422話:武装竜化
拳と拳がぶつかり合う。
一つは丸太のように太く強靭な、鋼に等しい豪腕。
もう一つは、星々を
それら二つの拳が、真っ向から互いの力をぶつけていく。
大気が爆ぜて、空間が軋む。
激突する力の質量。
あまりにも強大過ぎる両者の戦い。
撒き散らされる余波だけで、世界が壊されていく。
足場となっている浮島も、限界が近い様子で徐々にその高度を下げていた。
ゆっくりと地表へと落下していく最中。
「《潰れろ》!!」
大真竜ウラノスと、竜の王たる《最強最古》。
絶対強者である二柱の戦いは続いていた。
《支配》の権能を伴う一撃。
打ち込まれた拳を、少女は夜の腕で受け止める。
瞬間、その周囲の空間がぐにゃりと
ウラノスの意思に《支配》された空間。
それが《最強最古》を押し潰そうと、一点に向って折り畳まれていく。
空間そのものが潰れる圧力。
普通ならば耐えられる道理はない――普通ならば。
「温いぞ」
だが、その超常の攻撃を《最強最古》は鼻で笑い飛ばした。
空間は少女を圧殺せんと圧縮し続けている。
《最強最古》は、それに対して特に何もしなかった。
何もせず、単純に肉体の強度と腕力で耐える事を選んだ。
一体、どれほどの力があればそんな事が可能なのか。
空間に潰されながらも、構わずに《最強最古》は拳を繰り出す。
ウラノスは、それに自らの拳を合わせた。
見た目だけならば、文字通り大人と子供よりも格差がある。
しかし、その本質は全くの逆だ。
「ッ……!!」
衝撃。
身体を吹き飛ばされそうなのを、《鋼の男》はギリギリで持ち堪える。
《支配》で操作した空間、その圧縮攻撃を受けながら。
そんな状態でも、《最強最古》の力に変化は一切なかった。
最強の戦士であるウラノスを超えるパワー。
もしまともに喰らえば、ただの一発でも致命傷となり得るほどだ。
驚愕に震える相手を見て、《最強最古》は笑う。
「どうした、折角同じ土俵で戦ってやっているんだ。
その拳で私を砕くのでは無かったか?」
敢えて嘲りの言葉を吐く、少女の形をした邪悪。
押し潰そうとしていた空間は逆に力負けをして、もう何の影響もない。
自由になった事で、《最強最古》の拳は速度を増す。
無論、ウラノスも一方的にやられている状態ではなかった。
「はァッ!!」
千年を超える鍛錬と研鑽。
その果てに完成した究極の拳。
物理の枠からはみ出し、魂にすら響く極限の打撃。
ウラノスは、至高の奥義とも呼ぶべき拳を自在に操る。
放つ拳の全てが、必殺の威力を伴っていた。
《最強最古》の力は確かに凄まじい。
だが、ウラノスの拳も決して劣ってはいない。
「ッ――――!」
夜の腕で受け止めれば、小柄な身体が軋みを上げる。
実際のところ、《最強最古》である少女もそれほど余裕はなかった。
――強いな、腹立たしい限りだが。
既に言葉にした通り。
ウラノスという男の強さを、《最古の悪》は極めて高く評価していた。
大陸の長い歴史を見ても、間違いなく頂点に近い強さだ。
取り込んでいる魂が、《五大》の一柱だという事を差し引いても。
人間としての素の力だけで、十分過ぎるほどに男は最強だった。
あの《魔星》とかいう者たちも、随分な手練だ。
四対一のまま戦うのが危ういのも、単なる事実であった。
「《強く》……《速く》!!」
「ちッ……!」
《支配》の権能。
ウラノスはそれを攻撃ではなく、自らの補助にも使い始めた。
ただでさえ完璧に鍛え上げられた肉体。
そこに超常の力が加わる事で、強度も速度も何倍にも膨れ上がる。
拳の一撃が酷く重い。
古竜でも、直撃すればそれだけで肉体を破壊されそうな威力だ。
それが音を置き去りにして、何度も連続で叩き込まれる。
嵐のように――なんて表現でも生温い。
その自然の猛威を上回る暴力を、《最強最古》は正面から受けた。
受け止めきれず、膝が折れかける。
「《砕けろ》――――ッ!!」
相手が弱った瞬間を、戦士が見逃すはずもない。
触れたものを粉砕する力を伴った拳。
夜の腕を掻い潜り、それは少女の胴体に突き刺さった。
――この一撃で、終わらせる……!!
祈るように打ち込まれた鋼の拳。
手応えは十二分だ。
ピシリと、陶器が割れるのに似た音が微かに響いた。
《最強最古》の肉体が、渾身の一撃で破壊されようとしている。
ウラノスはそう考えた。
――が、しかし。
「仕方ないな」
次に聞こえたのは、笑みを含んだ声。
《最強最古》は笑っていた。
これまでで一番、怖気を誘う表情だった。
迂闊にも、深淵の底を覗き見してしまったような。
魂の芯が凍える錯覚。
ウラノスは即座に、新たな拳を叩き込もうとするが。
「先に見せるのは癪だが――良いだろう。
私の《竜体》を拝ませてやる」
「ッ……!!」
その言葉が耳に届くよりも、ほんの僅かに早く。
ウラノスは大きく後ろに飛び退いていた。
留まっては拙いと、戦士の本能がそう告げていた。
直後に渦巻く暗黒。
信じ難いほどの密度の魔力が、少女の姿を覆い尽くす。
変化が始まり、終わるまでは数秒も掛からなかった。
退いたウラノスが構え直した時には、もう「ソレ」が佇んでいた。
その姿は――。
「……それが、お前の《竜体》だと……?」
「あぁ、そうだ」
驚き、困惑する。
大真竜の視線を受けながら、《最強最古》は微笑んだ。
――ゲマトリアが交戦した際の報告を、ウラノスは当然耳にしていた。
《最強最古》。
古き竜の頂点と呼ぶべき存在の、稀少な戦闘記録。
その時に確認された《竜体》は、黄金の鱗を持つ巨大な竜のはずだった。
だが、《竜体》と称して晒された今の姿。
それは聞いていたモノとは大きくかけ離れていた。
「何だ、そんなに驚くこともないだろう?」
笑う《最強最古》は、概ねは先ほどまでと変わらない形をしていた。
美しい少女を模した人間体。
両腕と両足も、やはり星を散りばめた夜が結晶化したものだ。
大きな変化は主に二つ。
さっきまで身に着けていた
その鱗も、生物的なモノではなくどちらかと言えば鎧に近い。
腰裏の部分からは、長い尾も伸びている。
造形と機能、その両方を突き詰めた美を感じさせる竜鱗の甲冑。
それに加えて、背中には二対の大きな翼が存在していた。
肉体とも鱗の鎧とも接続しておらず、少女の背から離れた位置で浮遊している。
翼もまた黄金だが、内側の皮膜に当たる部分には星空が映し出されていた。
通常の《竜体》とは、大きく逸脱したその姿。
眼にしたウラノスの総身を、これまでで一番の戦慄が駆け抜けていた。
「何故か――そう、何故かは、私にも良く分からないがな。
単純に竜の形に変わるよりも、こちらの方が効率が良い気がしたんだ」
「貴様……!」
動揺しながらも、ウラノスの五体は常に戦士としての最適解を選ぶ。
意識を経由することなく、自然と取っていた防御の構え。
衝撃。
音速を突破した、大気の爆発を伴いながら。
振り抜かれた尾の一撃が、ウラノスの身体を吹き飛ばした。
――速い……!
さっきまでとは比較にもならない。
翼を広げた少女は、自分で吹き飛ばした相手にあっさりと追いついて。
「《竜体》を武装として構築する発想か。
なるほど、これは悪くない具合だ」
「ッ……!?」
呑気に感想を語りながら。
振るわれる爪が、ウラノスの肩を大きく引き裂いた。
竜の鱗よりも、遥かに強靭であるはずの鋼の五体。
しかし今の《最強最古》にとって、それは薄紙程度の意味しかない。
――誤算だ。いや、何故その可能性に思い至らなかった……!
何とか態勢を立て直しながら、ウラノスは己の思慮の足りなさに歯噛みする。
《最強最古》が披露してみせた《竜体》。
これは大真竜の中でも、イシュタル以上の序列を持つ者のみが有する境地だ。
《竜体》を武装として考え、より効率よく力を扱える形に完成させる。
生まれ持った強者であり、本来は不変である竜では到達し得ない発想だ。
この《竜体》――《武装竜化》は、純粋な戦闘力では通常の《竜体》を上回る。
故にどれほど強大な古竜であろうと、四位以上の大真竜らには届かない。
本来ならば。
「ハハハハハハハハ――!!」
しかし今、その最適化された暴力を《最強最古》が身に纏っていた。
拮抗していたはずの天秤が、大きく片方へと傾ぐ。
黄金を纏った夜の腕が、ウラノスに向けて振り抜かれる。
技はなく、ただ力と速さのみの拳。
それを受け止めること自体は容易だ。
だが、貫いてくる衝撃は想像を絶するものだった。
「がッ……!?」
星が砕ける。
比喩ではなく、《最強最古》の拳を受けた瞬間。
ゼロ距離で《
耐え切れずに吹き飛ぶウラノスを、《最強最古》は嘲りながら見ていた。
「面白いだろう?
この《竜体》は、空を覆っている異界と同質のモノを結晶化させて構築している。
今の私は、この身体の何処からでも星を落とせるワケだ」
「ッ……」
あまりにも無茶苦茶だった。
そも、《流星》は大規模な儀式を必要とする戦術魔法。
それを自在に発動させる異界で、大陸全土を覆い尽くす。
もうその時点で、魔法の道理を蹂躪するほどの無法だというのに。
その上、《竜体》にまでそんな特性を付与できるのか。
感覚が麻痺しかける中、《最強最古》は攻め手を緩めない。
ウラノスを、自分の経験においても最高の敵だと認めているが故に。
星の質量を宿す拳で、鋼の五体を殴り倒す。
「後は当然、上からも降らせることはできるぞ?」
分かっていたが、認めたくない現実を突きつけてくる。
《竜体》――いや、《武装竜化》を維持しながら。
それと同時に、頭上に広がる偽りの夜空も操作する。
どれほどの魔術の力量があれば、そんな真似ができるんだ。
門外漢であるウラノスでは、完全に理解の外だった。
星が降り注ぐ。
悪夢めいて美しい光景だった。
偽りの夜空から落下してくる炎の雨。
更に《最強最古》は、その背に黄金の翼を広げる。
その内側に、夜を
「死ね」
囁く声だけは、甘い少女の音色で。
広げた翼からは、細かな光の矢が放たれた。
それは先の戦いで、マレウスに対して仕掛けたモノと同じ。
サイズを限界まで圧縮した上で、超加速を施した星の弾丸だった。
機関砲を掃射するも同然に。
《最強最古》は一切の容赦なく、絶大な火力をウラノスへと叩きつけた。
抗う余地など皆無。
《盟約》最強の戦士、《千年英雄》、或いは《鋼の男》。
そんな肩書きも、積み上げてきたはずのモノも何もかも全て。
尽くが無意味だと、絶望的な暴力が否定する。
――死ぬ、このまま無力に死ぬのか。
それは仮定ではなく、数秒先にまで迫った現実。
権能を乗せた拳でも、降り注ぐ星の火は消しきれない。
星の弾丸は、そもそも知覚速度を完全に振り切ってしまっている。
膨大な質量と熱量、加えて視認すら不可能な速度の攻撃。
「ッ……!!」
歯を食いしばる。
最早反撃すらできず、ただ敵の攻めに身を引き裂かれる。
ただそれだけの状態で、ウラノスは耐えていた。
――死ぬ、どうしようもなく死ぬ。
大真竜たるウラノスは、死の淵に立ってそれを認める。
《最強最古》の称号が持つ意味。
この少女の姿をした怪物は、その名が示す通りの存在だ。
勝てない。
《盟約》最強の戦士であるウラノスより、この邪悪は遥かに強い。
その事実を、認めなければならない。
「ふむ、流石にしぶといな」
もう浮島だったものは、ほんの僅かな断片しか残っていなかった。
何もない虚空に立ち、《最強最古》は一秒も緩めずに攻勢を維持する。
とうの昔に消滅してもおかしくない。
むしろ、未だに原型を保っている事こそ異常だ。
荒れ狂う星の嵐。
自らが操る地獄の渦中に、《最強最古》はその姿を見ていた。
死に落ちながらも、まだ死なない。
一人の戦士の存在を。
「――お前は、私よりも強い。
認めよう、《最強最古》」
その声は、普通に考えれば聞こえるはずがない。
しかし《最古の悪》は、確かにその声を耳で捉えていた。
星の渦に呑まれているはずの相手。
大真竜ウラノス。
《鋼の男》はまだ、諦めてはいない。
「認めたからこそ、私も覚悟を決めよう」
「ハッ、覚悟?
一体、お前が何の覚悟をすると?」
「問われるまでもない」
応じる言葉と共に、光が爆ぜる。
《最強最古》が操る星々を圧倒し、全てを例外なく微塵に砕いた。
輝きを放つのは、男の掲げた拳だった。
偽りの夜空を突き上げた一撃。
ただそれだけで、星の嵐を粉砕したその力。
明らかに先ほどまでとは質が異なる。
それを認識し、《最強最古》は楽しげな笑みをこぼした。
「これでようやく本番か。
まったく、随分と焦らせてくれるものだな?」
「戯言はなんとでもほざくが良い、《最強最古》」
笑う声に対し、硬く鋭い言葉を返す。
星の断片を払い、大真竜は夜空を踏み締めた。
覚悟と決意で燃え盛る瞳を、仇敵へと真っ直ぐに向けて。
「私の全存在を燃やし尽くしてでも、貴様は此処で必ず滅ぼす!!」
遂に《竜体》と化したウラノスは、そう高らかに宣言した。
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