212話:天の柩

 

 一体、何が起きているのか。

 この時の「私」には、少しも理解できなかった。

 理解できなかったけど、胸にじわりと広がる温かい感覚。

 それが「安堵」である事は、間違いなかった。

 つい、足から力が抜けそうになる。

 助かったと、そう感じたせいで緊張の糸が途切れてしまったみたいで。

 そのまま膝を付きそうな「私」を、大きな手が支えてくれた。

 

「大丈夫か?」

 

 剣を持っていない方の腕が、「私」の腰辺りに触れる。

 甲冑の表面は当たり前のように硬く、そして冷たい。

 けど、不思議と嫌ではなかった。

 「私」は改めて、目の前の相手を観察した。

 甲冑だ。

 所謂、「騎士」が身に着けるような全身鎧フルプレート

 細かな戦傷が無数に刻まれていて、経て来た戦いの激しさを感じさせる。

 手にした剣は、華美な装飾はないけれど。

 見ているだけで、魂が吸い込まれてしまいそうな見事な一振り。

 外見は間違いなく、少し薄汚れた騎士なのだけど。

 間近で見て、触れて――確信した。

 「彼」には

 がらんどうの鎧だけが、喋って動いているのだ。

 

『――落ち着いてるところ悪いが、状況は継続中だぞ』

 

 ふと、新たな声が聞こえて来た。

 そちらも聞き覚えがあるような、ないような。

 首を傾げていると、甲冑の背中からスルリと小さな影が出て来た。

 それは――猫、だった。

 猫、猫だ。間違いなく猫。ねこ?

 灰色でもこっとした毛並みをした、少し大きめな猫。

 赤い瞳には動物らしからぬ知性を感じさせる。

 ……けど、どうしてかしら。

 可愛いとか思うより、微妙に腹が立つのは。

 

『蹴散らすなら蹴散らすで良いけど、流石に数が多くね?』

「だよなぁ。まぁ行けるとは思うが」

 

 猫と甲冑のお化けは、気楽に言葉を交わす。

 状況は継続中と、そう語る猫の言葉の通りに。

 「私」の周りにいた暗い人々を、甲冑の彼が切り払った。

 けど、それは全体から見ればほんの一握り。

 街のあらゆる場所から、暗い人々は這い出し続けている。

 その数は、もう数えるのが馬鹿らしいぐらい。

 

『うん。■■■とも合流できたし、多分大丈夫だな!

 ところでマジで■■■で合ってんの?

 オレここまで近付いても気配が微妙に分かんないんだけど』

「いや、間違いないぞ。何故か見た目がちょっと変わってるけどな」

 

 猫の言葉の一部は、何故か聞き取れない。

 甲冑の彼は、何かを確信している様子で頷いている。

 ……とりあえず、いつまでも驚いたままじゃいられない。

 大事なことを、聞かないと。

 

「……ねぇ」

「ん?」

『お?』

「貴方達は、誰? 『私』のことを、知ってるの?」

 

 何故か。

 何故か、その私の一言で甲冑も猫も凍り付いてしまった。

 あの、ちょっと、暗い人達がまた大挙して迫って来てますけど?

 

『え? マジで? 一流の冗句って奴だよね?』

「……いや、どうやらマジっぽいなぁ」

 

 戸惑う猫と、やっぱり困惑した様子の甲冑の彼。

 猫はまだしも、彼は口もないのにどこから喋ってるのかしら。

 なんて、どうでも良い疑問が浮かんでくるぐらいに。

 危機的状況にも関わらず、「私」は妙に落ち着いていた。

 一度に向かって来る暗い人々の数は、先程の倍近い。

 もう黒い濁流と言っても良い状態。

 だけど、甲冑の彼も僅かにだって焦る様子を見せない。

 

「ちょっと我慢してくれ」

 

 一言そう告げて、「私」の身体をしっかりと抱えてた。

 「私」も殆ど反射的に、甲冑の腕にしがみつく。

 

『よーし、がんばれよー』

「もうちょい働いて欲しいなぁこの猫」

 

 背中にぶら下がる猫に軽く抗議しながら、剣が鋭く閃いた。

 鎧袖一触とは、まさにこの事。

 最初の時と同様に、銀色の刃は津波めいた影の群れをバッサリと斬り裂く。

 けど、さっきとは違って暗い人々は怯まない。

 多少の犠牲は覚悟したか、更に物量で押し流そうと突っ込んでくる。

 知性も何もあったものじゃない。

 獣よりも始末に負えない力押しに、甲冑の彼も負けてはいなかった。

 

「鬱陶しい!」

 

 毒を吐き捨て、更に剣が影の中で軌跡を描く。

 数の差などものともせず。

 押されるどころか、逆に黒い濁流の中を前へ前へと進んで行く。

 氾濫する河を、剣の一本だけで塞き止めるような。

 そんなあり得ない業を、「私」は見ていた。

 

「流石にきっついな……!」

 

 と、本人も結構辛そうだけど。

 影の津波は、未だに途切れる様子を見せない。

 

「これ、逃げた方が良いんじゃないの……!?」

『と、申しておりますぞ』

「逃げるのは良いけど、逃げ場ありそうか?」

 

 それは、確かにそうだけど。

 今は持ち堪えても、これ以上は流石に厳しいんじゃ……。

 「私」の言葉に、猫の方がうんうんと唸って。

 

『……しゃーない、ちょっと働くかぁ。

 なぁ彼氏殿、上に跳べそうか?』

「おう、ちょっと待ってくれ」

 

 凄い気軽に言ってるけど、それはそれで無茶じゃない?

 そんな「私」の心配なんて単なる杞憂だと。

 そう示すように、甲冑の彼は大振りの一撃で影の津波に空白を作る。

 僅かな、直ぐに埋め尽くされる隙間。

 

「《跳躍ジャンプ》!」

 

 鋭く叫ぶと、「私」の視界が一気に上昇した。

 

「わっ……!?」

 

 跳んだのだ、甲冑の彼が。

 人の足ではあり得ない高さ。

 黒い影に埋め尽くされた地面は遠く、暗闇の空は驚くほど近い。

 半ば無意識に、「私」は甲冑の彼に視線を向ける。

 良く分からない、鎧だけのがらんどうの騎士。

 知らない――知らない、はず、なのに。

 どうして、「私」はこんなにも熱を感じているの?

 

「で、このままだと落ちるぞ」

『任せろよ』

 

 そうだ、一時的に危機を脱出したけれど。

 彼は単に上に跳躍ジャンプしただけ。

 このままでは当然、逃れた地獄に落下する羽目になる。

 それを留めたのは猫の方だった。

 ふわりと、全身が軽くなったような感覚。

 何か温かな力が、「私」達全員を包み込んでいる。

 落下は――しなかった。

 それどころか、逆に空へ向かって上昇していく。

 

「なに、これ……?」

『オレが魔力で浮かしてるだけだなぁ。

 ……しかし、マジで何も分からないのな』

 

 やっぱり、困惑の気配を滲ませながら猫は呟く。

 分からない。

 もう、自分でも何度繰り返したか分からない言葉。

 猫に突っ込まれるまでもなく、「私」も分かっている。

 分からないことを、分かっている。

 だけど、幾ら思い出そうとしても、今は何も――。

 

「ま、それはそれだろう。

 こっちだって、状況を全部分かってるワケじゃないんだ」

 

 そう言って。

 甲冑の彼は、「私」の頭を柔らかく撫でた。

 ゴツゴツとした籠手の感触。

 けど、それで痛みを感じたりはしなかった。

 慣れた手つきは、「私」に心地良さだけを与えてくれる。

 

「一先ず、この場は離れるか。

 下はあんなで、とても戻れそうにないしな」

『異議なし。とりあえず、安全そうな場所がないか探しますか。

 もうちょい速度スピード出すけど平気か?』

「振り落とさない程度で頼んだ」

 

 了解、と猫は喉を鳴らして応える。

 「私」はただ、甲冑の彼にしがみついているしかない。

 

「……ねぇ」

「なんだ?」

 

 だから、「私」は彼を見る。

 さっきまでは、まともに話してられる状況じゃなかったけど。

 今なら。

 

「貴方は、『私』を知ってるのよね?」

 

 同じ質問を、もう一度甲冑の彼に投げかけた。

 彼は、すぐには応えてくれなかった。

 ほんの少しだけ、押し黙って。

 表情の分からない彼が、その瞬間に何を思ったのか。

 

「…………成る程。これは案外ショックだな」

「? なに?」

「や、悪い。こっちの話だ」

 

 一瞬だけ、彼は寂しそうな顔をした。

 面覆いの下には何もないのに、何故かそんな気がしたのだ。

 

「……その、大丈夫?」

「あぁ、大丈夫だ。心配させたなら悪いな」

「べ、別に心配してるワケじゃ……」

 

 今度は、少しだけ強めに頭を撫でられた。

 それもやっぱり、不快じゃない。

 彼はそんな「私」を見て、軽く笑ったようだった。

 変わらず、甲冑のどこから声が出てるのかは分からないけど。

 

「……で、さっきの質問だが。

 当然、俺はお前のことを知ってるな。

 良く知ってる――方だと思う、多分。うん、きっと」

 

 どうして最後の方はちょっと自信なさそうなの?

 けどまぁ、それは兎も角。

 

「それじゃあ――」

「あぁ。教えるのは簡単だが、その前にちょっと確認させて欲しい」

「? 確認?」

 

 一体何かしら。

 首を傾げる私に、甲冑の彼は軽く咳払いをして。

 

「■■■■■」

 

 ――何か、良く分からないことを言った。

 耳に届いているはずなのに、どうしてか認識できない。

 分からないはずがないのに分からない。

 胸を掻き毟りたくなるような不快感が「私」を襲う。

 そんな「私」の様子を察してか、彼は小さく唸る。

 

「まさかとは思ったが、やっぱり聞こえないか」

「ねぇ、今のは……?」

「大丈夫、大丈夫だ」

 

 不安を隠せない「私」を、彼は片手で抱き締めた。

 真っ暗な夜に蓋をされた街の空。

 ふわふわと浮かんでいて、頼りないはずなのに。

 そうされるだけで、不思議と「私」は落ち着きを取り戻せた。

 ……なんだか、別の意味で落ち着かなくなりそうだけど。

 相手は甲冑のお化けなのに。

 

「とりあえず、思い出せないならそれは良い。

 いや良くはないが、とりあえずはな」

「それは本当に大丈夫なの……?」

「大丈夫、大丈夫。

 ただ、今俺があれこれ話すのは難しいかもしれん」

「……そうなの?」

「あぁ」

 

 良くは、分からないけど。

 彼がそう言うのなら、きっとそうだと思った。

 それこそ、信じる根拠なんて何もないはずなのに。

 

「これまでも大体何とかなった――というか、して来たしな。

 だから今度も何とかなるし、何とかするさ」

「……なによ、それ」

 

 適当過ぎる物言いに、「私」はついつい笑ってしまった。

 甲冑の彼も、釣られたように笑った。

 と、その背中で猫がモゾモゾと身を捩って。

 

『仲良しなのは大変結構だけど、警戒ぐらいはしてくれよな?

 一応、下でうぞうぞしてる奴らは見えなくなって来たけどな』

「あぁ、働かせっぱなしで悪いな」

『後でたっぷり寝させて貰えりゃそれで良いさ。

 それより、こっからどうするかだ』

「どうする、って言うと?」

 

 猫の言葉に、「私」は首を傾げて問い返す。

 

『あー……まぁオレ達も、ここに迷い込んだも同然の状況なんだ。

 だから目的地とか、そういうのもイマイチ定まってないんだよ』

 

 何故か難しい顔をしながら、猫は応えてくれた。

 ……なんだろう、猫の「私」を見る目が微妙に怯えているような……?

 別に、特に悪いことをした覚えはないんですけど。

 また甲冑の彼が、「私」の頭を撫でた。

 

「ま、とりあえずは休めそうな場所に移動だな。

 この状況じゃ長話もしんどいだろ」

『正直寝たいです』

「後でしっかり休ませてやるから、もうちょい頑張って?」

「…………」

 

 そんな、気の抜ける彼と猫のやり取りを聞きながら。

 「私」は何かに引き寄せられるみたいに、遠くを見ていた。

 遠く――何処までも広がる都市と、それを覆う闇。

 その果て、この世界の中心。

 何故か輪郭が曖昧で、ハッキリとは確認できないけれど。

 そこに聳え立っているのは、一つの「塔」だった。

 地から天ではなく、天から地へと伸びている逆理の「塔」。

 その奇妙な形を、「私」は見ていた。

 

「……《天の柩ナピシュテム》」

 

 自然と、その名が唇から漏れていた。

 それは目覚めた時に、最初に耳にしたものと同じ。

 大神経塔《天の柩ナピシュテム》。

 「私」は、あそこに向かわなくちゃいけない。

 何も知らないはずの「私」は、何故だかそれを確信していた。

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