第37話 君は誰?
私とセドリックとの婚約が決まり、私はクロス子爵邸の使用人達や騎士達に祝福されたり感謝されたりしながら(何故感謝?)王都にあるバッシュ侯爵邸に向けて、出発した。
ちなみに、私とオリヴァー兄様は馬車で。そして何故かクライヴ兄様は馬車には乗らず、ウィルやダニエル達と共に、自分の馬に乗って馬車を先導してくれている。
「オリヴァー兄様、何でクライヴ兄様は馬車に乗らないんですか?」
「ん?クライヴは元々、馬車はあまり好まないからね。それと、まぁ…。お風呂の件での罰ってとこかな」
あ…。クライヴ兄様。まだお仕置き続いているんですね。私の所為で、本当に申し訳ございません。
「本当だったら、途中で休憩を取ろうかと思ったんだけど…。ルート変更したから時間が無くてね。御免ね」
「いいえ、兄様。バッシュ侯爵領が見られるだけでも嬉しいです!」
そう、実は今回『今の私』になって初めて、バッシュ侯爵領を見学する事になったのだった。まあ尤も兄様の言う通り、時間の都合で今回は通り過ぎるだけなのだけどね。
でもクロス子爵家滞在時、父様が「エレノアも、自分の領地を一度ちゃんと見てみたいだろうから」と言って、次に休みが取れた時、今回のクロス子爵領本邸に滞在したみたく、バッシュ侯爵家本邸に長期滞在しようと言ってくれたのだった。
それを聞いた時は「わーい!また外出できる!」と大喜びしたものだが、すかさずジョゼフに「今回、アイザック様方は仕事をサボりまくられましたからね。当分の間はまともにお休みが取れないでしょう」と、残酷な現実を告げられ、親子揃って撃沈。
諦めきれない父様は「なんとしてでも、エレノアの為に休みをもぎ取る!」と息巻いていらっしゃったが、他の父様方が「自分達を置いて行くなら、絶対休みを取る邪魔をする!」と宣言しているので、父様達全員の休暇が揃うまで、私はバッシュ侯爵家本邸には行けない事が決定してしまったようだ。
…うん。気長にその時が来るのを楽しみにするとしよう。
ちなみに我がバッシュ侯爵領は、春のような穏やかな気候が通年続く土地柄で、肥沃な大地を有する穀物の一大産地なのだそうだ。
その為、どこまでも続く麦畑や田園風景に加え、果樹園もあちらこちらにあり、果樹に咲き誇っている花々のみならず様々な花が常に咲き乱れている、大変に風光明媚な土地柄なんだって。
クロス子爵領に向かう時は、視察に向かうダンジョンの位置の関係でバッシュ侯爵領は通らなかったから、知らなかったよ。
そうオリヴァー兄様に言ったら、わざわざちょっと迂回して、バッシュ侯爵領内を見せてくれる事になったのだ。
それにしても、クロス子爵領が山々に囲まれた森林地帯なのと比べると、お隣同士なのに、気候も風土もえらく違うのだなって思う。クロス子爵領は今現在、初夏って感じだったしね。
「そうだね。一説によると、その土地に根付いた精霊達の特性が、そのまま各領地に現れているのではないかって言われているんだよ」
ここら辺、本当に私が元いた世界と違うよね。
あの世界では神仏精霊は空想上の存在って感じだったけど、この世界では当たり前のように存在しているし、魔法も使えるんだから。
「じゃあバッシュ侯爵領は、大地の精霊が根付いた土地と言う事でしょうか?」
「そうかもしれないね。でも、あれ程豊かな恵みは大地の精霊だけでなく、水や風といった、他の様々な精霊達がバランスよく根付いているからだろう。…ああほら、見えてきたよ」
言われ、外の景色を見てみると、少し先に、キラキラ金色に輝いているものが見えた。
「兄様!あそこ、一面金色です!」
「ああ。丁度麦の刈り入れ前だったようだね」
「うわぁ…!」
馬車が、黄金の麦畑の中を進んでいく。
どこまでも続く美しい金色が風でうねり、降り注ぐ陽光に煌めいていて、思わず溜息が漏れる。
以前の
日本人だった頃の私は、どちらかと言えば田舎寄りの土地に暮らしていたから、夏の青田、秋の稲穂をよく目にしていた。あのどこまでも続く田園風景を、自転車に乗りながらのんびり走るのが、私は大好きだった。
こうして麦畑を見ていると、何だか自分の暮らしていた世界に帰って来たような、そんな不思議な気持ちになってきてしまう。
…父さんと母さん、元気かな?お祖母ちゃんとお祖父ちゃん、今も元気に家庭菜園頑張ってるかな?幼馴染の友達や高校の友人達は、それぞれ大学行ったり就職したりして頑張ってるんだろうな…。
「エレノア?…どうしたんだ?!」
「え?」
オリヴァー兄様の声に我に返った私は、自分が泣いている事に気が付き、慌てて涙を拭った。
「どこか痛いの?ひょっとして、気分が悪くなったとか?」
「いいえ、大丈夫です。…なんかちょっと、外の景色があまりに美しくて…」
まさか、軽くホームシックになっていました…とは言えず、そう言って微笑むと、オリヴァー兄様の顔が一瞬、なんとも言えないような表情になった。
「…エレノア…。実はね。僕はずっと、君に聞きたかった事があるんだ」
「はい?何ですか?」
そこで、オリヴァー兄様の表情がスッと無くなった。
真剣で…どこか見透かす様な鋭い視線が、真っすぐに私へと向けられる。
「君は…一体『誰』なんだ?」
◇◇◇◇
突然の兄様の言葉。ストン…と、一気に全身の血が足元まで下がってしまったように、身体が震え出す。
「…だ…だれ…って…。わ、私は…エレノアです…」
声が掠れて震える。そんな私を、オリヴァー兄様は眉一つ動かさず、冷静な表情のまま見つめる。未だ嘗て、オリヴァー兄様が私にそんな表情を向けた事は一度も無かった。
「うん。君はエレノアだ。…でも、本当に『エレノア』なのかな?」
「オ…リヴァー…兄様…」
間違いない。兄様はエレノアの中の『私』に向かって、問い掛けているのだ。
『オリヴァー…兄様…!』
いつか…。ひょっとしたら、こんな日が来るかもしれないと、心の片隅で思っていた。
「お前は誰だ」と「エレノアをどこにやった」と…。そう言われる日が来るのではないかと恐かった。
その時は覚悟を決めて、正直に話そうと思っていた。非難や罵倒も、きちんと受け止めようと…。だけどあまりに突然過ぎて、どうしたらいいのか分からない。
「…二年前。君が記憶喪失になって、全て忘れてしまった時から、君は考え方も性格も全て変わってしまったね。記憶喪失になった人間を見たのは初めてだったし、君はとても良い方向に変わったから、僕らはむしろ喜んでさえいた。…でも段々、記憶喪失では説明がつかない『違和感』が増していったんだ。それは見て見ぬふりが出来ないぐらいに、僕達の間で大きくなっていった」
「………」
「まっさらで、純真で…。でも、時折見せる表情や仕草がとても大人びていたり、普通の人が考え付かないような斬新な事を考えついたり…。こんな幼い少女がと、驚かされる事ばかりだったよ」
「………」
「改めて、聞きたい。君は、一体誰?」
――私は覚悟を決め、深呼吸を一つした。
「…私は『真山里奈』と言います」
「マヤマ…リナ?」
オリヴァー兄様の表情が少しだけ変わった。…ひょっとしたら私に「そんな事はない」「何を言っているのか」と否定して欲しかったのかもしれない。
「はい。そして私のいた場所は…。こことは全く別の世界でした」
そして、私は話し始めた。
ある日、いきなり『エレノア』という少女になっていた事。最初は夢だと思っていたが、そうでは無かった事。常識も何もかも、この世界とはまるで違う世界で、平民として生きていた事などを、なるべく冷静に。分かりやすいように。
「貴方がたを、騙すつもりはありませんでした。でも私はまだ学生で、新生活を始めようとしていた矢先に突然『エレノア』になってしまって…どうしたらいいのか分からなくて…」
「………」
「エレノアの意識を、私が乗っ取ってしまったとしたら…。私は貴方方の大切な人を奪ってしまった事になります。お詫びしてもし切れない…。でも、やりたくてやった事ではないんです!それだけは…信じて欲しいんです…」
もう、オリヴァー兄様の顏も見る事が出来ず、俯いてしまった。
あの優しい顔が、目が、憎しみに満ちたものに変わっていたらと、それが恐くて…。
その時だった。俯き、震える身体がふいに温かいものに包まれる。
驚きで見開かれた目に映ったのは、私を抱き締めるオリヴァー兄様の胸元だった。
「正直に話してくれて有難う。…ずっと、辛かったね」
「…にい…さま…?」
本当は、もう兄様なんて呼んではいけないのに、やはり口から零れるのは、いつも呼び慣れた言葉だった。
そんな私の髪に、兄様の優しい口付けが落とされる。
「君は自分がエレノアを乗っ取ったと言ってたけど、多分それは違う。だって、君から感じる魔力の波動は、エレノアそのものなんだから」
「魔力の…波動?」
「そう。魔力の波動とは、すなわちそれを発する魂の波動なんだ。だからね、君は間違いなく『エレノア』なんだよ。例え君の今の記憶が『マヤマリナ』のものであったとしてもね」
そうしてオリヴァー兄様は、抱き締めていた私からそっと離れ、私と目線を合わせる。その顔は穏やかで、いつもの大好きな…優しい兄様の顏だった。
「君は多分、『転生者』なんだ」
「転生者?」
「そう。魂が、別の世界から来て生まれ変わった者達の名称だよ。他にも魂ではなく、異世界から何かのはずみでこちらにやって来てしまった者達も、総じてそう呼ばれている。数は少ないけど、実在する存在なんだ。だから、君がエレノアを乗っ取ったのではなく、君の魂が前世を思い出した…という方が正しいのだろう」
前世…?便宜上、私自身も以前の事を思い出す時、前世ってよく言っていたけど…。じゃあ、『真山里奈』という存在は、既に過去のもので、私は正真正銘『エレノア』だったの…?
戸惑う私に、オリヴァー兄様が優しく微笑む。
「エレノア。僕はね、まだ前の…今の君となる以前のエレノアに出逢って、その瞬間からどうしようもなく君に恋をしていた。君に嫌われても、拒絶されても、それでも僕は君が愛しくてたまらなかった。クライヴには「いくら妹でも、そこまで好きなのは理解できない」って、よく言われたよ。僕自身も何でだろうって、ずっと思っていた。…でも、今やっと理解した。きっと僕はエレノアの中に宿っていた、『君』という存在に心惹かれていたんだ」
そう言うと、オリヴァー兄様は再び私を自分の胸に抱き込んだ。
「好きだよエレノア。君が転生者であろうと…いや、そうでなくても、僕は『君』という存在が何よりも大切なんだ。…君の口から真実を聞きたかったのはね、君を守る為にも本当の事を知っておきたいって、そう思ったから。だから決して、君を責める為ではないんだよ」
その途端、私の涙腺が決壊した。
ずっと無理矢理、心の奥に押し込めていた不安や恐怖、苦しみ。それらが涙と共に次々と溢れ出てきて止まらない。
「に…さま…。にいさまぁ…!私…まだ、貴方の…妹でいても…いいんですか…?」
しゃくりあげる私をあやすように、兄様は優しく私の背中をポンポンと叩いてくれながら、私の髪に何度も口付けを落とす。
「当たり前だろう?たとえ君が嫌だと言っても、僕は君を傍から放さない。…愛しているよ、僕の愛しいエレノア…」
まだ泣いている私の顎を軽くしゃくり、少しだけ逡巡した後、オリヴァー兄様はそっと、私の唇と自分のそれとを重ねた。
「…にいさま…?」
突然の感触に、私は思わずまだ涙が溜まったままの目を見開き、すぐに顔を離したオリヴァー兄様の顏をきょとんと見つめる。
そんな私を見た兄様の顏が、熱に浮かされたような表情を浮かべる。
「エレノア…」
兄様が、再び私と唇を合わせる。
でも今度はすぐ離れるのではなく、角度を変えながら、何回も何度も口付けるのを止めない。
急な展開に、私は半ばパニック状態で、兄様のされるがままになっていた。
普段の私だったら、間違いなく真っ赤になって鼻血を盛大に噴いていたところだが、今さっきの私の告白と兄様の告白とで心が一杯一杯状態だった為、羞恥などよりも、とにかく驚きの方が優先されてしまっている。
「…ん…ふっ…に…にい…さま…っ!」
でもやっぱり、この状況を脳が正確に把握してきてしまえば、羞恥心はしっかり復活してくるし、心臓もドコドコ忙しなくなって、血圧が上昇してきてしまう。
呼吸も苦しく…は、ない。何故なら兄様が微妙に角度を変え、私が酸欠になるのを防いでくれているからだ。…流石は男の嗜みを極めた男。教師陣を唸らせたその手腕の一端を、我が身をもって体感している気分だ。
――じゃなくて!!
このままじゃ不味い。絶対ヤバイ。だって酸欠でもないのに、頭の中がまるで霞がかったみたいにボーっとなるし、気分もなんかフワフワしてくるし…。
「エレノア…」
いつもよりも掠れたような兄様の声。なんかさっきより熱っぽくなっている気がする。…というか、声だけでも腰砕けになってしまう程、色っぽい。この世界のイケメンは顔面偏差値だけでなく、声までもイケメンなのか!
――ッ…。駄目だ…!こ、このままでは…っ!!
ダンッ!
いきなりの物凄い音と振動に、私は身体ごと勢いよく飛び跳ねた。
「オリヴァー!てめぇ、ふざけんなよ!大事な話があるからって俺を馬車から締め出しといて、何エレノアに手ぇ出してんだ!!」
慌てて馬車の窓を見てみると、鬼の様な形相をしたクライヴ兄様が、私達を睨み付けている。
「クライヴ…」
チッと耳元で舌打ちが聞こえた気がする。が、果たして本当に気のせいだったのだろうか。
ともかく、クライヴ兄様の突然の乱入で変な雰囲気は霧散してしまったが、代わりに羞恥やらなにやらが、ドッと襲い掛かってくる。
その結果…当然というか。
「うわぁっ!エレノアッ!!」
久々に、私は盛大に鼻血を噴いてぶっ倒れてしまったのだった。
「…結局、休憩する事になってしまって、申し訳ありません…」
今現在、私達は麦畑の外れにある、大きな樫の木の下で休憩を取っている。
ちなみに私はクライヴ兄様の膝に乗せられ、頭を冷やされていたりする。『水』の魔力、本当に便利だな。
「ああ、お前は気にするな。それもこれも、オリヴァーの堪え性の無さが、そもそもの原因だからな!」
そう言いながら、ジト目でオリヴァー兄様を睨み付けるクライヴ兄様。でも、オリヴァー兄様はどこ吹く風って感じで、クライヴ兄様の視線を軽く受け流している。…ってか、物凄く機嫌が良さそうですよ、この人。
「それにしても、エレノアが『転生者』だったとはな。ま、なんにせよ、怪しげな類じゃなくて本当に良かった」
怪しげな類…とは?
「クライヴ兄様は…その、私が『転生者』で大丈夫なのですか?」
「ああ。そもそも俺が惚れたのは、記憶喪失…いや、前世の記憶が蘇った後のお前だからな。何も問題ねぇよ」
「そう…ですか」
なんか、アッサリしているなぁ…と思いつつもホッとした。大好きな兄様達が『私』の事を受け入れてくれて、私は今やっと、この世界に受け入れられたって気がする。
安堵感に包まれ、深呼吸をしてから目を閉じると、吹き抜ける風と爽やかな緑の匂いが心地良い。
「…でだな、エレノア」
「はい?」
「俺も…お前にキス、して良いか?」
「…えっ!?」
思わず、顔が真っ赤になってしまう。
いや確かに、さっきオリヴァー兄様とキスしたけどさ。あれは話の流れというか、完全に不意打ちで、だから出来たというか…。こ、こんな直球でお伺いたてられたら…。
「あー、まあ、無理か。また鼻血出たら不味いしな。まあ、落ち着いたらでいいから、考えといてくれ」
そんな私の葛藤に気が付いたのか、苦笑しながらアッサリ引き下がるクライヴ兄様を見て、胸がチクリと痛んだ。
穏やかで、いつも優しいオリヴァー兄様とは対照的な見た目と言動だから分かり辛いんだけど、この人はオリヴァー兄様と同じぐらい、とても優しい人なのだ。
いつもいつも、どんな時でも私の気持ちを最優先してくれる。オリヴァー兄様と同じく、私にとって、とても大切なかけがえのない人。
「兄様、失礼します」
「え?」
そう一声かけた後、私はクライヴ兄様の唇にキスをした。
チュッと、軽く触れるような、兄様からしたらお遊び程度のささやかなものだが、それでもキスはキスだ。
自分からなんて、めっちゃ羞恥で死にそうだけど、私はこれから、改めて肉食女子の闊歩するこの世界で生きていかなければならないのだ。だから少しは肉食女子っぽく、積極的な令嬢になっていかなくてはならない。…うん。多分無理だろうけど、努力ぐらいはしますよ。
「エレノア…!」
嬉しそうな声に、真っ赤になった顔でチロリとクライヴ兄様の顏を見上げてみれば、麗しい御尊顔がうっすらと赤らんでいて、蕩けそうな笑顔が物凄い色気を醸し出している。――くうっ!ひ、久々に…目が潰れそう!
「有難うな、エレノア。…愛しているぞ」
そう言って、優しく抱き締めてくれる兄様。服越しに伝わってくる鼓動が物凄く早い。そうか、照れているのは兄様も同じなんだと、ちょっと安心してしまった。
「…クライヴには自分からって、ズルくない?エレノア、僕にも君からしてくれる?」
「お前はさっき、散々やらかしたろうが!ちっとは自重しろ!」
兄様達が、ぎゃあぎゃあと言い合いを始める。
気持ちの良い青空の下、美しい風景と大切な人達に囲まれている幸福感に、私は小さく微笑んだ。
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