第498話 波乱の幕開け
ヴァンドーム公爵家本邸が建つ精霊島の端にある、本邸との間に自然の岩を加工した桟橋で繋がっている巨大な岩礁。
そこには特殊な結界に覆われた、豪奢だが本邸とは比べるべくもなく小さい館が建っている。
ここは表向き、『迎賓館』と銘打ってはいるが、実はヴァンドーム公爵家から密かに不穏分子と目された者を隔離する為の、いわば貴族牢として作られた館である。
そして今現在。その館には、男性血統至上主義を謳う家門の中でも特に強硬派として知られる、ウェリントン侯爵家の一人娘、キーラ・ウェリントン。そして彼女の専従執事である青年が留め置かれていた。
「さーて、そろそろ行こうかな?」
窓に目をやり、外がすっかりと暗くなった事を確認した青年……ヘイスティングは、座っていたソファーから立ち上がる。そして人形のように微動だにせず、体面のソファーに座っていたキーラに向かって、手を差し伸べた。
「さあ、ご一緒に。お嬢様」
キーラはヘイスティングの言葉にコクリ……と頷き、差し出された掌に自分の手を添え、立ち上がる。
ヘイスティングは優雅な仕草で彼女を誘導しながら、自分達を監視する者への目くらましとして、応接室内に張り巡らせていた結界を外し、廊下へと出ていった。
だがその瞬間、黒いローブを纏った男達が音もなく、次々とヘイスティング達の目の前に降り立った。
「ふふ……。ヴァンドーム公爵家の『影』か……」
素早く周囲を取り囲まれるも、ヘイスティングは余裕な態度を崩さずに笑みを浮かべる。
「出番ですよ?お嬢様」
すると、スッとキーラがヘイスティングの前に立った。
キーラの行動に戸惑いを見せた『影』達を、ペリドットグリーンの瞳が捕らえた次の瞬間。
「――ッ!?」
「ぐっ……!!ああっ!!」
『影』達の口から小さな悲鳴が上がり、次々と床に頽れていく。
「……貴方達、本邸まで私をエスコートしなさい……」
キーラからの命令に、蹲っていた『影』達はゆっくりとその身を起こす。そして、忠誠を誓った主にするようにキーラに向かって片膝を突くと、恭しく首を垂れた。
◇◇◇◇
「……ん?」
護衛騎士の一人が薄闇の中、迎賓館からこちらに向かって歩いて来る二つの影を目にする。
「――ッ!」
途端、その場にいた全ての騎士達が一斉に剣や刀の柄へと手をかけ、臨戦態勢へと入った。
迎賓館へと入れられた者や、彼らを見張る者達がこの道を通る事を許されるのは、当主の命を受けた使者が訪れた時のみ。
だが、ウェリントン侯爵令嬢達があの館に入れられて以降、当主の命を受け、迎賓館に赴いた者達は皆無。……つまり今、こちらにやって来る者達は、当主の許可を得ていない者……すなわち『敵』である可能性が高い。
「そこで止まれ!!」
「貴様ら何者……ッ!?あ、貴女は……!!」
不審者達の姿が完全に目視出来る距離までやってきた時、その場の騎士達の顔が驚愕の色に染まる。
何故ならば、こちらにやって来たのは、専従執事である青年に恭しく手を取られたベネディクトの婚約者……いや、『元』婚約者のキーラ・ウェリントン侯爵令嬢だったからだ。
「何故ここに……!?見張りの者達は一体、何をしていたのだ!?」
厳しい目を向けたまま、隊長格の騎士が呟くように口にすると、専従執事の青年……ヘイスティングがうっそりと嗤う。
「ああ、彼らですか?私達が本邸に向かいたいと伝えたら、快く送り出してくれましたよ?」
その言葉を聞いた騎士達の間に衝撃が走る。
『――ッ!?馬鹿な!見張っていたのは、魔術耐性のある『影』達の筈!!』
騎士達には、迎賓館に隔離した目の前の少女が、人心を操る魔力を持っている可能性を伝えられていた。
同時に、今現在迎賓館を見張っているのは、洗脳系の魔力に耐性を持つ『影』達である事も伝えられていたのだ。
なのにこの目の前の男は、その『影』達が自分達が迎賓館を出ていくのを黙認したと言い放った。
それはすなわち、ウェリントン侯爵令嬢が彼ら以上の『力』を有し、『影』達を懐柔もしくは洗脳した……という事に他ならない。
「総員、抜剣!いいか、目の前にいるのは、我が国の至宝である女性。だが同時に『敵』でもある!!『力』を使われる前に、速やかに捕縛しろ!!男の方は……殺すつもりでかかれ!!」
隊長格である騎士の命令に、その場の騎士達が次々と剣や刀を抜き、目にもとまらぬ速さでヘイスティングとキーラに襲いかかった。
だが騎士達の目の前に、ヴァンドーム公爵家の『影』が音もなく飛来し、対峙する。そして驚き、僅かに逡巡した騎士達の剣や刀を次々と弾いていく。
「くっ……!貴様ら!!」
そのまま、『影』と騎士達との激しい打ち合いが始まる。……その力量はほぼ互角。
だが対峙する相手が仲間であると認識している騎士達とは違い、『影』達の方は、騎士達をあくまで倒すべき『敵』として攻撃してくる。そこには、身内に対する容赦や戸惑いは一切感じられない。
その認識の差によって、騎士達が次々と深手を負わされていく。しかも周囲は夜の帳に包まれており、状況的にも『影』にとって有利だった。
「おいっ!お前達正気に戻れ!!貴様らが仰ぐ主君は、その令嬢ではない!!」
部下達が次々と相打ち、もしくは倒されていく中、隊長格である騎士が必死に呼びかけるも、『影』達の猛攻は止む気配がない。
そうこうしているうちに、『影』の暗器が彼の脇腹を深く抉った。
「ぐ……っ!!」
呻き、痛みに一瞬気がそれたその隙を逃さず、騎士の剣を的確に弾き飛ばした『影』が、とどめを刺すべく暗器を突き立てようとした、その時だった。
「……遅い」
どこかしらか声が聞こえたと思った瞬間、一陣の風が吹いた。
その一瞬後、『影』の身体が地面に叩きつけられ、他の『影』達も次々と地面に沈められていく。
「――ッ!?……い、一体……何が……?」
抉られた脇腹を抑え、呆然と呟いた騎士の目の前に、ヴァンドーム公爵家の『影』が纏っているものとは違う意匠のローブを纏った男が、まるで闇の中から浮き出てきたかのように、その姿を現したのだった。
「ヴァンドーム公爵家の騎士諸君。君達、折角筋は悪くないのに、甘すぎだね。仕える主家の為ならば、たとえ味方であろうとも、操られた時点で情は捨て去らなきゃ!」
この場に立ち込める緊迫した空気にそぐわぬ、のんびりとした口調。
だが、纏う殺気は鍛え抜かれた騎士達ですら、思わず息を呑む程だった。……そして、男のローブに刻まれた紋章を確認した騎士の一人は目を大きく見開き、叫ぶ。
「そ、その紋章……!王家の『影』か!!何故ここに!?」
彼等が驚くのも無理はない。
基本、王家の『影』は、王族がいればなによりもその警護を優先し、傍を離れない。ましてや帝国が動いているこの状況下だ。この場の騎士達が驚愕するのは、至極尤もな事であった。
――……もしや、この状況を予測した王家直系が、この男をこの場に寄越したのか!?
だとすれば、なんという慧眼。流石は王家……と、心の中で感嘆する騎士達を他所に、王家の『影』は飄々と言い放った。
「何故って?そりゃあ、タンポポ令嬢が動き出すタイミングに、真っ先に駆け付ける為に決まっているだろ?だってさ、裏切者決定ー!ってなったら、堂々と粛清出来るじゃないか!」
――は?
「そこにいるご令嬢ってさぁ、僕の愛する女神様の御使いたる『姫騎士』を、今まで散々愚弄しまくってくれたんだよ。『姫騎士同好会』の会長として、その愚行を許す事は出来ないね!」
『……え~と……?』
つまり、この王家の『影』である男は、己の私情から王家直系の警護をすっ飛ばしてここに張り込んでいたらしい。
緊迫した状況化にも拘わらず、騎士達は唖然としてしまった。
絶対の忠誠を誓った王族よりも姫騎士って……。気持ちは分からないでもないが、それでいいのか王家の『影』!?
「……ほぉ……。流石は王家の『影』。これだけの手勢を一瞬で……。素晴らしい!しかも君って、かなり変わったスキルを持っているようだね?」
突如発せられた言葉に、ピクリ……と、王家の『影』である男の肩が僅かに動いた。……と思った瞬間、更なる殺気が男の身体から噴き上がる。
だがヘイスティングは臆する事なく、その様子を楽しそうに薄笑いを浮かべながら眺めていた。
「ふふ……。しかもその『姫騎士』もといバッシュ公爵令嬢への傾倒っぷり……。いいねぇ!ヴァンドーム家の本邸に乗り込むには、これ以上はない程の逸材だ!彼女の元に辿り着くまでは、そこに転がっている『影』達を使い潰そうかと思っていたが、それよりもよっぽど効率がいい」
「?なにを訳の分からない事を言っているんだ?その小娘の能力ごときがこの僕に通用する訳ないだろう」
王家の『影』は、訝し気な口調でヘイスティングの言葉を否定しながら、ローブ越しにそっと胸元を撫でる。
「本当は、この娘の望み通り、バッシュ公爵令嬢の『最愛』を駒にして、より絶望を与えてやるつもりだったが……。『本命』を従えるまでの時間稼ぎには、君のスキルを使った方が都合が良い」
「……おい。さっきからなに訳の分からない事を、ごちゃごちゃと……」
お構いなしに喋り続けるヘイスティングに、王家の『影』が、僅かにイラついた声をあげた。その時だった。
「――ッ!?……ぐ……っ!!あああっ!!」
突然、彼は自分の胸元に手を当て、掻きむしるような動きを見せた。それと同時に、その胸元が淡く光ったかと思うと、ジュッと何かが燃え尽きるような音が響いた。
――い……一体なにが……!?
王家の『影』が苦しそうに身体を折り曲げ、膝を地面に突きながら呻く様を、騎士達は驚愕しながら見つめる。……が、突如その動きが止まり、彼は音もなくゆっくりと起き上がった。
「『反転』は成功した。さあ、お前が
ヘイスティングの言葉に、気配も何もかもを様変わりさせた王家の『影』がコクリと頷く。次の瞬間、騎士達の周囲に一陣の風が吹き抜ける。
「!?」
「が……っ!?」
声を上げる間も無く、次々とその場に崩れ落ちていく騎士達。
彼等が最後に目にしたもの。それは、外れたローブから零れ落ち、月の光に照らされたなびく藤色の髪だった。
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愉快な晩餐会の裏側では、不測の事態が展開しておりました。
そして、よりによって激ヤバなお方が『反転』されてしまったもよう……。
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