213話:誘いか導きか


 暫く、「私」達は街の空を漂った後。

 適当な建物の屋上に下り立って一息吐いた。

 暗い人達の気配はなく、辺りはとても静かだ。

 少なくとも今は、だけど。

 

『空からはダメだな』

 

 背の高い建物の上は、殺風景で何もない。

 ただ中に入るための扉一つと、縁をぐるりと囲う柵があるだけ。

 それらを確認してから、最初に口を開いたのは猫だった。

 甲冑の背中から下りると、大きな欠伸を一つ。

 

『とりあえず、ここの中心にある「塔」に行けば良いって話だろ?』

「え、ええ、何となくだけど……」

「あの空から逆さまに生えてるっぽい『塔』だよな」

 

 「私」の事を片腕で抱えたまま。

 甲冑の彼は、遠くに見える「塔」――《天の柩》を指差した。

 空から地面に向けて伸びる、輪郭も曖昧な不可思議な姿。

 それを目にするだけで、胸の内に強い衝動が沸く。

 あの「塔」に――《天の柩》に辿り着かなければ、と。

 

『距離は不明だが、とりあえずモノは見えてるしな。

 このまま色々無視スルーして、飛んでけば良いかと思ったが……』

 

 灰色の尻尾を揺らめかせ、猫は小さく唸る。

 

『うん、ダメだな。歪んでるわ』

「歪んでる……?」

『空間なのかオレ達の認識なのか、或いはその両方か。

 兎も角、ただ真っ直ぐに進めば近付けるって仕組みになってないな』

 

 猫のクセに、何だか難しいことを言うのね。

 つい首を傾げてしまった「私」を、猫は見上げてくる。

 

『……マジで、自分の事とか何も分からない系?』

「ええ、さっぱりだけど」

『今の話も良く分からなかった感じ?』

「猫なのに、難しい話をするのね。貴方」

『何だろうなぁ、この未知の感覚……!』

 

 またよく分からないことを言いつつ、猫は床の上でジタバタし始めた。

 できればもうちょっと、分かる言葉で喋って欲しい。

 「私」を抱っこしたままの彼も、うんうんと兜を縦に揺らす。

 

「ぶっちゃけ俺もあんまり分かってないから大丈夫だぞ」

「そうよね? 大丈夫よね?」

『知能指数の低下が深刻過ぎない??』

 

 なんだか猫に失礼なことを言われた気がする。

 

「ま、過ぎた事より今はこれからの事だな。

 ……っても、その《天の柩》とやらに行くぐらいしか無いか?」

『問題はその方法だな。

 さっき言った通り、真っ直ぐ空飛んでも多分着かんぞ』

「じゃあ、下からなら?」

『上はダメだけど下はオッケーって理屈が通るかどうかだなぁ。

 試してみるしかないが、同じ場所をグルグル回る羽目になりそうだな』

「……それでさっきみたいに囲まれたら困るよなぁ」

 

 猫と甲冑が、揃ってうんうんと唸っている。

 ……なかなかシュールな光景ね。

 なんて、現実逃避をしてる場合じゃない。

 結局「私」が誰で、ここが何処なのか。

 何も分からない状態だけど、それは立ち止まって良い理由にはならない。

 そう――こんなところで、足踏みはしていられない。

 まだ、「私」にはやらなくちゃいけないことが、幾らでも――。

 

「ッ……」

 

 鈍い痛みが、頭の奥に突き刺さる。

 頭蓋骨を、内側から釘で貫かれてるみたいな。

 この手の頭痛は、ここまで何度か味わって来た。

 けど、今回の痛みは少し違う。

 急き立てるような、責め立てるような。

 誰かが「私」の内で、騒いでいる。

 早く、早く、早く。

 早く、早く、早く、早く、早く。

 早く――在るべき場所を目指せ、と。

 

「……? どうした?」

「…………」

 

 様子がおかしい事に気付いたみたいで。

 甲冑の彼が、「私」を気遣って声を掛けてくれた。

 けれど今は、応える余裕がない。

 抱き上げる彼の腕から逃れて、「私」は床に足を着く。

 鈍い痛みのせいで、頭が少し重いけど。

 構ってはいられない。

 

『おい、どうした?』

「分からん。分からんが……少し、様子を見るか」

 

 不審がる猫に、甲冑の彼は応える。

 「私」はそれを気にする余裕もなく、ふらふらと歩き出した。

 何かに導かれるように、引き摺られるように。

 思考は空白で、胸の内は空虚だ。

 

「……大神経塔へ向かうには、係員の指示に従って」

 

 あの「でんしゃ」の中で聞いた言葉。

 意識せず、「私」はそれを繰り返していた。

 

「なんだ、それ?」

「……貴方達は、ここにはどうやって来たの?

 『私』は、気が付いたら『でんしゃ』の中で揺られてたわ」

「あー……どうだったっけ?」

『いつの間にか街中に投げ出されてた感じだな』

「『私』と全然違うじゃない」

 

 猫と甲冑、それと「私」。

 何がどう違ってるかは、分からないけど。

 

「……多分、進む道は、分かると思う」

 

 自分のことすら、ろくに覚えていないのに。

 「私」は何故だか、それは確かなものだと感じていた。

 殺風景な屋上を横切り、錆びた鉄扉を押し開ける。

 鍵はかかっていなかった。

 開けば、建物の中へと下りるための階段が伸びている。

 イマイチ足下がおぼつかないけど。

 躊躇わずに、「私」はそれを下って行く。

 

「大丈夫か?」

「大丈夫――では、ないけど」

 

 甲冑の彼は、そんな「私」のすぐ後をついて来た。

 肩には猫が乗っていて、何故だか無気力そうに垂れている。

 

「……多分、『私』じゃないとダメなのよ」

「と、言うと?」

「大神経塔――《天の柩》には、『私』がそうと望まない限りは辿り着けない」

 

 誰かは、何かは知れないけれど。

 「私」の中で、何かが確実にそう訴えている。

 今だって、「私」自身はどこへ向かっているか分からない。

 ただ意識せずとも、足だけは前へと進み続ける。

 

『……そうか。そういう仕組みか。

 誰がそう仕向けてるかは分からんが……』

 

 甲冑の肩の上、猫が一人(?)で納得したように頷いてる。

 出来れば、こっちにも分かるよう説明して欲しいわ。

 

「意見あるか?」

『とりあえず、従うしかない。

 多分、それがここの秩序ルールなんだろう。

 情報が少ない状態で逸脱するのは余り旨い話じゃないな』

「一先ず付いてけば良いんだな」

 

 なんて、言葉を交わす猫と甲冑。

 それを聞きながら、「私」はただ只管ひたすらに下り続ける。

 階段だけが延々と続く。

 外から見た時は、ここは単なる細長い建物だった。

 窓の付いた部屋が規則的に並ぶだけで、何の変哲もない。

 少なくとも、こんな無駄に長い階段だけが続いてるはずがないのだ。

 これは、「私」が《天の柩》を目指しているから?

 分からない。

 分からないなら、前に進む以外にない。

 かつての「私」も、そうやって。

 

「痛っ……」

 

 まただ。

 何かを思い出そうとしたはずなのに、痛みがそれを打ち消してしまう。

 まるで誰かに邪魔をされているみたいに。

 けど、誰が?

 導くように引き摺ろうとする、「私」の中の誰か?

 

「キツけりゃ手ぐらいは貸す。遠慮するなよ」

 

 つい唇からこぼれた声も、甲冑の彼は聞き逃さなかった。

 差し出された手に、「私」は遠慮がちに触れる。

 階段で、転んでしまうのは危ないから。

 本当にそれだけなのに。

 

『なにこの甘酸っぱい空気。オレお邪魔なら寝てて良い?』

「気のせいよっ」

 

 だらつく猫に抗議の声を上げながら、「私」は先へと進む。

 同じような階段ばかりが続く――と思っていたら。

 変化は少しずつ起き始めた。

 

「これは……?」

 

 灰色の壁に、何か文字が描かれていることに気付く。

 色は、ベッタリとした暗い赤。

 筆跡も書かれている言語もバラバラだけど、大体の意味は共通していた。

 「ようこそ」。

 「まもなくです」。

 「来訪者歓迎」。

 「駆け込み禁止」。

 「警備員注意」。

 そんな文言が、繰り返し繰り返し。

 壁や床、果ては天井にまで無数に書き殴られている。

 ……正直、かなり不気味ね。コレ。

 

「なんだコレ。こわ」

『どんな趣味よ。夢に出て来そうだわ』

 

 甲冑も猫も、まぁ随分暢気な反応リアクションだこと。

 どこかで境界を踏み越えたのかは分からない。

 ただ、辺りを漂う空気があからさまに変わっていた。

 冷たく重い、地下墓所カタコンベみたいな。

 自然と、「私」は彼の手を強く握ってしまう。

 

「大丈夫だ」

「……大丈夫だって、すぐに言うけど。

 何が大丈夫なワケ?」

 

 自分でも意地の悪い言葉だって、そう思うけど。

 「私」はそんな風に、硬い声で甲冑の彼に言ってしまった。

 それに対して、彼は僅かな躊躇もなく。

 

「何かあれば、俺が守るからな。それで概ね大丈夫だろ」

 

 あっさりと応えてくるのだ。

 本当に、何のこともないみたいに。

 ……嫌だわ、ちょっと顔が熱くなって来ちゃった。

 猫の視線を感じたので、軽く睨み返しておく。

 

「? どうした?」

「何でもありませんっ。

 ……まぁ、守ってくれるのなら、ありがたいですけど」

「あぁ、がんばるから気軽にな」

「ホント、簡単に言うけど。

 これ、『警備員注意』なんてあるし、もしかしたら何か危ない――」

 

 階段を下りながら、「私」は彼の方を見た。

 そして彼の声に応えて――それを全て、言い終えるよりも早く。

 重そうな甲冑が、風のように素早く動いた。

 一瞬、「私」の眼では追い切れないぐらいに速く。

 彼は咄嗟に、手にした何かを「私」の前方へと投げ放った。

 で、投げたモノはというと。

 

『ちょっ』

 

 猫だった。

 かなり思い切り投げられたので、放物線は描かず真っ直ぐに。

 「私」の頭上を通過した直後、突然光が弾けた。

 投擲された猫を中心に、青白い火花が辺りに飛び散る。

 

「きゃっ……!?」

『ギャー!?』

 

 猫と「私」、二人(?)分の悲鳴が重なる。

 幸い、飛び散った火花はちょっと熱い程度で済んだ。

 何かが直撃した猫の方は……。

 

『ちょっと幾ら何でも酷くねっ!?』

「悪い、剣投げるのは流石に危なそうだったもんで」

 

 割と平気そうだった。

 毛並みが一部焦げてるけど、被害としてはそれだけ。

 見た目は猫っぽいだけで、本当はもっと違う生き物なのかもしれない。

 いえ、今はそんなことより――。

 

「そこの猫拾って、ちょっと下がっててくれ」

 

 そう言って、甲冑の彼は「私」の前へと出る。

 異論などあるはずもなく、焦げた猫を抱えて彼の後ろへ。

 階段を下り切った先にあるもの。

 壁や床、天井問わずに描かれた幾つもの矢印。

 それは重々しい、両開きの鉄の扉を指し示していた。

 この向こうに進むべき「次」があると。

 「私」の中の何かが告げている。

 けれど、扉の前には「邪魔者」がいた。

 

『一つに。ひとつニ。我ラと共に』

 

 虫が無理やり人の言葉を喋っているみたいな、不快な音。

 大きさは、多分「私」の体格よりもちょっと小さいぐらい。

 彼の胸の高さぐらいを浮かぶ奇妙な「球体」。

 一個だけしかない大きな目玉が真ん中に開いた、浮遊する肉玉。

 街中で「私」を追い回した、暗い人々とは似ても似つかない。

 けど、何処か似た気配を漂わせる異形の怪物。

 

「あれが、警備員……?」

「みたいだな」

 

 「私」がこぼした呟きに、甲冑の彼は剣を構えながら応える。

 大目玉の怪物は、その大きな目を細く歪める。

 それはまるで、笑みを浮かべているようにも見えて。

 

『ようこソ、ようこそようこそヨうこそ!

 ドうか、おいデ下さイ!

 次ノ列車は間もなく発車しマス!』

 

 口もないのにゲタゲタ笑いで騒ぎ立てながら。

 一つ目を大きく見開いて、怪物は「私」達に異様な悪意を向けて来た。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る