第264話 美味しいから残せません
「そうそう、お嬢様。視察の件ですが、ゾラ男爵令嬢が同行を所望しております」
途端、爽やかだった食堂の空気がピシリと凍った。見ればクライヴ兄様、能面の様な顔になっている。ウィルや他の召使達に至っては、明らかに顔を顰めているよ。おい、ちょっと君達!レディーファースター精神はどうした!?
「彼女はお嬢様ご不在のおり、領内のあちらこちらを訪れております。なので自分がご案内差し上げたいと申しておりまして……」
へぇ……。そうなんだ。管理者って、領主の代わりに視察なんかも定期的に行うんだな。それを手伝って、フローレンス様もあちこち飛び回っていたという訳か。じゃあ、色々領内の事も知っているみたいだし、案内してくれるのなら心強いよね。
「分かりました。ではお願いしますと伝えて下さい」
「かしこまりました」
「イーサン。同行は許可するが、馬車は別々にしろよ」
「クライヴ兄様?」
「折角のお前と二人きりの空間に、よく知りもしない他人を入れて邪魔されたくねぇ」
「――ッ!」
ボンッと顔から火が噴く。ク、クライヴ兄様!サラリと独占欲発言きましたね!?あ、朝っぱらから、そういう心臓に悪い発言、やめて下さい!もう!!
「お嬢様、お任せください!!我々がお嬢様を、輝かんばかりの天使仕様に飾りたててご覧にいれます!!格の違いを見せ付けてやりましょう!!」
「う、うん。程々によろしく……?」
鼻息荒く宣言された美容班達のやる気が熱い。それにしても、格の違いって……?皆、なにと競い合っているのだろうか?
『そ、それにしても……。この朝食、量が多いな!』
甘いコーンをふんだんに使用した極上ポタージュ。フカフカの焼きたてパン。蜂蜜たっぷりフレンチトースト。特製ドレッシングのかかった、旬のフレッシュ野菜サラダ。そして、産みたて新鮮卵と自家製ベーコン、チーズをたっぷり使用した、フワフワスフレオムレツと、朝採れフルーツ盛り合わせ。しかもカボチャのプリンや苺ムース等、野菜や果物を使ったデザートまで、色々取り揃えてある。
……さっきから頑張って食べてるんだけど……。さ、流石にもう限界かも……。
私は食べても食べても減らない食事を前に、途方に暮れていた。見ればクライヴ兄様の分は、綺麗さっぱりペロリと食べ尽くされている。
ぐぬぬ……クライヴ兄様。細身の癖に、割と大食漢なんだよね。
「お嬢様。無理してお食べになる必要は御座いません。美味しいと思ったものだけ、召し上がって下さいませ」
「う~ん……でも、全部美味しいし……。残すのはなぁ……」
だって残ったものは廃棄されてしまう。こんなに美味しいのに、そんな勿体ない事したくないし……。あっ、そうだ!
「じゃあ、お弁当作ってもらえますか?」
「お弁当……ですか?」
「はい!領内を視察するのって、一日仕事だろうし、皆で休憩する時、手軽に摘まめるようなものを中心に。……それで私の分は、この残ったお料理を使ったお弁当にして下さい!」
「お嬢様!?」
「フレンチトーストとデザートは、頑張って食べ切ります。だから、オムレツとかサラダとか、このフワフワパンに挟んでサンドイッチにして、フルーツも生クリームと一緒にパンにはさんでフルーツサンドにして欲しいです!」
「残したお料理を、お弁当に……?お、お嬢様……!」
うっ!イーサンの眉間の皺が増えた!!こ、今度は流石に淑女らしくないって怒られるかな?で、でもここは踏ん張らなきゃ!
「このまま残すのなんて、食材を作ってくれた生産者の方々や、料理を作ってくれたシェフに申し訳ないもの!……ね、イーサン。お願い!」
私の必死のお願いに、イーサンは物凄く深い溜息をつきながら、眼鏡のフレームを指でクイッとした。……あれっ?か、顔がほんのり赤い。い、怒りを抑えているのか……!?
「……かしこまりました、お嬢様。レスター、今聞いた通りです。余った料理は捨てるのではなく、お嬢様の御昼食として作り直すように」
「は、はいっ!」
イーサンの言葉に、今迄部屋の隅に控えていた料理長だと紹介された男性が、戸惑いながらも恭しく頭を垂れた。
よ、良かった……!イーサン的には不服かもしれないけど、ひとまず納得してくれたようだ。
「レスターさん。美味しい食事を有難う御座います!……あの、でも今日の夕食からは、もうちょっとお食事少なくしてくれますか?どれもとても美味しかったから、残す事になったら勿体ないですしね」
そう言って微笑むと、レスターさんの顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。……ん?あれ?イーサン、何で目元にハンカチあててるの?ひょっとして目にゴミでも入った?
そんなエレノア達のやり取りを、先程から観察していたクライヴとウィルは、揃って半目になった。
「……クライヴ様。あの家令、ヤバイです」
「……お前も分かってきたようだな。ウィル」
「はい。……それにあの人、他の人達と普通に接しているようで、エレノアお嬢様だけしか見てませんよね!?あの狂気にも似た執着……いえ、愛の重さ?……失礼ながら、私が非常によく存じ上げている、どこかの誰か様と非常に近いものを感じます」
「ああ……。そうだな……」
クライヴとウィルがヒソヒソと話し合い、王都にいる、そのどこかの誰かが「ハックシュ」とクシャミをしていた丁度その時。先程朝食の残りをお弁当にするようにと命じられた料理長のレスターが、信じられないといった面持ちで、エレノアを見つめていた。
彼はエレノアがまだ小さい頃、ここに帰って来た時の事を覚えている、古参の使用人の一人である。
『……あの時、お嬢様は「こんな田舎臭いお菓子なんて食べたくない!」と言って、自分が作ったお菓子を床にぶちまけていた……』
お嬢様の好きなものは何かと考え、子供が喜びそうなものをと、色々試行錯誤を繰り返しながら作ったお菓子を一口も食べずに無駄にされ、その時は酷くショックを受けたものだった。
貴族が食事を残す事などありふれた行為だし、食事の度に感謝と感想を口にする御当主様のような方の方がまれなのだ。それは分かっている。だが、心を込めて作ったものを、「田舎臭いつまらないもの」と言い切り、無駄にされた印象が強く、不敬とは思いつつも、お嬢様に対し苦手意識を持ってしまったのだった。
なのに同じ貴族であり、女性であるフローレンス様は、一使用人でしかない自分と顔を合わせる度『いつもありがとう御座います』『美味しかったです』とお声をかけて下さった。それが料理人として、どれ程嬉しかった事か……。
だからお嬢様の為に、離れで料理を作る様にとイーサン様に命じられた時は、ハッキリ言って憂鬱だった。自分と同じ古参の使用人達が口々に「お嬢様はとても変わられた」と話していても、信じる事が出来なかった。
きっと文句を散々言われながら、嫌そうに食事を召し上がられるだろう。いや、一口も食べて下さらないかもしれない。そしてまた、あんな思いをするぐらいなら、いっそお役目を辞退し、罰を受けてでもフローレンス様の元で食事をお作りしたいと、そう思ってすらいた。
だけど、その憂鬱な気分はたった今、ものの見事に吹き飛んでいってしまった。
お嬢様は自分の料理を見るなり目を輝かせ、どれも美味しそうに一生懸命召し上がられていた。
そして、作ってくれた者に申し訳ない。美味しいから残したくないと仰られ、お弁当にしたいとまで望んで下さったのだ。
ハッキリ言って、自分の目と耳を疑った。今見ている光景が、信じられなかった。
「レスターさん。美味しい食事を有難う御座います!」
名を呼び、向けられた愛らしい満面の笑み。
お嬢様に対する偏見が跡形もなく消え去り、代わりに湧き上がってきたのは、涙が出る程温かな感情。
――そういえば……と、ふと思い出す。
『いつも有難う御座います』
お嬢様と同じように、そう言って微笑まれたフローレンス様。だがあの方は、自分の名を一度も呼んだ事が無かった。
……そして、お嬢様が残したくないと仰った、あの料理の数々……あれは。
『食卓にもう少し、彩があったら素敵ね』
『果物の種類が沢山あると、とても幸せな気分になれるわ』
『以前、お父様が王都からお土産に買って来て下さった王都のお菓子。そりゃあ美しくて美味しかったのよ』
そうフローレンス様が呟かれる度、あの方の笑顔が見たくて……。思いつく限りの最高の料理を作り、お出した結果、品数がどんどん増えていったのだった。
しかもその殆どが、僅かに口を付けただけで残され、廃棄されていた。なのに愚かにも、自分は食べてもらえただけで幸せで……。
『食材を作ってくれた生産者の方々や、料理を作ってくれたシェフに申し訳ないもの』
バッシュ領に暮らす人間として……そしてバッシュ公爵家にお仕えする一員としての、とてつもない喜びが湧き上がってくる。ああ。皆の言う通り、お嬢様は本当に変わられたのだ。
「……お嬢様。お弁当も……そしてこれからお出しする料理も、お嬢様を笑顔に出来る様な、とびきり美味しいものをお作り致します!」
今も、幸せそうにカボチャのプリンを頬張る小さな主に向けてそう呟いた後、レスターは深々と頭を下げた。
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美味しいものは、人を笑顔にしますが、心からの感謝もまた、周囲を笑顔にさせます。
そして、イーサンのヤバさを悟った者がまた一人……(笑)
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