第431話 感情のゆらぎ

「……ふむ……。さて、次はどう出るか……」


リック・ウェリントンが退室した後、アルロはソファーに身を沈め、軽く目を瞑る。するとそのタイミングで応接室のドアをノックする音が聞こえた。


アルロが閉じた瞼を開くと同時に、室内に静かに控えていた老執事がすかさず対応する。


その動きは年に見合わぬ俊敏なもので、彼の力量がまるで衰えていない事を物語っていた。


「旦那様。ベネディクト様で御座います」


告げられた愛息子の名に、アルロの双眼が緩む。


三大公爵家当主『アルロ・ヴァンドーム』という立場での会話は、いつもながら地味に疲れる。

特に、話していてもさほど楽しくない相手との会話などなおさらだ。


そんな『お仕事』の後には、癒しが必要……とばかりに、アルロは老執事に頷きを

返した。


「父上、失礼致します」


室内に入った途端、学院で見せていた無表情を脱ぎ捨て、自分を嬉しそうに見つめる可愛い末っ子の姿に、アルロは相好を崩した。


最愛の妻との間に授かった子供は、誰もが等しく愛しい存在である。だが、長男から四男は年子なのに対し、五男であるこの子は少しだけ間を空けて生まれた。

しかも、特殊な生まれ方をした事もあって、自分や妻だけでなく四人の兄達、また祖父である自分の父も、とにかくこの子を溺愛しているのだ。


以前、国王陛下や王弟達に「もしお前の所の末っ子が女の子だったら、絶対その子は嫁にいけないな。まあ、その時はうち王家が嫁にもらうが」と、からかわれた事があったが、確かにその未来が容易く想像出来てしまう。(そして絶対、王家にも嫁にやらない自信がある)


温暖な気候の領地に暮らす領民達の気質は誰もが鷹揚で、自分達のみならず、その領民や自分の臣下一同からたっぷりと愛情を向けられて育った彼は、少々内向的ではあるが、素直で優しい子に成長してくれた。


「申し訳ありません。お仕事の最中でしたでしょうか?」


自分を気遣うように、少しだけ困ったような顔をする息子に、益々笑みが深くなる。


ヴァンドーム公爵家直系の血を受け継いでいる為、外見こそ実年齢よりも大柄で大人びてはいるものの、そういう顔をすると途端に幼さが顔をのぞかせる。家族としてはそこがまた、たまらなく可愛いらしい。


尤もそういう事を言うと、「私はもう子供ではありません!」と言って拗ねてしまうので、口に出しはしない。まあ、他の子達などは、その拗ねた顔見たさにわざとそう言って揶揄っているようだが。


「いや、もう終わったから気にしなくてもいい。それにお前とは、ここ暫くゆっくりと話も出来なかったからな。たとえ仕事が残っていても、一向に構わないよベティ」


すると、ベネディクトがホッとした顔をした後、僅かに眉を顰めた。


「はて?どうしたベティ?私は何か、気に障る事を言ったかな?」


首を傾げ、そう問いかけると、今度は学院で張り付かせていた無表情になってしまった。


「……最近、その言い方をしているのが、彼女だけだったから……」


『ああ……』と、アルロは納得した様子で苦笑を浮かべた。


「それは仕方がないだろう?お前とキーラ嬢は婚約者同士だ。しかもお前は彼女の筆頭婚約者。その相手に、『愛称呼びは止めろ』とは言えないだろう?」


無表情が、不機嫌顔に進化してしまった愛息子に対し、アルロは苦笑を深めた。


「お前には苦労をかけるが、お前の兄も辿った道だ。これは、我がヴァンドーム公爵家の直系に生まれた者としての責務だからな」


「……分かっています。でも私……俺は、その愛称は家族だけにしか言って欲しくなかったから……」


「――ッ!ベネディクト……!!」


拗ねたように呟く愛息子の破壊力に胸を撃ち抜かれ、思わず抱き締めてしまう。


すると、「ち、父上止めて下さい!!俺はもう、子供じゃないんですよ!?」と、真っ赤になって抵抗するのがまた可愛らしくて、更にギュウギュウと力一杯抱き締めてしまう。


『今の尊い呟きは、妻や他の子達に早速伝えなくてはなるまい!』


少年期特有の、背伸びしたい年頃ゆえか、親離れ、兄離れかと思う程に(実際そうなのだろうが)態度がそっけなくなってしまっていた末っ子の甘えた発言だ。領地にいる家族達も今の自分同様、喜び身悶えるに違いない。


「ふふ……。そうかそうか、私達だけにしか呼んでほしくないのか。だがな、ベティ。いずれお前にも、心から愛称呼びして欲しいと切望する相手がきっと現れる。私が母さんに出逢ったように……な」


途端、腕の中のベネディクトが、辛そうな表情を浮かべた。


「……そんな女性、現れるもんか……!」


「ベティ……」


自分の胸に顔を埋め呟いた愛息子の言葉を聞き、アルロの顏に切なそうな表情が浮かんだ。


「いるよ。絶対にいる」


「……いない……」


「子供は、親の言う事は素直に信じるものだよ?」


「……」


「それよりも、何か私に話があったんじゃないかな?」


話題を変えるように話しかけると、ベネディクトはアルロの腕の中で身じろいだ。

その動きに逆らわず、腕の中から息子を解放したアルロは、ベネディクトに自分と真向いの席に座るよう促す。


「――で?」


「ウェリントン侯爵の事です。彼、何か不穏な事を色々呟いていましたよ」


そうしてベネディクトは、先程聞いたリック・ウェリントンの独り言を父親へと話して聞かせた。


「ふふ、そうか。それにしても彼も迂闊な男だねぇ。まあ、伊達に侯爵家当主はやっていない程度には魔力が強いし、ベティの『耳』の事も知らないからね。きっと自分の防音結界を過大評価していたんだろう」


「……」


「それにしても、流石はあの娘を育てた父親だ。私の大切な家族に対し、随分と舐めた口を利くものだ。……まあ、今は好きなように言っていればいいさ。娘の方もね。」


一瞬、アルロの深く鮮やかな紺色の瞳に、鋭い光が浮かんで消えた。


「そうそう!ベティ、お前エレノア・バッシュ公爵令嬢と接してみてどうだった?私はとても可愛いと思ったよ。親としての勘だけど、アーウィン達もひょっとして、あの子だったら気に入るんじゃないかな?」


「……兄上達は分かりませんが、俺は気に入るも気に入らないもありません。そもそも興味ないですから」


再び話題を切り替え、問い掛けてみたが、やっぱりというかそっけない息子の口調に、アルロは再び苦笑を浮かべた。


とある事情から、彼は女性に傷付けられる事が多かった、なので、これ以上傷付きたくない防衛本能からか、女性に対してそっけない態度を取る事が多いのだ。

そんな彼に、キーラ・ウェリントン侯爵令嬢の婚約者にしてしまった事は、仕方がない事とはいえ罪悪感が半端ない。


「あ、でも彼女は……確かに普通のご令嬢達とは違うと思います。それに報告にあった通り、土属性の力がかなり強い。……というより、あれは本当に『土』の力なのでしょうか?」


「ん?どういう意味だ?」


「……キーラが『力』を、殿下やエレノア嬢の婚約者に向けた時、エレノア嬢が花……いや、花は花でも雑草でしたが……。とにかくそれを咲かせ、キーラの『力』を弾き返したんです」


ベネディクトの言葉に、アルロが目を見張った。


確かに『影』からの報告では、エレノア嬢と接した時から、キーラ嬢の取り巻き達の様子がおかしくなったと聞いてはいたが、まさか『力』を弾き返していたとは。


「ほぅ!それはそれは。……つまりは報告にあった通り、という事なのかな?」


「そこまでは分かりません。それに、バッシュ公爵令嬢の咲かせた雑草を調べる為に持ち帰ろうとしたのですが、残念ながら白鳥に奪われました」


興味津々とばかりに、息子の話を聞いていたアルロの目が丸くなった。


「――は?白鳥に奪われた?」


「はい。突然襲い掛かってきました。胸に差していた雑草を咥えたら、そのまま飛び去っていきましたが……」


「…………」


アルロは白鳥の突飛な行動に首を傾げた。というか、エレノア嬢が花ではなく、わざわざ雑草を咲かせたという点も大いに気になる。


「う~ん……。やっぱり面白そうな子だなぁ。これは益々、お近付きになってみたいものだ。……そうだ!ちょうどいい案件がひとつあるじゃないか!それを使って、今度の連休にでも彼女達を呼び寄せてみようか」


「呼び寄せようって……まさか、我が領地にですか!?」


「ああ、そうだよ。王家も我々を警戒しているのか、肝心な事を何一つ教えてくれないからねぇ。――彼女が『転生者』であるのかどうか、その時に見極めさせてもらうとしようか」


父、アルロの言葉を受け、ベネディクトは小さく頷く。


その時、父親譲りの澄んだ濃紺の瞳に、小さな感情のゆらぎが浮かんだのを、誰一人……ベネディクト本人ですら、気が付く事はなかった。



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アルロさん、わざわざ雑草を咲かせたのではなく、それしか咲かせられなかったんですよ( ;∀;)


そしてベティ君、実は溺愛されキャラでした(^O^)

リアムもそうですが、やはり末っ子は可愛いようです。

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