第396話 確かに在った感情

「それではまた、こちらに伺いますね」


「ああ。待っているよ」


そう言うと、アシュル様は満面の笑みで両手を広げる。

その意図を察した私は、ちょっとソワソワした後、遠慮がちにアシュル様の腕の中にポフッと身を預けた。


「愛しているよ。僕の最愛……」


そんな私の身体を優しく抱き締め、蕩けるような甘い口調で耳元に……ひぃえっ!そそそ……そんな甘々ボイス、耳元で囁かないで下さいー!!


「ふふっ、さっき食べた苺みたいに真っ赤だね」


アワアワしている私の顔をそっと上向かせると、アシュル様はオリヴァー兄様ばりの壮絶な美貌をこれでもかとばかりに甘く笑ませ、チュッと唇に軽くキスをする


「~~~~!!!」


プシュー……と、空気の抜けた風船のごとく、ぐんにゃりしてしまった私の背中をポンポンと優しく叩く掌から、じんわりと優しい魔力が沁みてくる。

それに伴い、ぐにゃぐにゃになっていた身体の芯の部分が強制的にシャッキリとしていく。


「さ、これで大丈夫だね。君が僕のせいで歩けなくなっちゃった……なんて事になったら、今度からオリヴァーかクライヴが同伴するか、君が入室禁止になっちゃうからね」


「い、いえいえ、そんな事……」


……ありますね。うん。


「じゃあね、エレノア」


最後は子供に対するように、私の頭をポンポンと軽く叩いてくれたアシュル様にペコリとお辞儀をすると、私は部屋を退出した。


無駄に元気よく、廊下をシャッキシャッキ歩く私を見ながら、お供のウィルが「お嬢様、絶好調ですね!」なんて満面の笑みを浮かべながら言っていたけど……これ、何気にアシュル様の魔力が効いているな。


癒しの魔力、超強力エナジードリンクみたいな、カンフル剤的効果もあったんだね。







エレノアを見送った後、アシュルは背もたれ代わりに幾重にも敷かれたクッションに背を預けた。


「ふふ……。本当に……。その騎士といい、僕を散々こき使ってくれた家令といい、バッシュ公爵家の面々は揃いも揃って不敬だな。……ねえ、君。そう思わないかい?」


独り言のように呟いた瞬間、何の気配も無かった筈の空間に、一人の男が音もなく現れた。


「……王太子殿下。御前失礼致します」


一部の隙も無い執事服に身を包み、優雅な所作で一礼する男……イーサンに対し、アシュルは先程までエレノアに見せていた甘い表情を一変させ、厳格な王族の顏になった。


「報告を、聞かせてもらおう」


「は。既にお聞き及びかと存じますが、王都よりお越しの来賓の皆様方は、早朝出立致しました。手の者からの伝令によれば、順調に王都に向かっているとの事で御座います」


「そうか。君が捕らえた、帝国の魔術師達からの情報の吸い出しは順調か?」


「取り急ぎ、必要な分はほぼ。後に報告書を作成致します」


「ああ。……バッシュ公爵領は、常に他国……特に今は帝国の干渉の最前線に立つ重要地点だからな。使える情報は新鮮なうちに入手するに限る。今後、もし同様の事があれば、王家よりも優先的に情報を入手する事を許可する。好きなようにやってくれ」


「恐悦至極に御座います」


再び頭を下げる家令に、アシュルは鷹揚に頷いた。


その後、今後の帝国がどう動くか……の予測や、オリヴァー達やアイザックを含む王宮の重鎮達との会議内容等、報告が続いた。


「そういえば……」


「うん?どうしたんだい?」


「いえ。此度の襲撃で、唯一行方が分からなくなっていた、フローレンスという娘ですが……やはり、帝国に連れ去られたようですね」


「……そうか。……成程、帝国に……ね」


フィンレーがデヴィンの記憶や情報を吸い上げた時、あの娘の罪が露呈した。


彼女はよりによって、バッシュ公爵家直系の姫であるエレノアの殺害を、自分を愛する前騎士団長に願っていたのだ。


己の魅力を過信し、増長した挙げ句、主家の姫であるエレノアの立場を貶め成り代わろうと画策した。更にはその野心を帝国に利用され、結果、多大なる被害が発生してしまったのだ。


ある意味、この惨劇が起こる切っ掛けとなったに等しい、許されざる存在。


「出来れば、内々に始末したかったが……。まあ、男を手玉に取って己の欲望を叶える事に執着していたようだから、帝国とは相性がいいかもしれないね」


己の欲望の為なら、他を踏みつけにするのを厭わぬ国。それが帝国だ。


無邪気に他人のものを欲しがり、結果、周囲に不幸と混乱をまき散らしたあの娘には、これ以上ない程似合いの国かもしれない。


尤も、いくら重罪を犯した者であっても、今後辿るであろう人生を思えば、決していい気分はしないが。


「……むしろ彼女は、この国で処刑されていた方が幸せだったかもしれないな……」


「御意に。……それと先程、アシュル殿下に言葉とはいえ、不敬を働いたティルロード・バグマンについてなのですが……」


「うん?あの男がどうかしたのかい?」


「はい。実は……」


イーサンの話によると、やはりデヴィンの記憶を吸い出した時に判明した事だそうだが、牧場で九頭大蛇ヒュドラと対峙した際、デヴィンはその戦闘のどさくさに紛れ、エレノアを拉致しようとしていたのだそうだ。


だが、ティルが放った雷撃により、その場の騎士達同様、全身が痺れて身体を動かす事が出来ず、断念せざるを得なかったらしい。


「それは……。ひょっとしてあの男、それを見越してそうなるように行動したのかな?」


「いえ、それは有り得ません。たまたまの偶然が、最大の幸運に繋がっただけかと存じます」


キッパリと否定するイーサンに対し、アシュルは汗を流した。


「……まあ偶然とはいえ、此度の最大の功労者であります。なので躾は口頭注意にとどめる事に致しました」


その口頭注意こそが、ティルにとって一番嫌な罰である事を、イーサンは知ってか知らずか涼しい顔でそう言い放った。


「……そういえば、父上方は知っていたようだけど、この本邸の『影』達は、彼も含めてほぼ全員が、元・帝国人だったそうだね」


「はい。私が帝国に情報収集に潜入した際、拾ってきた者達ばかりです」


その言葉に、アシュルは目の前の家令を静かに見つめた。


希少な『闇』の魔力を自在に操る、『最強の使い手』と陰で謳われるバッシュ公爵領の守護神。


彼によってもたらされる帝国に関する情報は、その殆どが重要性のあるものばかりで、帝国にとっても超一級の危険人物としてマークされているという。

魔力量こそ、フィンレーに遠く及ばないものの、彼が本気を出せば、戦闘能力的には恐らく互角以上の力を発揮するに違いない。


そのイーサンの目を掻い潜り、騎士団に潜入を果たしたデヴィンという男。


恐らく彼は、帝国の血が最も濃く出たうちの一人だったのだろう。

つくづく、『魔眼』の力は、厄介で恐ろしいものであると、まざまざと実感する。


「そうか。彼らは皆、『魔眼』を持たずに生まれたがゆえに、帝国内に居場所を持たない不遇な者達だったと聞いている。……だが、いくら生い立ちが不幸であっても、帝国人である事には変わらない。なのに何故、国の護り手の一人である君が、彼等に手を差し伸べたんだ?」


アシュルの言葉を受け、イーサンは眼鏡のフレームを指で触れた後、静かに話し始めた。


「……人は産まれてくる時、自分で何かを選ぶ事が出来ません。たまたま持っていたもの、持たなかったものの為に、生きる上で差を付けられる。私はそんな在りように、一矢報いたかったのですよ」


その言葉を聞いたアシュルは、ふとフィンレーの事を思い出した。


自分の生まれ持った属性に悩み、苦しみ続けていた弟。


目の前のこの男の属性も弟と同じもの。

ならばこの男も、人知れぬ葛藤や辛酸を、味わってきたのかもしれない。


「……そうか。不躾な事を聞いて済まなかった」


「いいえ。それに、彼等はこちらに連れてくる際、『闇』の力を使って、徹底的に調べあげておりますので、裏切りに関してはまずあり得ません。ご安心下さいませ」


キッパリと言い放った後、再びフレームを指クイするイーサンを見ながら、アシュルはうすら寒いものを感じ、再び汗を流した。


確かにこの男が認めた者であれば、信用性にまず間違いがないに違いない。


「……うん。その事に関しても、信頼しているよ」


「ああ、そういえば。ティルロードは、エレノアお嬢様がいらしてから、アリステア……デヴィンの事を密かに疑っていたようですね。まあ、野生の勘に近かったようですが」


「ほう?ちなみにだが、何でそう思ったんだ?」


「は。『あいつだけ、何かと理由をつけて、お嬢様に騎士の誓いをしていなかったから』だそうで御座います」


「成る程」


確かに、エレノアに心酔する騎士達なら、騎士の誓いはむしろ進んで捧げたい筈だ。

実際、王宮の近衛達など、隙あらばと狙って……いや、それはどうでもいいか。


「あの男は、第四皇子の近衛だったようですから、演技とはいえ、他国の者に忠誠を誓う事は憚られたのでしょう。……いえ、ひょっとしたらあの男なりに、お嬢様に対してけじめを付けていたのかもしれませんが……」


嘘まみれの経歴。架空の人物を演じていた帝国の間者、デヴィン。

そんな彼の中に、エレノアに対しての嘘偽りない好意が確かにあった……と、フィンレーがボソリと口にしていたのだそうだ。


「オリヴァー達は、その事について、なんと?」


「それをお嬢様にお伝えする気はないと」


「……そうだね。僕も同意見だ」


そんな気持ちがあったからといって、何だというのだ。


彼は卑怯な裏切り者で、祖国の為にエレノアを傷付け、拉致しようとした大罪人なのだから。


「これ以上、あの子が気に病む要素は要らないからね」


そう呟いた後、アシュルは小さく溜息をつくと、静かに瞼を閉じた。



===================



「お嬢様!!それは言ってはいけない話で御座います!!」

闇に潜んでいたイーサンの心の叫び……|д゜)


『闇』は諜報活動系にうってつけのい能力なので、帝国に潜入しては、せっさと帝国内を引っ掻き回していたもよう。

特にエレノアと引き剥がされた時は荒れて、相当やんちゃをしていたと思われます((((;゜Д゜))))ガクブル

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