第279話 貴族としてあるべき姿

あの子に気が付いたのは、本当に偶然だった。……いや、私の『ケモラー』としての勘がそうさせたと言うべきか。


全員が私に集中している中、おかあさんから離れ、ヨチヨチと歩くプリティーなお尻……もといロイ君を偶然発見し、なんとなく目で追っていたら……なんとロイ君、フローレンス様を発見するなり、目を輝かせながら近付いていくではないか。


しかもその手には、私があげたフリーズドライの苺が……!!当然というか、手も口元も真っ赤ですよ!

あっ!ロイ君に気が付いたフローレンス様の顔が強ばった!


駄目だロイ君!踏み止まるんだロイ君!

ああ、だけど推定年齢一歳半は止まれない。というより止まらないんだなこれが!


まずい、このままじゃ……!


ロイ君を目にしてからここまで、僅か十五秒。私は考えるよりも先に駆け出した。


そして案の定、フローレンス様に振り払われたぷにぷに……もといロイ君をキャッチし、そのまま受け身を取りつつ地面を転げる。


二回転した後、シュタッと着地を決めて腕の中のぷにぷにを覗き込む。……うん。突然の事にビックリしたのか硬直しているけど、怪我なんかは無さそうだな。よしよし。


「おおおおお、おじょうさまぁぁあーーー!!!」


一拍遅れで、シャノンの声にならない悲鳴が後方から聞こえてきたが、あえて無視する。

だってあのままじゃあ、ロイ君が転んで頭を打ってしまうかもしれなかったからね。


私は純白よりも尊いぷにぷに……いや、チビケモっ子を守り切る事が出来たのだ。悔いは無い。シャノンには帰ったら土下座して詫びようと思う。


「エレノア!!大丈夫か!?」


血相を変えたクライヴ兄様が私に駆け寄り、私の肩を抱いて顔を覗き込む。そんな兄様を安心させるべく、私は笑顔で頷いた。


「はい、私は大丈夫です!……服以外は」


ズシャッと、シャノンが地面に崩れ落ちた。だから本当、ごめんって!


まあ幸い、地面は芝生の様な草が一面生えているので、それ程泥だらけになった訳ではなさそうだ。

……でもチビケモっ子……もとい、ロイ君の無事を確認した時、目の端にピンク色が見えた気が……。なんかロイ君離すのが恐いなぁ……。


「エレノアお嬢様!!」


「バッシュ公爵令嬢!!」


クリス副団長や近衛達も血相を変えて駆け付けてくる。


鬼気迫る表情の大人達に囲まれ、恐怖したロイ君の目がたちまち潤み、ウサミミがへにょりと寝てしまう。


「ふぇ……ふぇっ……」


――ヤバイ!泣く!!


そう思った私は咄嗟に、ロイ君のぷにぷにほっぺと自分の頬っぺたをくっつけ、スリスリスリとくすぐった。


『ふぉおおお……!!』


推定年齢一歳半のスベスベぷにぷにほっぺと相まって、ふわっふわのウサミミが頬をくすぐる!!ヤバイ!思わず頬が緩んでしまう!なにこれ本当、真面目に天国!


しゃくり上げていたロイ君も、私のほっぺスリスリ攻撃がくすぐったかったか、次第に涙を引っ込め、「きゃー!」と可愛い歓声を上げだした。……よしよし。機嫌、直ったね?


……ん?あれ?クリス副団長率いるバッシュ公爵家の騎士達が全員、地面に両手ついて震えている。あっ!近衛の皆さんも、足踏ん張って立ってるけどめっちゃ震えている!?……って、ええっ!?気が付けば獣人や領民の皆さん方も、あちこちで蹲ったり転げたりしている!?何故に!?


あっ、ウィルが涙流して「尊い……!」って言いながら、祈ってるよ。シャノンは……。うん、燃え尽きてるね。「お守りしていた、お嬢様の純白が……」ってブツブツ呟いている。やはりブレない。


「……す……凄いっす!騎士の俺らが反射で負けるなんて……!有り得ないっすよ!!お嬢様って一体、何者!?」


そんな中、ティル一人が大興奮しながら、目を輝かせている。いやいや何者って、ただのしがないケモラーです。


「エレノア。とにかくそのチビ、ちょっと取るぞ」


皆と同様、顔を片手で覆い震えていたクライヴ兄様、何とか復活してロイ君に手を伸ばす。

するとロイ君「やー!!」と叫んで私の胸にセミの様にしがみ付いた。興奮しているロイ君の耳がピルピル動いて頬をくすぐる……ああっ!至福!!


幸福感にふやけている私を呆れた眼差しで見つめながら、クライヴ兄様は溜息をつき手を引っ込めた。兄様、どうやらロイ君をはがすのを諦めたようだ。うん。無理矢理剥がすとドレス破けるかもだしね。


「まあ良い。それじゃあエレノア、何でお前が子供と一緒に地面を転げていたのか説明しろ」


「あの、それは……」


う~ん。こういうの、どうやって話せば角が立たないかな?


「わ、私の所為じゃありません!!」


途端、蒼白になったフローレンス様が叫ぶ様に声を上げた。


「あ、あれは……その子がいきなり汚れた手で私のドレスを触ろうとしたから止めさせようと……!わ、私は悪くありません!!」


その言葉で、何が起こったのかを察したクライヴ兄様は眉根を寄せた。騎士達も鋭い眼差しをフローレンス様に向けているし、領民達も騒めき出し、「いくらなんでもあんな子供を……」と、あちらこちらでヒソヒソと囁き合っている。


だが、誰も表立って非難は出来ずにいる。


何故なら本来、平民が貴族の令嬢に不快な行動をしたのであれば、それが例え子供であっても何らかの罰を与えられるのが常識だからだ。


それゆえ、ドレスを汚されそうになったフローレンス様のこの一連の行動は、普通であればなんら非難される事では無いのである。

ましてや彼女は希少な『女性』。国民感情はともかくとして、むしろ当然の行動と捉えられるのが普通だ。


ただちょっと、言い方が不味い。あれじゃあ反感しか買わないよ。


「……フローレンス様。この子の行動に非があった事は分かっています。貴女が咄嗟にそういう行動をしてしまったお気持ちも理解しています。ですがそうであったとしても、幼児を振り払うべきではありませんでした。下手をすれば大怪我をしていたかもしれないのですよ?」


そう。いきなり汚れた手で服に触れられそうになれば、大なり小なりああいった行動を起こしてしまうのは当然だ。

けれども、そこだけは彼女にも反省してもらいたい。頭を打ってしまったりしたら、最悪死んでしまう事だってあるのだから。ここはフローレンス様にも歩み寄って貰って、円満に場を収めたい。


「そ、それは……」


私の言葉に一瞬口籠ったフローレンス様だったが、直ぐに不満を滲ませた口調で反論してきた。


「で、でもエレノアお嬢様、私は貴族の娘です。その私の服を、その子は汚ない手で触ろうとしたのですよ?!」


途端、その場の空気が不穏なものへと変わった。騎士達もフローレンス様の言葉に静かに殺気立つ。勿論、彼女の言葉そのものにも怒っているのだろうが、おそらく私の言葉に素直に頷かなかったばかりか、明らかに反抗的だった事が許せなかったのだろう。


「あ、あのっ!も、申し訳ありませんでした!」


「わ、私共の息子が、とんでもない粗相を!どうかお許し下さい!」


後方からの声に振り向けば、ロイ君の両親が地面にひれ伏し震えていた。

フローレンス様はそんな彼等にきつい眼差しを向ける。


「貴方達があの子の両親?そうよ、そもそも貴方達がしっかりと監視していなかったから、こんな事になったのよ!貴族に対して平民が粗相を行えば、重い罰が下されるの!それを防ぐ為にも厳しくしつけを……」


「止めて下さいフローレンス様!」


思わず激昂した私の声に、フローレンス様の肩がビクリと跳ねた。


「貴族だからって、平民には何をしてもいいわけじゃない!」


胸の中。緊迫した空気に怯え、プルプルと震えているロイ君の身体を、私はギュッと抱き締めた。


「わ、私は……そんな……」


困惑する彼女がまた言い訳をしようとしたけど、それに耳を貸さず、私はなおも言葉を続ける。


「それに私達貴族は、治める領民や国から様々なものを享受する代わりに、いざという時には彼等を命懸けで守る盾となるのです。貴族の特権とは、その為に国より与えられた『守る為の力』。偉ぶる為のものじゃない!」


そう、与えられた権力には必然的に義務が生じる。特に護るべきものがある貴族なら、なおの事その責任は重い。


「極論かもしれないけど、貴族と領民はそういう意味では対等であると、私は思っています。……だからフローレンス様。これからは貴族としてではなく、一人の人間として何が正しいかをよく考え、行動するようにしていってもらえないでしょうか?」


俯き、唇を噛み締めるフローレンス様に諭すようにそう告げる。


そう、私の周囲の人達や、身分が高い貴族達は皆、とても鷹揚で他人に寄り添う優しさを持っていた。それはこの国を統治する、王族とて例外なく……。


彼女はまだ貴族となって日が浅い。同じバッシュ公爵領の貴族として、彼女には「お貴族様」ではなく、真の意味での貴族として、成長していって欲しい。


「……ゾラ男爵令嬢。馬車に戻り、少し頭を冷やしておくように。それに馬車の中なら、その白い服も汚れる心配は無かろう」


「……ッ……!」


クライヴ兄様の皮肉とも取れる言葉に、フローレンス様は身体を小刻みに震わせると、私やクライヴ兄様を鋭く一瞥した後、踵を返すように馬車の方へと走り去っていった。


う~ん……。あれ、怒っていたよね。分かってくれなかったっぽいか……。まあ、私がロイ君助けなければ普通にうやむやに出来た事件だし、私の持論も納得出来ないのかもしれないな。


「……エレノアお嬢様……」


フローレンス様の後姿を見送りながら溜息をついていると、後方から声をかけられ振り返る。

するとクリス副団長を筆頭に、騎士達や領民達が、揃って地面に片膝をつき、頭を垂れていた。


「……え?……えっと……?」


「我々を『対等』と仰って頂き、有難う御座います。感謝の念に堪えません。僭越せんえつながらこの場の全ての者達を代表し、バッシュ公爵領の領民として、心よりの忠誠を捧げさせて頂きます。お嬢様が我々を守ろうとして下さるのと同様に、我々一同。エレノアお嬢様に大事あれば命に代え、一丸となってお守りさせて頂く所存」


「え?ええっ!?あ、そ……っ!」


わたわたする私の頭に、ポンと大きな手が乗せられた。


「エレノア。こういう時は、素直に感謝するのが礼儀ってもんだろ?」


見ればクライヴ兄様が優しい笑顔を浮かべながら私を見つめている。…えっと……。そ、それじゃあ……。


「よ、よろしくおねがい……します。で、でも命は大切にしましょう!!」


私の言葉を受け、その場の全員がキョトンとした後、ワァッ!と、笑顔で大歓声を上げる。さっきまでの雰囲気に怯え、泣きそうだったロイ君も、きゃっきゃと楽しそうだ。


「あっ、あのっ!し、視察再開しますねっ!」


顔も手も、全身真っ赤になって、わたわたしている私に、誰もが温かい眼差しを向けてくれた。気が付けばさっきから、うっかり言葉遣いに地が出てしまってたのに気が付くが、誰もそれに突っ込まない。バッシュ公爵領の領民の皆さん、優しいなぁ。


そんな訳で、私は胸にロイ君を貼り付かせたまま、視察を再開したのだった。



===============



何気に断罪的な流れになってしまいました。

エレノア、流石に堪忍袋の緒が切れた模様。そしてケモラーの使命も全うしました!

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