達に声をかける。
「……あの……?一体これはどういう事なのです?それに『姫騎士』とは?」
すると一人の近衛が目元を拭いながら顔を上げた。
「何だ?貴公、バッシュ公爵領の騎士なのに、姫騎士様の事を知らぬのか?」
「え、ええ。お恥ずかしながら」
また出た『姫騎士』の言葉に、クリスは内心大いに首を傾げる。自分の記憶に間違いが無ければ、『姫騎士』って小さい頃に絵本で読んだ事のある、救国の聖女の事だよな。……え?なに?ひょっとしてお嬢様って聖女なのか?いや、まさかそんな事……。
そんなクリスの反応を見た近衛騎士は、何かを察したような顔をする。
「……そうか。では帰ったおり、我らの
「はぁ?」
そんな事を思っていたクリスは、斜め後方で少女と子供の叫び声を耳にし、瞬時に我に返る。
だがそれとほぼ同時に、目の端を白い何かが驚くべき速さで通り抜けた。
「――ッ!?何だ!?」
思わず剣の柄に手をかけ、近衛騎士達共々そちらに目をやる。するとそこには……。
『『『ええええー!!!』』』
何かを抱えたエレノアが、何故かコロコロと地面を転がっていたのだった。
◇◇◇◇
『何なの!?一体どうなっているのよ、あの子!?』
獣人達や領民達と涙を流し合っているエレノアの姿を見ながら、フローレンスはギリギリと奥歯を噛み締めていた。
――本当に、何もかもが上手くいかない。
何をやっても、何を言っても、何故か裏目に出てしまい、結果的にエレノアお嬢様が称賛を浴びる事に繋がってしまうのだ。
本当は視察など面倒だと思っているに違いないというのに、今の今迄嫌な顔一つする事無く、常に笑顔を浮かべているなんて……。流石は高位貴族の娘だと、そこは素直に感心してしまう。
集積市場では、父の事でお嬢様がお怒りになっているのだと思って彼らを庇おうとしたのに、逆に副統括であるガブリエル・ライトに諫められてしまい、同行すら許されなかった。
しかもここでだって……。折角気を利かせ、高位貴族の娘が気に入りそうな品物の所に案内しようとしたというのに、何故かそれを責められ、叱責されてしまったのだ。あんな泥まみれの野菜など、見ても何も楽しくないだろうに……。
きっと領民に良い顔をしたいが為に演技をしたのだろうと思い、観察していれば、領民達の話を一つ一つ丁寧に聞いているではないか。
しかも何を思ったのか、自分の婚約者と召使を使って苺を何かに変えてしまう有様。
誰もが彼女を褒め称え、温かい眼差しを向けている。クライヴ様もだ。
自分に対して最初から辛辣な態度を取っていた
今、この場で彼女を……エレノアお嬢様を見ていない者は一人もいない。対して自分はどうだ?まるで存在そのものを忘れ去られてしまったかのようではないか。
「こんな……筈では……!」
屈辱と怒りに身体が震える。
視察という望まぬ仕事に苛立ち、癇癪を起こす姿を領民達やクライヴ様の前に晒し、それを自分が慈愛をもって宥め、女としての格の違いを周囲に知らしめようと思っていたというのに……。実際は、こんなにも思惑と真逆な結果となってしまっている。
今迄積み上げて来たものが、音を立てて崩れ去っていく音が聞こえる。
何故?一体どこで自分は間違えてしまったのだろうか?
「……え?」
ふと足元を見ると、先程お嬢様と一緒にいた獣人の子供が立っていた。
目が合うと、獣人の子はニコニコと笑顔を浮かべる。その手や口元は苺で真っ赤に染まっていた。
「おねーちゃ、きえいねー」
子供は目を輝かせながら、自分のドレスに苺で汚れた手を差し出した。
「――ッ!汚い!触らないで!!」
自分のドレスに小さな手が触れようとした瞬間、慌ててドレスを引き、子供を思い切り振り払った。
「きゃぁっ!」
子供の身体が後方に激しくよろけ、転げそうになった次の瞬間。白い何かが目の前に翻り、子供を受け止めながら、コロコロと転がっていくのが見えた。
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獣人さん達との真の意味での触れ合いに、涙涙の大合唱です( ;∀;)
そしてエレノア、相変わらずコロコロ転げております。
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