第118話 勅命解除

ギン…!と、硬質なもの同士がぶつかり合う音が周囲に響く。


『え!?何?!今、刀が触れたのって、尻尾だよね!?』


そう、どう見ても尻尾だ。

なのにそれがまるでダイヤモンドの様に硬く、刃を容易く弾いてしまったのだ。


幸いと言うか、流石は世界最強の硬度を誇る鉱物オリハルコン。刀には刃こぼれ一つついていない。

…だが、そのオリハルコンをもってして、レナーニャ王女の尻尾を断ち切る事が出来なかった。


これはひょっとしなくとも、真面目に不味い状況ではないだろうか。


「何を呆けておるのだ!?妾の攻撃は、このようなものではないぞ!!」


そう言うなり、レナーニャ王女の尾が、次々と私に向かって襲い掛かってくる。

それを必死に避け、時に刀ではじき返していくが、当然と言うか全ては防ぎ切れない。


「――ッ!」


ジュッ…と、服の焦げる匂いと鋭い痛みに顔を顰める。


見れば、王女の尾の一つが掠めた脇腹付近の服が、まるで酸に焼かれた様に溶けている。しかもその腐食が肌にまで達していたようで、皮膚が赤くただれているのが見えた。


『レナーニャ王女の尻尾…。硬質化だけじゃなくて、腐食まで備わっているの?!』


それにしても、魔力で自分の肉体を強化させられるのは知っていたが、『硬質化』に加え、『腐食』のような攻撃力を纏わせるなんて、聞いた事が無い。


これはもしや魔力だけではなく、獣人としての能力の一環なのだろうか…?


そうこうしている内にも、レナーニャの攻撃は強まっていき、かわしきれずに幾つもの尾の攻撃を身に喰らってしまう。


しかも…。


『このコート内に張られた防御結界は、今迄の戦いによる魔石の破壊で効力を失った筈。…なのに…何故…?』


目を凝らさずとも、周囲にうっすらと『何か』が張られているのが視える。しかも前に張られていた防御結界は、漏れ出た魔力を遮断するだけだったが、この『何か』は物理的に、内部のものを外に出せなくしているのだ。


それを証拠に、レナーニャ王女の尾が視えない壁にぶつかり、弾かれているのが見える。


「ほぉ…。貴様、妾の張った『結界』に気が付いたのか?たいした勘の良さじゃな。これはのう、妾の魔力と『妖力』で練り上げたものじゃ。コレを破れる者は、我が国でも母上しかおらぬゆえ、たいした魔力を持たないこの国の者達では、破ろうにも手も足も出るまいよ」


「うっ!」


また一つ、私の身体に尾の攻撃が入り、その衝撃と肉を焼く痛みに、思わず呻き声が漏れてしまった。


「ああ…。良い声じゃ。この結界のお陰でお前を逃がす事もなく、外からの邪魔も入らぬ。…今迄の鬱憤と恨みを込め、ゆっくり甚振ってやろうぞ!それ、もっと良い声で啼くがよい!」


襲い来る幾つもの硬質化した尾を刀で受け止めきれず、衝撃に身体が弾かれる。――が、結界に阻まれた身体は外には落ちず、見えない壁に弾かれ、前のめりに倒れ伏してしまった。


「――…っ…」


握りしめたままの刀を地面に突き刺し、何とか上体を起こす。

だが、私に止めを差す絶好の機会だというのに、何故か尾の攻撃はやって来ない。


――成程…。さっきの宣言通り、一思いに殺すのではなく、じっくり嬲り殺しにする為、敢えて攻撃を控えているのか…。


『どうする?このままではいずれ、やられる…』


元々、先の戦いで疲弊していたのだ。既に刀を握る手にも力が入り辛くなってしまっている。


服もあちらこちらが腐食の攻撃にやられ、かなりボロボロ状態だ。今の自分の姿は多分、相当酷い見た目になっている事だろう。


「…整容班のみんなに、申し訳ないな…」


現実逃避の様に、場違いな言葉が口から洩れる。


幸いと言うか、防御結界のお陰で皮膚の怪我は火傷程度で済んでいるけど、あちらこちらに鈍い痛みを感じる。もしかしたら、骨にヒビ位は入っているのかもしれない。


それを証明するように、咽込んだ後、口腔内に錆びの味が広がる。ひょっとすると、内臓も傷付いているのかもしれない。


そんな時だった。

荒く息をついている私の耳に、兄様方や殿下方の声が、微かに聞こえてきたのだ。


結界の所為なのか、凄く小さな声でよく聞き取れない。…いや、ひょっとして、自分の意識が遠くなっているからなのかもしれない。


『もし、私がここで殺されたりでもしたら…』


脳裏に、走馬灯のように沢山の顏が浮かんでは消える。


私なんかの事を好きでいてくれている、兄様方やセドリック…そして殿下方。私を大切に思ってくれている父様方やウィルやジョゼフ…使用人のみんなや、メイデン母様やオネェ様方…。みんなみんな、悲しませてしまう…。


「そんなの…絶対嫌だ!負ける訳にはいかない…例え岩に齧りついてでも勝つんだ!」


私は再度、気力を振り絞ると、レナーニャ王女を真っすぐに見据えた。






「――ッ!エレノア!エレノア―!!」


「やめろ!止まれオリヴァー!」


「離して下さい!このままではあの子が…!もう限界です!勅命なんて知った事か!僕は力を解放して、あの女を殺す!!」


「君の気持ちは分かっている!…だがあの結界、何かがおかしい。だからお願いだ!少しの間でいい、どうか鎮まってくれ!!」


「――ッ!離せっ!!」


いつもの冷静さをかなぐり捨て、拘束するアシュルを射殺さんばかりの凄まじい形相で睨み付けながら、エレノアの元に駆け寄ろうとするオリヴァーを、アシュルは必死で押さえつける。


『…油断した…。あまりにも悠長にし過ぎていた。この僕が!まさか、こんな事になるなんて…!!』


ハッキリ言って、レナーニャ王女の力を甘く見ていた。


彼女が出て来た時、戦いを速やかに中止させていれば…。いや、魔力を解放していれば、あの子があんなに傷付き、嬲られる状況になんてならなかったのに!


『いっそ、今から我々全員の魔力をあの結界にぶつけて…。いや、でも駄目だ!どうにも胸騒ぎがしてならない。それをしたら…最悪の状況に陥ってしまう予感がする』


この危機的状況における自分の『直感』は、今迄外れた事がない。


本当は自分だって、オリヴァーと同じ気持ちだ。


一分一秒でも早く、あの場からエレノアを救い出してやりたい。…だが、それをしたら何かが終わる。そんな確信があるのだ。


横を見れば、セドリックもリアムと何やら揉めているし、クライヴの方も…いや、あちらはクライヴの方がディランを抑え込んでいた。


『何をやっているんだ!あの馬鹿!!』


愚弟を心の中で罵倒していると、不意に後方から声がかかる。


「オリヴァー・クロス。もし君が魔力を放出して、あの結界破ろうとしたら…。エレノア嬢が死ぬよ?」


「フィンレー…殿下!?」


「フィン!どういう意味だ!?」


オリヴァーとアシュルの声を受け、セドリックとリアム、そしてクライヴとディランも動きを止め、三人を注視する。


「どういうって…。そのままの意味だよ。…あの結界、女狐の魔力と『妖力』とを融合して作られたものだ。魔力の方はともかく、未知の能力である『妖力』が加わる事で、やっかいな多重結界となってしまっている。言ってしまえば、あのクソオヤジ…いや、クロス魔法師団長が作り出した結界のようにね」


――今、『クソオヤジ』って言わなかった?!


一瞬、皆が一斉に心の中でツッコみを入れたが、その中でただ一人、ツッコミに参加しなかったオリヴァーが、フィンレーに対して瞬時に詰め寄る。


「フィンレー殿下!貴方なら、あの結界を破れるのではないですか!?」


「…うん、破れるよ。未知の結界とは言え、君や君の父親の作った、あのえげつない結界に比べたら劣化版もいいトコだからね。…だが破る前に、どうしてもタイムラグが発生してしまう。そうしたら間違いなく、エレノア嬢はあの女に命を奪われてしまうだろう」


そう、今あの王女は、エレノアを甚振る事に重点を置いて攻撃を加えている。皮肉な事に、だからこそ未だにエレノアは無事でいられるのだ。…いや、無事と言うにはほど遠い状態ではある。だが、それでも生きていられているのだ。


オリヴァーは傷付いたエレノアを恍惚と言った表情で見つめるレナーニャと、自分達の勝利を確信し、先程までの鬱憤を晴らすように、歓声や野次を飛ばしている獣人達を鋭く一瞥すると、アシュルと視線を合わせた。


「…アシュル殿下…!」


「ああ。分かっているよオリヴァー。まさに今、エレノア嬢の命にかかわる非常事態に直面しているんだ。それに、『外』で動いている者達も、エレノア嬢にここまで時間稼ぎをしてもらったんだ。もう充分だろう。…王太子権限をもって、今ここに勅命解除を宣言する!」


アシュルの宣言を受け、オリヴァーが動いた。


「フィンレー殿下!あの女に聞こえないよう、エレノアに僕の声を届ける事は可能ですか!?」


「可能…だけど、結界を壊さずに、尚且つエレノア嬢だけに聞こえるようにって…せいぜい5秒が限界だよ?」


「十分です!どうか、お力をお貸しください!」


そう言うなり、その場に膝を着いたオリヴァーに対し、フィンレーが鼻を鳴らした。


「オリヴァー・クロス。見くびらないでくれるかい?貸すも何も、エレノア嬢を助ける為なら、僕は君にだって、いくらでも力を貸すよ」


「――ッ!感謝…致します!」


「御託は後だ。時間が無い。…いいか、今から3秒後だぞ?!」


ぶわり…と、傷付けられ、ボロボロにされた最愛の少女の元に、『魔力回線』が繋がったのを感じ、オリヴァーはあらん限りの想いを込め、叫んだ。


「エレノア!眼鏡を外せ!魔力を解放させるんだ!そして、自分の身を…」


プツ…と、まるで糸が切れたような感覚に、オリヴァーは歯噛みする。

届いた筈だ…。どうか、届いて欲しい。そう、心の中で繰り返しながら。


――エレノアの魔力量は普通の者よりも高い。魔力さえ解放すれば、フィンレー殿下が結界を破壊するまでの間、身を守る事が出来る筈だ。




その頃、エレノアは突然、聞こえて来たオリヴァーの『声』に瞠目する。


『…オリヴァー…兄様…』


――眼鏡を外せ!魔力を解放させるんだ!――


「…はい…。兄様…!」


ゆらり…と、エレノアはその場から立ち上がると、ゆっくりと手を上げ、己の眼鏡を取り去った。



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エレノアの危機に、遂に勅命が解除されました。

オリヴァー兄様の悲痛な叫びにエレノアが応えます。

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