第113話 決闘当日

その日、王立学院は早朝から緊迫した空気に包まれていた。


理由は昨夜、王家直々に学院に届けられた通告文にあった。


――明日、王立学院内にて、エレノア・バッシュ公爵令嬢がシャニヴァ王国の王族と『娶り』の戦いを行う。


それを受け、野外で行われる攻撃魔法の試験場が急遽、決闘の場へと整えられた。


この試験場とは、広々とした芝生が敷き詰められたグラウンドの中央に、日本で言う所のテニスコートのような広さに区切られた舞台のような場所が造られている。


他よりも土で高く盛られたその場所には、防御性の高いタイル状の魔石を敷き詰められ、その四隅に防御結界を張る為の魔石が埋め込まれている。これによって、周囲に攻撃魔法の被害が及ばないようにしているのだ。


学院長の命令により、今一度、その魔石に魔力が注がれ、防御力が強化される。そしてシャニヴァ王国王族とアルバ王国王族が対面する形で、観覧する席が設えられ、シャニヴァ王国側には、既に王族やその取り巻き達が優雅に寛いでいる。


異様なのは、常日頃王女達や王子の周囲に侍っている側近達だけでなく、その周囲を護衛する形で、多くの獣人族の騎士達がひしめいている所であろうか。


終始、上機嫌な様子の獣人側とは対照的に、早朝から続々と集まってきた、アルバ王国側の生徒達やその従者達が、眉を顰めてシャニヴァ王国の獣人達を睨み付けている。


彼らは彼のバッシュ公爵家令嬢が、今日ここでどのような目に遭わされるかを、王家からの伝達で知っている。


――このアルバ王国において、女性とはかけがえのない宝であり、何を置いても守るべき存在。


なのに、その守るべき女性であるエレノア・バッシュ公爵令嬢が、シャニヴァ王国の王族からの理不尽な脅しにより、王女達と戦わされる。そんな愚行が何故許されたのか。王家や婚約者達は何を考えているのか…と、その場に集った生徒達は全員、腹の底から憤っているのだ。


「…総帥。僕は今回の戦いには断固反対しますよ!?いくらこれから先の計画に支障をきたさない為だとはいえ、何で僕の幼気いたいけで大切な生徒を犠牲にしなけりゃいけないんですか!?」


試験場の端にある木陰で、誰も居ない空間に向かい、独り言を言うように喰ってかかっているのは、エレノアやリアムの担任であるマロウである。いつもの飄々とした彼を見慣れている者にすれば別人かと思う程、その表情や雰囲気は剣呑とした鋭さが滲み出ていた。


「…確かに計画に障りを出す為…という事もあるが、あくまでエレノア嬢本人と、婚約者達がこの戦いを承諾したからこそだ」


静かな声が周囲に響く。それに対し、マロウは苦々し気に舌打ちをした。


「そりゃあ、バッシュ君だったら、あんな卑怯な脅しを使えば承諾するでしょうよ!なのにクライヴもオリヴァーも、何だって承諾したりしたんだ!?ってか、バッシュ君って、殿下方の想い人なんでしょ?じゃあ王家権限で、決闘を中止させりゃあ良かったでしょうが!」


「……」


「あー、だんまりですか?分かってますよ!今王家が出張る訳にはいかないって事ぐらい。でも、我慢するにも限度ってもんがあるんじゃないですか?!だいたい、総帥も総帥ですよ!愛しの『エル君』犠牲にするなんて、見損ないました!それでもあんた、幼児愛好家ロリコンなんですか!?」


「誰が幼児愛好家ロリコンだっ!不敬で断罪するぞ貴様!!」


「その前にあんたに辞表叩き付けて逃げさせて頂きます!僕だって伊達に『影』の副総帥やってないですからね!…そもそもバッシュ君の身に何かあったら、僕もう王家に忠誠尽くしませんから!」


「お前の元々薄い忠誠、盾にしてんじゃねーよ!!片腹痛いわ!」


このベイシア・マロウという男は、自分とは同期に当たり、副総帥に昇りつめただけあって、実力も折り紙付なのである。…ただし性格が非常に難アリな為、人材発掘の名目で学院に講師として放り込んでいるのだが…。(厄介払いとも言う)


ただこの男、性格はアレでも、相手の実力を見抜く才能に長けている為、王立学院に潜入してから今日に至るまで、貴重な人材を次々と発掘し、王家の『影』へと送り込んで来ているのだ。苦肉の策で放り込んでみたが、まさに適任であった。


ただどうも、講師の職が妙に性に合ってしまっているらしく、最近は『影』の副総帥としての立場よりも、講師の仕事に没頭している。下手をすると本当に『影』を退職しそうな勢いではある。


『やれやれ…。この癖のある男をも感情的にするとは。エレノア嬢の人タラシは末恐ろしいものがあるな』


ヒューバードがそんな事を考えていると、遠くで空気が震えたのを研ぎ澄まされた感覚で捕らえる。


「…どうやら、殿下方がご到着されたようだ」


その言葉を最後に、その場からヒューバードの気配が消える。

マロウは溜息を一つつくと、シャニヴァ王国の獣人達を鋭く一瞥し、自身もその場から姿を消した。






王家の紋章が入った、華美で重厚な馬車が学院の正門に到着し、中からアシュルを筆頭に、ディラン、フィンレー、リアムが厳しい表情で次々と馬車から降りてくる。


王族直系達が勢揃いするという異常事態。だが、これからここで行われる事を考えれば、彼らがここに来るのは当然と言うべき事であろう。


その場に元から居た者。王家到着の報を受け、会場からその場に駆け付けた者。全ての者達が一斉に跪いて頭を垂れる。その中を無言で進んでいくアシュル達に、突如声がかかった。


「お待ち下さい殿下方!」


その声に、アシュル達が足を止め振り向くと、そこには第一騎士団団長の息子であるオーウェン・グレイソンを筆頭に、エレノアの同級生達が揃って深く頭を垂れていた。


「殿下方のお許しも無く、私ごときがお声がけをした非礼、平にご容赦を。…ですがどうか…。エレノア・バッシュ公爵令嬢をお救い下さいませ!非力な婦女子を獣人達と戦わせるなど、まさに狂気の沙汰!彼女は我々の大切な仲間です。その彼女がこれから遭わされる非道を思うと…とても耐えらません!!」


本来なら、王家直系である王子達に対し、格下である者がこのように話しかけるなど、おこがましい以前に不敬の極みである。下手をすれば、この場で捕縛され、きつい罰を与えられてもおかしくはない。だがその恐怖を胸に押し込め、必死に嘆願するオーウェンに続くように、他の生徒達も次々と声を上げていく。


「私からもお願いします!どうかエレノア嬢をお助け下さい!」


「いくら他国の王族でも、我が国の女性に対してあまりな非道!許せません!」


それを見ていた他の学年の生徒達も、次々と口を開き始める。


「…殿下、我々からもお願い致します!」


「我が国の宝を守る為に、どうかお力をお貸し下さいませ!」


そんな彼らを無言で一瞥したアシュルが口を開いた。


「この度の決闘、バッシュ公爵令嬢が望んで受けたと聞いている。彼女自らが望んでいるのだ。例え王家であってもそれに対し、口を出す権利は無い」


「そんな…!」


冷たく突き放すような口調に思わずオーウェンが顔を上げる。するとその冷たい口調とは裏腹に、アシュルの顏にも強い憤りと苦渋の表情が浮かんでいた。そしてそれはディランやフィンレー、そしてリアムも同様で…いや、それ以上に強い、憎悪に近い感情が浮かんでいたのだ。


王族直系達の、感情を露わにする姿に息を飲みつつ、尚も言い募ろうとしたその時だった。

バッシュ公爵家の家紋を拝した馬車が到着し、王家を含む、その場の者達が全員一斉に注目する。



カッ…。



地面に降り立つ革靴の音が響く。



「――ッ!?」


先に降り立ったオリヴァーに手を引かれ、馬車から降りて来たエレノアの姿を目にした瞬間、その場の全員が一斉に目を丸くし、絶句した。


何故なら、何時もの厚底眼鏡は変わらずだが、纏っている衣装や装備、そして纏う雰囲気が、その場の全員が想像もしていないものであったからだった。


結い上げられ、黒のリボンで一つに纏められた髪。身体にフィットした黒いスェットの首元は、羽に見立てた黒いレースが何重にもあしらわれている。


下半身を覆う黒いズボンも、身体にフィットした伸縮性のある素材だ。

膝丈まである茶色い皮のブーツには、銀糸で編まれたリボンがアクセントとなっていて、女性らしい華やぎを醸し出していた。


そして全身を覆う、裾広がりのドレスコートは濃い黄褐色をしており、襟元の装飾には黒曜石やシルバー、そしてトパーズなどがあしらわれている。その裏地は艶やかに煌めくパールホワイト。


そして何よりも目を引くのは、茶色い皮を加工した腰ベルトに帯刀されている、黒と銀を基調とした鞘に収まった『刀』である。


その凛とした佇まいは、これから嬲り者にされる悲壮感など欠片も感じさせない。それどころか、戦いに挑む高貴なる騎士のような、清廉とした美しさに満ちていた。


その場に居た殆どの者達が顔を赤らめ、ある者は胸の高鳴りを抑えるべく、胸元に手を充て、恍惚とした表情で食い入る様にエレノアのその雄姿を見つめる。


「エ…エレノア嬢…?!」


「おいおいおい…!何なんだあの恰好…。最高か…!!」


「ま…まさかそうくるとは…。ヤバイ。不覚にも撃ち抜かれた…!」


「エレノア…。お前って奴は、やる気満々じゃねーかっ!本当に何考えてんだよ!?…いや、似合ってる…似合ってるけどさぁ!」


あんまりにも意表を突かれたアシュル達に、先程までのシリアスな表情や雰囲気は欠片も見当たらない。思わず正直な心情を吐露しながら、他の者達同様、顔を赤らめ食い入る様にエレノアの姿を見つめている。


――そして、そんな大注目されている当の本人はと言えば…。


『うう…。視線が痛い…。それにしても、なんというデジャヴ…!』


まるで初めてのお茶会の時や、王立学院入学の時のような、人生何度目かのいたたまれない空気感に、内心ひたすら委縮し、汗を流しまくっていたのだった。


とてもじゃないが、周囲を見る余裕がなく、ひたすら目の前のオリヴァーに意識を集中する。


『な、なんか皆、この格好を凝視しているっぽい…。やっぱ、やらかしちゃったかなぁ…。だからいつものジャージで行くって言ったのに…!』


まさか、こんな「どこの宝●だ!?」というようなド派手な戦闘服が仕上がるなんて思ってもみなかったエレノアは、あまりの羞恥に、速攻で着用を拒否した。…したのだが、オリヴァーやクライヴ達のごり押しにより、ジョゼフ達によって無理矢理着させられてしまったのだ。


そして戦闘服姿をお披露目した瞬間、オリヴァー達と使用人達は全員息を飲み、みるみる顔を赤くさせ、うっとりと、蕩けるような熱のこもった眼差しをエレノアへと向けたのだった。(ちなみにウィルは胸を押さえ、床に蹲っていた)


「ああ…エレノア…!僕の女神!なんて美しいんだ!!」


「…くそっ!不覚にも、胸の高鳴りが抑えきれねぇ…!」


「エレノア…!君が僕の婚約者である事を、今ほど女神様に感謝した事はないよ…!!」


「エレノアお嬢様…。大変にお美しいです!!」


「生涯お仕えいたします!!」


「うっわ!最高…!!」


――…等々、そんな感じにバッシュ公爵家一同の大絶賛を受けた挙句、兄様方やセドリックにはキスと抱擁の嵐を受け、脱ぎたい素振りを見せれば、良い笑顔を浮かべた全員に全力で阻止され…今現在に至る。


『まあねぇ…。私の姿を見るなり「やり切った!」って感満載の笑顔で、床に倒れ伏して気絶した整容班の皆の好意と努力を無下にも出来ないし…。でもさぁ、出来ればもうちょっと地味な仕上げにして欲しかったよ!』


クライヴ兄様との怒涛の特訓のせいで、デザイン画をチェックできなかったのが非常に悔やまれる。これ絶対、オリヴァー兄様やセドリックの意見も盛り盛りに入っているよね。…いや、今更なんだけどさ。


でもこの戦闘服。外見はともかく、物凄く軽いし身体に吸い付くようにフィットしている。肘まである黒い皮の手袋も、まるで素肌の様で、その存在を感じさせない。


なんでもオリヴァー兄様の話によれば、服から小物に至るまで、全てのものに防御結界の付与もされているそうなので、刃物も貫通出来ない仕様になっているらしい。勿論、その付与を行ったのはオリヴァー兄様だそうですが。


「顔や頭部も、本当は仮面とフードで覆いたかったんだけど…」


オリヴァー兄様が残念そうに言っていたけど、断念してくれて助かった。だってそれやったら間違いなく、不審人物決定だからね。これ以上変な注目浴びたくないし。


「エレノア・バッシュ公爵令嬢」


その時だった。微妙な空気を断ち切るように、凛とした声がその場に響き渡った。



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マロウ先生、実は『影』の副総帥でした。


そして、まさなの戦闘服でエレノア登場!整容班の想いを全身に受け、羞恥に震えながら登場です!流石の雰囲気クラッシャーですね(笑)

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