第29話 ファーストキス?いえ、人工呼吸です

『おい、起きろ小娘』


「ふぇ…?」


深くて静かで…ちょっと偉そうな声に意識を揺さぶられ、私はパチリと目を開けた。


――真っ白だ。


何故か私の周りは前後左右360度、真っ白い空間が広がっている。あれ?これ、夢かな?


そんな事を思いながらキョロキョロと周囲を見回してみる。


――あれ?いつの間に!?


なんと、さっき見た時は誰も居なかった筈の空間に、いつの間にか一人の男性が立っていたのだった。


オリヴァー兄様ばりに麗しい美貌。瞳の色はまるで、木漏れ日が差し込む木々の緑のように鮮やかに煌めいている。


そして、地面に着く程に長くてサラサラな髪も瞳と同じ色をしており、華奢な真白い身体には、絹のように白いガウンのようなものを羽織っていた。


…あれ?男性…で合ってるよね?いや…ひょっとしたら女性?


『おい、いつまで私に見惚れているのだ。それと強いて言うなら、私は男性だ』


――み、見惚れていた訳じゃ…って、考え読まれた!?何で?!


『ここはお前の精神世界だからな。考えを読むなど容易いことだ』


――いや、私の精神世界に入った挙げ句、考え読まないで下さいよ。…って、え?精神世界?


そこで唐突に、私は今までの事を思い出した。


兄様達を助ける為に妖精の輪フェアリーリングに飛び込んで、別のダンジョンに来た事。ディーさんやヒューさんと出逢って犯人達をやっつけて…そして、クリスタルドラゴンに襲われて…。


「ひょっとして、あの時私に話しかけてきたのは貴方?」


『そうだ。私の指示通りによく動いたな。…だが、気前よく魔力を放出し過ぎだ。お陰でお前は今、魔力切れを起こして死にかけておるのだぞ』


「ま、魔力切れ!?マジですか?」


『マジ…とは?まあ、そういった訳でお前は今、相当弱っている。だからこそこうして、精神世界に容易く入り込めたという訳なのだがな』


「はぁ…。所で、貴方は誰なんですか?」


『そうか、お前は私の本当の姿を見た事が無かったな。私はお前達人間が『ダンジョン妖精』とか呼んでいる存在だ』


「ダンジョン…妖精…?」


――そう言えば、なんかディーさんがそんな名前を口にしていたような…。ん?待てよ?妖精…って事は…!


「貴方、あのミノムシ妖精!?」


途端、ダンジョン妖精とやらの美しい眉がピクリと吊り上がった。


『その名で呼ぶなと、何回言えば分かるんだ!…まあ、あの時の私の姿は、力の大半を奪われた状態だったからな。あのみすぼらしい成りでは、お前が分からぬのも仕方がないが…』


「そりゃ、そこまで変わってたらねぇ…。へぇ~!それが貴方の本当の姿なんだね!」


あの姿で『いと高き』とか『高貴な』とか言われても、こいつ何言ってんだって鼻で笑うレべルだったけど、この姿だったら確かに納得。本当に妖精の名にふさわしい美しさだ。


でもこの妖精、なんで私の精神世界なんかにやって来たんだろう。…はっ!まさか、私に散々ミノムシって言われた事を根に持って、復讐にやって来たのか?

今現在の私、物凄く弱っているみたいだから、まさかとは思うが止めを差しに…!?


『違う!わざわざ小娘なんぞを殺しにくるか!…私は…だな、その…。礼を言いに来たんだ』


「お礼?なんの?」


『…まあ、色々だ』


「はあ…」


――そんな色々、お礼言われるような事あったかな?クリスタルドラゴンの時には力を貸してくれたみたいだし、寧ろこっちがお礼を言わなければいけないのでは?


『…『人間の女』という生き物は、傲慢で強欲で自分勝手だと聞いていたが…。お前を見る限り、あまりそのような存在には思えんな』


「あー…うん、まぁ…。私は変わってるって、よく言われるから…」


あの野生の王国を見た後では、あながち「それ、違います」とは言い辛い。


しかしこの妖精…どこでその女性観を聞いたのかが気になる。まさか仲間の妖精達から?…え?ダンジョンに来る冒険者らの噂を総合したと。世の男性諸君…何気に溜まってるんだね。


『私は借りを作るのは嫌いだ。特に人間などにはな。だから、この場でお前の放った『力』を少しだけ返してやろう。…後は、お前の兄達に助けてもらえ』


「え!?兄様達…って…」


『話は以上だ。では、達者でな』


そう言うと、緑色の妖精は私にそっと触れる。


するとその手から、とても温かい何かが身体の中に沁み込んで来るのが分かった。

とても、とても温かくて…思わず眠たくなってしまうような…。


『…また、私に会いたくなったら…そうだな、私の名を呼ぶがいい。…その時は、沢山果物を用意するのを忘れるな』


――…どんだけ果物好きなのか。あいつらに捕まったの、果物が原因だってのに、本当にぶれないよね。


『私の名は…』


妖精の声を遠くで聞きながら、私は抗い切れない眠気に身を委ねた。





◇◇◇◇





トクン…トクン…。


何かが…温かい何かが、身体の中に流れ込んでくる。


――気持ちいい…。


ソレが徐々に全身にゆっくりと染み込んでいき、身体がとても温かく、気持ちよくなっていく。まるで、冷えた身体が温かな毛布で包まれていくような…。


『…あれ…?』


意識が緩やかに覚醒していくのと同時に、その温かい何かが流れ込んでくる場所が、己の唇だという事が分かってくる。それに、何か柔らかい感触が…。


パチリと目を見開く。


――あれ?何か暗い…。夜…なの?


パチパチと、何度か瞬きを繰り返す。


――…へ?


やがて、エレノアはとある事実に気が付いた。


暗いのは夜なのではなく、誰かの顔がドアップで自分に迫っていたからだという事を。

…そして厳密に言えば…。今自分は、誰かと唇と唇を合わせている状態…つまりは『口付け』をしているのだという事を。


「――あ!良かった。気がつかれましたか?」


エレノアの目が大きく見開かれていた事に気が付き、その人物は慌ててエレノアから顔を離すと、優しく微笑んだ。


年の頃は、自分とそう変りが無いように思う。


ほっそりとした身体。落ち着いた雰囲気に、深い茶色い瞳。髪は少しだけ癖っ気で、瞳と同じ深みのある茶色をしている。


優し気な顔はとても整っていて…。そして、まごう事無き…しっかりとした…少年だった!


「…ひ…」


「エレノア様?」


「ひゃああああぁっ!」


『わ…私のファースト・キスが…!』


口と心の中、同時に悲鳴を上げたエレノアにビックリし、少年が立ち上がる。と同時に、部屋の扉が慌ただしく開け放たれた。


「エレノアッ!」


「お前…気が付いたのか!?」


血相を変えて駆け寄って来たのは、顔や体のあちこちに包帯や湿布を施され、ボロボロ状態のオリヴァー兄様とクライヴ兄様だった。


「オリヴァー…兄様。クライヴ…兄様…」


二人の顔を見た瞬間、エレノアの胸に鋭い痛みと、とてつもない安堵が押し寄せ、それは廻り廻って涙腺を決壊させた。


「に…っ…にい…さま…。よかった…!生きてたぁ…!」


目から大粒の涙をポロポロと流し、しゃくりあげるエレノアを、オリヴァーがきつく抱き締めた。


「ああ、生きているよ。君のお陰でね。…エレノア…僕のエレノア…!無事で…本当に…良かった…っ!!」


オリヴァーの声が、身体が震えているのを、抱き締められている身体越しから伝わってくる


魔獣がいきなり襲撃して来て、挙句に私が妖精の輪フェアリーリングの中に入って消えてしまったのだ。この優しい人がどれ程心配し、どれ程自分を責めただろう。


それにしても、どうして私はこうして兄様達の元に帰れたのか。そして、何故正体不明の美少年と…キ…キ…キスをしていたのか…。色々とよく分からない事が多いけど、こうして無事に戻る事が出来て、本当に良かった。


頭にポンと優しく手を乗せられたのを感じ、顔を上げるとクライヴ兄様が自分を見つめていた。


その顔は嬉しそうで…それでいて泣き出しそうで。この兄がどれだけ自分を心配してくれていたのかが手に取るように分かってしまって、ちょっと収まりかかっていた涙が再び溢れ出てきてしまう。


「クライヴ…にいさま…。ごめん…なさい…」


「全くだ!お前って奴は、どんだけ心配させるんだよ?!元気になったらお仕置きだからな!?」


そんな言葉とは裏腹に、優しい口付けが髪に落とされる。ああ…クライヴ兄様のいつもの癖。それがこんなにも嬉しくて幸せで…。


改めて今、自分が無事に兄達と再会出来た事を、エレノアは心の底から感謝した。






「さて、エレノア。紹介しておこうか。この子はセドリック。僕の母親違いの弟だよ」


「セドリック・クロスです。エレノア様。お目にかかれて光栄です」


オリヴァーに紹介され、少年…セドリックは、優しく笑いながら頭を下げた。


「あ、あの…は、初めまして。エレノア・バッシュです。こ、このような格好で…失礼致します」


それに対してエレノアは、恥ずかしくてまともに少年の顔を見る事が出来ず、モジモジしてしまっている。


なんせ、初対面でいきなりキスされてしまったのだから。しかも、オリヴァー兄様やクライヴ兄様には見劣りするとはいえ、十分美少年と呼べるレベルなのだ。


そんな少年と…キス…。いかん、顔から火を噴きそうだ。魔力切れの影響からか、幸い鼻血は出なさそうだけども。


「エレノア。君が僕達の目の前に現れた時、極度の魔力切れを起こしていたんだよ。だから急いでクロス子爵家本邸からセドリックに来てもらったんだ。彼の魔力は君と同じ『土』だったからね」


なんでもオリヴァー兄様曰く、軽度の魔力切れなら属性は違っても、身内であれば魔力譲渡をするのは可能だそうなのだ。


けれど、私みたいに魔力がほぼ空っぽ状態になってしまった場合、別属性の魔力を入れてしまうと却って身体に負担がかかってしまい、下手をすれば拒絶反応から即死する可能性があったのだそうだ。


「ウィルも『土』の魔力持ちだとはいえ、『風』の魔力の方が主だからね。あくまで応急処置にしかならなかったんだ。…それで、セドリックを待っている間に君の呼吸が止まってしまって…。本当に、危険な状態だったんだ。幸いその時、何故か魔力量が少しだけ持ち直してね。それで保たせる事が出来たんだよ」


そこでふと、あの夢の事を思い出した。


――そうか…。それって、あの妖精が力を貸してくれたんだな。


聞けば、私は突然現れた妖精の輪フェアリーリングから出て来たらしい。それもあの妖精が、妖精の輪フェアリーリングを使って兄様達の元に戻してくれたのだろう。もしまた再び会う機会があったとしたら、あの妖精の大好物である果物、沢山お供えしなくちゃな。


「あ…それで…セ、セドリック…様…。その…あの…」


モジモジしながら、エレノアは意を決したようにセドリックに声をかける。


「はい?」


「ま、魔力…供給…ですが…。な、なぜ…く…唇…から…その…」


いかん。メチャクチャ恥ずかしい。もう全身、ユデダコみたいに真っ赤であろう。


セドリックは「ああ…」と合点がいったように呟き、ニッコリと笑った。


「はい。緊急性が高いと判断しましたので、直接体内に魔力を入れさせて頂きました。御不快に思われたのなら、申し訳ありません」


「い、いえ!それは違います!た、助けて頂いて、感謝しております!…あの…。不快…だったのではなく…その…。は…初めて…だったもので…お…驚いて…しまって…」


「…はい?何が初めてだったのですか?」


――こ、この少年…!恥ずかしさを押し殺しての必死のカミングアウトだったってのに!無邪気な顔して、そこ聞き返すか!?


「だ…だ…だから…っ!く、唇に…そのっ!」


「ああ。口付けですか。…え…?はじ…めて…?」


シュンシュンと湯気を立てながら、エレノアが小さく頷く。


その様子を呆然と見つめた後、セドリックは慌ててオリヴァーとクライヴを振り返る。すると二人とも、微妙な顔で目を逸らした。


「え?兄上…え…?!」


再びエレノアの方を見つめたセドリックの顏は、エレノアと同じく真っ赤に染まっていたのだった。

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