第54話 【閑話】あるクラスメイトの呟き
僕のクラスには、変わったご令嬢がいる。
彼女の名は、エレノア・バッシュ公爵令嬢。次期宰相と目されている、バッシュ公爵の一人娘だ。
彼女を初めて見たのは、この国の第四王子であらせられる、リアム殿下の誕生際を兼ねたお茶会での事。あの時は、あの奇抜なフアッションと我が儘っぷりに度肝を抜かれたっけ。
なにせ、王立学園で不動の人気を誇る、オリヴァー・クロス子爵令息と、クライヴ・オルセン男爵令息という、ご令嬢方なら誰でも憧れる方々を、婚約者と言うよりは、まるで自分の下僕のように、尊大な態度で接していたのだから。
まあ…ある意味、僕ら男性は皆、女性達に尽くし傅く下僕と言えなくもないけど。
だが、バッシュ公爵令嬢に関して言えば、容姿といい、態度といい、申し訳ないが、あれほどの方々に愛し尽くされるような女性とは思えない。だからやはり、親の力で無理矢理あの方々の婚約者に収まったという噂は本当だったのだろうと納得した。
そんな彼女がアシュル殿下によって、僕ら招待客達の目の前で、侮辱とも言える態度を取られた時は、同情よりも「さもありなん」と思ったものだった。
噂によれば、アシュル殿下とクライヴ様は、非常に親しい友人同士だそうだから。きっとアシュル殿下も彼女の態度に眉を顰め、腹に据えかねた上で、あのような事をされたのだろう。
結果、彼女はそれ以降、どのお茶会にも参加する事は無くなった。
多分だが、恥ずかしくて参加する事が出来なくなってしまったのだろう。
そうして月日が流れ、僕は貴族の子供が通う王立学園に入学したのだが、驚くべき事に、あのバッシュ公爵令嬢も王立学園に入学してきたのだ。
僕の婚約者であるご令嬢いわく、「リアム殿下が今年から学院に通われるから、リアム殿下の妃の座を狙う為だろう」との事だった。
それを裏付けるように、なんとリアム殿下に付き添われてきた聖女様が、バッシュ公爵令嬢にお声を掛けたのだ。
何を話されていたのかは分からないけど、バッシュ公爵令嬢のあの狼狽えようから察するに、多分だが聖女様は、御自分の息子を守る為、バッシュ公爵令嬢に釘を刺しにいらしたのだろう。
リアム殿下は男の僕が見ても、思わず見惚れてしまう程、美しい方だった。
『風』の魔力が強い者に出るという、非常に珍しい青銀色の髪と瞳。透き通るような美貌。殿下はたちまち、ご令嬢方全ての心を奪ってしまった。当然と言うか、僕の婚約者の心も一緒に。
だが、殿下の方はと言えば、並みいるご令嬢方には目もくれず、親し気に声をかける女性は、驚いた事にバッシュ公爵令嬢だけだった。しかも何故か、バッシュ公爵令嬢の方がそんな殿下に対し、戸惑うような態度を取っていたのだ。
この時点で、「あれ?」と違和感を感じた者は、僕を含めて何人もいただろう。
そして、カフェテリアでの騒動を経て、バッシュ公爵令嬢が実は、噂されていたような人物ではない事が明らかになったのだった。
自分を侮辱した第一騎士団長の息子を庇い、彼の名誉を守る形で騒動を鎮めた。…そして、ご令嬢らしからぬ言動で彼を激励し、僕達の度肝を抜いた。あんな規格外なご令嬢がこの世に存在していたなんて…。
リアム殿下の事も、親の力を使って近づいたのではなく、自分を助けてくれたバッシュ公爵令嬢の事をリアム殿下の方が気に入り、親しくしようとしていただけだったのだ。
そうしてクラスメイトとして過ごす内、彼女がご令嬢としては、更に規格外な人物である事が分かってきた。なんと、ご令嬢方が全てカフェテリアで過ごす中、彼女は僕らと共に授業を受けていたのだった。
他のご令嬢方は、バッシュ公爵令嬢のその行動を「男漁りの為」と決めつけ、陰口を叩いていたが、そんな噂と違い、彼女は真面目に授業を受けていた。しかも驚くべき事に、今迄見た事も無いような、画期的な文具を僕らに勧めてくれたり、斬新な勉強法を編み出しては、その都度、教えてくれたりしたのだ。
お陰で僕のクラスは、試験の中間結果で上位の殆どを独占するに至ったのだった。
当のバッシュ公爵令嬢の方はと言えば、体術系の授業に参加出来ない為、得点が伸びないとぼやいていたけど。
バッシュ公爵令嬢の最も変わっている点。それは彼女がとても優しいという事だろう。
クロス会長や、前副会長であり、在学中は常に上位二位であったオルセン先輩、そしてセドリック・クロスと言った、誰もが羨むそうそうたる顔ぶれの者達を婚約者に持っているにも関わらず、彼女は恋人や婚約者になり得ない、平凡な容姿の者や、身分が下の男性に対しても、自分の婚約者に対する態度と同じように、接してくれていた。
そしてこちらが何かをすれば、必ず笑顔で「有り難う」とお礼を言うし、頑張って結果を出せば、それが誰であろうと、惜しみ無い賛辞を言葉にしてくれた。
お陰で僕のクラスは、彼女を中心に温かい雰囲気に包まれていて、肩肘を張らずとも、誰もが自然に、自分自身がその時出せる、最高の結果を出せるようになっていったのだった。
誰もが上位10名を目指し、生き馬の目を抜くとされている王立学園なのに、彼女のお陰で毎日が楽しい。
女性の何の見返りも求めない優しさが、これ程心を解し、癒してくれるものだったなんて知らなかった。多分、彼女の婚約者達やリアム殿下は、彼女のそんな人柄に惹かれたのだろう。
そうなってくると、あのお茶会での奇行。あれは一体何だったのかと疑問が生じるが、多分あのアシュル殿下の行動が切っ掛けで彼女は心を改め、生まれ変わる事が出来たのだろう。…まあ、あの奇抜なセンスだけは治らなかったみたいだけど。
でも今では、彼女の見た目を気にするクラスメイトはほぼいない。
むしろ、その飾らない人柄が好ましく、今度はどんな意表を突いてくれるのかと、皆、彼女の一挙一動を楽しく見守っている。
――女性は愛し、守るべき大切な存在。
幼少の頃から繰返し言われてきた言葉。
彼女を見ていると、その言葉がごく自然と心に落ちていくのを感じるのだ。
そして、ある信じられない変化が起こった。
それは僕も含め、婚約者ないし恋人がいる男子達に起こった事で、以前よりも明らかに彼女達の態度が良いものになって来たのだ。しかも、向こうの方から積極的に話しかけて来たり、口付けを強請ってきたりと、自らスキンシップをはかってくる。
あれ程リアム殿下に夢中になって、こちらに対して無関心になっていたというのに。一体どういう事なのだろうか。
そんな事を、何とはなしにエレノア嬢に話したら、彼女はあっけらかんとした様子で、こう口にした。
「多分、みんなが以前程、彼女達にグイグイいかなくなったからじゃない?強引な人が急に静かになったら、誰だって不安になるもの」
言われてみれば…僕もクラスの他のみんなも、以前よりも婚約者達と接しなくなっていた。少し前までは、いつ彼女が自分以外の男性に心を移してしまうかと、不安で仕方が無くて、暇さえあれば、彼女達の歓心を得ようと傍にいたり、話しかけたりしていたというのに。
どうしてそうなったのだろうかと、考えてみた。
婚約者や他のご令嬢達の話題は常に同じで、「あのブティックのデザイナーの服が」「この間立ち寄った宝石店で、気に入ったネックレスが見つかった」「どこそこの誰がと誰かが恋人同士になった」「学年が上のあの先輩がとても好みだ」「バッシュ公爵令嬢が、今日もリアム殿下と気易くしていて腹が立つ」…等々。自分の事か、気になっている異性の話か、他人への中傷。それらをただ、一方的にこちらに話してくる。
「もっと、私の為に頑張って」
そしていつも、その言葉を最後に、話しは終わるのだ。
でもそれは、世間一般的に言っても、女性との会話とはそのようなもので、しごく当たり前の事なのだ。
…だというのに、何故か最近僕は、婚約者と話すのが苦痛になってきてしまっていたのだ。それが結果的に、婚約者の心を僕に向けさせる事になるとは、なんとも皮肉な話だと思う。
僕のこの心境の変化の原因は、紛れもなくエレノア嬢によるものだろう。
彼女との会話は常に楽しい。
彼女はちゃんと、僕の話を聞いてくれる。そしてその事について、ちゃんと自分の言葉で返してくれるのだ。
その言葉には、女性ならではのさり気ない気遣いや優しさが含まれていて、聞いているこちらの気持ちがほぐされていく。一方的に受けるのではなく、女性と普通に会話が出来る。その事が、こんなにも楽しい事だったなんて…。
でも、あんまり頻繁に話をしたりすると、彼女の婚約者達に目を付けられてしまうから要注意なんだけどね。
そうして月日が流れ、年に四回ある試験のうちの最終試験である、総合テストが行われた。
エレノア嬢はいつものように、治癒魔法を使って試験の負傷者達の手当てをしてくれている。
「手当てと称して男子生徒と大っぴらに触れ合っているのだ」などと噂してる人達には、あのオルセン先輩が僕らに対して睨みをきかせている中、そんな事など出来るわけないだろうと、声を大にして言ってやりたい。
そもそも、エレノア嬢が
そうこうしているうちに、僕の番がきた。
だが何故か、試験官の補佐として、オルセン先輩が僕らの前に立っている。しかも、滅茶苦茶不機嫌そうだ。
ゴクリ…と喉が鳴る。これは…ヤバイ状況だ。
しかもエレノア嬢が救護テントの中にいない。聞けば、マロウ先生のお使いで席を外しているとの事。つまり、ぶっ飛ばされて怪我をしても、すぐ治療してくれる人がいない…と、そういう事なのだ。
何故だ、何故こうなった。悪夢だったら、早く覚めて欲しい。
そんな願いもむなしく、僕や他の連中は、マロウ先生とオルセン先輩の最凶タッグの手により、宙に吹っ飛ばされる事となったのだった。
エレノア嬢が、初潮を迎えたらしい。
噂によると、マロウ先生のお使いの最中で、急に月の障りが来てしまったのだそうだ。
今日もエレノア嬢は休んでいる。女性にとって、とてもおめでたい事なのだけど、凄く心配だ。それに何だか、彼女がいないだけで、教室内が急に寒々しくなった気がする。他のクラスメイト達も、何だかソワソワして落ち着きがない。
…でも、そうか…。エレノア嬢は、『大人の女性』の仲間入りを果たしたのだな。
彼女の婚約者達は、さぞかし喜んでいる事だろう。女性は、初潮を迎えたのを切っ掛けに、心も身体もより女性らしく成熟していくものだから。
…そう考え、何となく胸の奥がモヤッとしたのを、僕は気のせいにした。
『エレノア嬢は今頃何をしているのだろう。快活な方だから、退屈されているのかもしれないな。そうだ、お祝いを贈らないと。やはりまずは花かな』
何が良いだろう?ポインセチアはどうかな?それともユリ?いやでも、カスミソウを散らしたいから、それに合って、尚且つ花言葉が素敵なものを…。
そこでふと、自分の婚約者が初潮を迎えた時の事を思い出し、苦笑する。
「なんか…。あの時よりも真剣に悩んでないか?」
尤も、『友達』として女性に花を贈る事なんて、初めての事なのだから仕方がない…と、心の中で何とも言い訳がましく呟く。それに、婚約者や恋人へ贈る花は薔薇と相場が決まっているから、悩む必要もなかったし…。
「…もしエレノア嬢に薔薇なんか贈ったりしたら、命は無いだろうな…」
彼女を取り巻く、ハイスペックな婚約者達を思い出し、背筋に冷たいものが流れる。以前、エレノア嬢に騎士の誓いを立てたいと言ったオーウェン・グレイソンが、セドリック・クロスとリアム殿下に返り討ちにされた話は有名だ。
「…なるべく、無難な花言葉の花にしよう」
間違っても、恋や愛の花言葉の無い花にしなくてはならない。でも、出来ればとびきり素敵な花を贈りたい。
ジレンマに陥りながらの花選びは、一晩中かかっても終わらなかった。
余談であるが。悩みに悩んで花を贈った翌日。
「セドリック。エレノア、俺の贈った花、喜んでくれたかな?」
「うん、綺麗だって喜んでたよ。特に花言葉に感激してた」
「え!?本当か!?」
「うん、「『永遠の友情』なんて、流石はリアム!」…だって」
「…おい、ちょっと待て。俺は確か、12本贈ったんだが?」
「え?そう?じゃあ贈る本数、間違えたんじゃないかな?」
「…セドリック。やってくれたな…」
「やだなぁ。婚約者として、当然の事をしたまでだよ」
…そんな会話を、セドリックとリアム殿下が交わしていた。背後の魔力オーラの禍々しさに、思わず背筋が凍る。
「あ、そういえば」
何故かセドリックがこちらに向かって振り向く。…え?僕?
「お祝いの花束有難う。とても綺麗だってエレノアが喜んでた。僕も良いセンスだと思ったよ。特にワンポイントで『アイビー』が入っていた所が」
ニッコリと微笑んだその笑顔に、何か黒いものを感じた僕は、その後図書館でアイビーの花言葉を知り、顔面蒼白となったのだった。
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アイビーの花言葉…「友情」「永遠の愛」「不滅」「結婚」「誠実」
ちなみに、このワンポイントは彼が選んで入れたのではなく、花屋さんのサービスアレンジでした。
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