第192話 グロリス伯爵家のお茶会―腹を括る―
――ああ…。やはり彼女だ。彼女でなくてはならない!
他と一線を画す美しい婚約者達に傅かれながら、花の様に笑う少女…エレノア・バッシュ公爵令嬢を見ながら、私は確信する。何を犠牲にしてでも、彼女が欲しいと。
アルバ王国最北部に位置し、最も魔物の発生が多いとされるユリアナ領。そこを代々守護してきたのがボスワース辺境伯家である。
隣国との国境を守護する事もあり、当主はより強く、優秀な血を次代に残せる伴侶を得る事が求められている。
だが国の『宝』であり、愛し尊ぶべき存在として大切にされている女性達は皆、広大な領土と高い爵位を有していても、辺境の地に来る事を嫌う。魔物が多く発生する土地とあっては猶更だ。
ましてや魔力の高い貴族の娘の殆どは国の中央に集中していて、華やかな王都から出ようとも思わない。辺境など、単なる田舎と公然と言い切り、見下すのが常だ。
私の母は魔力量がひときわ高い、とある侯爵家の娘であったそうだ。
容姿も非常に美しく、父が是非妻にと切望したのだそうだが、例に漏れず、母は辺境伯である父の求愛を拒否した。
それでも諦めきれなかった父が、せめて我が子をと望み、その結果、父が有する鉱山の権利の一部と引き換えに、母は跡継ぎを産む事を了承し、私が生まれたのだという。
実際、私を育てたのは乳母や父の部下達であり、母の姿を見た事は一度も無い。
成人した後、父に聞いた話によれば、寵愛する恋人を他の貴婦人と奪い合いになり、刃傷沙汰を起こして亡くなったのだそうだ。…父は私に、母の名すら教えなかったが、それは父なりに私を気遣っての事なのだろう。
私が二十歳の時、父は大規模な
それを境に、領内の貴族や利に聡い中央貴族達が、次々と私に娘との縁組を申し出てきたが、元々私自身が色事に対し淡白であった事に加え、父と母との事情もあって、女性に対して思い入れも無かった事から、特定の相手を定めぬまま、領地を魔物から守る日々を送っていた。
勿論、当主の義務として、いずれは次代を継ぐ子を作るつもりではいたが…。
バッシュ公爵夫人であるマリアと知り合ったのは、彼女が保養で訪れた領内の温泉施設での事だった。
『社交界の華』『淑女の鑑』と、もてはやされていた彼女は、恋多き華やかな女性だった。
だが会えばまず、真っ先に男を値踏みしようとする女性達と違い、彼女は真っすぐに私を見て、打算計算関係なく自分自身の言葉でもって、私と対峙した。
そんな彼女に興味が湧き、私は彼女の新たなる『恋人』として、彼女と付き合う事となったのだった。
腹心や部下達は、「ようやっと主君に春が!」と喜んだが、彼女は歴史あるバッシュ公爵家のれっきとした正妻であり、正夫はバッシュ公爵家当主、アイザック・バッシュただ一人と定め、他の夫達や恋人達としっかり線引きをしていた。
そういう所も彼女を気に入った点だが、彼女が我がボスワース家へ輿入れする事は、まずもって不可能だろう。だがそれでも私は構わなかった。
魔力もあり、血筋もしっかりとしている。何よりあの優秀な息子達を生んだ女性だ。きっと私にも、この上なき優秀な次代を授けてくれるに違いないだろうから…。
王家からの要請で、地方の有力貴族達が中央に一堂に会する。
どうやら東の大陸の覇者たる獣人族達が、人族国家への介入と制圧を目論み、その先駆けとして我がアルバ王国への侵略を決め、動き出したとの事だった。
それゆえ、我々には「地方の守りを強化せよ」との王家からの勅命が下った。加えて我がボスワース辺境伯家には、隣国に隙を与えぬようにとのお言葉を頂いた。
我が領土と境界を有する隣国は、アルバ王国に国力は及ばずとも、血の気の多い輩が大勢いる。それらがこの機に乗じ、騒ぎを起こさせないとも限らない。
獣人達も含めた亜人種達の無知や奢りと同様、人族国家の中でも、己の分を弁えぬ愚かな国はそれなりに存在するのだ。
そんな中、ある信じられない情報が腹心によって私の元へともたらされた。
それは私の現在の恋人であるマリアの娘が、獣人の姫達と決闘を行う…という、ある意味正気を疑うものだった。
我ら男が守るべき、かけがえのない存在であるべき筈の女性が、あろう事か決闘を行うなどと…。彼女の親は、婚約者達は一体何をしているのか。いや、そもそも王家が何故、このような暴挙を認めたのか。まさかとは思うが、その少女を犠牲にし、此度の騒動に終止符を打つつもりなのか?
そのような疑問が次々と湧いて来るが、大切な恋人の一人娘の危機を見過ごす事も出来ず、緘口令が敷かれる中、いざとなれば介入するつもりで、決闘の場である王立学院へと赴き…。私は『彼女』を目にしてしまったのだった。
まるで騎士のごとき、凛とした態度。見慣れぬ剣技や武術を駆使し、戦う姿は美しく、痺れる様な感動と共に、魂までもが魅了された。
部下に指示し、彼女…エレノア・バッシュ公爵令嬢の事を徹底的に調べさせた結果、彼女は既に王家直系達の心をも掴んでおり、非公式にだが『公妃』として望まれている事を知った。
そして彼女の婚約者達も、彼女を心の底から愛しており、特に若手貴族の筆頭とも言われている、オリヴァー・クロス伯爵令息の溺愛は凄まじく、影で『万年番狂い』とも称されている程であるという。
そんな中、もし私が求愛をしても、彼女をボスワース辺境伯家の正妻にする事は不可能だろう。むしろ婚約者となるのですら難しいに違いない。…元々私は、彼女の母親の恋人であるのだから。
――どう考えても彼女と共に歩む未来は私には無い。…そう思い、一度は諦めようとした。
だが、一目でも間近で彼女に会ってみたいという欲求に抗えず、娘の快気祝いに行くというマリアについて、バッシュ公爵家へと訪れた時…。私に向かって微笑んでくれた彼女を見た瞬間、電流を浴びたかのように身体が、心が震えた。
何故この得難い至宝を、一瞬でも諦めようなどと思ってしまったのだろうか。何を置いても、何を犠牲にしてでも…彼女が欲しい…!
それは高潔なる天使の羽を千切り、地へと堕とす行為に他ならない。だがそれでも…私は…。
『ブラン。どうやら失敗しそうだね。アレ』
気配も無く、脳裏に突然、聞き慣れた声が響き渡る。
「…ケイレブ…」
『バッシュ公爵家の連中は妨害するだろうけど、割と穏便に片がつきそうな方法だと思ったんだけどね。それにしてもあの子、面白い子だねぇ。まさか、ああくるとは!この僕でも想像出来なかったよ!』
目論みが失敗しそうだというのに、その声音はただただ愉快そうだ。
「…そうだな。出来れば穏便に彼女を手に入れられれば…と思っていたのだが。全くエレノア嬢は底が知れない」
『まあでも、あの面子を相手に穏便にって、そもそも無理があると思うけどね。王家も絡んでいるんだし』
「そうだな…。では、腹を括るか」
そう静かに呟くと、ブランシュは凭れていた木から身体を離し、エレノア達の元へと歩き出そうとする。――が、その動きは、背後から首元にあてられた刀剣により阻まれる事となった。
「…グラント将軍。私に対し、随分なご挨拶だな」
「生憎と、お育ちが悪くてね。…何をしようとしている?ブランシュ・ボスワース辺境伯」
普段と違い、鋭い刃の様な表情を浮かべ、首元に刀を押し付けて来るグラントに対し、ブランシュは落ち着き払った態度を変える事なく、ゆっくりと瞼を閉じると、静かに口を開いた。
「エレノア・バッシュ公爵令嬢…。まさに『姫騎士』の称号を得るのに相応しい女性だ。このアルバ王国の男であれば、誰でも欲しくなる…。そうは思わないか?」
「貴様の目的…まさか!!」
途端、ズン…と、物凄い圧が全身にかかり、空間そのものに紅い靄がかかった。
「――ッ!」
ほんの一瞬、行動が制御されたその隙を逃さず、ブランシュがグラントの腕から離れ、間合いを取る。
咄嗟に身構えたグラントは、ブランシュと目を合わせるなり、驚愕に目を見開く。
何故ならブランシュの濃紺だった瞳は金色の光彩を放ち、まるで人型の魔獣か爬虫類の様に、瞳孔が縦に割れていたのだ。
『魔眼!?』
咄嗟に目を逸らそうとするも、それを許さぬとばかりにブランシュの瞳がギラリと妖しく光り、更なる圧がグラントを襲い、地面に足がめり込んだ。
「へぇ~!普通だったら気絶するのに、未だに構えを崩さないって、凄いよねぇ!流石は『ドラゴン殺しの英雄』グラント・オルセンだ!」
感心したように、ブランシュの背後から音もなく現れたのは、緑色の髪と目をした、見た目15~6歳程の、小柄な美少年だった。
だが纏う雰囲気も、狡猾そうな色を湛えるその瞳も、その者が見た目通りの少年ではない事を物語っていた。
「…やはり貴様がいたか…。『ユリアナの饗乱』総大将。ケイレブ・ミラー!」
「あれ?僕の存在バレてた?…それはちょっと不味い状況だな。早めにケリをつけるとしようか。ブラン。そいつの足止め宜しく!」
そう言うなり、ケイレブは目にも止まらぬ速さでその場を後にする。グラントは一瞬で彼が目指す先を悟り、声を張り上げた。
「メルヴィルー!!避けろ!!」
その一瞬後、鮮血と悲鳴が上がった。
=================
オリヴァー兄様が言っていた「要らぬものをゆり起こす」という台詞が、現実に起こってしまったようです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます