第43話 友人と、その妹について(アシュル視点)

「アシュル殿下。何を考えていらっしゃるの?」


少しだけ低めの甘い声に、ふと我に返る。その声には隠しようもない、男に対する媚びた響きが含まれていて、僕は二重の意味で小さく苦笑した。


「君を今夜、どのように喜ばせようかと考えていたのですよ。美しい人……」


「まあ……!」


眼下に広がる、夜の王都。地上に放射線状に広がっている家々の灯りが、晴れ渡る夜空に負けぬ輝きを放っていて、とても美しい眺めだった。


僕はこの景色がとても好きだった。昼間の明るい賑やかさも好きだが、暗闇の中、空と地上で同時に瞬く光の共演が、何よりの平和の象徴のように思える。いつまで眺めていても飽きない。

同時に、この国と民を導く王族として、この光景を守って行かなくてはならないという使命感が湧き上がってくるのだ。


「ねえ、アシュル殿下。そろそろお部屋に入りませんこと?わたくし少々、冷えてまいりましたわ」


だが、僕の隣に立つこの女性にとって、眼下に広がるこの景色は、あくまで只の景色に過ぎないのだろう。それを証明する様に、彼女の瞳に映っているのは星や地上の煌めきではなく、僕の姿だけだった。それも甘く、ねっとりとした欲を込め、僕と視線を絡めてくる。


「そうだね。それではこのまま浴槽で温まろうか?貴女の好きだと以前言っていた赤いバラを浮かべて……。きっと、貴女のその白い肌に映えて、とても美しいだろうね」


「アシュル殿下……」


興奮と期待に顔を赤らめ、僕にしなだれかかっているご令嬢の肩を抱き締めながら、笑みを浮かべる。それはいつも浮かべる大衆向けの笑顔ではなく、どこかしら冷め、皮肉めいたものだった。


――ああ本当に、どのご令嬢も一緒だな。


このご令嬢は、レスター子爵家の一人娘だ。


美しい上に、貞淑で清楚だと評判のご令嬢であり、確かにそれを証明するように、彼女には恋人も婚約者も誰一人存在しなかった。


貞淑で清楚……。


確かに彼女は処女ではあったが、逆に言えばそれだけで、純潔を失わない程度に男と遊んでいたであろう事は、その欲を含んだ仕草や表情から、容易く伺い知れた。


それに、意中の相手である僕が相手だからと、こんな容易く純潔を捧げようだなんて……。ねえ、分かってる?この時点で君は、王族の妃になる資格を失ったんだよ。


割り切った関係を望むのならばいざ知らず、例え王族がその身を望もうとも婚姻の儀の後、初夜の褥に横たわるまで純潔を守り抜く。そんな貞淑さこそ、王家が望むものだ。

自分は選ばれたのだと浮かれ切って、容易く捧げられた純潔になど、なんの価値もない。何故彼女らは、その事が分からないのだろうか。


「アシュル殿下……お慕い申し上げておりますわ……」


「有難う御座います。レスター子爵令嬢。光栄ですよ」


自分が妃に選ばれたと信じて疑わない目の前のご令嬢に、せめてもの手向けと極上の笑みを捧げる。

……さて。隣の間に待機させている、この娘の父親はさぞかし青い顔をしているのだろう。そして彼女も、浴室に僕ではなく父親がやって来たら驚くだろうな。


ふと、僕の笑顔を唯一「胡散臭い笑顔」と、言ってのける友人の顔が思い浮かんだ。





彼と……クライヴ・オルセンと出会ったのは、まだ僕が13歳の頃。途中編入生として彼が僕のクラスにやって来た時の事だった。


彼はこの国の『英雄』であり、我が王家が名誉男爵を授けたオルセン男爵の一人息子だ。


親が男爵位を授かったとはいえ、それは一代限りの事。殆どただの平民に近い彼は、周囲の貴族の令息や令嬢から遠巻きにされたり、奇異の目で見られたりした。


だが次第に、彼はこの王立学院で存在感を示し始めた。


英雄の息子の名に恥じぬ、膨大な魔力量と身体能力、誰に媚びる事もない、堂々とした態度。更に怜悧とも言える冴え渡った美貌も相まって、何時しか学院の令嬢方のみならず、貴族の令息達からも畏怖と羨望の眼差しを向けられるようになっていったのだった。


「ねえ、君。何でここに来たの?ここって中央の貴族ばかりだから、あまり君にとって居心地が良い場所とはいえないだろう?」


まだ彼が編入して来てそれ程経っていなかった頃、そう直球で聞いてみた事があった。すると彼は一言「弟がここに通う事になったから、一緒に来た」と答えたのだった。


折角貴族になったのだからと、浮足立った父親が無理矢理通わせたのかと思っての皮肉だったのだが、聞けばオルセン男爵はより強い魔物を狩る事で忙しく、「行きたきゃ行けば?」というスタンスだったらしい。


ああ、そう言えばオルセン男爵という人は、この国の軍事総大将への要請を「めんどい」の一言で蹴った御仁だったっけ……。何とか『軍事顧問』だけは引き受けてくれたけど、気が向いた時しか顔を出さないと、デーヴィス叔父上が愚痴っていたな。


更に彼は、自分の弟の名がオリヴァー・クロスであると告げた。


『オリヴァー・クロス』


クロス子爵家の嫡男であり、父親の強大な魔力と知性、そして絶世の美貌、全てを受け継いだと言われている神童だ。


クライヴと並んで遜色ない、圧倒的な存在感で、弱冠12歳にして『貴族の中の貴族』と、社交界で言われているほど、将来有望な少年だという。父上達は、「彼はきっと将来、お前の有能な側近になるだろう」と仰っていたっけ。


そういえば今年、彼は新入生としてこの王立学院に入学して来たのだった。早速、全学年中のご令嬢方が色めき立っていたものだ。実際彼は、噂にたがわずクロス子爵に驚く程よく似た、理知的な雰囲気の少年だった。


クライヴはそのオリヴァーと父親違いの兄弟で、多忙なオルセン男爵に代わって、クロス子爵が彼を育ててくれたのだそうだ。そういえば、同じ時期に学院に在校していた僕の父上が「彼らは無二の親友だった」と仰っていたな。


「あいつ、何に対しても完璧にこなす奴だけど、ああ見えて割と抜けてる所があるんだよ。俺は将来、あいつの傍で、あいつを支えて生きていこうって決めているから。だからここに来たんだ」


僕が第一王子だと分かっているのに、彼は普通の学友を相手にするような口調と態度でそう言い放つと、自分の言葉に照れたのか、ほんの少しだけ笑顔を見せた。それは、物心着いた頃から向けられていた、媚びを含んだ愛想笑いとまるで違っていた。


その時から僕は彼に対し、友人として好意を抱いたのだった。




クライヴと仲良くなり、その関係でオリヴァーとも親しくなって、早2年。


親しくなってみると、この兄弟が似ていないようで、よく似ている事が分かるようになってきた。

その一つが、女性に対する態度。


クライヴは女性に対し、ひたすら冷たく、そっけない。対してオリヴァーは、物腰柔らかに優しく対応する。……が、基本女性からの『お誘い』には乗ろうとしなかった。


「ひょっとして、二人とも不能?」


冗談でそう言ったら、物凄く分かりやすい殺気を向けられ、危うく僕に付いている『影』達が出張りそうになった。……うん、あれは正直、焦ったな。


聞けば二人とも、女性達のあからさまな『欲』を含んだ態度が苦手だとの事。そういえば彼らの母親であるバッシュ侯爵夫人って、『貴族女性の鑑』とされている程、恋多き女性だと聞いているけど、彼らの女性に対する態度は、そこら辺が原因なのかもしれないな。


僕も王族の男として、幼い頃から女性達と逢瀬を繰り返していた。


女性に対する男としての礼儀、王族としての義務と計略、将来の妃を探す為の見定め……。様々な理由から、僕は僕に群がってくる女性達に美辞麗句を捧げ、肌を触れ合わせる。……尤も、最後までは絶対にいたしはしないが。


美しく微笑みながら、純粋な欲を向けてくる彼女達との戯れは、一時男としての悦びを与えてくれはするが、心だけはいつも満たされない。


ふと、母上の顏が浮かんだ。


他の貴族女性達と違い、僕達兄弟全員を自分の手で育て上げ、惜しみない愛情を注いでくれた人。


夫である父や叔父達を心から愛し……てると思う。うん。そして彼らからも惜しみない愛情を注がれている『聖女』その名に相応しい、僕の理想の女性。


いつか……僕も父上が母上に向けるような、心からの愛情を捧げる事が出来る、唯一無二な存在に出逢う事が出来るのだろうか……。


そして僕が15歳になった時、オリヴァーの婚約が決まった。


お相手は、バッシュ侯爵の一人娘であるエレノア嬢。オリヴァーとクライヴの、父親違いの妹だ。しかも彼は、筆頭婚約者に指名されたらしい。


「おめでとう、オリヴァー」


「有難う御座います、アシュル殿下」


祝福の言葉をかけた僕に、オリヴァーは蕩けそうな顔で礼を言う。……彼が女性に対し、こんな顔をするなんて……。エレノア嬢とは、どれ程素晴らしい子なのだろうか。


だが、その傍らにいるクライヴを見て、僕は「おや?」と首を傾げた。何故なら彼は、微笑むオリヴァーとは対照的に、何とも複雑そうな顔をしていたからだ。


その理由は、すぐに分かった。


どうやらエレノア嬢はオリヴァーとの婚約を嫌がっているらしい。


そしてその理由というのがなんと、「王子様と結婚したいから」という、なんとも幼稚で夢見がちな理由だったのだ。しかも、クライヴの事も「平民だから」と馬鹿にして、兄と認めていないと言うのだ。


あれ程の男が自分の婚約者になるなんて、普通のご令嬢だったら狂喜乱舞するだろうに。どうやらエレノアというご令嬢は、我儘なだけでなく、男を見る目も無いようだ。バッシュ侯爵は有能な男なのに、娘がアレとは。残念極まるな。


それにしても、何でオリヴァーは、自分や自分の大切な兄を邪険にする妹の事を、あんなにも愛しているのだろうか。


クライヴが再三、婚約破棄を提言しても、首を縦に振らないし、「今日のエレノアも不機嫌そうだったけど、相変わらず愛らしかったよ」なんて、惚気ともとれる言葉を甘い顔で語りまくる始末。


完璧なオリヴァーの、意外な一面を垣間見た気分だ。もしかしたら、そういった類の女性に虐げられたい趣味でもあるのだろうか……。全くもって、理解しかねる。


それから一年後、突然オリヴァーはクライヴと共に寮を出て、バッシュ侯爵邸に移り住んだ。なんでも、エレノア嬢がちょっとした病気をした為、傍にいてやりたいからというのが理由だった。


大丈夫なのかと心配したのだが、オリヴァーからは、やはりいつもの妹の惚気話が出てくる。……うん、大丈夫なようだ。


クライヴの方はと言えば、驚くべき事にオリヴァー同様、エレノア嬢と婚約してしまったのだ。しかも専従執事にまでなったのだという。


一体全体、どういった青天の霹靂だと愕然としたが、クライヴ曰く「オリヴァーの奴が、俺の虫除けとして、エレノアと婚約させたんだ。専従執事はそのついでだ」との事だった。


成程、それならば納得だ。おおかた専従執事になったのも、「婚約してやるのだから」と、エレノア嬢がクライヴへの嫌がらせとして、そう望んだのだろう。


――だが、ここでほんの少しだけ、疑念が湧いてきた。


オリヴァーはそもそも、エレノア嬢にベタ惚れだったけど、クライヴはオリヴァーを邪険にするエレノア嬢をひどく嫌っていた筈。


そんな彼が、いくら自分にまとわりつく女性達を避ける為とはいえ、その嫌っている妹の婚約者になった挙句、従僕に下るのを良しとするだろうか。


オリヴァーだって、愛する妹の望みとは言え、大切な兄であるクライヴを、そんな目にあわせるとは思えない。


――ひょっとしたらエレノアという少女は、クライヴや周囲が言う程、酷い子ではないのかもしれない。なんと言っても、あのオリヴァーが溺愛する子なのだから。


そう思った僕は、末の弟であるリアムの誕生日を利用し、実際のエレノア嬢を見てみようと思ったのだった。




◇◇◇◇





「おい、アシュル!お前、よくもやってくれたな!」


「何の事だい?」


「しらばっくれるな!お前が聖女様を使って、うちの妹を王立学院に通わせようとした事だよ!」


母を使い、エレノア嬢を王立学院に通わせる事に成功した後、案の定、クライヴは怒り心頭といった様子で僕を問いただしてきた。


まあ、そりゃそうだ。我ながら卑怯な手を使ったなと思う。協力してくれた母上にも、後でお小言を頂いてしまったぐらいだから。


「うん、そうだよ。でもこうでもしないと、リアムとエレノア嬢を会わせて貰えないと思ったからさ」


そう。僕も確かにエレノア嬢と再会したいと思ってはいたが、それもつまる所、リアムの為だった。僕のやろうとしていた悪戯を、知ってて止めなかった他の弟達とは違い、あの子は全くそれに関わってはいなかったのだから。

だから母上も、僕とリアムの父であるレナルド叔父上とのお願いを、拒み切れなかったのだ。


「ふふ……。それにしても、君がそこまで血相を変えるとは……。エレノア嬢の事、本当は心から大切に想っているんだね」


僕の言葉に、クライヴはバツが悪そうに口を引き結ぶ。ああ、ひょっとしたらと思ってはいたけど、どうやら図星だったようだ。


「クライヴ。僕が彼女に嫌われるのは仕方ないけど、リアムは僕のしたことには全く関わっていないんだ。卑怯だった事は認める。済まなかった。……でも、あのままあの子が、僕の巻き添えで彼女に避けられたままなのは、可哀想だったんだ」


「……いや、あいつは別にお前の事を嫌ってないぞ」


「え?」


クライヴの口から出た意外な言葉に、僕は思わず目を丸くした。


「むしろ、俺の事を心配して怒ってくれたんだから、友達想いの良い人だ。大切にするべきだ……って、そう言っていた」


思いもよらぬ言葉に衝撃を受け、言葉が出て来ない。


エレノア嬢が……。あんな酷い事をした僕に対し、そんな風に思ってくれていたなんて……。


「……俺も、お前が俺の為にやってくれたって事は分かっていたよ。エレノアにされた事は、正直言って不快だったけど、そもそも俺とあいつの仲が悪いって、お前には思わせていたからな。お前が誤解すんのも無理は無い」


「……クライヴ……。いいのか?そんな話を……僕にして……」


掠れた口調でそう問いかけると、クライヴは小さく舌打ちをした。


「本当の所、こんな事言いたくはなかったし、オリヴァーに知られたら激怒されるだろう。……だけど、友達であるお前に、大切な妹を誤解されたままでいるのは嫌だったんだ」


友達……?君はまだ僕の事を、そう思ってくれているのか?


「まあでも、あいつの性格知られちまってんだから今更だがな。……だが、今回の事は絶交レベルで怒ってんだからな!いいか、今後こんな事しやがったら、お前だろうとタダじゃおかねぇからな!?」


「宣戦布告……ってトコかな?分かった。心に留めておこう。だけどね、クライヴ。意中の女性が見つかった場合、どんな手段を使ってでも手に入れようとするのは、この世の男性、全てにおいて共通する本能だ。勿論僕もその時は、例え君やオリヴァーが相手でも、容赦はしない」


本来の調子が戻ってきた僕に、クライヴは不敵な笑みを浮かべた。


「……上等だ。まあでも性格はともかく、アレは見た目が難アリだからな。面食いのお前じゃ厳しいだろう」


「いや、別に僕は面食いという訳では……。そんなにアレな訳?」


「お前、お茶会で実物見ただろが。俺もオリヴァーも、見た目に頓着しねぇからいいが、王家の嫁ってなったら、そうは言ってらんねぇだろ?」


クライヴの言葉に、あの奇抜な様相を思い出し、微妙な心持ちになってしまう。確かに、どんなに性格が良くても、あのファッションセンスと見た目はちょっと……。


……まあでも、リアムも見た目は気にしていないみたいだから、あの子がエレノア嬢を心から望むのならば、僕が周囲を説得すればいいかな……。


僕の葛藤を見透かしてか、クライヴが口角を上げている。なんか面白くない。


「クライヴ。ご指摘通り、僕は綺麗なご令嬢は大好きだけど、心の底から面食いって訳でもないんだ。なんと言っても女性はこの世の宝だからね。僕がエレノア嬢に惚れない保証なんて、どこにもないんだから、せいぜい油断しない事だね」


途端、クライヴがムッとする。


そうだよ、どう転ぶか分からないのが、男女の仲ってやつなんだからね。


エレノア嬢とは入れ違いに卒業してしまうけど、折を見て学院に遊びに行くのもアリかな。きっと、クライヴとオリヴァーの凄まじい妨害があるだろうけど、そういった彼らを見るのも茶化すのも楽しいだろう。弟の援護射撃もしたいし……。何より一度、ちゃんと彼女と会って話をしてみたい。


――ひょっとしたら、僕もクライヴのように、彼女に絡め取られてしまうのかな?


有り得ないと思いつつも、先程言った自分の言葉を思い出す。そう、僕がエレノア嬢に惚れない保証なんて、どこにもないのだ。まして彼女は、あんな型破りな考え方や行動をするご令嬢なのだから。


「もしそうなったら、それはそれで面白いかもね」


ほんのちょっぴり感じた甘い疼きに、僕は小さく笑った。


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