第28話 決着と魔力切れ

時間は少しだけ遡る。


『ど…どうすれば…』


ディーとヒューに守られながら、エレノアは目の前で自分達を攻撃しているクリスタルドラゴンを、成す術もなく見つめていた。


オリヴァーやクライヴに魔獣達から守られていた時と同じ状況。いや、多分だが、状況は今現在の方がより最悪だ。


なにせ、全力で魔獣を殲滅するのとは違い、ディーもヒューも防戦一辺倒になっているのだから。


この二人の実力は、この短い期間でも散々目にしている。


ディーの強さは言うに及ばずだが、ヒューに至っては、ひょっとしたらクライヴよりも強いのではないかとさえ感じる。そう、『隙』というものが全く無いのだ。それは、クライヴの父であるグラントと手合わせした時に感じたものとよく似ている。


恐らくだが、ディーがこの場に居なくても、今迄の敵を全て瞬殺する事さえ可能だったのではないか…とエレノアは推測していた。


その二人が防戦一辺倒に徹していると言うこと。それはすなわち、クリスタルドラゴンを助けようとしているからに他ならない。


『でも、このままではいずれ魔力が尽きてしまう!』


そうすればこちらの命が危なくなってしまう。だが多分、彼らはそうなる前に防御ではなく攻撃に転じる筈だ。


そうしたら、この子の目の前でクリスタルドラゴンが傷付く事になってしまう。いや、下手すれば命を落としてしまう可能性だってあるのだ。


エレノアは、悲しそうな声で鳴いている子ドラゴンをギュッと抱き締めた。

何か、私でも役に立てる事があれば…!


『お前の『大地の魔力』をこの地に注げ』


ふいに、脳裏に穏やかで豊かな『声』が響いた。


――私の魔力を、大地に注ぐ?


『そうだ。なるべく深く、強く力を注げ。さすればその力、私が増幅してやろう』


誰なのか…なんて、この際どうだっていい。


私に出来ることがあって、それがこの場の誰もが傷付かない結果に繋がる…と言うのであれば、言われた事を全力で行うのみだ。


「でも、なるべく深くって、どうすれば…」


ふと、自分が手にしている刀に目がいく。


――そうだ…これを使って!


エレノアは目を瞑り、刀にかざした手に全力で魔力を集中させる。


『まだ、私は一度もこれ・・を成功させていないけど…でも、今回だけでも…お願い!』


身体から、奔流のように魔力が流れて出ていくのを感じる。

それと同時に、身体の力がどんどん抜けていく感覚にたまらず目を見開くと、そこには金色に輝く自分の刀の姿があった。


『で…できた…?』


初めての成功に喜びを感じる間もなく、エレノアはふらつく身体に渇を入れ、刀を振りかぶった。


「お願い…どうか!」


そうして渾身の力を込め、振り下ろした刀は、深く大地へと突き刺さったのだった。





「こ…れは…?!」


エレノアが大地に突き刺した刀から、金色の光が一面に広がっていく。

そうして光る大地から次々と植物の芽が生えてゆくと、それはやがて蔓となり、クリスタルドラゴンの身体に次々と絡み付いていった。


やがて蔓がクリスタルドラゴンの全身に絡みつくと、みるみるうちに太く硬い枝へと成長し、完全にクリスタルドラゴンの動きを封じる樹木の檻へと姿を変えた。


「今のうちに…はやく…!」


そのあまりにも非現実的な光景に呆然としていたディランの耳に、エレノアの声が届く。


「――ッ!ヒュー、今だ!鎖を排除するぞ!」


「はっ!」


ディランの声に、同じく我に返ったヒューが頷く。そして、今や太い木々に絡めとられて身動き一つ取れないクリスタルドラゴンへと駆け寄ると、鎖に手をかざした。


「『風化』」


鎖に『風』の魔力が注がれる。


言葉の通り、クリスタルドラゴンの身体に巻き付いていた鎖は、ボロボロと崩れ落ちていった。


「キューィ!」


子ドラゴンが鳴き声を上げながら、クリスタルドラゴンの元へと駆け寄っていく。それに呼応するかのように、クリスタルドラゴンは静かな鳴き声を上げた。


すると、クリスタルドラゴンを覆っていた木の檻が次々とほどけていく。それらは逆行するように蔓となり、芽となって、大地へと還っていった。


――まるで、何事も無かったかのように元に戻った空間。


自分のすぐ傍にいるディランとヒューを攻撃するでもなく、クリスタルドラゴンは自分にすり寄る子ドラゴンの身体を愛しげに舐めてやっていた。


「…まさか、こんな結末を迎えようとはな…」


ディランが掠れた声で呟く。


自分達かクリスタルドラゴン。どちらかが傷付くのは避けられないと、半ば覚悟を決めていたというのに…。結果はクリスタルドラゴンも自分達も、全員無事に事態は収拾された。他ならぬ、小さな少女の『土』の魔力をもってして。


…いや、本当にあの力は『土』の力なのだろうか。何かもっと別の…。


「エル、お前って奴は本当に大した…エル?」


その時、ディランはエレノアの様子がおかしい事に気が付いた。身体をゆらゆらとふらつかせ、半分伏せられた瞳には光がない。


まさか、この症状は。


「魔力切れか!くそっ!」


そうだ。こんな幼い少女があんな大規模な力を使ったのだ。魔力切れを起こさない筈がない。


「待ってろ、直ぐに魔力供給を…」


ディランが慌ててエレノアの身体を支え、抱き上げようとしたその時だった。


「――!?なんだ?」


自分達の周囲を囲むように、蒼白く光るキノコが次々と生えていく。


「ディラン殿下!」


慌ててヒューが、ディランの身体をキノコの輪の外へと連れ出す。が、不幸にもその衝撃で、エレノアだけが輪の中へと取り残されてしまった。


「エル!ヒュー、離せ!エルがまだあの中に!」


「なりません、殿下!あれは妖精の輪フェアリーリングです!」


妖精の輪フェアリーリング!?…ッ!エル!」


地面に倒れているエレノアの身体が、妖精の輪フェアリーリングから消えていく。


「エルー!!」


エレノアの身体が完全に消え去り、ディランの悲鳴にも似た絶叫がその場に響き渡ったのだった。





◇◇◇◇





「貴様!殺されたいか!?さっさと吐け!エレノアの居る場所だよ!あの子は今、どこにいるんだ!?」


「ぐあぁっ!まっ…ゆ、許して…!」


夥しい魔物の残骸が散乱する中、クライヴの怒声が周囲に響き渡る。それと同時に殴られ、悲鳴を上げる男の声が響く。


妖精の輪フェアリーリングから次々と湧いて出て来ていた魔獣達。それがエレノアが消えた後、激減したかと思うと、何故か一人の男が転げ出て来たのだ。


訳も分からず、未だ残る魔獣を倒していきながら、何とか男を保護する。


そしてようやく最後の一匹を仕留め終わった後、怯えて震える男から話を聞こうとしたその時だった。


「ち、違う!これを計画したのは、俺じゃない!」


そう男が叫んだ事で、この男が一連の騒動を引き起こした元凶、もしくはそれに連なる者である事を、クライヴ達は一瞬で理解したのだった。


「クライヴ様!その辺でもう!これ以上痛めつければ、死んでしまいます!」


ルーベンがクライヴを制止する。その言葉の通り、男は先程からの拷問に近い尋問に、息も絶え絶えになっていた。


ルーベンとて、忠誠を誓ったエレノアの安否が気掛かりだし、男を八つ裂きにしてやりたい気持ちはクライヴと一緒だ。


だがこの男は、エレノアを探し出す為の唯一の手掛かりなのだ。エレノアを無事に取り戻すまで、死なせる訳にはいかない。


「ルーベン…ッ!だが…!」


「…僕のせいだ…」


ポツリ…と漏らされた言葉に、男を再び殴ろうとしたクライヴの動きが止まった。


「僕が…あの時、あの子を止められなかったから…。エレノアを…守ってやれなかった…!あの子のすぐ傍にいたのは、この僕だったのに!!」


「違う!オリヴァー、お前の所為じゃない!あんな事態、想定なんて出来る筈もないだろう!?」


クライヴは男を乱暴に放ると、呆然としているオリヴァーの元に駆け寄り、その肩を掴んで揺すった。


「でもクライヴ!あの魔獣達は、僕を殺す為に送り込まれたんだ!元を正せば僕の巻き添えで…君達を…そして、エレノアを…こんな目に…!」


「オリヴァー!」


あの男が吐いた事。それは、他のダンジョンからダンジョン妖精を使い、魔獣を送り込んだという事実。

そしてそれは信じられない事に、このオリヴァーを殺害せんとし、行われたのだというのだ。


『まさか、エレノア付きだったあの下級貴族の次男。あいつが黒幕だったとは…』


エレノアに選民意識を植え付け、バッシュ侯爵邸から追い出された男。


あの男は、エレノアを自分だけの運命の恋人だと密かに信じていた。

だから言葉巧みにエレノアに取り入り、他の男に目を向けさせぬよう、選民意識を徹底的に刷り込ませたのだ。


最終的には自分がエレノアの伴侶に収まろうと画策していたのだろうが、そんな男の企みを見破り、バッシュ侯爵へと進言したのがオリヴァーだった。


男はバッシュ侯爵の怒りを買い、制裁を加えられた。挙句、己の魔力を封印されるという罰を与えられ、放逐されたのだという。


男にとって幸運だったのは、実家から廃嫡されなかった事だろう。バッシュ侯爵も「あくまでその男個人が仕出かした事」だと、彼の実家に対しては、これといった抗議も制裁も加えていなかった。それが今回、仇となってしまったのだ。


『あの時…あの男の生家もろとも徹底的に潰してさえいれば、こんな事にはならなかったのかもしれない…』


あの男はどうやら自分が貴族である事を利用し、よからぬ組織と手を組んで悪事を行っていたようだ。そして自分から貴族の誇りである魔力と、伴侶となる筈だったエレノアを奪ったオリヴァーを逆恨みし、復讐するチャンスを伺っていたのだという。


そして、機会は廻って来た。

そう、今回のダンジョン視察である。


どういう経緯かは知らないが、ダンジョン内で生まれ、強力な力を有するとされる『ダンジョン妖精』を手に入れていた男は、自分達が視察するとされるダンジョンにあらかじめ侵入し、そこにダンジョン妖精を放って『道』を作らせたのだった。


最初はその『道』を使い、オリヴァーを自分達のいる場所へと引きずり出し、嬲り殺しにする予定だったという。だが、エレノアに『道』たる妖精の輪フェアリーリングを見破られ。急遽魔獣を送り込んだのだそうだ。


あの男と入れ替わるように、新たに出現した妖精の輪フェアリーリングに入り、消えたというエレノア。


エレノアは消える前、オリヴァーに「魔獣が出て来る場所に行って、妖精の輪フェアリーリングを壊して来ます」と言ったらしい。


そして実際魔獣の数は減り、あの男が出現してから妖精の輪フェアリーリングは消滅した。つまり、宣言した通りエレノアが何とかしてくれたのだろう。


だが妖精の輪フェアリーリングを崩した後、エレノアは…あの子はどうなった?


オリヴァー1人を殺す為、このような暴挙に出た奴らが待ち構えている場所に単身飛び込んでいって、無事で済む筈がない。下手をすれば、殺されてしまっている可能性すらある。


オリヴァーに対する切り札として温存されている可能性もあるが、その場合でも恐らくは、無傷ではいられないだろう。


しかも、あの子が『エレノア』だと露見したら…今頃どんな目に遭っているのか、想像すらしたくない。


あんな小さな妹に、そんな残酷な負担を強いてしまった己の不甲斐なさが許せない。


そしてそれは、オリヴァーの方こそが強く感じている筈だ。エレノアの身に何かあったとしたら、こいつはきっと、自分自身を許そうとしないだろう。下手をすれば、命を断つ事すら…。


「ク…クライヴ様ッ!!」


ウィルの悲鳴のような叫び声に、オリヴァー共々振り返る。


「ウィル!?どうした!まさかまた魔獣が…」


「ち、違います!…ですが、あれを…!」


ウィルが指し示した場所に目を向ける。すると、その場所からは青白い光が浮かび上がっており、円陣を組むように、光るキノコが次々と生えていく。


「あれは…妖精の輪フェアリーリング!?」


――まさかと思うが、また魔獣を送り込んで来たというのか?!


咄嗟に、その場の全員が臨戦態勢を取る。


全員が固唾を飲んで見守る中、完成した妖精の輪フェアリーリングが更に強い光を放ち、何かがその中から浮かび上がってくるのが見えた。


「な…っ!ま、まさか…!?」


やがて、光が消えたその場所には、ぐったりと倒れ込んでいるエレノアの姿があったのだった。


「エレノアッ!!」


名を叫び、オリヴァー共々エレノアの元へと駆け寄り、その小さな身体を抱き上げる。

ざっと見た感じ、怪我をしている様子は見られずホッとするが、二人はすぐにエレノアの異変に気が付いた。


「…エレノア?おい、エレノア!?目を覚ませ!」


どんなに声をかけても揺さぶっても、エレノアは一向に目を開こうとしない。それどころか、健康的なバラ色の頬は色味を失い、紙のように真っ白になっている。


呼吸も浅く、気配すらも儚げになっているその姿に、エレノアの状況を理解したオリヴァーの顔が青褪めた。


「クライヴ!エレノアは魔力切れを起こしている!」


「何だと!?オリヴァー、それは本当か!?」


「ああ、以前エレノアは全く同じ症状になった事があって…。だけど、今の状態はあの時よりも危険だ。急いで治療しなくては!ウィル!お前の『土』の力をエレノアに!」


「は、はいっ!!」


オリヴァーが、羽織っていたローブを脱いで地面に敷くと、クライヴはその上にエレノアをそっと寝かせた。


「お嬢様、失礼致します!」


そう囁くと、ウィルはくったりと力を失ったエレノアの手を取り、自らの中にある『土』の魔力を全力で注ぎ始めた。


「ルーベン!お前は外の騎士達の元に向かい、クロス家に連絡を入れろ!大至急『土』の魔力を持っている『あの子』を呼び寄せるように手配するんだ!同時に王都にいるバッシュ侯爵様と、我が父にも連絡を!だが、外にいる部外者の誰にも、ここで起こった事態を悟らせるな!」


「はっ!」


「ダニエル!ウィルの応急処置が終わったら、我々は急ぎここを出る!だが、本来泊まる予定だった宿に行くのは危険だ。急ぎ別の宿を手配しろ!それが終わったら、直ちに出立する!その準備も同時に行え!」


「はいっ!」


全ての者に指示を出し終えると、オリヴァーはウィルの治療を受けているエレノアの傍に跪いた。


「お帰り、エレノア。…そして、本当に有難う。疲れただろう?今は、何も考えずにゆっくりお休み。…大丈夫だ。君は絶対に死なせない。…僕の命に代えても!」


そう呟くと、オリヴァーは固く目を閉じたままのエレノアの頬を壊れ物を扱うように、そっと優しく撫でたのだった。

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