第117話 番狂いの女王

「…ふん。やはり出て来たか、あの女狐」


木陰で一人佇み、そう呟いているのは、アルバ王国第三王子であるフィンレーだ。


「ふふ…。それにしてもエレノア嬢は本当に僕の意表をつく子だ。あの恰好もそうだけど、まさかこんなに面白い試合ものを見せてくれるなんてね…」


体格的にも身体的にも上回っているであろう獣人相手に、よくぞあのような見事な戦いを繰り広げたものだ。

彼女を鍛え上げたクライヴ・オルセンが素晴らしかったのか、エレノア嬢の才能が素晴らしいのか…。それともその両方か…。


「ああ…。それにしても、本当に美しいな!」


第二王女を撃破し、再び自分の剣を帯刀したエレノアの姿に、胸に熱いものがとめどなく湧き上がってきてしまう。

思わず彼女の姿を恍惚とした表情で見つめてしまう程に。


あの小さな身体が華麗に宙を舞い、的確な判断と技とで敵を打ち負かしていく姿を見る度、今迄の鬱屈とした気持ちが昇華され、溜飲が下がっていく。


彼女の戦いっぷりを目の当たりにした、この場の学生達も皆、間違いなく自分と同じ気持ちを抱いているのであろう。


特に痛快なのは、エレノア嬢を嘲り侮っていた獣人達の態度の変化だ。


自分達の崇め奉っている王女達が次々やられていく姿に動揺し、憤怒していく様は見ていて最高に小気味いい。


「出来ればこのまま、いつまでも彼女の戦う姿を見続けていたいけど…。そうも言っていられない…か」


フィンレーは視線をエレノアから外すと、獣人王国の王太子であるヴェインを見やった。


――…リアムの話を聞いた時には『まさか』って思ったけど…。どうやらあの子の言っている事は本当だったようだね…。


昨夜、リアムが自分達に「ひょっとしたら、エレノアはヴェイン王子の『番』かもしれない」と話してきたのだ。


あまりにも突飛な話に、兄達は半信半疑であったが、実際にあの王太子と接触していた僕には思う所があった。


なのでそれを確かめる為に、この場所で彼を観察していたのだ。

…まあ、その為だけで、ここに居る訳ではないのだけれど。


――そうして観察を続けた結果、リアムの話は事実だったという結論に至った。


なにせ彼は他の獣人達と違い、エレノア嬢が危険に陥る度、不穏な状態になっていたのだから。


第二王女が怒涛の攻撃を繰り広げている時などは、憤怒の形相で今にも飛び出さんばかりに身体を前のめりにさせていたし、エレノア嬢が第二王女にうち勝った時など、安堵の表情まで浮かべている始末だ。


『…本来、獣人とは『番』の危機に我を忘れるものだと知識では知っていたが…まさかあそこまでとはね』


あの、人族を矮小と見下している獣人族の頂点である王族が、あろう事かその人族の少女の身を案じる様子を見せるだなど…。これはどう考えても、エレノア嬢があの少年の『番』だとしか考えられないだろう。


「…ふ…。まぁ、お前ごときに、あの子は渡さないけどね…」


運命の番?自然の摂理が定めた、魂の半身?…馬鹿馬鹿しい。全くもってくだらない。


僕らは人間だ。原始の本能と欲望に縛られたお前達が持つ、野生の論理を押し付けるなと吐き捨てたくなってしまう。


そういう意味では、今エレノア嬢と対峙している女狐に一方的に番認定されてしまったオリヴァー・クロスには、心の底から同情する。


気に入らない相手だが、もし僕があの女に番認定され、その所為でこの世の誰よりも愛しい相手の命を脅かされでもしたら…。多分冷静ではいられないだろう。自分の所為ではなくとも、己を責めてしまうに違いない。


あの男とは根本的に相容れないし大嫌いだが、同じ女を好いた者同士として、気持ちは痛いほど分かる。


それにしても…。


「これもエレノア嬢の影響かな?この僕が、他人の…しかも恋敵の気持ちを考えるなんてね。…まあ、同じ恋敵でも、あちらに関しては同情はしないけど」


――ヴェイン王子。


彼は今、実の姉と対峙しているエレノアを凝視している。それも自分の席で微動だにせず・・・・・・にだ。


『闇』の魔力属性を持つ自分にはすぐに分かった。多分彼は姉によって、精神感応的な呪縛を受けているのだろう。


そもそもあの第一王女は獣人の中でも突出して魔力量が高い。その上、影達からの情報によれば、母譲りの『妖術』という、魔力とはまた別の力を持っているのだそうだ。


実の弟に対し、その力を使って心身を束縛する。…その行動が指し示すものはつまり…。


「弟の『番』だと承知の上で、本気でエレノア嬢を殺すつもり…という訳だ。やれやれ、『番狂い』とはやっかいなものだな。…それにしても、我が国で女性を殺そうとするなんてね。…呆れるぐらいに愚かな女だ」


きっと彼らは、既にこの国を制圧したつもりでいるのだろう。…まあ実際、そう思い込む様に仕向けたのはこちらなのだけれども…。


だから、どれ程我々が怒り、憎しみを向けても問題視しないし気にも留めない。

自分達の破滅が刻一刻と迫っている事も知らず、こちらが用意した舞台で滑稽に踊り狂っている。


「問題は、どこまで僕らが耐えられるかだが…。でも面白くないな。王族でさえなかったらあいつら全員、今すぐにでも血祭りにあげている所なのに…」


そう独り言ち、スゥ…と、見た者が凍えそうな程に冷え切った視線で獣人達を一瞥した後、フィンレーは第一王女と対峙している少女を一転、愛しさのこもった眼差しで見つめる。


王家直系とはいえ、自分は第三王子。ましてや人が本能的に恐怖心を抱く『闇』の魔力保持者である。

幼い頃は、持って生まれた属性に対し、畏怖の眼差しを向けられる事や、口さがない陰口を叩かれる事もあった。


だから、家族以外の煩い外野や、獣人ほどではないが、野生の本能を剥き出しに男を漁るご令嬢方にも興味が湧かなかった。

他人の思惑に心を乱されるのが嫌で、自ら塔の中にこもり切り、ひたすら魔法の研究に没頭した。


仲の良い両親を見て思う所はあったけど、こんな自分には愛し愛される者など現れる筈も無い。生涯一人で生きていくのだと、そう思っていた…。あの日までは。



そんな自分の元に、まるで月の妖精のようにふわりと舞い降りてきた幼い少女。



『光』も『闇』も、等しく大切だと言ってくれた彼女が、どうしようもなく愛しくて…。いつの間にか恋に落ちていた。


彼女のお陰で、自分はほんの少しだけだけど変わる事が出来た。


自分自身の『闇』の魔力を認め、自分だけの世界であった塔から出て、少しずつ外に出るようにしてみたのだ。


その結果、今迄見ようともしなかった『世界』は、そんなに悪いものでは無かったのだと気が付く事が出来た。


エレノア嬢に言われた通り、「ごめん」ではなく「ありがとう」と伝えた僕を抱き締め、嬉し涙を流しながら「愛しているわ」と何度も呟く母と、笑顔で抱き合えた。


母との間に自分で作った壁を越えた時、鬱屈とした思いや罪悪感が、ゆっくりと溶けていくのを感じた。

まるで自分が生まれ変わった様な気分になったものだ。


――自分自身で止めていた時間が、ゆっくりと流れていく。


「全部、君のお陰なんだよ…エレノア嬢」


そんな自分にとっての唯一無二を傷付け、あまつさえ命を取ろうとするなど、到底許される事ではない。いや、許す気など毛頭ない。むしろ万死に値する。


「…彼女の婚約者達や、僕の兄弟達が我慢しているんだ。僕だけが動くわけにはいかない。…だけど、その時が来たら…」


――今、幸せな夢に酔い、薔薇色の未来を夢見ている貴様らには、いずれ『絶望』と言う名の地獄を見せてやろう。


そう胸中で呟くと、フィンレーは深く深呼吸をし、鋭い視線を決闘の舞台へと向けた。






「…人間の小娘にしては、やるではないか。ロジェに続き、まさかジェンダまでもが倒されるとは思わなかったぞ」


そう言いながら、ゆっくりこちらに近付いて来るレナーニャ王女から間合いを取り、腰の刀に手を掛ける。


『なんて…禍々しい!』


妖艶な微笑を浮かべている絶世の美貌や、優美極まりないその姿からは想像も出来ない程の、凄まじい殺気がレナーニャ王女から噴き上がっているのを感じ、柄を握りしめた掌に、じんわりと汗が滲む。


「認めよう。お前はただの矮小な人族の小娘ではないと。…だがだからこそ、嬲りがいがあろうと言うもの…。お前の快進撃も、もはやここまでじゃ!」


そう言うなり、レナーニャ王女の金色の瞳がカッと見開き、長く優美な尾がゆらめいたかと思うと、次々とその数を増やしていく。その数は九つ。


「…九尾…!?」


会場全体が驚愕に騒めく。アルバ王国側だけでなく、獣人側でもどよめきが広がっている所を見ると、この姿のレナーニャ王女を見た者はそう多くないのだろう。


『まさか…。レナーニャ王女が九尾の姿になるなんて…!』


その異形と魔力にあてられ、思わず足が震えそうになるのを、気合で踏ん張る。


私の前世において、狐は妖力を操る妖の上位と常に定められていた。そしてその力の高さは尾の数で決まると。


――もしこの世界でも、そう・・であるのなら…。


『九尾は確か、神に近い大妖とされている…。その設定通りじゃなくても、この魔力ならばあるいは…』


その時、アシュル殿下が立ち上がった。


「レナーニャ第一王女!今すぐ戦いを止めろ!第二、第三と続き、貴女までも…!たった一人の少女に対し、複数人で勝負に挑むなど、何を考えているのだ!恥を知れ!」


静かに激高しているアシュル殿下を、レナーニャ王女は見下し、鈴の様に声を震わせ嗤う。


「何を今更。そも『娶り』の戦いとは、己の恋しい相手を得る為の戦い。そこな女は、我らが欲しい相手全てを囲っているのじゃから、その全てを相手にするのは、寧ろ当然の事であろうが?」


――いや、当然ではないから!そうだったら、いきなりいっぺんに来るんじゃなくて、日を改めるのが筋じゃないんでしょうかね!?


とんでも論理に、思わず心の中で盛大にツッコむ。


「獣人という種族はつくづく…!戯言はここまでだ!エレノア嬢、こちらに…」


アシュル殿下が言い終わる直前、唐突に、私とレナーニャ王女が立っている場の空気が変わった。


「――なっ!?結界…!!」


アシュル王子が何かを叫んでいるが、よく聞き取れない。


そうこうしている間に、レナーニャ王女の尾が、更に長く大きくなっていく姿が目に映る。それはまるで、それ自体が意志を持つ別の生き物のように、縦横無尽にうねり…。


「――ッ!!」


私は抜刀し、襲い掛かってくる幾つもの尾に刃を振るった。



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今回は前半、フィンレー視点です。

彼は独自に色々探る為にあちら側に近い場所にいました。

獣人は基本、己の欲に忠実ですが、『番』が絡むと更にそれが加速します。

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