第80話 ヴァイオレット・ローズ③

シーン…と、痛いぐらいの静寂に包まれた部屋の中、私にジュースを差し出した格好で固まっているオネェ様を前に、私の背筋に冷や汗が伝い落ちる。


『え…?えっ!?わ、私…何かやらかした?!…あっ!思わず前世のノリで、『オネェ様』呼びしたのが不味かった!?ひょっとして『オニィ様』って呼ばなきゃダメだったとか!?で、でも…仮にも心は女性の人にそれはマズイのでは…!?』


そうこうしている間に、オネェ様は顔を俯かせ、身体を小刻みに震わせ始めた。


「……エレノアちゃん…」


「…はっ…はいっ!?」


やがて振り絞るように、ドスの効いた低い声がオネェ様の口から洩れ出る。私は顔を青褪めさせながら、ゴクリ…と喉を鳴らした。


――オリヴァー兄様、済みません。何かあったらすぐ逃げろって忠告してくれたのに…。でもこの状況で、どうやって逃げればいいのか、私には分かりません。兄様、トラウマあって嫌でしょうけど、私に何かあったら、骨だけは拾いに来てくださいね!


「…マリアンヌよ…」


「…はい?」


「私の名前、マリアンヌって言うの…。お願い!もう一回、『マリアンヌお姉様』って言ってみて!!」


ズズイッと、鬼気迫る表情で迫られ、思わずのけぞりつつも、私はオネェ様に言われた通りの言葉を口にする。


「マ…マリアンヌ…オネェ様?」


その途端、マリアンヌオネェ様の目から、まさに滂沱と呼ぶに相応しい、滝の様な涙がダバーッと流れ落ちた。そして「え?え?」と戸惑う私を他所に、オネェ様はその場で膝から崩れ落ち、蹲ってしまう。


「お、オネェ様っ!?」


床に蹲り、嗚咽を漏らすマリアンヌオネェ様に駆け寄り、どうしようと、取り敢えず背中を擦ってみると、今度は物凄い勢いでそのまま抱き締められた。…というか、羽交い絞めにされた。


「嬉しい…ッ!!こんなの初めてよ!この私が…初対面で『女』扱いされるなんて…!!」


そのままオイオイ泣きじゃくるオネェ様の腕の中、どうする事も出来ずに成すがまま状態の私だったが、いつの間にやら周囲を他のオネェ様方に囲まれていた。…しかも主に、ガタイのよろしいオネェ様方に。


「エレノアちゃん!私もお姉様って呼んで頂戴!!」


「私も!!あ、私の名前はオリビアよ!!」


「私はソフィアって言うの!」


「ちょっと!割り込まないでよ!早い者勝ちよ!!」


「って、マリアンヌ!あんたいつまでその子抱いてんのよ!ズルいじゃない!私も抱きたぁ~い!!」


「…えっと。オリビアオネェ様、ソフィアオネェ様?」


「「きゃ~~♡♡♡」」


私に名を呼ばれたオネェ様方が、口々に野太い歓声を上げる。私も私で、最初は警戒されていたオネェ様方が心からの笑顔を向けてくれる事が嬉しくて、つい強請られるがまま、オネェ様方の名前を呼びまくってしまった。


その度「いや~♡♡イイッ!!」「か~わいい~♡♡」と、歓声が上がり、きゃあきゃあ、わぁわぁと、気が付けば店中のオネェ様方に、抱き着かれたり抱き上げられたり(ここら辺、流石は元男性)頬にキスされたりと、まさにもみくちゃ状態にされてしまう。


「ああ…なんて可愛いのっ!お人形さんみたい!」


「本当、女なんかにしておくのが勿体ないわ!!」


「マダムの言う通り、女の皮を被った何か…ううん、『エレノア』って名前の何かよねっ♡」


「ちょっと!なに勝手にエレノアちゃんを人外にしてんのよ!?ねぇ、エレノアちゃん、もういっそ、私の妹にならない?デロデロに甘やかしてあげるわよ~♡♡」


「ちょっとぉ!何抜け駆けしてんのよ!エレノアちゃん、こんなゴツイ女の妹なんて嫌よね~?私の妹になりましょ?」



「なに言ってんのよ!あんたの場合は年齢的に、妹ってより娘でしょ!?」


「何ですってぇ!」


…どうしよう。オネェ様方の猛攻が止まらない。


いや、嫌ではないです。嫌ではないんだけど、オネェ様方のデザイアが炸裂していて、なんかもう、どうしていいのか状態です。と、ところで父様方は…。


あ、アイザック父様がオロオロしてるけど、オネェ様方の勢いに負けて入り込めないでいる。あれだね、バーゲンセールで争奪戦やってるおば様方の中に入っていけない、とある亭主って感じ?グラント父様は…何ですか?そのドヤ顔は。うんうん頷いていないで助けて下さいよ!メル父様は…。ああ、ニコニコこちらを見ながらワイングラスを傾けている。…駄目だ。めっちゃ面白がってる。助ける気皆無ですね?


「はーい!!そこまで!あんたら、いい加減はしゃぐのは止めになさい!!あらヤダ、お顔がキスマークだらけでた~いへん!」


見かねたように、私をオネェ様方から引き離したマダムは、苦笑しながら、おしぼりで私の顏を優しく拭いてくれる。…なんか、小さな子供になったみたいでくすぐったい気分になってしまうな。


「…お母さんみたい…」


思わず前の世界でのお母さんを思い出してしまい、無意識にポロリと漏らした私の呟きに、マダムの手がピタッと止まった。


「あれっ?」と目を開けてみると、目を思いっきり見開いて私を凝視している。…あ、ヤバイ。私、今度は本当に失言したようだ。そうだよね。うら若き(?)オネェ様に向かって『お母さん』は無いだろ!その気はなくとも、喧嘩売っちゃった感じだよね?!本当、何言っちゃってんだよ私のバカ!!


「……ち…」


マダムの形の良い、艶やかな唇がゆっくり開き、私の背中に、新たな冷や汗が伝い落ちた。


「ちょっとー!アイザック聞いた!?お母さんだって!お母さん!!って事は、あんたが父親で、私が母親って事よね!?そーよね!!?ああ…!まさかあんたの娘が私の事を母と認めてくれたなんて…!そーよ!だいたい、男とっかえひっかえしているあのフシダラ女と違って、アタシってば一途だし、純情だし、母性だって絶対溢れんばかりに備わってるし!どう考えたって、私の方があんたに相応しいわよねっ!あんたと私とエレノアちゃんで、理想の夫婦の完成だわ!…ああ…いいわぁ…♡♡」


弾丸トークで捲し立て、ウットリとしているマダムと対照的に、アイザック父様の顏が青褪め、引き攣ってる。…マズイ。どうやら私、マダムのやばいスイッチを押してしまったようだ。でもマダム、アイザック父様の事、もう吹っ切った筈では…?


「いいわ、エレノアちゃん!私も女よ!貴女の娘心を全力で受け止めてあげる!さぁ!私の事を母と呼びなさい!」


「エレノア!別に言わなくてもいい…ブッ!」


――あっ!アイザック父様にマダムのラリアットが炸裂した!…駄目だ。マダムが完全にイッちゃってる。目もギラギラしていて、圧が半端ない!うわ~…期待に満ち満ちたマダムの笑顔がキラキラしい。本人には口が裂けても言えないけど、ハッキリ言って確かに、マリアお母様よりもマダムの方が美人だ…。流石はこの、顔面偏差値が高すぎる世界の元・男性。


で、でも、なんかこのパターン、メル父様やグラント父様の時と同じだな。うう…あ、会ったばかりの人をお母様呼びして、いいものなのだろうか…。な、なんか恥ずかしいし…。で、でもこれって…言わなきゃいけない流れ…だよね?


「メ…メイデン…お母様…?」


顔を真っ赤にし、モジモジしながら小さな声でマダムを母と呼ぶ。――と、マダムが「ヴッ!」と低く呻いたかと思うと、胸を押さえて机に突っ伏した。それと同時に、周囲からもバタバタと音がして、慌てて見回してみると、オネェ様方もマダム同様、胸を押さえてあちこちで倒れたり蹲ったりしていた。…あの…もしもし?


「…う…撃ち抜かれたわ…!なんなの…。一体なんなのよ…!?この可愛い生き物!!…はぁ…。未だ嘗て経験した事のない温かい感情が、胸の奥から湧き上がってくるみたいよ…。ひょっとしてこれが…母性…!?」


「はぁ?母性?お前男じゃん。気でも狂ったか?」


頬を染め、ウットリとそう呟くマダムに対し、グラント父様の空気を読まない容赦無きツッコミが炸裂する。


当然と言うか、ビキリ…と、マダムのこめかみに青筋が浮かんだ。


「…グラント…てめぇ…!言っちゃならねぇ事をよくも…!このデリカシー皆無の脳筋野郎がっ!!」


「いてっ!いててっ!!おい、やめろ!!ピンヒール攻撃は卑怯だぞ!!」


「うるせぇ!!貴様なんぞ、今日こそ潰す!いや、潰れろ!!このボケカスが!!」


「ちょっ!てめぇ!ピンポイントで股間狙って来るんじゃねぇよ!!」


マダムにピンヒールで容赦なく足蹴にされ、グラント父様が悲鳴を上げている。…でも反撃はしていない。どうやら口では何だかんだ言いつつも、しっかりマダムの事は『女』と位置づけてるみたいだ。グラント父様。脳筋のくせに、無意識でそういう所、ちゃんと弁えてるんだよね。だから、マダムやオネェ様方に受け入れられているんだろうな。


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ドラゴン殺しの英雄殺し、炸裂です!そして第二の母が誕生しました(笑)

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