第99話 黒に近い灰色

「うわぁ…。リアル飛び跳ね…。エレノア嬢って本当、真面目に面白い」


空気を読まない呑気な言葉に、フィンレー殿下の方を振り向くと、さっきまでの刺々しさを微塵も感じさせない穏やかな眼差しと視線が合ってしまい、再び真っ赤になって狼狽えてしまう。


「ふふ…。それにその初心な反応。なんかこう…仕草が一々可愛くて、妙にそそられるね。うっかり苛めたくなっちゃうよ」


ビシリ!…と、エレノアの身体が硬直する。ついでにクライヴ、オリヴァー、セドリック、マテオですらフィンレー殿下がサラッとのたまった爆弾発言に凍り付いていた。


――フ…フィンレー殿下ー!ヤンデレ、ご健在ですねー!?


真っ赤な顔を瞬時に青褪めさせ、プルプル震える私を庇うように、クライヴ兄様が私と殿下との間にさり気なく割り込み、各々のカップにお茶を注いだ。セドリックも心配そうに私を見つめている。オリヴァー兄様は…あっ!顔の上半分に影が!青筋も増えている!


「…殿下。そろそろご自分の塔が恋しいのではありませんか?臣下の婚約者に不埒な発言していないで、そろそろお帰りになったら如何でしょう?」


「そうだね…。何時もだったら、言われなくてもとっとと帰るんだけど、エレノア嬢といると楽しくて、さほど帰りたくなくなるな。不思議だねぇ…」


フ、フィンレー殿下…!そう言いながら、さり気なく私の頭撫でるの止め下さい!そしてオリヴァー兄様、かろうじてアルカイックスマイル浮かべていても、その殺気に満ち満ちた目は誤魔化しようがありません!そろそろ不敬罪でしょっ引かれかねないから、止めましょうよ!


「…まあでも頃合いだね。残念だけど帰るとしようか。…マテオ。二度目は無いぞ?」


「は…。心得て御座います」


フィンレー殿下の言葉に、マテオが深々と頭を垂れた。


「それでは、私達も殿下のお見送りをしようか。エレノア」


「えっ?あ、はいっ!」


すかさず、オリヴァー兄様が私を促し立ち上がる。


何でこんなにいがみ合っていたのにお見送り?って思ったけど…。成程、フィンレー殿下をダシにして、私もろともレナーニャ王女から逃げる策ですか。フィンレー殿下もそれを察したのか、呆れ顔でオリヴァー兄様を見ている。


「使える者は王族でも使う…か。本当、良い根性してるよ。ズバリ、宰相向きだね。尤も、僕が国王だったら、君は絶対要らないけど」


「ええ。私も貴方様が国王でしたら、どんな手段を使ってでもお断り致します」


バチバチッと、最大級の稲妻が駆け抜けた瞬間だった。






オリヴァーとエレノアに見送られ、人気の無い回廊を歩いていたフィンレーに、静かな声がかけられる。


「…殿下。お疲れ様で御座いました」


「ヒューバードか。うん。まあ疲れたけど、予想外に楽しかったよ」


「それは重畳ちょうじょう


そして音も気配もなく、ローブを被った長身の男がフィンレーの前に現れ、軽く会釈をする。王族に対する挨拶としては不敬にあたり兼ねないものだが、彼にだけはその職業柄、許されているのだ。


「それで、如何でしたか?接してみて何かお感じになられましたか?」


「…そうだね…。ああ!そういえば、さり気なく触れてみたけど、あの眼鏡は魔道具っぽいね。恐らく魔力を封じる呪印が施されているのだろう。リアムの話では、エレノア嬢はかなり魔力量が高い子みたいだから、うっかり魔力を放出してしまうのを防ぐ為だろうけどね」


「…そうですか」


「それにしても。なんでヒューバードがエレノア嬢の事、そんなに気にする訳?確かにちょっと変わったご令嬢だけど、ちゃんと自分自身を持っている上に、素直で可愛いくて、とても良い子じゃないか」


普段、他人に対して辛辣なフィンレーの、異例とも言える手放しの褒めちぎりように、ヒューバードは小さく苦笑する。


「はい。エレノア嬢は素晴らしい女性だと、私も思っております。リアム殿下とアシュル殿下がお気に召されるのも当然かと…」


「じゃあ、一体何がそんなに気になる訳?」


「…それは…。まだ確証が持てませんので…」


「…ふぅん…」


王家の『影』は、憶測を決して口にはしない。だが、曲がりなりにもこの自分を使ってまで確認したかった事なのだ。きっとそれはかなり重要な事なのだろう。


そう推測しながら、フィンレーは眼鏡の奥の目を眇めた。


今回、自分がここに来たのはヒューバードの要請があったからだった。「一度で宜しいので、エレノア嬢と会って欲しい」…と。


――リアムがいないから、「獣人達から守ってやって欲しい」…ならともかく、ただ「会って欲しい」って、一体何なのだ?


普段だったら了承しなかっただろうが、アシュルやリアムに色々聞かされ、自分も彼女には一度会ってみたいと思っていたから、丁度良い機会だと思い直し、ヒューバードの要請に応じる形で王立学院へと赴いたのだ。


『獣人達が学院に行き始めた頃から、ヒューバードは王家の要請でこの学院の監視をしていた。だが、この学院の…というよりは、エレノア嬢の事を守る為というのが本当の所だろう』


だからこそ、実際にエレノア嬢を目にしたヒューバードが、王族に懸想されているエレノア嬢の何らかを気にして、自分に目利きをさせたかったのかと思っていたのだが…。どうやらそういう訳でもないようだ。


「あ、ひょっとして、君の幼児愛好ロリコンの血が騒いだ?それで僕に協力して欲しいって思ったの?」


ビキビキッとヒューバードの額に青筋が浮かんだ。


「…フィンレー殿下。何度も申し上げておりますが、私に幼児愛好ロリコンの趣味はありません!」


「言っとくけど、それちっとも説得力ないから。いつも大抵のものには動じない君が、『あの子』に対してだけは冷静じゃないよね?」


「…それは…」


確かに、あの少女に関してだけは、何故か自分は冷静になれないでいる。仮にも主君と仰ぐお方の想い人であるというのにも係らずである。…それにしても、まさかあの少女に、この殿下までもが懸想しようとは…。ハッキリ言って最悪に近い。


――だが、相手の真実を見抜く直感と魔力探索に関して言えば、この方の右に出る者はいない。だからこそ・・・・・、エレノア嬢に会って頂いたのだが…。


「それに、人には人の趣味嗜好ってのがあるからね。うん、僕は別に責めないよ。年齢差があっても相手が成長しちゃえば些細な事だし。君の思うがままに生きるがいいさ。でもアシュル兄上とリアムの想い人だから、協力は出来ないけどね」


「それはどうも!というか協力して欲しくてお呼びたてした訳ではありませんから!」


「そう?…ああ、でもエレノア嬢って不思議な子だよね。傍にいると、とてもホッとする。そういうトコ、『あの子』にちょっと似ているな」


「――!」


フッと笑ったフィンレーの、無意識に浮かべたであろう微笑を、ヒューバードは驚きを持って見つめた。あの・・フィンレー殿下のこんな表情を見る日が来ようとは…。


「また機会があったら会いたいな。…ん~…でも、あの陰険腹黒野郎がもれなくくっ付いて来るよね。アレにはもう会いたくないなぁ。全く…。エレノア嬢も、あんな他人の神経を逆なでするのが得意な男が、筆頭婚約者だなんて気の毒に。アシュル兄上やリアムには、もっと頑張るように発破かけとくとしようか」


「………」


「何?ヒューバード」


「…いいえ。そうですね。是非そうして差し上げて下さい」


『他人の神経逆なでするのが得意』など、どの口が言うんだ!…とは、賢明にも口にしなかったヒューバードであった。


「じゃあね。後はよろしく。…あの子に何かあったら、何を置いても守りなよ?」


「承知いたしました」


言うだけ言って、踵を返した後姿を見送りながら、ヒューバードはポツリ…と呟く。


「まだ確信は持てないが…より黒に近くなったか。さて、どうしたものか…」


そうして次の瞬間、最初からそうであったかのように、回廊には人の姿も気配もなく、ただ静寂のみが広がっていたのだった。







《おまけ》


「ヒュー兄様!あの時笑ったでしょう!?」


「何の事だ?」


「とぼけないで下さい!あの噴き出し笑い、兄様の声だって、ちゃんとわかってんですからね!兄様にまで笑われるなんて屈辱過ぎる!だいたいアイツ、何が孔雀だ!アレのどこが私にピッタリなんだよ!?」


「いや…(滅茶苦茶ピッタリだと思うが…)」


「兄様!?何か言いました!?」


「言ってないぞ(思ってはいたが)しかしお前も耳が良いな」


「兄様の声とリアム殿下の声は、どんな状況でも聴き逃しません!」


「…そうか…」


「兄様?何笑ってんです?」


「いや…」


エレノアの影響からか、無意識にデレるようになったマテオ君でした。


===================


フィンレーが学院にやって来たのは、ヒューバードの要請でした。

そして、もれなくフィンレー殿下の毒舌に被弾したヒューさんですが、

思いがけない弟のデレに癒されました。

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