第359話 デビュタント当日

エレノアのデビュタントと言う名のお披露目パーティー当日。

バッシュ公爵家本邸では、朝から戦場のような忙しさに誰もが忙殺されていた。


家令であるイーサンの指示の元、召使達によって、夜会の会場となる大広間はもとより、邸内のどこもかしこもが美しく磨き上げられていく。


そして本邸内部と敷地内は、バッシュ公爵家本邸の騎士達に加え、王都邸から来た騎士達や王家を守護する近衛騎士達が警備に参加し、まさにアリの入り込む隙間もない程の厳重な警備体制が敷かれていた。


なにせ、バッシュ公爵領の至宝であるエレノアが、初の当主代理として催す夜会である。

しかもそれはただの夜会ではない。生涯でただ一度しかない貴族令嬢の晴れ舞台、『デビュタント』でもあるのだ。


そのうえ、国母であり女神の代理人である聖女様までもが、エレノアのデビュタントを祝う為に出席するのである。騎士達や召使達の意欲はかつてない程に高まっていた。


そんな中、高揚とは無縁の厳しい表情を浮かべているのは、クリストファー・ヒル騎士団長であった。


騎士団長であるクリスやその腹心達、そして小隊長らには、帝国がエレノアを狙い、なんらかの行動を起こすであろう事が伝えられていた。


勿論、エレノアが『転生者』であり、それがゆえに帝国が所有権を主張している……という事は伏せ、帝国が高魔力の貴族令嬢を狙っており、そのターゲットの一人に、エレノアが入っていると説明をしているのだが。


それを聞いたクリス達は即刻、夜会そのものを中止する事を進言した。


だが、これはただの夜会ではない。


バッシュ公爵家に連なる貴族達や領内の有力者達に対し、エレノアの顔見せをするのと同時に、未だ残るフローレンスの信奉者達の目を覚まさせ、エレノアの立場を盤石なものとする為の、大切な舞台である。


その上、王家直系や聖女の参加も周知させてしまっている為、中止にする事はほぼ不可能。そう説明され、彼等は渋々納得した。


クリス達の懸念は誰もが十分理解している事であった。


今迄は、バッシュ公爵家全体に張り巡らせていた強力な結界のお陰で、「内部」に潜む密偵や裏切り者の存在に対し、目を光らせているだけで良かった。


だが、『悪意を持つ者は黒焦げ』程ではないものの、それに準ずる程の強力な結界が張られていては、何かと要らない憶測を招いてしまう。


聖女様や王族の身をお守りする為……という体も取れなくはないが、王宮で行われる夜会に参加している貴族達も、今回の夜会には多く参加する。


その彼らが、王宮に張られている以上に強固な結界がバッシュ公爵家に張られているのを見れば、やはり何らかの疑念を持たれてしまうだろう。

中には「自分達を危険視しているのか!?」と、余計な騒ぎを起こす者も現れるかもしれない。


出来れば今回、バッシュ公爵領に侵入している帝国の間者だけでも捕らえるか始末してしまいたいところだ。余計な騒動や混乱は避けたい。


なので、今迄張られていた結界は一旦解除し、普通の感知結界に変えざるを得ないのである。


「だったら、悪意のある者だけを速やかに弾く結界にしてはどうか?」という意見も出たのだが、そうすると、王族狙いの肉食令嬢ハンター達や、あわよくばエレノアの目に留まりたいと目論む、下心満載な貴族達がその結界に引っかかってしまう恐れがある。


その結果、殆どの貴族達が夜会に参加出来ないという、全くもってどうしようもない事態になりかねない……という事で、その意見はあえなく却下された。


それゆえ、クリスはクライヴやディラン、そしてヒューバードらと共に、いつ何時不測の事態が起ころうとも、効率よく瞬時に対応出来るように騎士達を配していた。


特に、公式な婚約者であるオリヴァーらと共に、非公式な婚約者である王族達や、王族を守護する近衛騎士らが瞬時に協力してエレノアを守れるようにと、聖女であるアリアが、常にエレノアと行動を共にする事となっている。

これならば、肉食令嬢ハンター達やエレノア狙いの貴族達もおいそれと近付けない為、まさに一石二鳥である。


そしてとどめというか、本来不参加であった筈のフィンレーが、その輪の中に加わる事となったのである。


王太子であるアシュルと共に、非公式でバッシュ公爵領入りした彼は、当然アシュルと共に影でエレノアを見守る予定だった。


――だが先程、王都から緊急の魔道通信により、バトゥーラ修道院が何者かによって襲撃を受けた事を伝えられた。


バトゥーラ修道院は陸の孤島である事に加え、周囲に数多の強力な魔獣が放たれている事から、グラントがその場の指揮を取っているそうだが、今の所詳しい情報は送られてきていないそうだ。


国王アイゼイアは帝国の本気度を察し、急遽フィンレーをエレノアの傍に付けるよう指示を出したのである。(余談であるが、それを聞いた約一名が、一瞬思い切り顔を顰めていたそうな)


ただし、無表情に大喜びしていたフィンレーは、「いつもの服装でもいいよね」と言って、王宮魔導師団のローブ姿で参加しようとしたらしく、笑顔で青筋を立てたアシュルの指示の元、問答無用で身ぐるみを剥がされ、王族の正装に着替えさせられたという事である。







所変わって、主役であるエレノアはというと……。


デビュタントの事や帝国の事を考え、緊張のあまり中々寝付かれず、明け方近くにようやっと深い眠りについた為、しっかり寝過ごしてしまっていた。


そのお陰で「時間がありません!」と、朝食を食べ損ねたエレノアは、そのまま温泉にポイッと放り込まれ、ミア率いる獣人メイド達によって徹底的に全身を磨き上げられ、艶々ピカピカにされ、ついでに軟体動物のごとくにグニャグニャ状態にさせられた。


が、その軟体動物と化したエレノアは、引き渡されたジョナサン&美容班の手により、たちどころに貴族のご令嬢へと成形し直された。


……その成形し直された過程であるが……。血も涙も容赦もない、凄まじいものであった。



「お嬢様、動かないで!」


「目を閉じない!唇閉じない!呼吸も一瞬止めて!」


「え?お腹が空いたですって!?あんたってばなんで、少しは腹に食い物入れてこなかったのよ!?今から食べるのは駄目よ!?腹出るし、口紅も取れるから!」


「ジョナサンの言う通りです!お寝坊されたお嬢様の自業自得なんですから、夜会まで我慢なさって下さい!その後でしたら、少しなら食べられますから!」


「食べてもストローでゼリーぐらいにすんのよ!?いいこと!?今日のドレスが白だってこと、死んでも忘れるんじゃないわよ!?」


身動き一つとれない辛さと、空腹によるひもじさに涙ぐめば「泣いちゃダメです!お化粧が崩れます!」とツッコまれ、エレノアは傍らに控えていたイーサンに、必死に目だけで助けを求めた。


だが流石のイーサンも、連日徹夜状態で目を血走らせたジョナサン&美容班の気迫に押され、眼鏡のフレームを指クイするのみだった。

……というか、ただ単純に磨き上げられていくエレノアの姿に、心の父として感無量となっていただけのようにも見えたが……。


「あ、あの……。お嬢様……。これ……」


そんな中で勇気を振り絞り、楊枝に刺した一口サイズの蒸しケーキをおずおずと差し出したのは、誰あろうミアであった。


「「「「あぁ?」」」」


殺気立ち、血走った眼差しを一斉に向けられ、ミアは「ひっ!」と小さく悲鳴を上げながら肩を跳ねさせた。


ついでにペタリと寝てしまったウサミミをピルピルさせる、その健気で可憐な姿に、基本レディーファースターなアルバ男である彼らは、ちょっとだけ冷静さを取り戻し、無言のままその行動を容認した。


「お、美味しいよ~!有難う、ミアさん!!」


「お嬢様!ようございました!!」


互いに涙目で喜び合うという、和み光景を目にしたジョナサン&美容班は、己らのとち狂ったテンションを大いに反省した。


「……まあ、このドレスだったら、お腹が多少出ても誤魔化せるわよね……」


「……口紅は最後で良いし……」


「……化粧も崩れたら直せばいいしな……」


そんな事を言いながら、餌付けされる雛のごとくに、蒸しケーキを食べさせられているエレノアにほっこりしつつ、サクサクと作業を進める。


ついでに我に返ったイーサンの指示により、マンゴーラッシー風ドリンクや、ミニチュアフードが大量に部屋へと運び込まれた。


それに対し、喜び勇んだエレノアがそれらを食べまくった結果、多少どころではなく腹が膨らんでしまい、ジョナサン&美容班の雷が再び炸裂したのだった。



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淑女の支度は時間がかかるのです。

というか、塩対応と砂糖対応の振り幅が激し過ぎる、エレノア菌保持者の面々です。


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