第350話 誤りし者
ナイルは瞼を閉じ、重々しい溜息を一つ吐いた。そしてゆっくりと瞼を開くと、感情のこもらない眼差しで息子を見つめた。
「……お前の『貴婦人』は、母親もろとも貴族籍を剥奪された。そして平民として、貴族に対する不敬罪が適用された。遠からずバッシュ公爵様より直々に処罰を下されるだろう」
ナイルの言葉を受け、ジャノウの瞳が極限まで見開かる。
「――ッ!?フ、フローレンス様が……!?馬鹿な!!何かの間違いです!!あの方が不敬罪などと……そんな事をなされる筈がありません!!……まさか……。私の行いを、エレノアお嬢様が激怒され、結果、あの方がそのような罪を被る事に……!?」
「……黙れ」
今にも自分に掴みかかろうとせんばかりのジャノウに対し、ナイルは微動だにしなかった。更には抑揚のない声でジャノウの言葉を冷ややかに遮ると、侮蔑の眼差しを向ける。
「……そこまであの女に溺れ、眼を曇らせたか……。そもそも、お前があの場で断罪されず、今こうして生きていられるのは、エレノアお嬢様の寛大なるお慈悲ゆえ。だというのに、それに対して感謝をするどころか、不敬にも、そのような愚かな世迷言を……!!お前はどこまで、自分自身の誇りと家名を地に堕とす気だ!?」
「父上……!!」
「ジャノウ。お前はクラーク家から廃嫡とする」
「……ッ……。覚悟……しておりました。ですが、ですがどうか、フローレンス様に対する汚名に対し、弁明を!最後の願いです!この命と引き換えに、父上のお口添えを……どうか!!」
「私がお前の願いを叶える事は未来永劫起こらない。ましてや、バッシュ公爵家に仇名す罪人の為に動く事など、もっての外だ」
ジャノウの必死の訴えを無視し、ナイルは淡々とそう告げた。
「父上!!」
「我が家も騎士爵を返上し、平民となる。……私はお前の父として、この命が尽きるまで、お前の犯した罪を償っていくつもりだ」
ジャノウは一瞬言葉を詰まらせる。
自分の犯した罪の余波。父は一族の中でも特にバッシュ公爵家に対する忠誠が高かった。その父に、自分は『反逆者の血族』の汚名を着せてしまったのだ。
……それでも……自分はあの人を……。
「クラーク家の栄誉を貶めたお前など、どこへなりと行くがよい!……と言いたいところだが、エレノアお嬢様が王都に戻られる迄は、この屋敷に閉じ込めておくようにとの、バッシュ公爵家よりのご下命だ。……連れて行け!」
部屋の隅に控えていた騎士達に命じ、必死にフローレンスについての嘆願を口にするジャノウを執務室から連れ出させたナイルは、扉が閉まった瞬間椅子に腰を下ろし、ガックリと肩を落とした。
先程まで息子に対し見せていた威厳も失せたその姿は、一気に老け込んだようにも見えた。
「何故だ……ジャノウ!騎士団長にまで昇りつめたお前が、何故こんな事に……!?」
実直で誠実な、自慢の息子だった。クラーク家から騎士団長を輩出出来た事は、自分だけではなく、一門全ての誇りだった。
その息子に過ちを起こさせた男爵令嬢……いや、『元』男爵令嬢だが、聞けば息子だけでなく、多くの騎士や領民をも誑かし、エレノアお嬢様に対する悪意を植え付けさせていたという。多分だが、彼等も等しく罰を受ける事となるのだろう。
「このような事態を、あのイーサン様やバッシュ公爵様がご存じでいらっしゃらなかったなど、有り得ない。……あの元男爵令嬢は多分、愚か者を炙り出す為の『駒』とされたのだろう。そして、我が息子はまんまとその駒に踊らされた……」
ナイルは、執務机に置かれた一冊の本に目をやった。
この本はジャノウの謹慎を言い渡された時、家令のイーサン様より手渡された書籍だった。
この中には、シャニヴァ王国との攻防の際、エレノアお嬢様がどのように関わり、そしてこの国の為に何を成されたのかが、余す事無く書き綴られていた。
今現在、この本は今迄制限されていたエレノアお嬢様の情報と共に、バッシュ公爵領にて瞬く間に広まっているという。
この本を読み終えた時、感じたのは、エレノアお嬢様に対する溢れんばかりの敬愛と忠誠心。……だが、それ以上に、己が仕えるバッシュ公爵家当主、アイザック様に対する畏怖と戦慄であった。
――自分の命よりも大切な娘を、国の為に差し出す事の出来る冷酷さと覚悟。
バッシュ公爵家の当主は、総じて善良で温厚な人格者が多い。現当主であるアイザックも、『慈悲と慈愛の領主』として名高い。
だが、ただ優しいだけで、この比類なき豊かさと平和を誇る領地を維持出来ない。
領民に対し向ける慈悲の顔の裏で、不穏の芽が芽吹き切る前にまとめて炙り出し、こうして処断されていったに違いない。
「もし……あの女よりも前に、ジャノウがエレノアお嬢様にお会いしていれば……。いや、今更か……」
息子を夢中にさせた、あの娘の真実の姿を見抜けなかった時点で、クラーク家の没落は決まったのだ。
そう呟いた後、ナイルは手で顔を覆うと、深い溜息を洩らした。
「駄目だ……!ああ、なんという事だ!……フローレンス様!!」
ジャノウは、クラーク家の離れに与えられた自室で一人、髪を掻きむしりながらベッドに腰を下ろしていた。
彼は父であるナイルの命により、ここに閉じ込められてからずっと、呻くような声を上げ続けている。室内には夜の帳が下り、灯りの無い薄暗い室内には、月明かりが差し込んでいる。
「あの美しく、お優しい方が、よりにもよって『侮辱罪』などと……!そんな事、有り得ない!」
瞼の裏に焼き付いた、フローレンスの笑顔。
彼女は常に優しい微笑を浮かべながら、労いの言葉をかけてくれた。そんな方がエレノアお嬢様を侮辱するなど、ある筈がない。
「……まさか、エレノアお嬢様があの方を貶めようと、虚偽の罪を擦り付けた……?そのような事をするお方だから、フローレンス様はあれ程までに怯えておられたのか……?」
ジャノウは勢いよく立ち上がり、部屋のドアノブに手をかける。
だがそこは固く閉じられており、元騎士団長である自分が渾身の力を込めてもビクともしなかった。
多分だが自分を閉じ込める為、この部屋全体に強力な防御結界が施されているのだろう。という事は、ドアを破壊する事も、窓から外に出る事も出来ないに違いない。
ジャノウは焦った。生涯の愛と忠誠を誓った愛しい女性。その女性があろう事か、無実の罪でもって断罪されようとしている。今すぐにでもここを出て、彼女の冤罪を訴えに行かなくてはならないのに、自分は部屋から出る事もままならないのだ。
「くそっ!!何が騎士の忠誠だ!愛する人一人も守る事が出来ないなんて……!!」
「ジャノウ団長。お困りのご様子ですね」
拳を固く握りしめ、ふり絞るように叫ぶジャノウに突如、声がかかる。
「――ッ!?……誰だ!?」
ジャノウは瞬時に声のした方向へ身体を向け、身構える。
月明かりのささぬ、部屋の四隅の一角。そに目を凝らすと、いつの間にか人影が佇んでいるのが見えた。
――こいつ……。一体どこから!?
ドアも窓も、開いた気配はない。……いや、そもそもこの部屋の周囲には、バッシュ公爵家から派遣された、幾人もの騎士達が見張りについている筈。
つまりこの男は、それらをかいくぐり、この部屋に侵入してきたというのか。一体どうやって?いや、それよりも……。
「貴様!一体何者だ!?」
「貴方の味方ですよ、クラーク団長。私はフローレンス様を助け出したい。その為には、貴方の力が必要なのです」
穏やかな口調でそう言い放ちながら、人影はゆっくりとした足取りでジャノウの元へと歩いて来る。
そして。
「お……まえは!?」
月明かりに照らし出されたその人物の姿を目にしたジャノウは、驚愕に目を見開いた。
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前騎士団長。彼はたとえ、どんな証拠を見せたとしても、頑なにフローレンスを信じ続けると思われます。
愛する者をひたすらに信じて愛する点で言えば、ブランシュ・ボスワースの父親とそっくり同じですね。
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