第180話 パトリック・グロリス③

「…そうか…。パトリック兄上がいらっしゃったか」


学院からの帰りの馬車の中、クライヴ兄様からパトリック兄様の言動に関する報告を聞き終わったオリヴァー兄様は、表情を僅かに曇らせながら、そう呟いた。

そんなオリヴァー兄様の様子に、クライヴ兄様は意外そうな表情を浮かべる。


「なんだオリヴァー。意外と冷静だな。お前の事だから、あの兄上の言動にもっと怒り狂うかと思ったんだが?」


「いやまぁ、正直言って非常に不快だよ。だけど…あのパトリック兄上が、そんな事を仰るなんて意外だと思ってね」


――え?!オリヴァー兄様、パトリック兄様とお会いした事があったんですか!?


「何だ?お前、あの人と面識があったのか?」


クライヴ兄様が私の心の声をそのまま口にすると、オリヴァー兄様が肯定するように頷いた。


「ああ、まぁ一回だけ。公爵様の誕生日に兄上がバッシュ公爵家にお祝いに来た事があってね。その時の印象は、物静かで穏やかな方だったんだけど…」


そう言って考え込んでしまったオリヴァー兄様。


え?!オリヴァー兄様、バッシュ公爵家でお会いした…という事は、私と婚約してバッシュ公爵家に入ったばかりの頃…?じゃあ私はその時どこに?


え?オリヴァー兄様と顔を合わせたくないって言って、自室に籠城していた?…うわぁ…。ご、御免なさい兄様。


その時だった。セドリックが珍しく、憤りを隠さない強い口調で声を上げる。


「ですが兄上!グロリス伯爵令息の兄上方に対する暴言、僕はどうしても許せません!兄上はバッシュ公爵夫人であるマリア様が直々に筆頭婚約者に指名されたのです。それをさも間違いであったかのように…!グロリス伯爵家に正式に抗議の申し入れをすべきではないでしょうか!?」


「セドリック。気持ちは分かるが落ち着きなさい。そもそも、パトリック兄上の発言を聞いたのは、エレノアとクライヴだけ。中立な立場の第三者がその場にいなかった以上、例え抗議を行ったとて、言った言わないの泥仕合になるだけだ」


確かにその通りだ。


あの場に居たのは、いわば身内だけ。…厳密に言えば、バッシュ公爵家の『影』もいただろうけど、まさか『影』に証言させる訳にはいかないもんね。


「ましてやグロリス伯爵家は分家筋とはいえ、歴史あるバッシュ公爵家の流れを汲む名家。対して我がクロス伯爵家は地方貴族の、いわば新興勢力に近い。抗議など軽くいなされて終わりだろう」


「確かに、我がクロス伯爵家では残念ながらそうなるでしょうが…。兄上はいずれ、バッシュ公爵家を継ぐ身!いくら名家であろうと、本家の後継者に分家の…ましてや伯爵家の者があのような暴言を…!」


「そう。グロリス伯爵家はバッシュ公爵家の分家であり、公爵家よりも格下の伯爵家だ。立場は明らかにこちらが上。ましてや、王家直系であるリアム殿下がエレノアに想いを寄せている事も周知の事実だ。それを踏まえた上での挑発であるのなら、猶更迂闊に乗るべきではないだろう」


「…王家直系も、リアムだけがご執心じゃない…って事も、高位貴族なら調べればすぐに分かりますしね」


「その通りだ。…寧ろそっちの方が僕にとっては頭が痛い」


「リアムだけだったら、まだ…ですよねぇ…」


「全くだ。リアム殿下だけだったら…まぁ…」


オリヴァー兄様?セドリック?話がなんかズレてますが?それと、リアムだけならなんなんでしょうか?濁したその先が、めっちゃ気になります。


「…つまり、『グロリス伯爵家以上』の身分の家が背後にいる…という事か?」


眉根を寄せたクライヴ兄様の言葉に、オリヴァー兄様が頷く。


「多分ね。まぁ、おおよその当りはつけてあるけど。戻ったら公爵様に進言し、早急に裏を取ってもらう必要があるね」


兄様方やセドリックの会話を聞きながら、私は今日初めてお会いした、もう一人の兄様の事を考えていた。


オリヴァー兄様が仰ったように、見た感じはとても穏やかそうな方だったし、クライヴ兄様の事も初対面であるにもかかわらず、兄弟である事を認めてくれた。


なのに、出て来る言葉は身分が云々と、兄様方を侮辱し見下すような、選民意識溢れるものだった。そこがアンバランスと言うか…。なにか違和感のようなものを感じてしまうのだ。


『それに…。私を見るあの目は…』


一見、笑っている様で笑っていなかった。


私の言葉に反応した時のあの表情…。全身が凍り付く様な…。そう、あれは間違いなく『殺気』だった。


未だ嘗て、この国で男性にあんな表情を向けられた事など一度たりとて無かった。(以前、クリスタルドラゴンのいたダンジョンでは危ない目に遭ったけど)

思い返せば、仲が良くなる前のマテオですら、根本的には『女性』として、私を尊重してくれていた気がするのに。


なのに何故、確実に血が繋がっている兄に、あんな目で見られなくてはならないのだろうか?


…考えたくは無いが、もしかしたら以前、オリヴァー兄様に対してしたように、パトリック兄様にも何か失礼な態度を取ったり、暴言を連発した事があるのだろうか?…うん、有り得そうで恐い。

なんせ、前世の記憶が戻る前の私って、この国の一般的な肉食女子ばりに、我儘でどうしようもない子だったみたいだから。


「エレノア、どうしたの?不安なのかい?」


いつの間にか、表情が硬くなっていたのだろう。オリヴァー兄様が私の頬にそっと掌を当てながら微笑んだ。


「大丈夫だよ。こんな事、いずれ起こるだろうと想像していた現象の一つに過ぎないんだから。君は何も心配しなくていいんだ」


「…はい、兄様」


頬に添えられた優しい掌の温もりに、甘える様に頬を摺り寄せると、オリヴァー兄様の笑みが深いものになった。クライヴ兄様も私の頭を優しく撫でてくれ、セドリックも握りしめていた私の手をほぐす様にして指を絡め、ギュッと握りしめてくれる。


――うん、兄様方やセドリックがいてくれれば、きっと大丈夫だ。


触れられている温もりに、知らず緊張していた身体がほぐれていくのが分かる。


「有難う。オリヴァー兄様、クライヴ兄様、セドリック」


私は大好きな私の婚約者達に向け、とびっきりの笑顔を浮かべた。


――けれどバッシュ公爵家に帰った時、私が感じていた不安は現実となって、私の目の前に付き付けられる事となるのであった。



=================



オリヴァー兄様、割と冷静です。…が、展開次第では、本領発揮も近い…?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る