第189話 グロリス伯爵家のお茶会―お茶会に舞い降りた天使―

「あれが…エレノア・バッシュ公爵令嬢…」


思わずといった風に、誰かがポツリと呟いた言葉が、お茶会の会場となった、葉擦れと小鳥の囀りしか聞こえぬ静かな庭園に響いた。


見た事も無い風変わりな…それでいて華やかな黒いドレスに身を包んだ小柄で華奢な身体。真っすぐと前を向いたその大きな瞳は、インペリアルトパーズの様にキラキラと輝き、薔薇色の頬は生き生きとした生命力に溢れている。そして桃色の唇は、まるで瑞々しい果実の様に艶やかな…とても美しい少女。


今や『姫騎士の再来』として、時の人となった、エレノア・バッシュ公爵令嬢の姿を目にした多くの者達は、「あれが…噂の…」「ほぉ…!」と、口々に呟きながら、感嘆と称賛の溜息を吐いた。


特にエレノアの事を、初期の噂でのみしか知らなかった者達等は、その噂とのあまりの違いに、女性達は呆然と絶句し、男性達はその可憐な美しさに誰もが頬を染める。


何よりも普段、エレノアの事を貶める発言を繰り返している令嬢達等は、更に衝撃を受けたかのように、ある者は口を開けたり閉じたりを繰り返し、ある者は認めたくないとばかりに扇を握りしめ、ブルブルと震える。

レイラですら、暫し言葉もなく、エレノアの姿に釘付けになってしまっていた。


次に注目されたのは、彼女を守る様に周囲を固める男性陣の姿だった。


優雅な所作で彼女の手を取り、エスコートしているのは、バッシュ公爵令嬢の筆頭婚約者。『貴族の中の貴族』と社交界で謳われている、麗しき黒の貴公子、オリヴァー・クロス伯爵令息である。


絶世の美貌とこの国最高峰と誉れ高き実力を有する王宮魔導師長、メルヴィル・クロス伯爵。その資質の全てを受け継いだとされ、将来は確実に、第一王子であり王太子でもあるアシュルを補佐する宰相になると言われている、王族にも一目置かれる存在である。


そして彼らのすぐ後に続くのは、やはりバッシュ公爵令嬢の婚約者であり、この国の大将軍である『ドラゴン殺しの英雄』グラント・オルセン子爵の一人息子、クライヴ・オルセン子爵令息である。


彼もまた、偉大な父親の資質を余すこと無く受け継ぎ、将来、父から軍事権の全てを継承するとされる、第二王子ディランの右腕にと切望されている逸材である。


そして、メルヴィル・クロス伯爵のもう一人の息子であり、兄同様、バッシュ公爵令嬢の婚約者である、セドリック・クロス伯爵令息。


父親や兄と違い、桁外れの華やかさは無いものの、その幼さで既に剣技、体術、そして学業に至るまで非凡な才能を開花させ、第四王子リアムに『親友であり、最高のライバル』と公言されている秀才だ。


その圧倒的に人目を引く彼等の更に後方からは、彼等の父親達が続く。


次期宰相であるアイザック・バッシュ公爵、魔法師団長メルヴィル・クロス伯爵、大将軍グラント・オルセン子爵。


王家主催の夜会ですら滅多にお目に掛かれない、超大物揃い達の来襲に、彼らがやって来た理由を知らされていない参加者達は…いや、知らされていた者達もだが、男も女も皆一様に言葉も無く、食い入る様に彼らの姿に釘付けになる。


特に貴婦人方やご令嬢方などは、自分の婚約者やパートナー達そっちのけで、極上の男達獲物にウットリと熱い眼差しを向けている。


『このような機会は滅多にない』『是非お近づきにならなくては…!』…等、欲望に塗れた声なき声が聞こえて来そうな程、その瞳は肉食女子ハンターの本能のまま、ねっとりと熱く。彼らに向かって注がれていたのだった。




――…そして更に…。



『そ…それにしても…なぁ?』


『あ…ああ…』


参加者の男性陣の誰もが、エレノアの装いを見て、とある事実に気が付く。


そう…。エレノアが、ドレスからアクセサリーに至るまで全て、『婚約者達』の色のみ・・を纏っている…という事実に。


普通、女性が婚約者の色を纏う…と言っても、学院の制服ならいざ知らず、社交界で着るドレスは基本、自分の好みの色を最優先する。


その為、色を入れるとは言っても精々、ドレスにほんの少し、お飾り程度に色を入れたり、アクセサリーにさり気なく婚約者の色の宝石を紛れ込ませたりする程度であるのが一般的なのだ。


ましてや余程好意のある相手でなければ、色を纏う事すらしない事もザラで、ましてや婚約者全員の色を纏うなどと、普通であれば有り得ない事なのだ。


それゆえにエレノアの装いは世間一般の常識を覆し、最大級の衝撃をその場の男達に与えたのだった。

そしてそれと同時に、彼女の婚約者達の狂気にも等しき凄まじい執着心に慄き、誰もが思わずゴクリと喉を鳴らした。




「エレノア・バッシュ公爵令嬢。随分と素敵な出で立ちですこと」


突然声をかけられ、エレノアはオリヴァーに手を取られたまま、小首を傾げた。


『えっと…?この人って誰だっけ?』


きつめな翡翠色の瞳。完璧な化粧が施され、腰迄ある金髪を緩くカールさせた美女。


豪奢な宝石があしらわれた髪留めでサイドをまとめ、ドレスも見事な宝石がこれでもかと使用され、大変に華やかだ。かなり裕福な家のご令嬢だと、パッと見ただけで分かる。


「エレノア、この方はレイラ・ノウマン公爵令嬢だよ」


「ノウマン公爵令嬢…」


オリヴァーが小声で耳打ちしてくれた事により、相手の女性の名前が判明する。

確かノウマン公爵家と言えば、四大公爵家の一柱。明らかに格上の相手である。


それ以外にも、兄達が「あまり関わらせたくない相手」と言っていた気がするが…。

確かにこのご令嬢からは、あまりいい感情を感じられないが、一応ドレスを褒めてくれているようだから、挨拶がてらお礼を言わねばならないだろう。


エレノアはオリヴァーから手を離し、レイラ・ノウマン公爵令嬢の前に歩み寄ると、カーテシーを行う。


「初めましてレイラ様。お褒めに預かり光栄に御座います」


すると何故か、レイラのキツイ眼差しがより一層剣を含む。


『あれ?お礼言っただけなのに、何で怒っているんだろう?』


「貴女、見た目と違って随分いい性格をしているわね!」


「はあ…?」


キョトンとした様子のエレノアを見たレイラは、気を取り直した様に口元を扇で隠しながら、エレノアに対し、蔑んだ様な眼差しを向ける。


「…良いわ、分かり易く言ってあげる。そこまであからさまに婚約者の『色』を身に着けるなんて…。いくら貴女には分不相応な素敵な殿方ばかりだからって、媚び過ぎではなくて?私だったら自尊心が邪魔をして、そこまで卑屈にはなれませんわ」


「そうよねぇ…」「恥ずかしくないのかしら?」と、レイラの後方でご令嬢方がヒソヒソクスクスしているのを聞きながら、エレノアは心の中で本格的に首を傾げる。


――はて?この方、本当に何が言いたいのだろうか?


表情や口調から、説教の様な事を言われたのだろうが、ちっとも分かり易くない。あ、でも思い切り同意出来る事も言われたから、それに対してコメントしておけばいいのかな?


「はい、私の婚約者って、レイラ様の仰る通り、私には勿体ない程素敵な方々ばかりなんです!」


ちょっと照れながら、正直に本音を述べると、レイラ様の表情が何故か増々険しくなった。え?何故に?


「わ、私が言いたいのは、何でそこまで婚約者達の色を身に着けているのかという事よ!」


「そんなの、大切な人達の色だからに決まっているではありませんか」


「――ッ!?」


さも当然とばかりに返された言葉に、レイラは思わず絶句してしまう。

しかも、レイラの傍にいた者達も同様に驚愕の眼差しをエレノアに向けた。


「こうして好きな人の色を身に着けていると、包み込まれ守られているような気持になって、とても幸せな気持ちになりますでしょう?婚約者の色を身に着ける理由なんて、それで十分なのではないでしょうか?」


そっと自分の胸元に手を充てながら頬を染め、幸せそうに微笑むエレノアを前に、レイラはブルブルと小刻みに身体を震わせながら、何か言おうとするが、言葉が出て来ない。それは後方に控えている取り巻き令嬢達も同様のようだった。


「…ヤバい…。口元が緩んで止まらねぇ…!」


「…僕もだよ…。…ああっ!この場でなかったら、そのまま押し倒してしまうのに…ッ!」


「オリヴァー兄上、お気を確かに!…それはここから帰った後まで待ちましょう」


エレノアの後方で、レイラとのやり取りを見守っていたオリヴァー達が頬を染め、小刻みに身を震わせる。


そんな彼らに対し、その場にいた男性客達が一斉に、どす黒い嫉妬の眼差しを向けた。

それはレイラの弟であるカミーユや、筆頭婚約者のジルベスタ、取り巻きのご令嬢達の婚約者達も同様で、オリヴァー達に殺意にも似た嫉妬の視線を浴びせる。と同時に、エレノアに対しては、熱に浮かされたように蕩けそうな眼差しを向ける。



――大切な人達の色だから、身に着けたい。



あんな…信じられない言葉を、当然の事のように話す女性がいるなんて…。しかも本当に幸せそうに微笑みまで浮かべて。


もしも自分があんな風に、愛する相手に同じ想いを一途に向けて貰えたとしたら…。それはどれ程の悦びだろうか。


「ふふ。もしも自分が、あんな良い子にあんな素敵な言葉を言われたとしたら…って想像したら、思わず自分の息子に嫉妬してしまいそうになったよ」


「全くだな!我が息子ながら、くっそ羨ましいぜ!」


周囲の嫉妬の視線に動じる事無く、寧ろ余裕の態度で受け流している幸せそうな息子達や、ナチュラルに息子達や周囲の野郎共を煽りまくっている、ある意味魔性な可愛い義娘の姿に目を細めながら、グラントは鋭く会場全体を一瞥すると、会場の端にある木の幹に凭れ掛かりながら、こちらの様子を伺っているボスワース辺境伯の姿を確認する。


『…今の所、一人…か。だが多分、近くに居る筈…』


そう、グラントが心の中で呟いた時だった。


「おお!よく来たなエレノア!会いたかったぞ!」


今回の茶番劇の主役であろう老人…前グロリス伯爵、バートン・グロリスが、現当主のアーネスト・グロリスと孫であるパトリック・グロリス。…そして、マリアを連れ、こちらへとやって来るのが見えたのだった。




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エレノア砲炸裂しております(^^)

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