第179話 パトリック・グロリス②

――な、何か今、聞き捨てならない事をサラリと言われたような…?


「パ…パトリック兄様。今のは一体…」


「…誰が誰の妻になる…と?」


あっ!クライヴ兄様の声が、めっちゃ低くなった!


「エレノアと私がだけど?」


パトリック兄様が、再びとんでもない事をサラリと言い放つ。やっぱり聞き間違いじゃなかったんだ。…じゃなくて!いきなり何言ってんですか、パトリック兄様!?


「婚約者でもない貴方が、どうやってエレノアお嬢様を妻にすると?」


衝撃的な発言に絶句している私の代わりに、クライヴ兄様が感情を抑えたような声で私の疑問を口にする。


そうだよね。そもそもなんで、会った記憶すら無い相手と、いきなり結婚する事になってるの!?


「簡単なことだ。筆頭婚約者を正式な立場の者に…。つまりは私に戻すのさ。それに伴い、今の婚約者達も是正し、私が決め直す事となるから、君もオリヴァーの弟のセドリックも、残念だけど婚約者からは降りてもらう事になるかな?」


クライヴ兄様の目に、剣呑な光が浮かび上がった。…ってか、筆頭婚約者を元に戻して、クライヴ兄様とセドリックを婚約者から外すって…この人は一体、さっきから何を言っているのだろうか?正式な立場って…そんなのオリヴァー兄様に決まっているじゃないか。


「…正式な筆頭婚約者は、兄上と私の弟であるオリヴァー伯爵令息です。これは我らの母である、マリア・バッシュ公爵夫人が正式に決定した事で、エレノアも受け入れております。加えて私とセドリックはエレノアから直接、婚約者として認められました。戻す戻さないの話ではありません」


「オリヴァーが筆頭婚約者になったのは、母のマリアの気まぐれに過ぎない。…そもそもバッシュ公爵家は代々、本家に娘が出来た場合、筆頭婚約者は分家筋から選ばれるのが慣習化されている。逆もまたしかり。だから本来であれば、分家の筆頭頭である我がグロリス家の嫡子…つまり私こそが、正式な筆頭婚約者であるのだよ。いくら優秀だとはいえ、他家の嫡子であるオリヴァーには、その資格は元々存在しない」


――え!?そうなの!?という事は、マリア母様が父様と結婚したのは、そういう家のしきたりがあっての事だったのか。


でもマリア母様は、その一族の不文律に逆らい、私の筆頭婚約者をオリヴァー兄様に決めた。そして父様も、それに異を唱えず受け入れた。…ひょっとしてその事でグロリス伯爵家と確執が生まれてしまったから、私は今迄、お爺様とお会いする機会が無かったのだろうか?


いや…。それよりもひょっとしたら、父様が私を守る為に会わせようとしなかったのかもしれない。


「…慣習よりも尊ばれるのは、女性の意志。そして母親の決定です」


「マリア母様は、淑女として大変に素晴らしい方だとは思うが、如何せん、大貴族としての自覚が少々足らない所がある。そしてエレノア自身もまだ幼く、自覚に乏しい」


あ、はい。マリア母様がアレなのも、私に貴族としての自覚が無いのもその通りです。女性上位主義なこの国でも、そういった貴族的な考えが尊ばれるのも分かります。でも例えそうでも、この人の言ってる事や考え方って、私は到底受け入れられない。


「それに…。エレノアが救国の乙女として注目を浴びている今、婚約者もその立場に見合う血統の者を充てるべきではないのかな?」


「…黙って聞いていれば戯言をベラベラと…。今の今迄エレノアを放置してきたあんたらに、血統云々等と言われたくもない!」


遂にクライヴ兄様の我慢の糸が切れてしまう。だがパトリック兄様は、クライヴ兄様の怒気に動じることなく、寧ろ楽し気に口角を上げた。


「ははっ!そうそう、そういう所だよクライヴ。君も君の父親も、元平民だけあって腹芸があまり得意ではないようだ。これしきの挑発に容易く乗る所が、エレノアの伴侶として相応しくないと言っているのさ。…最もオリヴァーの方は、血統はともかく、かなり喰えなさそうな子だけどね」


あからさまにクライヴ兄様やオリヴァー兄様を見下す様な発言に、遂に私の我慢の糸が切れた。


「…あのっ!パトリック兄様!」


「ん?何だい?エレノア」


「今迄の発言、訂正して兄様方に謝罪して下さい!オリヴァー兄様もクライヴ兄様もセドリックも、私には勿体ないぐらいに素晴らしい人達です!彼ら以上の婚約者なんて考えられないし、そもそも血統なんて下らないもので、彼らを侮辱しないで下さい!!私は貴方を婚約者にする気なんて無いし、一族の決まり事なんてどうでもいい!!」


「…血統が…くだらない…?」


「――ッ!」


一瞬、パトリック兄様の顔が無表情となり、柘榴色の目に冷たい光が浮かんだ。


「ふふ…。やはり君は、ちょっと貴族としての自覚が足りなさそうだね?」


直ぐに表情は元の柔和なものに戻ったけど、全身が凍り付くような冷ややかな眼差しだけは健在で、ゾクリと身体に震えが走った。


「クライヴ兄様…!」


思わずクライヴ兄様の手を握ると、クライヴ兄様は私を庇う様に抱き締めてくれた。


そんな私達を暫く見つめた後、パトリック兄様は肩を竦めながら苦笑する。


「…まあいい。今日は挨拶がてら会いに来ただけだからね。エレノア。自分自身の為にも、私の言った事をよく考えておくように。では、いずれまた」


フワリと、花も綻ぶような美しい笑顔を向けた後、パトリック兄様は私達に背を向け歩いて行ってしまう。


私はその後姿を見ながら、なんとも言えない不安が湧き上がってくるのを感じたのだった。



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バッシュ公爵家の慣習を盾に、不穏な発言連発です。

そんな中でもツッコミの心は忘れないエレノアでした。

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