第34話 兄達の婚約者②(セドリック視点)

「本当に、申し訳ありません!僕が迂闊な事を話してしまったばかりに…!」


そう言って僕は、深々と頭を下げた。


結局、僕やウィルを締め出したエレノアは、ドアの向こう側から必死に説得し続けた兄達や父達の言葉にもまるで聞く耳を持たず、終始無言を貫いた。(というか後で聞いたら、ただ単に寝ていて聞こえなかっただけらしい)


まさか口付けだけでなく、エレノアが貴族社会の男性の嗜みについて、まるで理解していなかったなんて思ってもみなかった僕は、ベラベラと余計な事を話しまくってしまい、結果、この屋敷の全ての者がエレノアの部屋に出入り禁止となってしまったのだった。


ウィルの言う通り、口付けだけであれ程恥じらっていたのだから、指摘されずとも気が付くべきだったのに…。


そういえば…と思い出すのは、何回か参加した事のあるお茶会だ。


ご令嬢達は皆とても早熟で、普通に婚約者や恋人達と口付けをしていて、エレノアのように恥じらいを見せる子は一人もいなかった。


僕はご令嬢達とはあまり話をせず、空気に徹していた。

母の事があって、女性に苦手意識があったという事もあるけど、何より彼女達から向けられる、まるで品定めをされているような視線と何かを含んだ笑顔が恐かったからだ。


エレノアは、あのご令嬢達とは全く違っていたというのに…。


とにかく、兄上達には申し訳なさしかない。エレノアに対しても、彼女の無垢で繊細な心に深い傷を負わせてしまったのではないだろうか。もし穴があったら入りたい。そしてどうか埋めて下さいとお願いしたい。


とばっちりで部屋の出入りを禁止されてしまったウィルにも、本当に申し訳ない事をしてしまった。

ウィル…ショックのあまり、部屋で寝込んでしまったらしく、「お嬢様に嫌われた…この世の終わりだ…」と、うわ言のように繰り返しているみたいだから、後でまた誠心誠意謝る事にしよう。そしてウィルの好物の苺のタルトを持って行ってあげるとしよう。


「いや、お前にエレノアの事情を話していなかった僕達の責任だから。気にしなくていいよ」


そう、疲れた声で僕を慰めてくれるオリヴァー兄上の言葉に、クライヴ兄上と父上、そしてエレノアの父上であるバッシュ侯爵様が、それぞれ同意するように頷いた。


「エレノアの事情…ですか?」


下げていた頭を上げ、首を傾げる僕を、父上が面白そうな顔で見つめる。


「おや?セドリック。お前、何時の間にエレノアを呼び捨てにするようになったんだい?」


「えっ?!あ、そ、それは…あのっ!ぼ、僕たち、友達になったから…そのっ、エ、エレノアが、お互いに名前を呼び捨てにしようって…」


指摘され、思わず顔を赤らめ、挙動不審になりながらも、必死に先程のエレノアとのやり取りを説明すると、その場の全員が揃って苦笑した。


「エレノアらしいね」


「ああ、本当にな」


そう言い合っている兄上達の表情は、エレノアに対する愛情に満ち溢れていた。ああ…この人達は本当に、心の底からエレノアの事を想っているんだなって、そう感じられた。


「そうか…。あの子がそんな事を。確かにあの子には今まで、年の近い友達がいなかったからね。セドリック、済まないがあの子の望み通り、今後ともエレノアと仲良くしてやって欲しい」


「は、はいっ!勿論です!」


バッシュ侯爵様に優しい顔でそう言われ、僕は何度も頷いた。


「でも、あの…。宜しいのでしょうか?僕なんかが、エレノアの友達になんて…」


一番認めて欲しかった人に否定され続けてきた。そんな僕の事を、あっさりと肯定し、優しく微笑んでくれた人。

そして、誰かを守る為、自分の命すら顧みる事無く命の危険に立ち向かう事が出来る、とても強い人。


『確かに、セドリック様はオリヴァー兄様やメルヴィル父様とは似ておりませんが、それでも、セドリック様にはセドリック様にしか出来ない、素晴らしいものが沢山あると思います』


『私、今迄食べた中で、このお菓子が一番好きです。美味しいだけじゃなくて、食べるとホッとする。優しい味です。まるで、セドリック様の優しいお心のようですね』


優秀で美しくて、女性なら誰もが望むであろう、理想的な婚約者である兄上達がいるというのに、ちゃんと僕を見て、僕を理解した上で、笑って手を差しのべてくれた。あんな奇跡のような子がこの世にいたなんて…。


きっと、彼女が望めば兄上達のみならず、誰もがその心を彼女に捧げてしまうだろう、そんな彼女の傍に友人とは言え僕なんかがいるなんて、果たして正しい事なのだろうか。


「…お前には、話しておくとしよう。セドリック。エレノアはね、二年前に突然、記憶喪失になってしまったんだよ」


「え!?」


オリヴァー兄上の言葉に衝撃を受ける。あのエレノアが、記憶喪失に…?


「それ以降、あの子は変わってしまった。僕達の事や、この世界の常識を全て忘れ、純粋無垢でとても優しい…。今、お前が知っている『エレノア』になったんだよ。以前のエレノアは普通の女の子達同様、とても我が儘を言う子だったし、僕とクライヴを嫌ってもいた」


そんな…。じゃあ、僕が聞いていたエレノアの噂は真実で、それが二年前に突然、今のエレノアになったというのか?


突然、今迄生きて来た事、親兄弟、知人…それら全てを忘れてしまう。

そんな辛い経験をしたというのに、僕なんかを励ましてくれて…その上、友達になりたいとまで言ってくれたなんて…。


「セドリック。エレノアと接したお前なら分かると思うが、あの子を不用意に外に出すのは危険なんだ。きっと、あの子と接した誰もがあの子に心奪われ、共に在ろうと望むだろう。実際今回の件に絡んで、以前からあった危険要素が更に増してしまった。僕達はきっと、今まで以上に彼女の自由を奪ってしまう事になるだろう。…彼女を…失わない為に」


彼女エレノアを失う?それは一体、どういう事なのだろうか。


「だからお前がエレノアと友達になったと聞いて、僕達はとても喜んでいるんだ。…セドリック」


「は、はい。兄上」


「同年代の友達として、同じ属性の魔力を持つ者として、どうかこれからもエレノアを傍で支え、守ってやって欲しい。お前なら、僕やクライヴとは違う角度からあの子と接する事が出来る筈だから」


いつもいつも、手の届かぬ場所に立っていた完璧な兄。


その兄からの言葉。誰よりも大切にしている存在を、共に守って欲しい。そう告げられた事実に胸が震える。


――エレノア…。


硬い澱に覆われ、縮こまっていた僕に、暖かい微笑みと優しい手を差しのべてくれた愛らしい少女。


あの輝石のような存在を守る。その為には、「僕なんかが」なんて、言い訳を言って逃げていてはいけないんだ。


「オリヴァー兄上、クライヴ兄上。僕は強く…なりたいです!どうか僕を、鍛えて頂けないでしょうか」


兄上や父上を、手が届かない、決して追いつく事の出来ない存在だと諦めるのではなく、理想の自分に近付く為の目標にしたい。


そんな僕を、兄上達は嬉しそうな顔で見つめ、頷いた。





◇◇◇◇





その日から僕は兄上達に師事し、剣と魔力の修行に明け暮れた。


兄上達も、普段の優しさはいずこへ?という程のスパルタ指導だったが、手を抜かれていない事が分かって、逆に僕は嬉しかった。


勿論、修行と並行して未だに使用人はおろか、兄上達の入室も禁じているエレノアへの魔力供給は言うに及ばず、食事や僕の作ったスイーツを届けたりと、エレノアが快適に過ごせるように尽力する事も忘れない。


それにしても…。他の皆が入室禁止になっている中、何故僕だけ入室許可が下りているのだろうか。


訳が分からないので、兄上達や父上に訳を聞いてみたものの「ずっと、分からないままのお前でいてくれ」と、よく分からない言葉ではぐらかされてしまった。


なのでエレノア本人に直接聞いてみたら、「だって、セドリックは穢れてないって分かってるから…」と言って、遠い目をしていた。


穢れてない?という事は、兄上達や父上達は穢れているって事?…えっと、何がどう穢れているのかな?


悩む僕に、エレノアは「深く考えなくてもいいから」と言ったが、『余計な事考えたら、貴方も出入り禁止にするからね?』という言葉が同時に聞こえた気がして、僕はその事に対して詮索するのを止めた。


その後、体調が復活したエレノアは、「明日からセドリックと一緒に剣の訓練に参加するから!…それと、兄様達に、お部屋への立ち入りを許可しますって、伝えておいてくれるかな?」と、僕にお願いして来た。どうやら心の整理がついたみたいだ。


僕はホッと胸を撫で下ろしながら、兄上達にその事を報告しに行った。


その後はというと…。兄上達は、今迄触れられなかった鬱憤もあったのか、エレノアを物凄い勢いで抱き潰していた。父上やバッシュ侯爵様も、そんな兄上達の横で今か今かとソワソワしている。エレノアは顔を赤くし、苦笑しながらも、そんな兄上達の腕の中で甘えていた。


――それを目にした瞬間、僕の胸に小さな痛みが走った。


キスをしたり抱き締めたり。それは女性が認めた恋人ないし、夫となるべき者にだけに許された特権だ。


僕は…確かにエレノアの友達だけれども、兄上達のように、気軽に彼女に触れる資格は無い。その事実を目の前で嫌と言う程突き付けられたようで、意識なく拳を握りしめた。


その後も訓練のたびに、クライヴ兄上とエレノアが楽しそうに戯れているのを見た時や、エレノアを膝に乗せ、お菓子を食べさせているオリヴァー兄上を眺めていた時にも、同様の痛みが僕を襲った。


『あの子と接した誰もがあの子に心奪われ、共に在ろうと望むだろう』


ふと、兄上が仰っていた言葉が脳裏に蘇ってきた瞬間、僕はその言葉を完全に理解した。


エレノアの事を、とても素敵な女の子だと好意を持った。


そんな彼女と友達になれた。その事が本当に幸せで…天にも昇る思いだった。もっともっと、彼女の為に強くなろうと誓った。彼女の傍らにいるのに、恥ずかしくないように。


――でも、僕は気が付いてしまった。それだけでは…足りないと。


本当はもっと傍にいたい。兄上達のように、気軽に触れたい。蕩けるような笑顔を向けてもらいたい。…僕の事を…愛してもらいたい。


そう、僕はエレノアに恋していた。


自覚してしまえば、欲望はどんどん溢れ出てきて止まらない。当然のようにエレノアの傍にいる兄上達に、妬ましささえ抱いてしまう。


そんなのは間違っている。僕はあくまでエレノアの友達で、エレノアも友達として、僕に好意を持っていてくれる。…けど、ただそれだけだ。例えこの気持ちをエレノアに伝えたとしても、僕が兄上達みたいに、彼女から愛される事は決してない。


「セドリック?ぼんやりしてどうしたの?」


「…え?うわっ!」


気持ちを落ち着かせる為、クッキーを焼いていたのだが、どうやら上の空になってしまっていたらしい。生地を見てみれば、いつのまにか物凄く薄く引き伸ばしてしまっていた。多分これの厚さ、一ミリも無いんじゃないかな。


「何か考え事していたの?」


「う…うん…。ちょっとね…」


「ひょっとして、剣の事?セドリック、凄く上達しているから安心して!毎日、凄く頑張っているもん。今度打ち合ったら私、負けちゃうかもしれないね」


そう言って笑うエレノアが愛しい。

ふと、形の良い唇に目が留まる。そうだ…。魔力を流し込む時、この唇に口付けたっけな。


「セドリック?顔が赤い。ぼんやりしているし、ひょっとして熱でもあるの?」


そう言って、エレノアが心配そうに僕の顔を覗き込んだ後、そっと額に手を触れた。

突然の事に、僕は一瞬で身体中が熱くなってしまった。


「…うん、顔は赤いけど、別に熱は無いね。でも体調が悪い時は、無理せずちゃんと言うんだよ?我慢するのなんて、ちっとも偉くなんかないんだからね。それに、自分を大切にしない人は、他人を大切にする事なんて出来ないんだからね」


慈愛に満ちた顔で、まるで母か姉のように僕に言ってくれたその言葉に、目を見開く。


「自分を…大切に…?」


「うん。だって、自分が辛かったり苦しかったりした時、他人の事なんて構ってられないし、ましてや心から思いやる事なんて出来ないでしょう?勿論、出来る人もちゃんといるけど、大抵の人はそんなの無理だと思うんだよね。平気だってフリして頑張っても、相手はそういうのちゃんと見抜くもんだよ。で、無理したツケは、自分自身に返ってくる。結局誰もが幸せになれない。そんなの、バカみたいでしょう?」


エレノアの言葉を聞いているうちに、もやもやとした苦しさが無くなっていく。


「…ごめん、エレノア。僕、急用が出来た」


「え?あ、そう?」


「うん。帰って来たら、ちゃんとエレノアの為に、とびきり美味しいクッキーを作るよ」


そう言ってエプロンを脱ぎ捨て、僕は厨房を後にする。


「『自分を大切にしない人は、他人を大切にする事なんて出来ない』…か。そうだね。だったら僕も、足掻くぐらいはしてみるよ。…僕自身の為に」


そうしてある部屋の前に到着する。

僕は気持ちを整える為、深呼吸を一つした後、ドアをノックした。


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男性陣が、『無垢で繊細』と思っている当のエレノアですが,経験値が無垢なだけの、ただの耳年魔だったりします。

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