第114話 試合開始

「アシュル殿下…」


私達の元へ、厳しい表情を浮かべたアシュル殿下がゆっくりと近付いて来る。


その場に片膝を着き、頭を垂れた兄様達に習い、私もカーテシーではなく、騎士がするように自分が帯刀している刀に手をかけ、片膝を着き、頭を垂れた。


その時、「ヴっ!」とか「はうっ!」とか、小さな声があちらこちらから聞こえてきた気がしたのだが…。うん、多分気の所為だろう。


「…頭を上げなさい。バッシュ公爵令嬢」


アシュル殿下の言葉に従い、私は下げていた頭を上げる。すると目の前のアシュル殿下は、いつもの穏やかな微笑ではなく、冷たい無表情で私を見下ろしていた。


「…君も聞いているとは思うが、此度の決闘。王家は『君がそのまま・・・・の状態で戦う』事を認める条件とした。だから君は魔力を使わず、君自身の力で戦わねばならない。そして誰であろうとも、一切の手出しを禁じる。…例え、君の婚約者達であってもね」


ザワリ…と、周囲の空気が揺れた。


「僕達王家直系全員がここに来たのは、決闘の見届け役を国王陛下より仰せつかったという事もあるが…。暴走しそうな者達を抑える為でもある。それは分かっているね?オリヴァー、クライヴ。そしてセドリック」


オリヴァー兄様もクライヴ兄様もセドリックも、無言で俯いている。


アシュル殿下が私に対して話す内容は、一見すれば冷たく突き放す様に見えるだろう。だけど、そうではないのだ。


私が王女達の『娶り』の戦いを受けた事をオリヴァー兄様から知らされた殿下方は、ぴぃちゃんを使って速攻「今すぐ考え直せ!」と連絡して来たのだった。戦いを受ければ、何をされるか分からない。下手をすれば命すら危ない…と。誰もが必死に私を思いとどまらせようとしてくれた。


だけど、国王陛下と王弟殿下方の考えは違っていたようだった。


…多分だが、父様方や兄様方が関わっている『何か』に、今回の騒動が上手く絡んだに違いない。


彼らは私に戦いを止めさせようとする殿下方と話し合い、諭し、最後には殿下方と共に、私の決闘を認めるとこちらに伝達して来たのだった。


そしてその際、『決して魔力を出さぬように』と釘を刺された。兄様方やセドリックにも、『今までと同様、エレノア嬢の命が危険に晒されるまで、一切の手出し無用』との王命が下されたのである。


「…エレノア嬢。今ならこの決闘、無かった事に出来る。…考え直す気は…あるかい?」


アシュル殿下の瞳が不安の色を湛えて揺らめく。私はそんなアシュル殿下を安心させるように、頑張って微笑んで見せた。


「アシュル殿下。私の我儘を了承して下さって、有難う御座います。それと…殿下方にご心配おかけしてしまい、申し訳ありませんでした。私…どこまでやれるのかは分かりませんが、この国の貴族として、また殿下の家臣として、恥ずかしくない戦いが出来るよう、精一杯頑張ります!」


勿論、私にだって不安はある。今迄頑張って鍛えて来たけれど、獣人という未知の能力を持つ種族相手に、果たして自分の力がどれだけ通用するのかは分からないのだから。


だけど、私は逃げないで戦うと決めたのだ。だったらこうして心配してくれる人達の為に、全力を尽くすのみである。


そんな私の言葉を受け、アシュル殿下が目を見開く。


「…そうか…」


それからほんの少しだけ目を細めながら、いつもの優しい微笑を私に向けた。


その眼差しを受け、心臓がトクリ…と跳ねる。


だって、その目に浮かぶ感情の色は、兄様方やセドリックが私に向けるものとそっくり同じもので…。


「エレノア嬢、立って」


ハッとして、慌てて立ち上がった身体が、アシュル殿下の胸に優しく抱き締められる。小さな私の身体は、アシュル殿下の胸にすっぽりと納まった。


『えええぇ~!!?』


心の中で絶叫する私の耳に「ええっ!?」とか「嘘っ!」だの「ちょっ、兄上!?」「ちくしょう!抜け駆けだ!」「ズルい!!」…等といった声が聞こえてくるが、正直私はそれどころではない。


「…無様に負けたって構わない。僕達は…いや、僕は…君が無事でさえいてくれれば、それでいいんだ…!」


苦し気に、そして切なげにそう囁かれ、私の顏から火が噴く。それと同時に、凄まじい殺気が私の両脇から噴き上がりました。…って、あれ?前方からも同じように殺気が複数…?


アシュル殿下はパッと私から身を引くと、そのまま他の殿下方の元へと帰って行った。


ディラン殿下達と何やら言い合いながら立ち去る後姿をユデダコ状態のまま、ボーッと見送っていた私に、かなり不機嫌そうなオリヴァー兄様の声がかかった。


「…殿下の行動に抗議するのは、獣人達との決着が着いた後だね。…さあ、行こうか…エレノア」


「――ッ!…はいっ!」


私は改めて自分自身に気合を入れつつ、決闘の舞台となる訓練場へと向かったのだった。




◇◇◇◇





――今、俺の目の前にはあの女が…いや、エレノア・バッシュ公爵令嬢が立っている。


『娶り』の戦いを姉達が挑んだ…と聞かされた時、俺は激高した。


非力な人族の…しかも女が、戦闘民族である獣人と戦う。それは実質、公開処刑に等しい。


あの女は愚かにも、姉達が脅しの材料に使った草食獣人達の身を案じ、戦いを了承したそうだ。何を考えているのか。羽虫が肉食獣に戦いを挑む様なものなのに。


『番』を殺される。

そう思った俺は、姉達に『娶り』の戦いをすぐさま止めるようにと迫った。


『番』とは、互いが互いにとっての魂の半身。相手の身に何かがあれば、我を忘れて逆上するものだ。番を失いそうになった者も然り。


…そして失った瞬間、気が狂う。

そのような状態を『番狂い』と言う。


まさにその『番狂い』に近い状態となった俺を見た姉のレナーニャは、バッシュ公爵令嬢が俺の『番』である事に気が付き…そして、妥協案を俺に提示して来た。


『なれば、命までは取ろうとは思わぬ。だが傷はつけさせてもらうぞ。『女として終わる』程度の傷をな。その後でお前は『番』を自分のものにすれば良い。元々醜女なのじゃから、消せぬ傷の一つや二つあってもどうでも良かろう?』


姉の提案には流石に眉を顰めたが、俺は…その案を飲んだ。


いくら元が美しくても、顔や体に醜い傷を持つ女などに男は価値を見出さない。それは女性至上主義のこの国の男であっても多分同様だろう。

『女性は守るべき宝』などと、綺麗ごとをほざいているが、男など所詮はそんなものだ。


ましてやあの女は平凡より下な容姿なうえ、平民などではなく貴族令嬢。身分に惹かれ、群がっていた男達も、自分の恋人ないし伴侶としては致命的な欠点を持った女を連れ歩く気概はあるまい。


――目障りだった周囲の男達を一掃でき、堂々とあの女を…『番』を手に入れる事が出来る。


俺は再度、目の前のバッシュ公爵令嬢を見つめた。


あの目元が全く見えない、不器量な眼鏡は相変わらず。…だが、その姿が、纏う空気がいつもとは明らかに違う。


姉達や他の獣人達が「似合いもしない豪奢な死に装束」「どうせ勝てぬと分かって、装いだけはそれなりにしてきたのか」と嘲り、馬鹿にしているその姿に、目を逸らす事が出来ない。油断していると、意識も思考も絡め取られてしまうかのように、目の前の少女に魅了されてしまう。


これが『番に狂う』という感覚なのだろうか。


『低俗な人族の女』と、無理矢理嫌悪していた気持ちが霧散していく。

その代わりに『欲しい』という気持ちが…愛しさが溢れてきて止まらない。


一生消えぬ醜い傷が出来る?女として終わる?…願っても無い事だ。


醜い傷ごとき何だと言うのか。すがる者が誰も居なくなったあの女を、自分一人だけのものに出来るのだ。ならばそんなもの、釣りが出る程だろう。


「さあ…。さっさとこの手に堕ちて来い!」


昏い愉悦を眼に宿しながらそう呟き、俺はうっそりと嗤った。






「では、我々アルバ王国王族による立ち合いの元、シャニヴァ王国第三王女、ロジェ殿とエレノア・バッシュ公爵令嬢との試合を執り行う。互いに自分の持てる力を存分に使い、正々堂々戦って欲しい」


アシュル殿下の宣誓を受け、私はロジェ王女と向かい合う。


私達がいるのは、普段は攻撃魔法の試験場として利用されている運動場だ。


その中心に土を盛り上げたテニスコート大のスペースがある。


このスペースは防御結界が施された魔石をタイル状に敷き詰めてあって、普段はここで生徒が試験を受ける事となっているのである。

これは攻撃魔法がまかり間違って、他の者達に当たらない様にする為だ。


この場所を中心として、観覧しているアルバ王国側の人間達と、シャニヴァ王国側の獣人達とが二分されている。ちなみに、互いの国の王族にはちゃんと席が設けられているが、他の人達は基本立ち見である。


そして帯刀している私と違い、ロジェ王女は何も獲物を持っていない。…いや、よく見ると彼女の真っ赤な爪が異常に長くなっているから、ひょっとしたらあれが彼女の武器なのかもしれないな。


…それにしてもロジェ王女だけじゃなく、他の王女がた…。相も変わらず、あちこち出っ張っている所を惜しげもなく晒している。何ともお色気満載な衣装だ。とてもじゃないけど、「これから勝負します」っていう恰好ではない。…いや、ある意味勝負服とも言えるけどね。


「アシュル王子。一つ提案がある」


そんなロジェ王女がアシュル王子に対して声を上げた。


「ロジェ王女。何か?」


「折角私達がこのような小娘と戦ってやるのだ。それゆえ、勝った暁には褒賞が欲しい」


「褒賞?」


「そうだ。私がこの小娘を叩きのめした暁には、アルバ王国王家に取られた侍女の代わりに、この娘を我が国の王太子の侍女として差し出す…というのはどうだ?」


ザワ…と、主にアルバ王国側の観覧席側からざわめきが起こる。

侍女などと言っているが、つまりは私が負けたらヴェイン王子の奴隷になれ…と、そう言いたいのだろう。


「なぁ?それぐらいはしてくれるだろう?人族相手に、この私が直々に相手をしてやるのだから」


ざわめきが、徐々に激しい怒りへとさざ波の様に変わっていく。

そしてそれは兄様方やセドリック、そして殿下達も同じで…。いや、それ以上に彼らは怒り狂っていた。


一見してみれば、全員冷静な表情と態度を崩していない。だけどそれは怒っていないのではない。怒りが沸点を超えたから、逆に普通の状態に見えるだけなのだ。

それは彼らから揺らめき湧き上がっている、青白い炎の様な殺気から容易くうかがい知れる。


だがその事に、何故獣並みの直感を持つ彼らは気が付かないのだろう。…いや、気が付いても卑小な人族の怒りなど、どうでも良いと思っているのだろうか。それほどまでに選民意識とは、その能力を曇らせるものなのだろうか。


「…戯言を…」


「分かりました。その提案、お受け致しましょう」


アシュル殿下が話し終える前に、私はそれを遮る様に承諾した。


「エレノア!?」


「エレノア嬢!?」


兄様方やセドリック、そして殿下方から思わずといったように声が上がるが、私は敢えてそれを無視した。


「ですがそれをお受けするには条件があります。…もし私がそちらに勝った場合、私にも褒賞を頂きたい」


途端、獣人側から嘲笑と嘲りの声が上がった。


「ははは!お前ごときが私に勝つ気でいると?良いだろう、面白い!もし万が一私に勝てたら、お前の望むものをなんでも叶えてやろうぞ!」


「有難う御座います。では、勝った暁には…私がそちらに何を申し上げても、不敬と取らないで頂きたく…」


「良いだろう。…だが、勝てたらなぁ!!」


その言葉のすぐ後、ロジェ王女の姿が消えた。いや、消えたように見えただけ。


「――ッ!」


結い上げた髪が一房、ハラリと落ちる。

それだけではない。身体に、剥き出しの顏の皮膚に、鋭い何かが掠める。


いきなり開始の合図も無く始められた戦いに、周囲から「卑怯な!」と、怒りの声が次々と上がるが、ロジェ王女の猛攻は当然と言うか止まらない。


…成程。黑豹の獣人である彼女の能力とは、この目にも止まらぬ程の俊敏さ。

彼女は自らの身体能力を使い、目にも止まらぬ物凄いスピードで私の周囲を移動しているのだ。


幸いというか服にもだが、剥き出しの肌にも、耳に付けたピアスに防御結界が施されているお陰で、僅かなかすり傷しか負わない。


しかし、この攻撃はロジェ王女の本気ではない。戯れに嬲っているに過ぎないのだ。なのに、かすり傷を負わせる事が出来たというのは問題だ。


つまりは本気で攻撃されれば…ひょっとして、かなりの怪我を負ってしまうかもしれない…という事なのだから。


「……これが獣人の能力という事か…」


魔力に匹敵する身体能力。そこが獣人の警戒すべき能力なのだろう。


私はロジェ王女の動きを追うのを止め、目を瞑り、気配に意識を集中させる。


『相手のペースに惑わされるな…。どんなに速く動き回っていても、いずれ私の望む瞬間が訪れる』


次の瞬間、私はロジェ王女の気配と鋭い殺気が私へと一直線に向かって来るのを感じ取った。



――来る!



彼女の爪が私を抉る直前。そのタイミングを見計らい、私は腰の刀に手をかけ、下半身の重心を落として右足を軸に、半回転するよう一気に抜刀した。


硬質なもの同士がぶつかり合う音。そして何かが砕け散る鈍い音が同時に響き渡る。


「ギャアッ!!」


その瞬間、上がった悲鳴と共に、粉々に砕け散ったロジェ王女の爪と跳ねる様に反り返った身体が宙を飛んだ。

刀を振るった時に生じた音は、放った峰打ちが、彼女の爪と身体に当たったからだろう。


抜刀した時と同様、素早い動きで刀を鞘に戻す。


チン…。と、鍔と鞘が当たる音と、ロジェ王女が地面に叩き付けられる音が響き渡ったのは、ほぼ同時だった。



==================



遂に、王女との決闘が開始しました。


ちなみに、たられば話ですが、お兄様方もロイヤルズも、例えエレノアに傷が残ろうとも、愛する気持ちは変わりません。というか、アルバ王国の男とは、そういうものです。

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