第168話 姫騎士の登校【ノウマン公爵令嬢】
『何故なの…!?何故、こんな事になっているのよ…!!』
豪奢な金髪ときつめな翡翠色の瞳を持ち、傍に数人の男子生徒や従者を侍らす美しい少女が、心の中で叫ぶ。
よく手入れをされているのが一目で分かる、光沢のある形の良い爪を噛みながら、彼女はとある一角を睨み付けていた。
彼女の名は、レイラ・ノウマン。四大公爵家の一つ、ノウマン公爵家の長女である。
彼女が睨みつけていたのは窓際に近い、少しだけ他の席から離れた位置にあるテーブル。そこは王族である第四王子、リアムの為に設置された
だが今現在、そこにはリアムではなく、とある男女が我が物顔で寛いでいる。
『…エレノア・バッシュ公爵令嬢…!』
レイラは胸中で、忌々し気にその名を呟く。次いで少女を腕に抱き、優しい眼差しを向けている男性へと視線を移した。
燃える様な銀糸の髪。美しいアイスブルーの瞳。極上と言える精悍なる美貌、鍛え上げられた体躯。…その姿を目にする度、湧き上がる想いに瞳が潤み、胸が疼く。
『クライヴ・オルセン子爵令息…』
先程、エレノアを見ていた時とは打って変わった、恋情のこもった熱い眼差しを、レイラは美しい青年へと向けていた。
――クライヴ・オルセン。
ドラゴン殺しの英雄であり、この国の軍事を統べる将軍、グラント・オルセン子爵の一人息子であり、前副会長だった男。一目見た瞬間心を囚われ、数多の令嬢達同様恋い慕い、求愛し続けた相手である。
自分が出逢った当初、彼は父親が一代限りの男爵であり、身分がほぼ平民であった。だがそんな事、自分にとってはどうでも良かった。とにかく彼が欲しくて仕方がなかったのだ。
勿論、身分があまりにも低すぎる為、夫としては一番低い立場にたたせてしまう事になるだろうが、その分、一番の寵愛を与えるつもりでいた。
なのに彼は「女に興味が無い」とばかりに、どの令嬢の求愛や誘いにも乗らなかったのだ。それは自分に対しても同様で…。
…だが基本、男性は女性が強く望めば、最終的にはそれに従う。ましてや他の女達と違い、自分は四大公爵家の一柱である、ノウマン公爵家の一人娘なのだ。その自分に望まれるなど、どの男にとっても栄誉以外のなにものでもないに違いない。
ましてや彼は平民だ。だから、いずれは自分の求愛に応えてくれるものと、信じて疑わなかった。
…なのに結局彼は、最後まで自分に見向きもせず、あろう事か嫌っていた筈の父親違いの妹、エレノア・バッシュ公爵令嬢と婚約をしてしまったのだった。
さして美しくも可愛らしくもない上、我儘放題で兄を兄とも思わず、平然と見下す少女…。エレノア・バッシュ公爵令嬢は、そう世間で噂されていた。
そんな女に、私は夫候補を奪われてしまったのかと、怒りで目の前が赤くなる思いだった。
だが、意に沿わぬ婚約であったろうに、クライヴ・オルセンはその後、婚約した事を理由に、全ての求愛を一蹴したのだった。勿論、私の求愛もだ。
婚約者よりも身分が上の女性に求められれば、筆頭婚約者でなければ恋人ぐらいにはなれるというのに…。彼はそれすらも拒んだ。
学院にエレノア・バッシュ公爵令嬢が通い出し、あまりの不器量さを目にした瞬間、「あんな娘に…!」と怒りが湧いたが、それよりも許せなかったのは、クライヴ・オルセンのバッシュ公爵令嬢に対する態度だった。
噂に反し、彼は愛しくて仕方が無いというような甘い表情で、婚約者である妹の事を見つめていたのだ。バッシュ公爵令嬢も、そんな兄に信頼を寄せ、時に甘えるような仕草を見せる。
――あんな表情、私にも他の令嬢達の誰にも見せた事が無かったのに…。なんで…なんで、あんな不細工で、何の魅力も無い小娘なんかに…!?
燻り続ける彼への思慕と、バッシュ公爵令嬢への嫉妬と敵意。
その種火は消える事無く、私の胸の中で燻り続ける事となったのだった。
◇◇◇◇
「お父様!何故です!?バッシュ公爵家から手を引くって…!」
私に対して常に甘く優しい態度を崩さない父、リオ・ノウマンが、困った様な渋面を浮かべながら私を見つめている。
「弟のカミールをバッシュ公爵令嬢の婚約者にする替わりに、クライヴ・オルセン子爵令息を私の婚約者にするよう、バッシュ公爵家に打診して下さるって、そう仰ったではないですか!」
「ああ。そのように思っていたのだが…状況が変わった。今、バッシュ公爵家の不興を買うのは不味い。…それにアイザックだけならともかく、あの筆頭婚約者の若造…。あれは曲者だ。慎重に事を進めなければ、この私ですら容易く上げ足を取られてしまいかねない」
いつも自信に満ち溢れている父親の姿からは想像もつかない弱気な発言に、レイラは頭にカッと血が昇ってしまう。
「オリヴァー・クロス伯爵令息?!でもお父様、彼はいずれバッシュ公爵家に入るとは言え、たかが伯爵令息ではないですか!四大公爵であるお父様なら、彼一人ぐらい、どうとでも出来ますでしょう?!」
「…そういう、単純な話ではないのだよ。とにかく、その話はここで終わりだ。ああ、レイラ。そんな顔をするんじゃない。手を引くと言っても、一時的なものだ。いずれ必ず、お前の望みは叶えてあげるから」
そう言いながら、優しく私の頬を撫でようとする父の手を払い除けると、私は父の書斎から足早に出て行った。
そうして少し廊下を歩いていると、その先に弟の姿を認め、眉を顰める。
獣人達が起こした騒動以降、弟をはじめ、学院中の男達は口々にエレノア・バッシュ公爵令嬢を「姫騎士の再来」と褒め称え、その素晴らしさを熱に浮かされたように語り合っていた。
話によれば、バッシュ公爵令嬢は自ら剣を持ち、獣人の王女達と対決して勝利したのだと言う。そんな荒唐無稽な話、王家からの通達が無ければ到底信じられなかっただろう。
『それにしても…』
女が自ら剣を持ち、戦う。その有り得ない行動が、これ程までに男達の心を掴むなんて、想像もしていなかった。
冴えない女が、女だてらに剣を持って戦った。…ただそれだけの事だというのに、何をそこまで浮かれる必要があるのだ。
しかも許せないのは、今迄私に求愛していた者達の多くが、私の元に侍らなくなったという事だ。
以前は彼女の事など、欠片も興味を持っていなかったこの弟でさえ、彼女との婚約を望むようになった。
業腹ではあったけど、父も彼女に興味を持ち、バッシュ公爵家に対して弟の婚約を押し進めようとした。その際、私はこれ幸いと、クライヴ・オルセン子爵令息を替わりに私の婚約者にしてくれるよう、父に頼んだのだ。
四大公爵家の一柱であるノウマン公爵家と縁続きになれるのだ。たかが子爵令息など、喜んで引き換えにすると思っていたのに、聞けばバッシュ公爵家からは、どちらの婚約も一蹴されたのだという。
それに対して父が抗議するかと思えば、あっさりと手を引くだなどと…。
『きっと、あのバッシュ公爵令嬢がオリヴァー・クロス伯爵令息を使って裏で動いたのよ。彼はあの婚約者の妹に骨抜きなのだもの!』
貴族の中の貴族と謳われている、絶世の美貌と知性を誇る、現生徒会長の姿を脳裏に思い浮かべる。
そう言えば彼は、私とクライヴ・オルセンの仲を何度も邪魔してくれた。それもきっと、あのバッシュ公爵令嬢の差し金に違いない。
蔑んでいるくせに、お気に入りのおもちゃを他の女に取られまいと、自分を溺愛している兄を利用し、邪魔をしていたのだ。
『忌々しい女…!あの女さえいなければ…!』
「…姉上。何か良からぬ事を考えておられませんか?」
擦れ違い様、カミールが静かに声をかけて来る。
自分と違い、父親似の彼は赤銅色の髪とはしばみ色の瞳を持っている。クライヴ・オルセン子爵令息には見劣りするものの、落ち着いた佇まいをした美しい容姿をしている。
ただ、常に穏やかであったその表情はいつもと違って、酷く冷ややかなものだった。はしばみ色の瞳にも、どこかこちらを探る様な疑心の色が浮かんでいる。
「カミール?」
「…もし姉上が、他の気に入らないご令嬢に今迄されていたように、エレノア・バッシュ公爵令嬢にも害をなそうとされるのならば…。私もそれ相応に動かせて頂きます。それをゆめゆめ、お忘れなきよう」
「な…っ!あ、貴方、私に対して何を…!?」
「失礼致します」
話し終えるのを待たず、弟は踵を返し、私は呆然とその後姿を見つめるしか出来なかった。
弟には今迄、あのような目で見られる事も、ましてや諫めるような言葉を投げかけられた事など無かった。なのに何故今になって!?何で私があの女の所為で、こんな屈辱的な目に遭わなくてはならないのよ!?
屈辱感に打ち震え、迎えたバッシュ公爵令嬢の登校日。そこで私は更なる屈辱感に身を震わせる事となった。
今迄不器量だと信じていた彼女は…。美しい婚約者達と一緒にいても、さほど見劣りしない程度の愛らしい容姿へと様変わりしていたのだった。
艶やかに波打つヘーゼルブロンド。黄褐色の大きな瞳は、まるで宝石の様に煌めいている。バラ色の頬、小さな薄桃色の唇。婚約者達の色を纏い、とまどうような仕草を見せる彼女は、男達の庇護欲を否応なく掻き立てていた。
その場に居た男性の誰もが、彼女に魅了されている。その中には、私の弟であるカミールの姿もあった。
…私の中にくすぶり続けていた種火が、激しい炎となって燃え上がったのを感じた。
『エレノア…バッシュ公爵令嬢…!』
――アノオンナサエ、イナケレバ…!!
憎しみと嫉妬の炎が胸中でどす黒くうねりを上げた。
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釣り上げられたご令嬢その一です。
お父様の方は、流石に万年番狂いの恐ろしさを感じ取ったご様子。アルバの男ですからねv
獣人王女達を思い出しますが、過保護にされた女子は、世界規模で思考回路が似ているのかもしれませんね。
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