第293話 その頃。王都邸ではお花が咲いていた
室内を明るく照らす光に触発され、目を覚ます。
……もう朝なのか……。
チラリとサイドテーブルに置かれた時計を確認すると、いつも目が覚める時間よりもだいぶ経っている。
……昨夜はよく眠れずに、何度も起きてしまったから寝過ごしてしまったな……。
昨日、バッシュ公爵領へと旅立って行った最愛の妹であり、かけがえのない愛しい婚約者であるエレノアの顔を思い浮かべる。
『いつもだったら、出かける前にエレノアの部屋を訪れて、可愛い寝顔をひとしきり堪能してから、そっと声をかけて……。可愛いエレノアは僕の声にすぐ反応してくれるんだ。まあでも殆ど反射的に目を開けているだけで、ちゃんと覚醒してはいないんだけれどね。でもその寝ぼけてトロリと潤んだ瞳が愛らしくて、見つめられるとたまらなくて、ついつい濃厚なキスをしてしまうんだ。キスの合い間に漏れる甘い声がまた背徳的で、ついついその先に進んでしまいそうになって、何度クライヴに止められたことか……。この間なんか……』
そこまでつらつら考えた後、思考を強制終了する。……いけないな。朝から不埒な妄想に浸るなんて。貴族の男として失格だ。
……でも、あの毎朝の流れ。今はクライヴがやっているんだよね。……いや、落ち着け。あのクライヴが、僕を差し置いてエレノアに不埒な事をする筈がない。彼は僕にとっても大切な兄だし、僕達兄弟の中で一番理性的だ。あのアシュル殿下にも信頼されている彼が、まさかそんな事……しないよね?……うん、信じよう。
……でももし、彼が僕の信頼を裏切るような事をしていたとしたら……。僕はクライヴに何をするか分からない。それを許したエレノアに対しても。……いやいや、何を考えているんだ僕は。大切な兄妹の事を信じられないなんて。本当、僕もどうかしているな。
僕は、ともすればどんどん後ろ向きになっていってしまう思想を振り払うかのように、明るい日差しが差し込む窓の方へと目をやった。
――こんなにも明るいというのに……。あの子がいないだけで、屋敷の風景も空気も、全てがくすんで見えるな……。
エレノアが獣人達に怪我を負わされ、王宮で保護されている時もそう感じていたが、今はそれ以上に感じる。
別にエレノアは命の危険がある訳でも無いし、あと数日もすれば会えるというのに……。全くもって、自分も不甲斐ない男に成り下がってしまったものだ。
エレノアの筆頭婚約者として、彼女が誇れる男になろうと日々思ってはいるのだが、実際はエレノアがいないだけで、こんなにも後ろ向きな考えに浸ってしまう。なんとも情けない話だ。こんな僕の姿を見たら、エレノアは僕に対して幻滅してしまうに違いない。
――いっそのこと、生徒会の引継ぎや諸々など放っておいて、バッシュ公爵領に駆け付け、エレノアを抱き締めたい!
そんな胸の内から湧き上がるどす黒い誘惑を、何度振り払った事か。
そういえば、セドリックがリアム殿下から聞いた話によれば、自分が領地に赴きたいフィンレー殿下が、あの手この手でディラン殿下を襲っているらしい。
『てめー!いい加減にしろ!!』って、ディラン殿下がブチ切れているそうだけど、本当にその通りだよね。全くあの方の手段を選ばないエレノアへの執着、何とかして欲しい。病み属性はこれだから……。
そんな事を思いつつ、僕は溜息を一つつきながら寝台から音もなく下りると、明るい日差しが降り注ぐ窓辺へと立った。
「……ん?」
なんだろう。眼下に見える庭園に、エレノアの顔が見える。
有り得ないものを目にし、一瞬自分がまだ寝ぼけているのかと、目を擦った後、再び眼下に目をやる。だがそこにはやはり、先程見た光景が広がっていた。
……幻覚か?いや、あれはどう見てもエレノア……だよね?
中庭の中央。高い所の部屋からなら誰でも見える位置にある花壇に、まさしく大輪の花のごとく微笑むエレノアの顔がどーんと鎮座している。
――……エレノアに会いたい僕の心が見せた願望……な訳ないな。
僕はまじまじと、エレノアの顔をした『ソレ』を観察してみた。するとどうやら『ソレ』は、色々な花を寄せ植えして作られたものだという事が判明した。
瞳の色は、ミモザとラナンキュラスを使って陰影を上手くつけている。髪の色はハシバミを使用しているのか……。しかも、所々にヒマワリを植えて、髪飾り風にしているのがなんとも憎い演出だ。そして顔の部分は……白薔薇か。しかも薄紅色の品種も使って、文字通り薔薇色の頬を再現している……。やるな。
ん?花エレノアの傍に誰かが……って、あれは庭師長のベン?それに部下の庭師達もいるな。あ、ベンがこちらに向かって、凄くいい笑顔で親指を立てている。成程。つまりは彼が指揮して、庭師達一同で花エレノアを作ったのか。
これは……いわゆる、『フラワーアート』というものだろう。そう言えば以前、エレノアが庭師達とそんな話で盛り上がっていたのを聞いた事がある。
なんでもエレノアの前世では、植物を使って上空から眺める植物アートがあったとの事。一番有名なのは、コメを使ったものだそうなので、いつか王家から苗を譲渡されたら作ってみたいと目を輝かせていたっけ。
……エレノアには申し訳ないが、そんな未来は果てしなく遠いと言わざるを得ない。……言わないけどね。
う~ん……。それにしてもまさか、庭師達が花を使ってエレノアの顔を作るとは思わなかったな。
しかもアレ、物凄く完成度が高い。まるで絵画のようだ。庭師達の尋常ならざるエレノアへの愛と執念を感じる。……というか、あんなものを、たった一晩で作り上げるとは……。彼らも僕同様、よっぽどエレノアがいなくて寂しかったに違いない。
「うわー!!凄ーい!エレノアだ!!うわぁ、可愛い!!最高!!君達凄いよ!後で報奨金渡すね!そうだ!メルにこの風景を何かに転写してもらって、じーさまに見せよう!!」
……あの声は……公爵様か。
まあ、興奮される気持ちも分かるが、じーさまって一体……。あ、ワイアット宰相様か。相変わらずナチュラルに不敬な方だな。……というか、いがみ合っているようであの二人、なんだかんだ言って仲が良いんだよね。
「………着替えよう」
いつまでもこうして眺めている訳にもいかない。それでなくとも寝坊してしまったのだ。早く身支度を整えて、生徒会の引き継ぎ作業の為に学院に行かなくては。
後ろ髪を引かれつつ、僕は去り際にもう一回、アートなエレノアを目に焼き付けるべく中庭を凝視した。
……うん。見れば見る程可愛い。出来る事ならこのままずっと眺めていたい。ああ……。このエレノアを半永久的に枯らす事無く維持する事が出来れば……。
エレノアが聞いたら「それだけは!!」と全力で止めそうだが、パトリック兄う……いや、姉上に頼んで時間停止の魔法をかけてもらえないか相談してみよう。
そして後で僕も父上に頼んで、巨大なキャンパスにアレを転写して貰って、部屋に飾ろう。うん、そうしよう。
余談だが、僕の身支度を整えるべく、室内に入って来た召使達も暫し窓辺に貼り付いて庭を凝視していた為、支度が大幅に遅れる事となったのだった。
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お久し振りのオリヴァー兄様、朝から絶好調です!
そして王都邸も、朝からツッコミどころ満載なのでした。
……でもこの時点では、まだ一日しか経っていないのですよね(笑)
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