第344話 計略の裏側

扉の向こう側から聞こえてくる、マディナとフローレンスの悲鳴や喚き声が段々と遠ざかっていき、やがて完全に聞こえなくなると、オリヴァーはイーサンの方へと視線を向けた。


「さて。今は微妙な時期だ。彼女らはこのまま事が終わる迄の間、地下牢に留めておくように。先程も言ったが、正式な罰はバッシュ公爵様に委ねるとしよう」


「畏まりました。ですがアイザック様でしたら間違いなく、オリヴァー様の決定を支持される事でしょう」


「ふふ……。それは嬉しいな。という事はイーサン、僕は君のお眼鏡に叶った……という事かな?」


オリヴァーの言葉に、イーサンは恭しく頷いた。


そう。オリヴァーの言う通り、イーサンの中では、この一連の断罪劇はオリヴァーの力量を試す意味合いもあったのだ。


彼の人となりや、力量。エレノアに対する想い等は影を使い、把握している。


幼少期。エレノアが野生に帰ってしまった時も、その原因を即座に掴み、どんなに邪険にされてもひたすらにエレノアを愛し続け、果ては『万年番狂い』の称号まで得るに至った、その献身と盲愛。

まるで自分の分身のようなこの青年に、「この男なら……託せる!」と、ある種の感動を覚えてしまう程だった。


だが、エレノアを溺愛するあまり、その場の最善を見誤る事があってはならない。 

それが結果的に、エレノアの身を危うくする事に繋がりかねないのだ。


だからこそオリヴァーにのみ、ゾラ男爵一家への断罪に関わらせた。その結果は、イーサンを心の底から満足させるものであった。


「はい。オリヴァー様はまさしく、エレノアお嬢様の筆頭婚約者の名に恥じぬお方と感服致しました。これからもどうか、エレノアお嬢様を守り、お導き下さいませ」


そう言うと、イーサンは仕える主君に向けるのと同じ、最敬礼でもってオリヴァーに頭を垂れた。


そうしてから、自分の元妻子が連れて行かれたドアの方を、苦渋の表情を浮かべながら見つめているエルモア・ゾラへと声をかける。


「……エルモア。よくぞ決断しましたね」


イーサンの言葉に、エルモアは自嘲めいた、歪んだ笑みを小さく浮かべながら、深々と頭を下げた。





昨日。エルモアは集積市場の副統括である、ガブリエル・ライトを介し、バッシュ公爵家に連絡を取って来たのだった。


エルモアに対しての慈悲はとうに尽きていた。だからただの謝罪であれば、たとえガブリエル・ライトの必死の口添えがあっても、話を聞こうとはしなかっただろう。


だが彼は、己の不甲斐なさとエレノアへの不敬を詫び、妻子共々どのような罰でも受けるという旨を伝えて来たのだった。


それこそ、先程言った通り、犯罪奴隷に堕とされる事も受け入れると言い切ったのだ。


元々イーサンは、エルモア・ゾラの事を高く評価していた。


商人の特徴である、表と裏を上手く使い分ける器用さは無い代わりに、彼はどこまでも実直で誠実だった。


だからこそ、取引相手との心からの信用と信頼という、商人にとって一番の財産であるそれらを得ながら、コツコツと成果を上げていたのだ。


派手さはない。だが、人の上に立つうえで、最も適した資質を持っている男、それがエルモア・ゾラだった。


時間はかかっただろうが、多分彼は元妻マディナのサポートがなくても、自分一人の力で今の地位にのし上がれていたに違いない。


だからこそアイザックもイーサンも、エルモアが自分自身で過ちに気が付けばと、幾度となく温情を与えていたのだ。


イーサンは、オリヴァーの筆頭婚約者としての力量を試すのと同時に、エルモアに最後の温情を与える事にした。


まず、エルモアを再びバッシュ公爵家に呼び寄せ、そしてやって来た彼に、妻子についての調査記録について纏め上げた報告書を全て読ませた。

その資料の中には、エルモアと娘フローレンスとの、血縁関係についての事実も、余すことなく記載されていたのである。


エルモアの魔力属性は『土』であり、妻のマディナの魔力属性は『火』……だが、娘のフローレンスの魔力属性は『風』。

マディナは祖父が『風』の魔力属性を持っていたとエルモアに話していたそうだが、調べてみれば、それは真っ赤な嘘であった。

それどころか、両親どちらの家系にも該当しない属性である事が判明したのだった。


「そ……そんな……!」


唇を震わせ、掠れた声でそう呟いたエルモアに対し、オリヴァーは淡々とした口調で声をかける。


「君がバッシュ公爵家への忠誠を取るか、愛する者への情を取るか……。見極めさせてもらうよ」


顔面を蒼白にさせたエルモアの顔を、オリヴァーは静かに見つめた。


このアルバ王国の男にとって、『愛する者』とは、自分の命よりも大切にし、守り抜かねばならない存在……。


つまりオリヴァーはエルモアに対し、正道を貫く為に、その「かけがえのない存在」を差し出す事が出来るのか……?と、突き付けたのだった。


更に、オリヴァーはエルモアに対し、フローレンス達には敢えて、「バッシュ公爵家に謝罪に向かう」以外の情報を与えず、バッシュ公爵家に向かわせるように指示した。そうして彼女達の前で、己の決意……爵位返上を口にしろと命じたのだった。





『それにしても、自己中心的な考えを持つ彼女達なら、きっと馬脚を現すに違いないと思ってはいたが……。想像以上に踊ってくれたな……』


帝国がエレノアを狙っている今、エレノアの害悪になりそうな者は、間違いなくあの母娘だ。


最初の内はエルモア共々、彼女達を平民に堕とし、バッシュ公爵領から追放するつもりでいた。

だがそれだけでは、目の届かないところでいつ何時、帝国に接触され、利用されてしまうか分からない。だからこそ、徹底的に彼女達を排除する事にしたのだった。


正直、エルモアが妻の虚言や、娘と血が繋がっていなかった事を知ってなお、彼女らを庇い情を優先する可能性は十分にあった。


だが彼はそうしなかった。


妻子の罪を、彼は確かに背負い償おうとした。だが、ただ背負おうとしたのではなく、彼女らにもしっかりと罪を償わせようとしたのだ。


尤も彼女らは、そのエルモアの優しさや温情を跳ねのけ足で踏みにじり、自分達の罪を自分達の手によって更に重くしてしまったのだが……。


「エルモア。貴方はこれからどうしたいのですか?」


「……許されるのであるなら、この領にて罪を償いたいと思っております」


イーサンの静かな問い掛けに、エルモアは俯いた状態で頭を上げる事無く、静かにそう言い放った。


「……貴方は地位も名誉も……今迄築いてきた全てのものを失うでしょう。このバッシュ公爵領で生きていく事は、貴方にとって辛く厳しいものとなる。それでも貴方は、ここに留まりたいと……そう望むのですか?」


「はい。私はこのバッシュ公爵領の民です。どのような誹謗中傷を受けようと構いません。むしろそれこそを我が贖罪とし、バッシュ公爵領の一市民として、生涯この領とエレノアお嬢様の為に粉骨砕身する覚悟です。……妻と……娘の罪と共に」


迷いなく言い放たれたエルモアの言葉。

それを聞いたオリヴァーは、胸にほろ苦い思いがこみ上げてくるのを感じた。


この男は、自分の子供だと信じていた娘が、自分と血が繋がっていないという事実を知った後でも、妻子を愛する気持ちを揺るがせなかった。……それは、彼女達の罪を己の罪として背負おうとする程に。


もし……もしも、エレノアが『今』のエレノアにならず、初めて出逢った時のままだったら……。そして彼女が、あの母娘のように愚かな選択をしたとしたら。自分はどうしていただろうか。


あの時の自分なら、彼のようにエレノアの罪を我が罪として、徹底的に庇い、守っていたかもしれない。

……いや。むしろ、エレノアに償わせようなどと欠片も思わず、ただ守るだけだったに違いない。


愛する者の為に、どこまでも強く。そして愚かになってしまうのが、アルバ男の性だ。


エレノアへの恋情に狂ってしまったボスワース辺境伯もしかり。そして、愛する娘を諫める事が出来なかったアイザックだとて例外ではない。


彼……エルモアは、最後の最後で踏みとどまったが、愛する者によって愚者にされてしまった。


彼の姿は、このアルバ王国の男達の誰もが成り得る未来の姿なのかもしれない。

そんな歪な負の連鎖を正し、正常で対等な愛情を育んでいかなくては。


そう思えるようになった自分は……いや、自分達は多分、とてつもなく幸運な男であるに違いない。


そんな風に思いを巡らしていた自分に、イーサンが意見を求めるように視線を向けてくる。


それに軽く頷きを返すと、エルモアに向け、言葉を放った。


「分かった。エルモア・ゾラ。君が一人の男として。また商人として、このバッシュ公爵領で生きていく事を、バッシュ公爵であるアイザック様に代わり、このオリヴァー・クロスが認めよう」


その言葉に、エルモアが弾かれたように顔を上げる。


「これからも、このバッシュ公爵領とエレノアの為に、誠心誠意働いていって欲しい。……ゼロからのスタートになるが、そこから君がどう這い上がっていくのか、楽しみにしているよ」


穏やかな表情と口調で言い放たれ、エルモアの顔がくしゃりと歪んだ。


「――……ッ……!か……感謝……致します……!」


再び膝を折り、深々と頭を垂れたエルモアの瞳からは、ポタリポタリと雫が零れ落ち、床に染みを作っていった。



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オリヴァー兄様。過去の自分や、元辺境伯の姿をエルモアさんを通じてみているようです。

アルバの女性と同様、アルバの男性の意識改革も一歩ずつ進んでいくんでしょうね。

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