第291話 家令の涙
「お嬢様の御前で騎士である貴方がたが何を騒いでいるのですか。まずは全員下がりなさい」
静かに言い放たれた言葉。だがその中に宿る憤怒に気圧された様に、先程までエレノアを取り囲んでいた騎士達全てが一斉にその場から退き居住まいを正した。
「イーサン……」
何故ここに?と続けたかった言葉は、こちらに向いた顔を見た瞬間止まってしまった。
何故なら、その目は真っ赤に充血しているうえに血走っており、眉間の縦じわはかつて無い程くっきりと刻まれていたからだ。
しかも自分を目にした瞬間、彼は何かを耐える様に唇をギュッと引き結んだ。
『お……怒ってる?!』
そう言えば、クリス副団長がフローレンス様が演習場に来て迷惑だったと言っていた。
だから同じように演習場にお邪魔してしまった自分に対し、怒っているのだろうか……?
「……」
自分を見上げながら、ビクビクしているエレノアの姿にキュッと眉間の縦じわをもう一本増やしながら、イーサンは鼻の上に掛かったフレームをクイッと指で押し上げた。
「……エレノアお嬢様……」
「はっ、はいっ!?」
つ、次の台詞は「淑女たる者」でしょうか!?
「……ご成長、あそばされましたね」
「はい?」
一瞬、何を言われたのか理解出来なかったエレノアの目の前でそれは起こった。
なんとイーサンの目から、ツゥーと涙が一筋流れ落ちたのである。
まさにリアル「鬼の目にも涙」
それを見て呆然と思考停止するエレノアと騎士達を尻目に、更にイーサンの奇行は続いた。
なんと、あの「冷酷」「鉄面皮」の名を欲しいままにしてきた鬼の家令が、エレノアの前に片膝を付いたのである。
しかも……しかもだ。今度はエレノアを見上げる形になったイーサンの顔は、ほんのりと紅潮していた。
無表情に頬を染め、涙を流し続ける冷酷家令。……ハッキリ言ってその姿はホラー以外の何物でもなかった。
静まり返った演習場で、誰かが喉を鳴らす音がやけに大きく響き渡る。
「貴女様がこの世に誕生された時よりこのイーサン、僭越ながら陰より見守り続けてまいりました。……ええ、本当は表で見守りたかった気持ちを押し殺し、耐え続けた苦節十三年……!ようやく……。ようやく、お嬢様のご成長をこの目で……!!エレノアお嬢様。未熟な者よとお笑い下さい。私は今感動のあまり、心臓の鼓動が停止しそうな状態に陥ってしまっております!!」
「…………」
突然始まったイーサンの独白を、私は言葉も無く聞き入っていた。……いや、聞き入るしかなかった。
で、でも、あれ?イーサンって、私の事を不出来なご令嬢だって呆れていた筈では……?
「お嬢様がこの領地にいらっしゃる事になったとアイザック様よりお聞きしてからというもの、お嬢様のお越しを一日千秋の思いでお待ちしておりました。……ですが諸事情により、この荒ぶる想いをお嬢様に悟られないように接しておりましたゆえ、お嬢様にはお辛い思いをさせてしまいましたね」
クッと、イーサンの眉間の皺が深くなる。
あ、この表情。ひょっとして怒っているんじゃなくて、何かを耐える時の表情だったりするのかな?
思わずクライヴ兄様とウィルの顔をチラ見してみると、二人ともなんか悟ったような生温かい目でイーサンを見ていた。しかも他の騎士達と違い、このイーサンの姿を見ても全く驚いていない。
……ひょっとして、イーサンって元々こういう人……?
し、しかもさっきの話からするとイーサン、私が生まれてから十三年間、ずっと見守ってくれてたの?
「私……。イーサンには嫌われてるのかと思ってた……」
するとイーサン、まさしく「苦渋」って感じに顔を顰めた。しかも眉間の皺、今ならコインが挟めそうな程に深くなってる。
「……お許し下さいお嬢様。私の態度の所為で、お辛い思いを……。さぞ私をお恨みになられた事でしょう」
「ううん、大丈夫!」
思わずプルプルと首を横に振る。
「私が至らなかったからだって思ってたから。……それに、そんなに長い間私の事を見守ってくれたんだね。イーサン、有り難う!」
「――ッ!お嬢様……!」
イーサンの目から、まさに滂沱といったように涙が溢れかえった。
――……いや。お前の態度、割とバレバレだったが?!
互いに良い雰囲気の中見つめ合う主従を見ながら、クライヴやクリス達が心の中でイーサンに盛大なツッコミを入れた。
というか、生まれた時からずっと見守っていたって凄いなそれ。しかもこいつの赤く血走ったあの目……。絶対エレノア(お嬢様)の剣舞を見て感涙していたんだろう。今日だっていつエレノア(お嬢様)が来てもいいように、夜の内からずっと柱の陰で潜んでいたに違いない。全くもって、愛が尋常じゃねぇ!狂気すら感じるぞこいつ。間違いなく超ド級でヤバい奴だ。
皆の心の中でのツッコミは続く。
見れば、あの空気を読まないティルですらも無言でドン引きしている。ってか、あのヤバイ告白に素直に感動しているエレノア(お嬢様)も真面目にヤバイ。
「……今迄あいつの周囲にいた奴ら、あんなのしかいなかったからな……」
『『『ああ……(察し)』』』
クライヴのフォロー(?)に、クリス達は納得したように頷いた。そういえば筆頭婚約者様も、同じぐらいにヤバそうな方だったからな。しかも見れば、近衛騎士達もあの二人を見ながらしみじみと感じ入っている様子。……成程。環境って大事なんだね。
自分にビシバシ突き刺さる周囲の視線をものともせず、イーサンは胸元のハンカチで涙を拭うと、表情を改めその場から立ち上がった。
「大変失礼致しました。お嬢様。貴女様への不敬も何もかも、この先バッシュ公爵領を受け継ぐ貴女様の憂いを徹底的に排除する為で御座いました」
「え?」
「……さて」
改めて居住まいを正したイーサンは、その場の騎士達を一瞥した後、唇を開いた。
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イーサン、弾けました(^O^)
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