第一章:顔のない街

211話:何もない目覚め


 ガタン、ゴトン。

 全身を包み込む小さな揺れに、「私」は目を覚ました。

 瞼は酷く重く、開くだけでも少し難儀する。

 ガタン、ゴトン。

 規則的な揺れは、まるで「私」を急かすよう。

 「早く起きろ」と騒ぎ立てる。

 重たいのは瞼だけじゃない。

 頭も身体も、まるで鉛に変わったみたい。

 そのまま何もかも、眠りという沼に沈み込めてしまったら。

 きっと一番楽なのでしょうと――。

 

「……っ」

 

 ズキリと。

 鈍った頭の奥が、何故だか痛んだ。

 「早く起きろ」と、誰かが「私」を責め立てている。

 仕方なく、「私」は重い瞼をこじ開けた。

 ガタン、ゴトン。

 揺れているのは細長い箱。

 「私」が座っているのは、箱の中にある細長い椅子。

 天井には輪っかの付いた紐がぶら下がっていて。

 ガタンゴトンと箱が揺れれば、それらもゆらゆら揺らめく。

 箱には窓が幾つも付いていて、外の様子も見ることができた。

 けれど、生憎と外は真っ暗で。

 何となく、景色が流れている事しか分からない。

 暗い――ということは、今は夜?

 自然と、「私」は暗闇の中に光るモノがないかを探した。

 探した――何を?

 決まってる、美しく光る星々を。

 その輝きを思うだけで、何故か胸が熱くなる。

 けど、幾ら探しても広がっているのは闇ばかり。

 ここに、「私」が望む星はない。

 どうしようもなく落胆して、「私」は重く息を吐いた。

 ガタン、ゴトン。

 相変わらず、箱は揺れている。

 ……そもそも、これは何なのかしら?

 動いているということは、多分乗り物なんでしょうけど。

 分からない。

 分からないのは、少し気持ち悪い。

 窓の外には暗い空しか見えないから、「私」はまた箱の中を見る。

 

「…………」

 

 さっきまでは気にしなかったけれど。

 そこには、「私」以外の「誰か」がいた。

 まるで外の景色みたいな、暗い色の外套を纏った人。

 同じ色の帽子を目深に被り、表情どころか肌の一部も見せていない。

 地面の影が起き上がったみたいな、暗い人達。

 お互いに視線を交わす事も無く、俯いたまま箱の中で揺られている。

 

「……あの」

 

 良く、分からない。

 良く分からないから、「私」はとりあえず声を掛けてみた。

 この箱は何なのか。

 貴方達は誰なのか。

 どうして「私」はこんなところで座っているのか。

 分からない。

 分からないから、先ずは聞いてみようかと。

 ほんのちょっと躊躇いがちに、近くに立っていた暗い人に声を掛ける。

 けど、反応はなかった。

 暗い人はこっちを見ることもなく、ただガタンゴトンと揺れるだけ。

 

「あの、もし?」

 

 もう一度挑戦してみるけど、結果は同じ。

 ……困ったわ。

 身体も頭もどうにも重くて、考えが上手く纏まらない。

 ただ漠然と、「このままではいけない」という感覚だけが胸の奥にある。

 分かっている。

 分からないけど、それぐらいは分かっているの。

 けど、具体的にどうしたら――。

 

『――間もなく、電車が止まります。ご注意ください』

 

 思わず頭を抱えたところで。

 箱の中に響くのは、無機質な女性の声。

 繰り返し、繰り返し。

 

『間もなく、電車が止まります。ご注意ください』

 

 同じ警告を繰り返す。

 止まる、この箱――「でんしゃ」と言うらしい。

 それが止まって、次はどうなるの?

 ガタン、ゴトンと、揺れの感覚が徐々に大きくなっていく。

 身体に感じる速度も、それに合わせて緩やかに。

 

『――間もなく、《天庭バビロン》。

 中枢都市《天庭バビロン》に到着致します。

 お忘れ物のなきようご注意ください。

 大神経塔《天の柩ナピシュテム》にお越しのお客様は、係員の指示に従って下さい』

 

 冷たい女性の声が、その言葉を告げると。

 動く箱――「でんしゃ」は、ゆっくりと動きを止める。

 プシュっと、気の抜ける音と共に壁の一部が大きく開いた。

 どうやら、そこから外に出られるらしい。

 窓から見える景色は、相変わらず暗いままだけど。

 

「……下りて、良いのよね?」

 

 私は一人呟く。

 暗い人達も、ゾロゾロと開いた扉から外へと出ていく。

 中枢都市、《天庭バビロン》。

 それと、《天の柩ナピシュテム》とも言っていた気がする。

 どちらも聞き覚えがあるような、ないような。

 

「……痛っ」

 

 また、頭の奥が鈍く痛んだ。

 分からない。

 どうしてこんなにも、分からない事ばかりなのか。

 重い頭を何度か横に振ってから、「私」は椅子から立ち上がる。

 兎も角、早くこの箱から下りないと。

 暗い人達の動きは緩慢で、扉の前は大賑わい。

 

「早く行ってよ、もう……!」

 

 急がないと、扉が閉まってしまう。

 そう予感して、「私」は暗い人達の間を無理やり通り抜ける。

 ぎゅうぎゅうと、押し合いへし合い。

 暗い人達の身体は妙にブヨブヨしていて、触るのは不快だったけど。

 

「は……っ!」

 

 どうにかこうにか、「私」は脱出を果たした。

 少し息苦しかったのもあって、思わず大きく息を吐く。

 さて、とりあえず下りることはできたけど……。

 

「……なに、これ?」

 

 いつの間にか、景色がガラリと変わっていた。

 さっきまで乗っていたはずの「でんしゃ」は、もう影も形もない。

 「私」が立っているのは、広い道のど真ん中。

 右も左も、天を突くような背の高い建物がズラリと並ぶ。

 星一つない真っ暗な空にも、何か大きな物が幾つも浮かんでいた。

 分からない。

 気付いたら、大きな街の何処かに放り出された事ぐらいしか。

 見れば、通りには先ほどの暗い人達が何人も歩いている。

 変わらず下を俯いたまま、ゆらりゆらりと影みたいに揺れていた。

 

「ひゃっ……!?」

 

 不意に、何かが「私」のすぐ傍を横切った。

 一瞬だけ見えたソレは、やっぱり箱みたいな形をした物だった。

 さっきの「でんしゃ」と同じ、乗り物なのかしら?

 ビュンビュンと風を切って、似たような箱は幾つも道を過ぎて行く。

 「私」がいるのは道の真ん中なので、当然危ない。

 

「ホント、なんなのもう……!」

 

 誰に向けたかも分からない文句を口にして。

 とりあえず、「私」は箱が行き交う道の上から急いで抜け出す。

 さっきよりはマシだけど、やっぱり身体が重たい。

 ……いえ、別に体重が重たいとか、そういうワケではなく。

 歩いたり走ったりするのに、支障はないのだけど。

 何故だか「私」は、「身体が重い」と感じているのだ。

 分からない。

 本当に、分からないことばかり。

 

「はー……」

 

 今も箱が風を切ってく道を外れ。

 今度は、暗い人達が揺れる通りに「私」は辿り着いた。

 上がった息を整えつつ、手近な建物の壁に手を付く。

 ――本当に、ここは何なのか。

 目が覚めてから、どうにも状況が曖昧過ぎて。

 「私」は重たい頭を回そうとして……気が付いた。

 今さらな、本当に今さら過ぎる話だけど。

 

「…………そもそも、『私』って誰なの?」

 

 分からない。

 分からないことばかりの中で、一番分からないこと。

 「私」は一体、何処の誰なの?

 重たい頭を掘り起こそうにも、何故か上手く行かない。

 何を忘れているのか、何が欠けているのか。

 考えれば考えるほどに、ただズキズキと痛むばかり。

 ――これは、あまり良くない。

 いえ、かなり拙い気がする。

 喉奥から刃が迫り上がってくるような危機感。

 頭の痛みは一層酷くなり、思わずふらついてしまった。

 

「きゃっ……!」

 

 そのせいで、傍を通り過ぎようとしていた暗い人にぶつかってしまう。

 やっぱり、触った感じはぶよぶよとしている。

 流石に怒らせてしまっただろうか、と。

 ぶつかった相手の方を見上げるけど。

 

「…………」

 

 何の反応もなかった。

 そもそもぶつかった事実なんて無かったみたいに。

 暗い人は、ゆらゆらと「私」のすぐ横を通り過ぎていく。

 ほっとした反面、胸にある不安は強まる。

 自分が誰かも、ここが何なのかも。

 暗い人々が何者かも分からず、頼るべき相手もいない。

 星のない夜の下に、裸で投げ出されたみたいな。

 

「……いえ、裸は幾ら何でもちょっと」

 

 思わず考えてしまったけど、流石にそれはどうか。

 流れで、今の自分がどんな格好をしてるのか気になってしまった。

 運良く――と言うには、都合が良い気もするけど。

 すぐ近くの建物、その壁面。

 そこには人の背よりも高い硝子の窓があった。

 光の反射で、表面に「私」の姿も映し出されていた。

 硝子の前に立っているのは、細い手足を揺らす小柄な少女が一人。

 肩より少し長い髪は、街の空みたいな黒色。

 ――何故だか、違和感がある。

 理由は分からない。

 続いて顔を見るけど……こちらは特に、何も感じなかった。

 可愛いとか美人とか。

 自分で思うのは、ちょっと変よね?

 硝子に映る瞳は紅く、流れる血か宝石の色。

 見覚えがあるような――同時に違和感も付き纏う「私」の姿。

 着ている服は、瞳に近い赤色の衣装。

 胸元には青いリボンと、艶のない真っ黒い宝石が嵌ったブローチ。

 ……本当に、これは「私」で合ってるの?

 

「……貴女は、本当は誰なの?」

 

 異様な世界に、異様な状況。

 自分でもおかしいとは思いながら。

 「私」はつい、硝子に映る自分自身にそう問いかけてしまった。

 ――次の瞬間、辺りの空気が一変する。

 

「……!?」

 

 全身の肌が粟立つ不快感。

 弾かれるように硝子から目を離し、辺りを見回す。

 ついさっきまでは、ただ流れていくだけだった黒い人々の群れ。

 それが皆、一様に立ち止まっていた。

 顔は相変わらず良く見えない。

 帽子や外套の襟に隠れた暗闇から、感じるのは粘つく視線。

 この街の住人らしき者達は、じっと「私」を見ていた。

 

「…………ちょっと、何か御用?」

「…………」

 

 見ているクセに、呼びかけてもやっぱり応えない。

 じわりと後ずさると、暗い人々も少しずつ近付いて来る。

 感じるのは、「私」に向けられた明確な悪意。

 

『……

 

 ぽつりと。

 暗い人々の誰かが、唸るような声で呟く。

 それをきっかけにして、彼らは次々と騒ぎ始めた。

 

『違う、違ウ、チガウ!』

『我らじゃなイ! コレは違う!』

『アァ悲しい! 哀しい! カナシイイ!』

『早く、はやくはやくハヤク』

『急げ急げ、早く我ラに迎え入れよう!』

 

 ……何を言っているのか。

 さっぱり分からないけど、間違いなく言える事は。

 

「捕まったら拙いわよね……!」

 

 案の定。暗い人々は「私」を捕えようと手を伸ばして来た。

 その動きは、さながらのたうつ大蛇のようで。

 「私」が走り出すタイミングと、ほぼ同時。

 指先が髪の毛を掠める感触に、首筋が氷みたいに冷たくなる。

 

「ホントに、何なのよコレ……!」

 

 嘆いても仕方ないけど、泣き言の一つも口に出したくなる。

 いつの間にやら、「私」はこの街の全てから狙われてしまった。

 通りを歩いていただけの暗い人々の他。

 そこかしこの路地裏から、同じような暗い人達が這い出してくる。

 その動きは、まるで四足歩行の蜘蛛のようで。

 生理的な嫌悪で背筋がゾワゾワする。

 襲って来るのは、そんな暗い人々だけじゃなかった。

 道を行ったり来たりしていた動く箱。

 それらも車輪で地面を削り、暴れるように突っ込んで来たのだ。

 

「きゃぁっ!?」

 

 慌てて避けたけど、思わず悲鳴が漏れてしまった。

 突撃してきた箱の一つは、「私」を掠めて建物の壁にぶつかる。

 幸いと言うべきか、それは襲って来る集団を僅かに遮ってくれた。

 しかし、数が多すぎてどうしようもない。

 走って逃げても、道という道から次々と黒い影が現れる。

 

『我々は一つダ』

『何もおそレることはナイ』

『一つに、一つに』

『さぁ、おいデ』

『屍は冷たさを感じなイかラ』

 

 口々に悍ましい言葉を吐きながら。

 どこにも行けなくなった「私」に、彼らは迫って来る。

 どうしようもない。

 何も分からない「私」には、抗う術すら見当たらない。

 「私」は立ち竦み、伸びてくる無数の手に――。

 

「――思ったよりヤバい状態だな」

「え?」

 

 その声は、何かが違っていた。

 うわ言めいた暗い人々の声とは、明らかに異なる。

 力強く、確かな意思を感じさせる言葉。

 耳にしただけで、何故か救われた気持ちになる。

 「私」が顔を上げると同時に、銀の煌めきが伸びる手を切り払った。

 呆気に取られる「私」の前に下り立ったのは――。

 

「おう。待ったか?」

 

 それは、一振りの剣を携えた――甲冑のお化けだった。

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