第320話 私の宝物【エルモア・ゾラ視点】
私には大切な宝物が二人いる。
最愛の妻であるマディナ。そしてマディナとの間に生まれた、この世の何よりも……私の命よりも大切なかけがえのない娘、フローレンス。
この二人が幸せに笑っていられるのなら、私はどんな事でもするだろう。
私がマディナと出会ったのは、父から家督を継いですぐの頃だった。
ひとかどの商家として名を馳せてはいたが、歴史的に見ればまだ浅かったゾラ商会。
祖父が興し、父が軌道に乗せたこの商会の地位を確固たるものとし、いずれはバッシュ公爵領の発展を支える一柱となれれば……との希望を胸に采配を振るうも、思ったような成果は中々得られなかった。
自分自身、元来社交的な性質ではなかった事が災いし、父や祖父の残した伝手以外に思ったような販路や人脈を築く事が出来なかったのが主な原因だったと思う。
そんな時に出会ったのが、出張の際によく宿泊していた高級宿屋の一人娘であるマディナだった。
社交的で明るく、非常に美しかったマディナに、私は一目で恋に落ちた。
仕事も無いのに彼女の実家である宿屋に通いつめ、あらゆる贈り物と共に慣れない美辞麗句を捧げる。
そんな私を、マディナはいつも優しく微笑みながら迎え入れ、あまつさえ私の愛に応えてくれたのだった。
マディナを狙う男はそれこそ星の数ほどいたし、彼女自身もアルバの女性らしく、私以外にも数多くの恋人を持っていた。
だが彼女は最終的に、不器用に愛を語る事しか出来ない、こんな私を選んでくれたのだった。
そして私達は結婚し、程なくしてフローレンスが生まれた。
マディナそっくりのフローレンスは、それこそ天使の生まれ変わりかと思う程に愛らしく、私は最愛の妻と共に、フローレンスを溺愛した。
私生活が満ち足りたものとなり、仕事の面でも劇的な変化が生じた。
彼女自身が過去、
その為、彼女を介して思いもかけない
当然、彼女の交友関係に思う所が無かった訳ではない。だが彼女が夫に選んだのは私なのだという自負を胸に、苦い気持ちを無理矢理飲み下した。
その結果、ゾラ商会は瞬く間に大商会へと昇りつめていったのだった。
最終的には集積市場で、長年温めていた構想を形にする事ができ、私の地位は不動のものとなった。
更には最年少で集積市場の統括の地位に就く事が出来たのである。
いくらバッシュ公爵領が実力至上主義とは言え、これは異例中の異例であった。
「貴方なら、それぐらいの偉業を成す事が出来ると信じていたわ」
そう言って我が事のように喜んでくれるマディナは、留守がちな私の代わりに家をよく守り、娘をしっかり育て上げてくれている。まさに良妻賢母の鑑の様な女性だ。
娘のフローレンスもすくすくと成長し、母であるマディナ同様、美しく優しく、誰からも愛される素晴らしい娘に成長していっている。
最近では、私が領地の視察や取引先の農地に巡回する時に同行を希望し、行く先々で領民達との親睦を深めているようだ。
美しい妻と目に入れても痛くない愛らしい娘。充実した仕事。まさに私の人生は順風満帆であった。
やがて私の功績を評価して下さったバッシュ公爵様のお口添えにより、ゾラ家は陞爵され、男爵家となった。
更にはバッシュ公爵家本邸の管理者という大役を任される事となったのだった。
――いずれ、バッシュ公爵領の発展を支える一柱となる。
家督を継いだばかりの頃の誓い。
それが達成できた事による誇らしさと喜びに、胸が震えた。
……そう。間違いなく、あの時が私の人生の絶頂期であった。
◇◇◇◇
本邸の管理者を拝命する為、本邸の一切を取り仕切っておられるイーサン・ホール様の元へと、一家揃ってご挨拶に伺った。
イーサン様は、代々バッシュ公爵家にのみ仕えてきたとされる『智と武』を司る家門ホール伯爵家本家のご長男様だ。
家督は次男様が継いでおられるが、実質的にホール伯爵家を取り仕切っているのはこのお方だと言われている。
そして次期宰相とされるバッシュ公爵家当主アイザック様の乳兄弟であり、絶大の信頼を寄せられている当主代行のお一人でもある。
集積市場の事業の件で、数回目通りをさせて頂いた事があったが、『バッシュ公爵家の懐刀』と評される通り、一瞬でも気を抜くと喰われてしまいそうな程に怜悧な覇気を纏ったお方だった。
挨拶も終わり、バッシュ公爵家本邸に居を移す直前、私はイーサン様から密命を受けた。
なんでもアイザック様直々に命令が下ったとの事だった。
依頼内容はというと、アイザック様のご息女であるエレノアお嬢様の願いを叶える為、とある植物を探し出して欲しいというものだった。
しかも将来、このバッシュ公爵領の特産品にしたいとの事で、あくまで秘密裏にと付け加えられた。
「品を探すのは、商人である貴方に頼るのが一番でしょう。……期待していますよ。エルモア・ゾラ」
バッシュ公爵家の懐刀たるイーサン様に期待された喜びが胸中に湧き上がってくる。
だがそれと同時に、妻と娘をバッシュ公爵家本邸に残していかねばならない不安も湧き上がった。
だが妻は、そんな私の背中を押し、管理者夫人の責務を娘共々、立派に果たす事を約束してくれたのだった。
『お元気ですか?あなた。……ええ、大丈夫ですわ。こちらの方々は皆様親切で、フローレンス共々楽しく過ごさせて頂いております」
たまに届く魔導通信では、言葉通りの幸せそうな妻の声が聞こえてくる。
実際、たまの帰省で顔を合わせる二人はとても幸せそうだったし、女性という事を差し引いても、本邸の騎士や使用人達にとても大事にされているように見えた。
そのうえ管理人とはいえ、一臣下の我々に対し、主家の姫の部屋と言っても通用する程、分不相応な素晴らしい部屋を本邸に用意して頂いているのだ。
一度だけ目にした事があるが、お屋敷の中でも特に日当たりが良く、決して華美ではないが、品の良い超一流の家具を配した繊細で美しい造りの部屋であった。
妻は本邸を預かる管理人の妻として、有力者や商人の妻達の交流の場である婦人会に精力的に顔を出し、更には男爵夫人として、バッシュ公爵家家門の貴族達とも交流を深めているようだ。
アルバ王国において、女性は守るべき大切な宝だが、この厚遇はひとえに妻と娘の人柄と人徳によるものだろう。やはり私の家族は素晴らしいな。
だが私が爵位を賜った後から、副統括をしているガブリエル・ライトが幾度となく私に「エルモア。お前、妻や娘の事をもっとよく見るようにしろ」と言ってくるようになった。他の代表達も、言葉を濁しながら似たような事を口にしてくる。
若輩の身で爵位を得た私に対する嫌がらせかと一瞬疑ったが、すぐに思い直す。
バッシュ公爵領はどの領土よりも実力至上主義であり、足の引っ張り合いや不正をなによりも嫌う。
それゆえ、まだ若かった私が集積市場の中枢に加わる事となった時や、私の構想を実現しようとした時、一丸となって支え、力を貸してくれたのは彼らだった。
そんな彼らが、そのような下種な思惑を持って私に言いがかりをつける事など有り得ない。
考えてみれば確かに、私は忙しさにかまけ、奥向きの事や娘の教育を妻に任せきりにしていた。
だからきっと彼らは「仕事を最優先せず、もっと家族に心を砕け」と言いたかったのだろう。
丁度良い機会だ。商会も信頼できる部下達が上手く回してくれているし、この依頼の目途が経ったら管理者の責務に専念し、家族との時間をもっと持つようにするとしよう。
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エレノアと対峙する前のゾラ男爵の軌跡です。
この後、対峙し、最終勧告を告げられたその後までを書いていく予定です。
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