第367話 ファーストダンス

「……やれやれ。何とかここまで無事にこられたね」


大広間を見下ろす大階段の踊り場。

その死角となる薄暗がりの中、密かに佇むのは、アルバ王国王太子アシュルその人であった。


「もう少し、妨害をかけてくるかと思ったが……。我々を警戒しているのか?それともここではなく、やはり別の場所で……」


普段の穏やかな表情を脱ぎ捨て、鋭い光をその瞳に宿しながら独り言ちる彼の傍に、気配もなく一人の男が姿を現す。


「ヒューバードか。……状況は?」


「ネズミが複数名。いずれも生きて捕らえております。逃げた元騎士団長の行方は未だ不明。ですが、確実にここに向かうものと……」


「ああ、そうだろうね。だって、ここには彼の愛しい姫君がいるのだから。逃亡したのも彼女を救い出すのが目的なのだろうしね」


ジャノウ・クラーク。


若くして騎士団長を拝命し、前途を期待された、名門クラーク家の嫡男。


バッシュ公爵家の家令や現団長からは、愚直なまでに真面目な男だったと聞いた。


「愚か……と、一概には言えない。彼の姿は、僕も含めたアルバ王国の男達。その誰もが陥るかもしれない一つの末路なのだから」


もしも愛する相手を間違えたりさえしなければ、きっと彼の未来は今も光の中に在ったであろうに……。


ふと、アシュルの脳裏に元ボスワース辺境伯の姿が浮かんだ。


狂愛に囚われ、悲惨な末路を辿った彼の姿とジャノウの姿が重なり、アシュルはほろ苦い気持ちを噛み締めた。


「彼は元騎士団長だけあって、この屋敷の構造、騎士団の構成並びにあの家令の実力なども把握しているに違いありません。なのに何故、わざわざここにおびき寄せるような事をと思いましたが……」


「そうだね。流石はあのバッシュ公爵の腹心というか……。全くもって食えない男だ」


「王家に対する不敬は、流石主従としか言いようがありませんね」


「全くだ。……ところでヒューバード。先程弟達にそでにされ、帰ろうとした御令嬢方やその親達はどうした?」


「それは勿論、匿う為に一か所に纏めております。ですが生憎、すぐに用意出来る場所が無く、馬屋になってしまいましたが……」


しれっとそう口にする『影』の総帥に対し、アシュルは眉を顰め……たりはせず、甘やかな美貌に心からの笑顔を浮かべた。


「ふふ。彼らがごちゃごちゃと、煩く喚き散らす姿が目に浮かぶね。……だがここは、命よりも大切な伴侶や御令嬢方が攫われるよりはマシだと、諦めてもらわなくてはね」


アシュルは腕組みをし、壁に凭れながらゆったりとした笑顔を浮かべた。


ちなみに今現在、馬屋に隔離されている者達とは、エレノアを貶める発言を繰り返していた貴族の御令嬢達とその親達の事である。


「来るなと言うのに、無理矢理押しかけて来たのはあちらだ。多少の不自由は我慢してもらおう。それに、帝国に我が国の『宝』を、むざむざと渡す訳にはいかないからね」


バトゥーラ修道院を襲撃したのは、間違いなく帝国だろう。


陽動か、あちらが本命なのか、それはまだ分からない。だが、帝国が明確に牙を剥いた今、十分な警護もなく、彼らにとって喉から手が出るほど欲しい極上の獲物若い娘を野に放つ訳にはいかない。


……まあ尤も、我が国の『宝』と言いながら、匿う場所が馬屋というのはどうかとも思うが……。


「まあそこは、我らが愛しき姫君エレノアへの非礼に対する罰という事で、納得してもらおうかな」


そんなアシュルの呟きに、ヒューバードは共犯者の笑みを小さく浮かべた。





◇◇◇◇





会場にゆったりと流れる曲が、ダンスの曲へと変わる。


オリヴァー兄様は私に対し、極上の笑顔を浮かべながら胸に手を当て、優雅な仕草でお辞儀をした。


「愛しい婚約者殿。初めてのダンスを共に踊る栄誉を、僕に頂けますか?」


オリヴァー兄様の申し出に、ほんのりと頬に熱が集まるのを感じた。


デビュタントを迎えた貴族令嬢のファーストダンスを共に踊る。

それは筆頭婚約者に与えられた特権の一つだ。


クライヴ兄様とセドリックは、ちょっと羨ましそうに。

ディーさん、フィン様、リアムは、あからさまな羨望と嫉妬の眼差しをオリヴァー兄様に向けている。


私はというと、凶悪な位に完璧で美しい所作。そしてこれでもかとばかりに目にぶっ刺さってくるオリヴァー兄様の美しさにやられ、よろけそうになった足に力を入れ、気合一発踏ん張った。


そうして、ともすれば引き攣りそうになってしまう顔に表情筋を総動員し、精いっぱいの笑顔を浮かべた。


「はい、喜んで!」


フッ……と、オリヴァー兄様の顔が綻ぶ。


「では、お手をどうぞ。愛しい僕のお姫様」


そうして私は、極上の笑みを浮かべながら微笑むオリヴァー兄様の掌に自分の手を添え、共に会場の中央まで歩いて行った。





ダンスホールとなる中央の開けた場所には、私達以外誰もいない。


本来であれば夜会等では、一番身分の高い人がダンスを一曲踊った後、他の人達が一斉にダンスを開始するのがしきたりだ。


それで言うと、この場で一番身分が高いのは、王族であり聖女でもあるアリアさんなので、まずは彼女が王家直系である王子方の誰かとダンスを踊る。


けれどどういう訳か、今回は主催者であり、デビュタントを迎えた私がいの一番に踊る事となってしまったのだ。


当然というか、「いやいや、是非ともアリアさんがお先に!」って、全力で遠慮したんだけど、当のアリアさんが「それがねぇ……。夫達に、他の男性と踊らないようにって言われているの」と、思い切り良い笑顔を浮かべながら辞退してしまったのだ。


というか国王陛下に王弟方、自分の息子達と踊る事すらNGって、貴方がた、いささか狭量過ぎませんかね!?


……まあ、それは冗談半分で(半分は本気!?)何か不測の事態になった時、全員すぐに臨戦態勢になれるようにって事らしいんだけどね。


うう……!でも初めてこんな大勢の中で踊るから……や、やっぱり緊張する!!


「大丈夫だよ、エレノア。いつも僕達と踊っているように踊ればいいんだ」


オリヴァー兄様のお言葉に、我知らずと詰めていた息を吐く。


「さあ、僕と音楽に身をゆだねて……」


言葉と共に、流れるような仕草でもう片方の手を私の背中に回してホールドをとる。


……くっ!な、なんというスマートなエスコート!!


そうして、ファーストダンスがスタートした。





「に、兄様……このダンスは……」


「ん?君ならば、全然問題ないでしょう?」


そう言って微笑むオリヴァー兄様の顔に見惚れつつも、私は内心、大いに焦りまくってしまう。


何故なら今、私達が踊っているのは、『十二舞踏』と呼ばれるアルバ王国で最も難解と言われるダンスの曲だからだ。


いえ、バッシュ公爵家に籠の鳥だった時、兄様方にあらゆるダンスを教えて頂きましたし、その中にちゃんと、それらもありました。なんとか踊れます。


うん、踊れるんだけど……。やはり難解だと言われるだけあって、習得するのに苦労したし、そこに至るまでの間、どれだけ兄様方の足を踏んでしまった事か……。


それに最近、ろくにダンスの練習していなかったし、栄えあるデビュタントのファーストダンスに選ぶ曲としては、いささか難し過ぎるんじゃないでしょうかね?


だが、私の焦りもなんのその。オリヴァー兄様の華麗なステップとリードに助けられ、なんとか兄様の足を踏む事無く踊り続ける。


『十二舞踏』は、それぞれ春夏秋冬とか、喜怒哀楽とか、そういったものにちなんだ題名が付けられているのだけれど、その中からオリヴァー兄様が選んだのは『喜び』


その名の通り、流れるように優雅で軽やかなステップがふんだんに盛り込まれているそのダンスは、別名『春の踊り』とも呼ばれ、慶事に躍るのに最も相応しいと言われているらしい。


『そういえば昔……』


幼かった頃、私にダンスを教えてくれていたオリヴァー兄様が、『将来、君とファーストダンスを踊るとしたら、この曲を踊りたい』って言っていたような気がする。


そんな事を考えながら、踊るオリヴァー兄様と視線を合わせると、オリヴァー兄様は蕩けそうな甘い視線を私に向け、耳元に唇を寄せると夢見るような声で囁く。


「ようやっと、願いの一つが叶った……」


吐息と共に囁かれた言葉に、甘い痺れが耳元から全身へと伝わった。


視線と視線が絡み合う。


「オリヴァー兄様……」


熱を帯びたオリヴァー兄様の瞳には、私への気持ちが溢れんばかりに浮かんでいた。

そしてきっと、兄様の瞳に映る私の瞳にも同じものが浮かんでいるに違いない。


一生に一度きりしかない、愛する人とのファーストダンス。


帝国の事もなにもかも、今だけは忘れて……。

涙が出そうな程に幸福なこのひと時、そして一瞬一瞬を、今は胸に刻み付けよう。



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アシュル殿下とヒューさん。見事なタッグでしっかり報復しておりますw

「我が国の宝」の「宝」の前に、「安物の」がついていそうだなと思ったのは私だけでしょうか?

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