第115話 姫騎士

――それはまさに、一瞬の出来事だった。


獣人族の第三王女である黒ヒョウの獣人。

その目にも止まらぬ動作に、なす術もなく立ち尽くしているかのように見えた、未だ幼さを残す小さな少女。


その少女が、相手の攻撃が直撃する寸前に振るった刃。


…そう、彼女は上級騎士達が重用しているとされる、片刃の剣を使用しているのだ。


白刃が美しく煌めく。


その目にも止まらぬ速さで抜刀されたやいばが、獣人の王女を打ち据え、身体が宙に舞う。その様は、まるでスローモーションの様にゆっくりと、自分達の目に映った。


アルバ王国側と獣人側、双方が何が起こったか理解出来ぬ中、バッシュ公爵令嬢が自分の剣を鞘に納める音と、第三王女の身体が地面に叩き付けられた音で我に返る。


王女の側近達が慌てて駆け付けるが、地面に叩き付けられたロジェ王女の手は不自然に折れ曲がり、爪が完全に砕け散った指が血塗れ状態になっている。


身体も地面にしたたかに打ち据えられた衝撃でビクビクと痙攣しており、とてもではないがこのまま試合続行は不可能だろう。


「…勝った…のか…?」


誰かがポツリと呟いた言葉。


それが徐々に試合を見守っていた者達の間に広がり、やがて大歓声が湧き上がった。それとは対照的に、呆然としている獣人側は、未だ現実が理解出来ていない様子だ。…いや、理解したくないのかもしれない。


今迄散々、侮り侮辱してきた人族の…しかも年端もいかぬ小さな少女に、自分達の主が一撃で打ち負かされた…などと、その目で実際に見ても信じられないのだろう。


そう、彼らの認識では、一方的に蹂躙されるのはバッシュ公爵令嬢の筈だったのだから。


だが、実際はその逆で、再起不能にさせられたのは獣人側だった。


まるで昔、お伽噺で見た事のある姫騎士のように、凛と佇むその姿。その情景が胸に熱い何かを湧き上がらせる。


「エレノア・バッシュ公爵令嬢…。なんというお方だ…!」


湧き上がってくる気持ちのままに、僕は『お気に入りの生徒』としてではなく、『一人の女性』として、熱い眼差しをエレノア・バッシュ公爵令嬢へと向けた。





「…よし!上出来だ!」


一瞬でケリの着いた勝負。

柄に手をかけ、堂々と立つ愛しい妹のその強さと美しさに、クライヴは我知らず、顔を綻ばせた。


「…見事だな」


その横で自分同様、顔を綻ばせているのはディラン殿下だ。


彼は万が一、俺が暴走した時に速攻で対応出来るよう、俺の傍に貼り付いているのだ。…尤も、彼自身が俺よりも早く暴走しそうな気がしないでもないのだが…。


そういう経緯で、オリヴァーの横にはアシュルが。セドリックの横にはリアム殿下が控えている。

フィンレー殿下は…。あれ?いないぞ。気配を辿ってみると、何故か獣人側に近い木陰で気配を殺し、ひっそりと立っている。


犬猿の仲なオリヴァーの傍にいたくないだけなのかもしれないが…。なんというか、物凄く自由な方だなと思う。


「まあ、あのスピードだけの単調な攻撃なら、何とか出来るかもしれないと思っていたが…。瞬殺とは恐れ入った。だが、あの剣の型は俺の知らないものだな。クライヴ、お前があの子に…エルに教えたのか?」


エレノアの事を『エル』と呼ぶ殿下は、エレノアの正体を自分達が知ったという事実を、さり気なく匂わせてくる。


「…いいえ。俺が教えているどの型でもありません。あの型は、エレノアが独自で編み出したものです」


俺の言葉に、ディラン殿下が驚いた様に目を大きく見開いた。


実際は、エレノアの前世の世界で実際にあった剣術で、『抜刀術』もしくは『居合切り』というものをアレンジしたものだそうだ。


「『動を静で受け流す』事を軸に、重心を低くし敵を迎え打つ。尚且つ、隙を与える事で相手を油断させ、誘い込んで仕留める…。そういう型だそうです」


ようは、弱点を敢えて利用する戦法だ。


これは敵が相手を侮っていればいる程、効果を発揮するとエレノアが話していた事がある。実際、今回の戦いではまさにその通りの結果となった。


「マジかよ…。初めて逢った時も才能あるとは思っていたが…まさかここまでとは思わなかった。…真面目に、最高の女だな!」


そう言いながら頬を紅潮させ、感心したようにエレノアを見つめるディランの目には、抑えようともしない熱い恋情が溢れかえっているようで、我知らず渋面になってしまう。


そんな時だった。俺の姿を確認したエレノアが、小さく微笑む。そのはにかむ様な笑顔は、エレノアが自分に褒めて欲しい時に向ける顔だった。


愛しさが心の底から湧き上がってくる。今すぐにでも思い切り抱き締め、これでもかとばかりに褒めて甘やかしてやりたい。


「…あ~あ!やーっぱスタート地点からハンデがあり過ぎだわ!めっちゃ妬けるな!」


俺達の様子を見て、鼻白んだ様にそうぼやくディラン殿下だったが、次の瞬間には挑発的な光を含んだ鋭い眼差しを俺に向ける。


「ま、でも俺は諦めないぜ?ぶっちゃければ、公妃として掻っ攫いたい気持ち満々なんだが、それやったらエルにもお前らにも嫌われちまうしな。惚れた女の悲しむ顔は見たくねぇ。って訳で正々堂々、エルに俺を認めさせてやるから、覚悟しろよクライヴ!」


なんとも爽やかな宣戦布告に、思わず身構えていた肩の力が抜けた。


「ええ。その挑戦、謹んでお受け致します」


『…そう。この方はいずれ、俺達が全力で戦う相手…なんだよな』


自分にとってもエレノアにとっても、命の恩人であり、この国の誇る王家直系。


将来、アシュルが国王になった時、父親であるデーヴィス王弟殿下よりアルバ王国の軍事権全てを引き継ぐ、最高権力者の一人だ。


『クライヴ。お前もいずれ、自分の親父と同じ土俵に上がって来るんだろ?そん時は俺の女房役、宜しく頼むわ!…それとさぁ、俺、年の近い知り合いっつーか友人いねぇんだよ!同じ男を師匠に持つ兄弟弟子って事もあるし、仲良くしてくれると嬉しい!』


――それが、初めて彼と会話した時の台詞だ。笑った顏は、どこかアシュルに似ていた。


この方は、俺が自分の兄と弟が想いを寄せる相手の婚約者であるにも関わらず、「それとこれとは話が別」とばかりに気さくに接してくれた。

しかも、『エル』がエレノアであると知った今現在も、自分に対する態度に変化はまるで見られなかった。


親父であるグラントは以前、自分自身の事を棚に上げて「あの坊ちゃんは良い感じに脳筋だな!鍛えがいがあるわ」と言って笑っていたが、確かにまんま裏表が無くて、直球な性格をしている。まさに『火』の属性そのままな気性だ。


最初はエレノアや自分達を助けてくれたお礼として、剣術指南役を引き受けた親父が、『弟子』認定するぐらいに気に入ったのも分かる気がする。


『本当に。敵…なんだが、リアム殿下同様、妙に憎めない方なんだよな…。まぁ、あいつ・・・の方は、エレノアに懸想する時点で、誰でも等しく『敵』認定だけど…』


そう思いながらディラン殿下の向こう側を見れば、アシュルとオリヴァーが互いに穏やかな表情で何かを語り合っている。…が、その背後にはどす黒いオーラがとぐろを巻いていて、漂う空気もなにやらうすら寒い。


ディラン殿下も俺につられてそちらに目をやるなり、「うわぁ…。ブレねぇな、お前の弟…」と若干引き気味に呟いていた。


「――ッ!エレノア!!」


不意に、セドリックとリアムが同時にエレノアの名を叫んだ。――その直後、凄まじい破壊音が周囲に響き渡る。


慌ててエレノアの方に目をやると、第二王女である虎の獣人ジェンダが、今迄エレノアが立っていた場所に身をかがめていた。よく見て見れば、床に敷かれた魔石がクレーター状に破壊されている。


「おのれ小娘!貴様ごときがよくもロジェを…!」


そう言いながら、ジェンダはエレノアに飛び掛かるように拳で、蹴り技で攻撃を加え、その度避けた場所が衝撃音と共に破壊されていった。


またしても唐突に始まった戦い。しかも、エレノア一人に対して複数人で戦いを挑む獣人達に対し「卑怯な!」「恥を知れ!」と、アルバ王国側から非難の声が噴き上がった。


「チッ!やはりそうきたか…。つくづく卑怯な奴らだぜ!」


いきなり始まった第二試合に、ディランは忌々し気に舌打ちをする。クライヴもディラン同様、厳しい視線をエレノアに猛攻を仕掛けているジェンダへと向けた。


想定内とは言え、まさか本当に王女達が全員でエレノアを潰しにかかってくるとは…。


「…先程のロジェ王女と違い、スピードはそれ程無い。だがその代わりに、あの怪力…か」


獣人は身体能力がどの種族よりも特化していると聞いてはいたが、魔力も使わず魔石すら砕くあの剛腕は凄まじいとしか言いようがない。

いくらエレノアの刀が世界最強の鉱物であるオリハルコンで出来ているとはいえ、普通に戦えば力負けしてしまうに違いない。


チラリ…と、オリヴァーとアシュルを見てみれば、二人とも無表情でエレノアとジェンダの戦いを凝視している。…だがその無表情とは裏腹に、どれ程の激情が胸中を吹き荒らしているのだろうか。ハッキリ言って想像もつかない。


『あいつら、お互い牽制し合って、何とか自我を保っているって感じだな…』


ただ、オリヴァーの方は自分とエレノアとの修行を知っているから、まだこれぐらいならば…と、必死に己を抑えていられるのだろう。


だが、アシュルはそうではない。きっと不安と怒りで、すぐにでもエレノアを助けに向かいたいと思っているに違いない。


――だが、彼は王太子として、そんな自分を必死に抑え込み、耐えている。


…大切な親友なのだ。誰に言われずとも、アシュル本人が口にせずとも、自分にはその気持ちが痛い程よく分かる。


自分が動く事により、この国の民を危機に晒さないよう。…そしてオリヴァー同様、エレノア自身の矜持を守る為に。


『いい男なんだよな…ホント。お前が好きになった相手がエレノアじゃなければって、つくづくそう思うよ』


クライヴはそう胸中で呟きながら、小さく溜息をついた。





『うわぁ…。めっちゃ怒ってる。う~ん、流石にちょっとやり過ぎたかなぁ…』


――その頃、エレノアはジェンダの攻撃を避けつつ、先程倒したロジェの怪我を思い、心の中でそう呟いていた。


でもそれは仕方が無い事なのだ。もし、自分がクライヴ兄様ばりのレベルであるなら余裕で手加減とか出来るだろうけど、実際の所、実践で使用した事が無い自己流抜刀術を成功させる為に必死だったのだから。


『そもそも手加減って、強い人にしか出来ない技だよね。…ってか、あの王女様だって、私に対して手加減する気ゼロだったんだから、そこまで怒らなくてもいいんじゃない!?というか、この王女様も私を殺すやる気満々だし!』


エレノアは魔石であるタイルが次々と破壊される様子を見ながら、心の中で舌打ちをする。


「ははは!どうした小娘!逃げ回っているだけでは、私に勝てぬぞ!?」


次々と襲い来る猛攻を避けながら、エレノアは刀の鞘に手を充て、考える。


『どうする?このまま刀で戦うにしても…。さっきの様な一撃必殺の技は使えないし、確実にパワー負けしてしまう。…そうだ!だったら…』


エレノアは腰ベルトから刀を鞘ごと抜き去ると、それを放り投げた。



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エレノア、一撃必殺を地でやり遂げました!

そして何やら、またしても自分の知らない所で「なにそれ?!」的な称号が独り歩きしそうな予感です(笑)

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