第403話 美しいもの【ティル視点】①

『同じ『闇』に生きるのならば、美しいものを見たくはありませんか?』


不意に、上司兼雇用主イーサン様の言葉が脳裏に響いた。






「……なんか、懐かしい夢を見た気がするな……」


自分の今の身分である『バッシュ公爵家騎士団員』として与えられた自室のベッドの上で目を覚まし、独り言ちる。


帝国のクソ野郎と剣を交え、瀕死状態になった時は、「あ、俺マジで死ぬかも……」と思ったが、エレノアお嬢様に抱き締められた後、驚くほど身体が楽になったのを覚えている。


フィンレー殿下に連れられて、本邸に戻った後は意識が朦朧となって、目が覚めたら綺麗さっぱり怪我が治っていた。……まあ、血を大量に失ったから、未だこうして食っちゃ寝しているんだが。


それにしても、なんなんだ、アルバの王家直系ってのは。真面目に化け物だろ!……いや、あの第三王子が化け物なのか?とにかくあの王子はヤバイ。

エレノアお嬢様がいるからこそ、まとも・・・になっているだけで、一歩間違えれば、本気で化け物になるタイプの人間だ。


「エレノアお嬢様……やっぱ、スゲーわ」


自分が生涯の主と定めた、小さな『貴婦人』を思い出す。


『帝国人だろうが何人だろうが、ティルはティルだもん!』


優しくも力強い言葉が脳裏に蘇って、自然と唇から笑みが零れた。






俺の名は、ティルロード・バグマン。仲間内では『ティル』と呼ばれている。


ただし、『ティルロード』も『バグマン』も、俺の本当の名前ではない。


俺は帝国の貴族の血を継ぎながら、『魔眼』持ちではない事を理由に、幼い頃に市井に打ち捨てられ、ただ命を繋ぐ為に、同じ境遇の者達とスラムの路地裏で泥水を啜りながら生きて来た、ただの野良犬だ。


打ち捨てられたゴミの中、食えるもんを周りの連中と死に物狂いで奪い合う……。自分以外の者達は全て敵だった。そんな灰色の日々の中、名を呼び合う相手など皆無だった俺は、いつしか名前も姓も、年齢すらも忘れてしまっていたのだ。


そんな地獄の日々の中、運悪くパンを盗んだ事を巡回騎士に見付かり、執拗に甚振られていたのを助けてくれたのが、たまたま帝国に潜入していたイーサン様だった。


「貴方には二つ、選択肢があります。このまま私と共にアルバ王国に来るか、今のまま、日陰者としてこの国に留まるか……」


イーサン様は、満身創痍だった俺に手当てを施した後、感情のこもらぬ瞳で話を続ける。


「貴方には才能がある。ですが、それを生かすも殺すも、この帝国で朽ち果てるのも貴方の自由です」


アルバ王国。話には聞いた事がある。


帝国と対を成す程の大国であり、長年戦いを繰り広げて来た敵対国家。そして、魔眼に対抗しうる程に魔力量は多いが、顔が良いだけの平和ボケした連中が住まう国だと……。


――平和ボケ?今自分の目の前にいる男が……?どう見ても悪の親玉だろ!?


『貴方の自由です』


そう言われたが、多分アルバ王国に行く事を拒否すれば、その瞬間俺は口封じとばかりに消されるに違いない。つまり今の時点で、俺に拒否権など存在しないのだ。


――汚泥の中、這いずり回るのが帝国から他国に代わるだけの事……。


そう思い至った俺は、「あんたに付いて行く」と口にしたのだった。


「賢明な判断です」


そう言って、少しだけ口端を上げた目の前の男の表情は……まさに凶悪そのものだった。多分魔王とは、こういう男の事を言うのだろう。


男は自分の名を『イーサン・ホール』と名乗った。


……後からイーサン様本人から聞いた話によれば、もし俺がアルバ王国行きを拒否した場合、『闇』の魔力でサクッと記憶を消すつもりでいたのだそうだ。


まあつまり、本気で二択を提示していただけだったんだよな。……結果的に、あの時付いて行く事を選択しといて良かったんだが……それを聞いた時は、なんか騙されたような気分になって、心中複雑だった。





――帝国でも、アルバ王国でも、俺が身を置く場所はきっと、薄暗く日の当たらないゴミ溜めなのだろう。


そう思いながら連れて来られたバッシュ侯爵領はというと……。


陽光の下、長閑に牧草を走り回る家畜やどこまでも続く麦畑、そしてたわわに実をつける果樹……と、緑溢れる平和な光景が広がっていたのだった。


「……え~っと……」


犯罪組織の親玉のような男が連れてくるには、あまりにもそぐわない場所に戸惑いを隠せない。


しかもこの男……イーサンは、この領地を治める侯爵領(その時は侯爵だった)の一切を、当主に代わって取り仕切る家令だと言うではないか。


ひょっとして、この長閑な穀物地帯は仮の姿で、実は裏で犯罪行為を行っているのでは……!?と思ったが、しっかりはっきり、見たまんまの農業地帯だった。


俺の他にも、連れて来られた連中は沢山いて、そいつらも俺同様、戸惑いと不安に落ち着かない様子だった。


「では、貴方がたはこれより、我がバッシュ侯爵領の『影』となる為、訓練を受けて頂きます」


イーサンからそう告げられ、「ああ……やっぱりな」と、自虐的な笑みが唇を歪ませる。


『『影』って知ってるか?仕える貴族を文字通り陰から護ったり、敵対勢力を潰したりする闇の暗殺集団の事だ。そして大抵、その末路はロクなもんじゃねぇんだ』


……以前、裏路地で野垂れ死んだ、ある男がそう話していた事があった。……今思えば、その男自身が、どこかの貴族の『影』だったのだろう。


『ああ……そうか。こんなに明るい場所に来たけど、俺は結局また『闇』の中で生きる事となるんだな……』


絶望と共に、そう胸中で呟いた俺に対し、イーサンは「同じ『闇』に生きるのならば、美しいものを見たくはありませんか?」と、静かに告げた。


――綺麗なもの……?馬鹿馬鹿しい。そんなもの、『闇』の中で見られる訳がないだろうに。


そう心の中で吐き捨てた俺は、その後、血反吐を吐くような過酷な環境の中、暗殺術を学んでいく。……筈だった。


「おう、お疲れ!今日の訓練は大変だったな~!」


「これ飲めよ!バッシュ侯爵領にしか生えない薬草を使った薬湯だ!疲れも怪我も一発で治るぞ!」


「お前、まだまだヒョロいな!肉食えよ肉!!」


「肉だけじゃ駄目だぞ?食事はバランスだ!!ほれ、パンもシチューも沢山あるからな!」


……等と、俺達の教育を担当している者や、先輩にあたる『影』達は、厳しいだけでなく、なにくれと俺達の面倒を見てくれたのだった。


……あれ?確か『影』って、暗闇の中で生き、力及ばぬ者を容赦なく切り捨て、血塗れの道を孤独に歩いていく存在……だったような気がするのだが?


実際のところは、陽光溢れる訓練場で、基礎から叩き込まれる剣術体術を会得する為、ひたすら汗を流す。

身体づくりをする為に、栄養満点の食事を三食きちんと取ったうえで、フカフカの布団でしっかり睡眠を取る。……という、超健全な生活を送っていた。


そしてたまに「繁忙期だから」と言って、羊の毛を刈ったり、小麦や果実の収穫の手伝いにかりだされる。


……あれ?俺、暗闇の中、仲間を蹴落とし、敵の血に塗れた道を歩むんじゃなかったのか……?


「何言ってるんですか。そんなので、立派な『影』になれる訳がないでしょう。健全な精神は健全な肉体に宿る。常識です」


なんて、眼鏡のフレームを指クイしている男が一人。

……そ、そうか。俺が間違っていたのか。……なーんて、その時の俺は純粋にそう思っていた。


だが今現在、バッシュ公爵家の『影』として、他国の間者をバッサバッサと刈り取っている身としては、声を大にして言いたい。


あの時の俺の『影』に対する認識、間違ってねーから!!間違ってんのはアルバ王国ここだから!!『影』に健全な精神求めてんの、この国だけだから!!ってか、もうそれってそもそも『影』じゃねーし!!


……ま、俺はこ-いうの、嫌いじゃねぇけどさ。



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2話で終わるかな……と想ったのですが、3話ぐらいになりそうです。

最初はシリアスチックだったのに、バッシュ公爵領と愉快な仲間達風に。ティルではありませんが、首傾げております。

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