第188話 グロリス伯爵家のお茶会―いざ出陣!―
「エレノア、これを付けて欲しい」
父様方は父様方だけ、そして私は婚約者達と…といった風に、馬車を二手に分かれて乗り込み、少し走った所で、オリヴァー兄様が螺鈿細工のように美しい文様が煌めく箱を私に差し出してきた。
「オリヴァー兄様、これは?」
「君の身を飾る
そう言って微笑まれた兄様から小箱を受け取り、蓋を開けると…。お揃いの宝石をあしらった、ネックレスとピアスが入っていたのだった。
「うわぁ…。綺麗…!」
ネックレスは銀…よりも美しい、ミスリルの様な透明感溢れる白銀に煌めく極細のチェーンを使用していて、その中央には、インペリアルトパーズを中心に、ブラックダイヤモンド、トパーズ、サファイアといった、兄様方とセドリックの瞳の色と同色な宝石が、品良く散りばめられていた。ピアスの方も、同じ様にインペリアルトパーズの周囲に、それらの石が配されている。
その溜息が出そうな程美しいネックレスを、オリヴァー兄様のしなやかな指が摘まみ上げ、私の首元に付けてくれる。
「ああ…。よく似合うよ」
そう言って微笑まれ、思わず頬が赤くなった私の右耳に、今度はクライヴ兄様の指が触れる。
「こっちの耳には、俺が付けてやろう」
そう言って先程見たピアスを耳元に近付ける…って、ちょっと待って下さい!私、まだピアスの穴開けてないんですけど!?
「大丈夫だ。これは耳に触れるだけで自然と嵌る様になっている。痛みも無いから安心しろ」
「そ、そういうものなんですか?」
そうこうしている間に、どうやら右耳にピアスが付けられたらしく、クライヴ兄様が満足そうに微笑まれた。
…全く痛くなかった…。多分魔術の類なんだけど、異世界凄いな!
「エレノア、こっちの耳は僕が…」
そう言うと、左耳にセドリックの指が触れる。
どうやら右耳との位置を合わせようとしているのだろう。なぞられる様に触れられて、思わず「ん…!」と擽ったそうな声が漏れてしまう。
「――ッ!」
途端、セドリックの指がピタリと止まる。…あの?もしもし?どうしました?
「ご、ごめん!ちょっと、動揺しちゃって…」
見ればセドリックの顔がほんのり赤く色付いている。あれ?本当にどうしちゃったの?
「…まだまだ、修行が足りないな。セドリック」
「も、申し訳ありません、オリヴァー兄上!」
「まあでも、あんな不意打ちは卑怯だよな?気にすんな!」
等と訳の分からない会話を交わしながら、セドリックの指が離れていく。どうやら左耳のピアスも付け終わったようだ。
「うん、よく似合っているよエレノア」
「ああ。更に美しさが増したな!」
「本当に綺麗だエレノア!」
それぞれが、満足そうな感嘆の溜息をつきながら、私を見る婚約者達。
私は胸元のネックレスをそっと指で触った。
――この真ん中のインペリアルトパーズは私で、それを守る様に配されている、兄様方とセドリックの色を纏った宝石達…。
彼らこそが婚約者なのだと主張するように、美しく煌めく宝石達を身に付け、エレノアは顔を上気させ、嬉しそうに微笑んだ。
「オリヴァー兄様、クライヴ兄様、セドリック…有難う御座います。私、これを身に着けて、皆の婚約者として頑張ります!」
その花が一斉に咲き綻んだような微笑を受け、オリヴァー、クライヴ、セドリックが思わずといった様子で頬を赤らめさせる。
「エレノア…!」
「若様方、くれぐれも!く・れ・ぐ・れ・も!お化粧直しが出来る範囲になさって下さいね!?」
感極まり、いつもよりも艶やかに彩られた桜色の唇に己の唇を重ね合わせようとしたオリヴァーだったが、横から鋭い一言が投げかけられ、思わずその動きを止め、振り向く。
…そこには、万が一のお化粧直し要員として乗り込んでいた整容班、シャノンが、化粧道具一式を手に、ギラギラした目でこちらを凝視していた。
そのドン引く程に血走った瞳は「お嬢様の完璧な装い…崩したら殺す!」と、如実に物語っていて、思わずオリヴァーは居ずまいを正すと、元居た場所に座り直した。
「…えっと…。うん、頑張ろうね、エレノア」
「は、はいっ!」
車内になんとなく、微妙な空気が流れるそんな中、馬車は一路、グロリス伯爵邸に向かって走り続けたのであった。
◇◇◇◇
「ああ、気持ちが良い陽気ね。絶好のお茶会日和だわ!」
「本当ですわね、レイラ様!」
「レイラ様がおいでになるお茶会は、いつもこのように快晴ですもの!」
「きっとレイラ様が、女神様のご慈悲を賜ってらっしゃるからですわ!」
グロリス伯爵邸の中庭に建てられた、白亜のガゼボの中、豪華なドレスに身を包み、上機嫌で微笑むレイラ・ノウマン公爵令嬢の言葉に対し、取り巻きのご令嬢達が賛同しながら、口々にレイラを褒め称える。
そのような賛美を当然の様に受け止めながら、レイラは素早く周囲に視線を巡らした。
普通、このようなお茶会は貴族達の交流目的以前に、適齢期に入った男女の出会いの場という要素が強い。その為、夜会と違って若者達が圧倒的に多いのだ。
勿論、家同士の繋がりやお披露目的で、親が子を連れて来る事もあるから、ある程度の年齢層も一定数存在する。
だが今日の参加者達は、自分の親世代か、それよりも上の年齢層の紳士達が明らかに多い。まるで夜会の様だ。
そして彼等はなにくれとこちらへと視線を送ってくるのだ。
まあ、それも当然だろう。
なにせ自分は四大公爵家であるノウマン公爵家の令嬢であり、その傍らには自分の筆頭婚約者であり、同じく四大公爵家、アストリアル公爵家の嫡男、ジルベスタ・アストリアルがいるのだ。
しかも王家の覚えめでたきボスワース辺境伯までもが、このお茶会に参加している。注目されない筈が無い。
前グロリス伯爵…あの男は、自分の派閥に付くかどうか迷っている親族や貴族達を、この茶会を機に引き込むと言っていたから、この参加者達の半分近くは、そういった者達なのだろう。
そして自分達は、彼等に対する『保険』として、このお茶会に参加させたに違いない。このような大物達が、いずれは自分の後ろ盾兼親戚になるのだと、証明する為に。
勿論、彼等の目的はそれだけではなく『あの女』が参加するから…という事もあるのだろうけど。
「それにしても…遅いわね…」
扇で口元を覆いながら、小声で呟くレイラの傍に、青年期に差し掛かった美しい少年が一人、近寄って来る。
その少年を確認するなり、取り巻きの令嬢達が揃って色めき立った。
「…姉上。此度のお茶会、何故私をお誘いになられたのですか?私の婚約者は此度の茶会に呼ばれていないというのに…」
やや不機嫌そうにそう話しかけてきた弟のカミールに、レイラはすまし顔で笑顔を浮かべた。
「あら、カミール?姉の私が弟を誘う事に不満でもあって?それに婚約者がいないからお茶会に参加しないなんてお話、聞いた事なくてよ?」
「…私はカルロッタの筆頭婚約者です。一人でお茶会に参加する意味がありません」
そう。婚約者であっても、たいして相手に関心を持たれていなかったり、ただの恋人という地位にある男達は、別の出会いを求め、茶会やパーティーに積極的に参加するのが普通なのだが、筆頭婚約者となった者は、相手のご令嬢に絶対の操を立てる為、基本、婚約者の同伴無しでこのようなお茶会に参加する事は無い。
なので当初、カミールは姉に誘われたこのお茶会の参加を拒否していたのだが、姉のゴリ押しと、姉に甘い父親の取り成しで、渋々参加する事になったのである。
「まあ…。そんな不機嫌顔は止めなさい。折角の端正なお顔が台無しよ?」
「私がどんな顔をしようと、私の自由です」
レイラは最近、とみに生意気な口をきくようになった弟に内心で舌打ちをしながら、表面上はにこやかな様子で微笑みを浮かべた。
「あら?貴方の為にと、今日のお茶会に連れて来てあげた私に対し、随分な口のききようね?」
「私の為?」
「そうよ。…だって今日のお茶会、貴方の意中の女性が参加するのだもの…」
その言葉を聞いた瞬間、カミールの顔が分り易すぎる程に変わった。
…そう、今日のお茶会は特別なゲスト…。エレノア・バッシュ公爵令嬢がやって来るのだ。
弟が執心し、心の底から欲しいと願っているであろう、あの忌々しい女が。
「…ねぇ、カミーユ?もし貴方がご執心の姫騎士が…貴方のものになるとしたら、どうする?」
レイラはこれから行われるであろう、自分にとってのこの上なき喜劇を思い、その興奮のまま弟に問い掛けてみる。
傍から見て分かり易す過ぎる程にあの女に心酔している弟の事だ。きっと喰い付いてくるに違いない…。
だがしかし予想と異なり、弟の顔は瞬時に無表情となった。
「は?何を仰っているのですか?そんな有りもしない世迷い言、冗談でも口に出されない方がよろしいですよ?」
「なっ?!」
「おい?カミーユ」
レイラの横に控えていた、レイラの筆頭婚約者である、ジルベスタ・アストリアル公爵令息が、困惑した様子で声をかける。
「あ、有りもしないなんて、貴方こそなんでそんな事を断言するのよ?!」
「姉上の方こそ、正気ですか?彼女の筆頭婚約者は、あのオリヴァー・クロス伯爵令息ですよ?」
「だったらどうだって言うの?!そりゃあ、誰よりも美しいし、物凄く頭が切れる事は知っているわ!でも所詮、ただの伯爵令息じゃないの!」
それにあの男は、じきに筆頭婚約者ではなくなるのだ。仮にも四大公爵家の者が、何を言っているのか。
「…ただの伯爵令息…。そんな事を仰るのは、姉上だけですよ」
激昂する姉と、それを気遣いながら、更に困惑した表情を浮かべるジルベスタ。そんな自分達を戸惑うように見つめる姉の取り巻き令嬢達と、彼女らの婚約者達。
…だがその中において、現在学院に在籍中の者達は皆、自分の言葉に同意するような表情を浮かべていた。
――そう、学院で彼を深く知る者なら、影で『万年番狂い』と評されている彼が、どれだけ恐ろしい相手であるのか骨の髄まで知っているのだ。
婚約者であるエレノア・バッシュ公爵令嬢を、己の命よりも大切に想っているあの方は、正々堂々と戦いを挑む者には寛容だが、姑息な手を使ったり、他力本願な手を使う者には一切の容赦をしない。
実際父が、自分に断りも無く、「息子の婚約者に」等と言って、勝手に縁談をバッシュ公爵家に打診してしまった時など、生徒会室で「そういえばカミール。ノウマン公爵家から、エレノアと婚約を結びたい…と、正式な申し込みがあったんだよ。…君、知っていた?」と、笑顔で告げられ、真面目に心臓が止まりそうな程の恐怖を覚えたものだ。
「い…いえ。私には自身を筆頭婚約者とする婚約者がおります。…ですが、もし叶う事ならば…。直接、自分の言葉でバッシュ公爵令嬢に求婚したいと…そう、思っております」
掠れる声で、辛うじてそう告げた瞬間、自分に向けられていた重い圧が霧散し、「そうだろうね。…君は姉君とは違うから」と告げられた時、ようやく詰めていた息を吐く事が出来たのだった。
全身冷や汗に塗れていた事に気が付いたのは、更にその後。生徒会室を出て暫くしてからだった。
「…私は確かにエレノア・バッシュ公爵令嬢をお慕いしております。ですがそれ以上に己の分を弁えております」
「なっ…!あ、貴方は…!それでもノウマン公爵家の嫡子なの!?」
「なんとでも。ノウマン公爵家の嫡子であればこそ、婚約者に不義理を働く様な愚かな事はしたくありません。…それに、私だって命は惜しい」
「なっ!?そ、それはどういう…」
更に言葉を発しようとしたその時だった。周囲が突然ざわめき立ち、姉弟揃って振り返る。
――そこにはレイラの待ち望んでいた人物…。エレノア・バッシュ公爵令嬢が、斬新でいて、尚且つ目を奪われる程美しいドレスを纏い、こちらへとやって来るのが見えたのだった。
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学院の男子生徒全ての恐怖の対象である、万年番狂いをも退ける整容班。ある意味最強説。
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