第70話 馬車の中にて

「ったく!お前はー!!」


「…ごめん、クライヴ」


怒り心頭のクライヴの腕の中には、あわや窒息寸前で救出され、ぐったりとしているエレノアの姿があった。


「ク…クライヴ兄様…。私、もう大丈夫です。だからもう、オリヴァー兄様をお叱りになるのはやめて下さい」


「………」


「クライヴにいさま?」


黙り込んでしまったクライヴを、エレノアが不思議そうに見つめる。すると、クライヴが苦しそうに「は~~~っ!」と長く深い溜息を落とした。


「…マジで拷問…」


「は?」


「何でもねぇ!」


エレノアを腕に抱いたまま、プイッと顔を背けてしまったクライヴの態度に、エレノアは首を傾げた。


ちなみに。この時のエレノアの状態はというと、まず眼鏡はしっかりと外れている。そしてオリヴァーの全力の口付けに必死で抵抗した為、髪も服もやや乱れ、酸欠その他でぐったりとしてしまい、その顏はやや気だるげだ。とどめとばかりにオリヴァーによって散々嬲られた唇はいつもの桜色ではなく、少しぷっくりと膨れ、煽情的に赤く濡れていて…。


つまりは、そんな状態で上目遣いに見つめられてしまえば…まあ、クライヴも健康で血気盛んなお年頃な訳で…。言われなくても察しろよな状態になってしまった訳なのである。


「…オリヴァー…。もう、暴走すんなよ?」


そう念を押しながら、クライヴはエレノアをオリヴァーへと渡した。本当は渡したくなどなかったのだが、今この状況をエレノアに知られるのは不味い。


オリヴァーはクライヴの言葉にコクリと頷くと、そっと壊れ物を扱うように、優しくエレノアを抱き締めた。


「…御免ね、エレノア。つい前後不覚になっちゃって…」


普段の自信に満ちた態度など欠片も無く、ただただ、自分のやらかした事を恥じ入る様に、深く項垂れているオリヴァー。その姿には、先程までの激情は欠片も見られなかった。


「…父様もそうでしたけど…。オリヴァー兄様も、我を忘れて荒ぶる事があるのですね…」


「何だ?公爵様、なんかやらかしたのか?」


クライヴの言葉に、エレノアはコクリと頷く。


「え~と…。はい、実は…」


エレノアが、王城での父と国王陛下とのやり取りを説明すると、「マジか…公爵様…」と、クライヴが天井を仰いだ後、溜息をついた。


「あのな、エレノア。『火』の魔力属性持ちってのは、基本激情型なんだ。オリヴァーも公爵様も『火』の魔力持ちだろ?だから普段がいくら温厚で穏やかそうに見えても、一旦激高したりすると、ああなるんだよ」


「えっ!そうなんですか!…で、では…。父様、あれが『素』なのでしょうか?」


「いや、『素』はあくまで、いつもの公爵様だと思うぞ?基本、優しくて穏やかな方だしな。こいつオリヴァーは…ちょっといいカッコしいなというか、メル父さんに鍛えられて、忍耐力が半端ないから、いつも穏やかでいられるというか…。まあ、あんだけ地が出るのは、エレノアに関してだけだけどな」


な、成程…。つまりはたまに見る子供っぽい一面や、さっきの恐ろしいまでに強引で苛烈な兄様が、『素』の兄様なのか…。そういや同じ『火』の魔力属性なメル父様も、見た目の優雅さに反して自分の欲望に忠実だし、割といちいち過激な言動とっているしな。


ひょっとしなくても兄様、父様を反面教師にして、あの穏やかさを手に入れたのかもしれない。


「エレノア。僕の事…嫌いになった?」


不安そうに問い掛けてくるオリヴァーに、エレノアは精一杯の笑顔を向けた。


「大丈夫です、オリヴァー兄様。たとえどんな目にあったって、私…それが兄様だったら、絶対嫌いになんてなりません。ずっと、ずっと大好きなままです!」


そう。結局のところ兄様は兄様だし、根っこの優しい所は変わらない。それに、一番最初に私を愛し、転生者である自分を何の躊躇も無しに受け入れてくれたのはオリヴァー兄様だ。私がこの人を嫌いになる事など、きっと一生涯、有り得ない。


「――ッ!!」


エレノアの言葉を受け、瞬時にオリヴァーの顏が真っ赤になった。ついでにクライヴの顏も赤くなる。


――い…今、この状況で、それ言うかー!!?


オリヴァーとクライヴの心の叫びが一つになった。


それもその筈。初潮を迎え、もうじき13歳になるエレノアは、本当に徐々にではあるが、あどけない少女から脱皮し、大人の女性へと成長していっているのである。


そんな愛しい少女が、まるでアレコレ致した後のような、しどけない姿(?)で「どんな目にあわされても嫌いません」なんて言ってくれたのだ。これで奮い立たない男など、この世に存在するだろうか?…いや、いない。多分間違いなく「本当に!?じゃあ遠慮なく!」となる筈だ。いや、きっと絶対そうなる。


「ク…クライヴ…ちょっと…替わってくれる…?」


「ま…待て!もうちょっと待て!折角鎮まってきたのに…また…!」


エレノアは挙動不審な兄二人を、汗を流しながら見つめた後、「よいしょ」と気合を入れて身を起こし、オリヴァーの横に距離を取って腰かけた。多分今、自分は彼らから離れた方がいいのだろう。よく分からないがそんな気がする。


その後暫く、無言で馬車の振動に身を委ねている内に、段々と睡魔が訪れてくるのを感じ、エレノアは小さく欠伸を漏らす。


『それにしても、疲れたな…』


考えてみれば、幽体離脱して精神攻撃&身体攻撃(?)を喰らい、とどめに王宮謝罪行脚である。アシュル殿下の意味不明なお菓子食べさせ攻撃のせいで、お腹も一杯だし…。


そうしてウトウトしながら、前のめりになったエレノアの身体をクライヴがそっとキャッチし、抱き上げると、自分の膝の上に乗せて優しく抱き締めた。


すうすう…と小さく聞こえる寝息に愛おしさが沸き上がってくる。だがすぐに、その表情が険しいものへと変わった。


「オリヴァー。アシュルとリアム殿下から、『宣戦布告』を受けたぞ」


クライヴの言葉に、オリヴァーの眉がピクリと上がった。が、次の瞬間、ふーっと溜息を洩らす。


「そう。やっぱりそうなったか…」


「何だ?随分冷静だな」


意外そうな顔をするクライヴに、オリヴァーは肩を竦めてみせた。


「まあ、時間の問題だと思っていたからね。…それにしても、あれだけ容姿を残念な感じにしていたってのに、二人揃ってよくぞ惚れたというか…。まあ、それだけ彼らに見る目があるという事なんだろうけどね」


「まあな。そこだけは、流石は王家の男と言うべきか…。真面目に尊敬するよ」


まさに以前、セドリックが話していたところの、「不格好だけど、食べてみたら美味しかったパン」状態である。あの時は全くもって、言い得て妙な例えだと感心したものだが、よもやこの国の頂点達をも唸らせる程の美味しさだったとは…。


「殿下対策をとるにしても…問題は、エレノアに彼らの想いを伝えるかどうかだね」


「ああ。確かにそうだな」


そう。本来なら、もっと危機感を持ってもらう為に、エレノアには殿下方の恋情を伝えるべきなのであろう。だがそれをした事により、エレノアが変に殿下方の事を意識してしまうのも、非常に不味い気がするのだ。


エレノアは他のご令嬢達と比べてみても、全く見劣りしないどころか、非常に愛らしい容姿をしている。なのに、何故か自己評価が限りなく低く、しかも恋だの愛だのに酷く鈍感だ。


それゆえ、無邪気に相手の好意をスルーしたり、ダメージを与える事もしばしばな上、無自覚に男をタラシこんでしまう悪癖(?)を持っている。…まあ、自分達もその被害者の内の一人な訳なのだが、ともかくエレノアにはどれだけ苦労させられてきたか…。いや、今でも苦労はしているが。


ともかく、その自己評価と鈍感さゆえに、幸か不幸かリアム殿下のあからさまな好意にもまったく気が付かず、未だに友達付き合いのままなのだ。


ここで下手に意識させてしまえば、自分の見た目に全く躊躇せず、想いを寄せてくれた殿下方に対し、心が傾いてしまう危険性が発生しかねないのだ。


…まあ尤も、エレノアの事だから「え?あんな格好している私に殿下方が?有り得ませんって!」と笑い飛ばして終わりかもしれないが。


それにしても、エレノアの『転生者』としての意識ゆえか、自分達は未だに『婚約者』というより『大切で大好きな兄』ポジションから抜け出せてないでいる気がする。まだセドリックの方が、婚約者として意識してもらえている。


だからこそ、エレノアが初潮を迎えたのを機に、多少強引にでも自分達を『男』として意識させようとしたのだが…。あまり強引に事を進めてしまえば、あの恥ずかしがりやなエレノアの事だ。盛大に恥じらって自分達を煽った挙句、ついつい手を出し過ぎた結果、今回のように大量出血鼻血を引き起こす事になりかねない。


「下手すると、エレノアの命に関わるからな」


「うん。先生は年齢と共に、安定していくって仰っていたけどね」


――オリヴァーとクライヴは、つい先日、エレノアの主治医と話し合った時の事を思い起こす。



『先生、あの…。エレノアは…ずっとこのままなのでしょうか?』


『…それは、鼻血…の事でしょうかな?』


『…はい』


『う~む…。そうですなぁ…』



先生によれば、エレノアが鼻血を噴きやすいのも、まだ幼いがゆえに、体内の魔力コントロールが上手くいかず、感情の昂ぶりが弱い部分に出てしまっているのだろう…との事だった。つまりはそれが頻繁に鼻血を出してしまう事に繋がっているのだろう。


それに加えて、魂が『転生者』として覚醒したのも、魔力コントロールが上手くいかない原因の一つなのではないか…とも話していた。


『まあ、初潮も始まったし、身体が大人になるにつれ、徐々に安定して鼻血は出さなくなっていく筈ですよ。…多分』


――多分ってなんだ!?と、小一時間ほど問い詰めたくなったが「まあとにかく、15歳ぐらい迄には安定するだろうから、安心しなさい」…と言われ、話しはそこで終了した。


だが、安心するどころか、不安しかない。


今迄はさほど実害が無かったので、いつかは治るだろうと高をくくり、放置していた結果、治るどころか、今回は酷い貧血になってしまうぐらいの大量出血を起こしてしまったのだ。これが果たして15歳までに、完全に安定するだろうか。


このままでは下手すると、初夜のベッドでエレノアが出血多量になりかねない。そうなれば、エレノアの身の安全を優先し、仮に15歳になって結婚出来たとしても、自分達は『白い結婚』を選択する事になってしまうだろう。


『白い結婚』とは、すなわち夫婦生活のない、清い身体のままの結婚の事を言うのだが、そもそもエレノアとの結婚を女性が結婚出来る15歳に決めたのは、とっとと純潔を無くして、王家に奪われるのを避けるのが目的だったからだ。


なのにエレノアが純潔のままでは、例え結婚した所で、いつ王家にエレノアを掻っ攫われるか分かったものではない。それに自分達とて男だ。唯一無二と決めた愛しい相手と結婚したのに、指一本触れられない結婚生活なんて、どんな拷問だというのか。


しかもここにきて、殿下方の宣戦布告である。お陰で自分達の焦りは頂点に達した。


「…アシュル殿下に宣戦布告をされてしまった今…」


「ああ。エレノアには悪いが、悠長にしてらんねぇな」


そう、昨夜「これからは君の声に、もっと耳を傾ける」…なんて言っておいて大変申し訳ないが、状況が変わったのだ。


こうなったら、エレノアの優しさにとことん甘えさせてもらい、何とかギリギリのラインまで『花嫁修業』で、心身共に自分達に慣れさせ、あわよくば溺れさせていかなくてはならない。


鼻血の方も、エレノアが持つ「土」属性の一つである治癒能力を高め、まだ不安定な魔力をその力で整えれば、劇的に改善されていくだろうと先生は仰っていた。ならば花嫁修行と並行して、そちらも着手していかなくては。


――そう…。全てはエレノアと自分達とが、共に歩む幸せな未来の為に。


クライヴはオリヴァーと互いに頷き合うと、腕の中の愛しい温もりを再度優しく抱き締め、その唇にそっと、自分のそれを合わせたのだった。


===================


実は激情型なのが判明したオリヴァー兄様です。

そして『白い結婚回避』に向け、兄様方とセドリックが本気になっていくのであります。

(今迄も十分本気だっただろうとのツッコミは無しで)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る