第六章:眠れ、地の底で

81話:黒き炎


 俺自身、「ソレ」は初めて見るものだった。

 マジでブチ切れたアウローラ。

 彼女がした事はバンダースナッチを睨みながら、指先を軽く動かす事。

 それから何事かを口の中で小さく呟いた。

 一秒にも満たないその動作は、破壊的な現象を複数引き起こした。

 炎と氷、雷に不可視の衝撃波。

 俺が認識出来たモノ以外も多分幾つかある。

 強力な攻撃魔法を複数同時に発動させ、それらをバンダースナッチに叩き込む。

 これ下手すると、地下墓地が丸ごと崩れるんじゃないのか。

 そんな心配が頭を過る勢いで、アウローラの魔法は真竜の身体を吹き飛ばす。

 圧倒的な威力を受けきれず、バンダースナッチの姿が一時遠ざかるが――。

 

「……まぁ当然、このぐらいじゃ牽制程度ね」

 

 今ので牽制レベルかぁ。

 バンダースナッチのヤバさを再認識したところで、目の前に銀の煌きが落ちる。

 それは剣だ。随分手元から離してしまったが。

 アウローラは俺の直ぐ前の床に、《一つの剣》を突き立てた。

 

「忘れ物よ。ホント、気を付けて頂戴」

「いや、悪い悪い」

「――長子殿の取り乱しっぷりと言ったら凄まじかったぞ?

 今も飛びついて存分に喚きたいのを、怒りやらで誤魔化してるぐらいだ」

「お前はいいから黙ってなさいよ」

 

 剣の刀身から、炎と共にボレアスの姿も浮かび上がった。

 そうか、やっぱ心配させてたか。

 その辺の穴埋めとかはまた考えてやらんとな。

 全部この状況を何とかしてからだが。

 俺の方も話したい事はある。

 

「さぁ、あの真竜はまだまだ健在だ。

 疾く剣を手に取るが良い、竜殺しよ」

「そっちの白子の鍛えた剣じゃ、大して役に立たなかったでしょ?

 やっぱり貴方には、この剣が相応しいわ」

 

 二人に促されて、俺は剣の柄に手を掛ける。

 ブリーデが複雑そうな顔で黙ってるのはちょい気になるが、今は置いておく。

 指先に感じるのは、まるで燃える火に手を近付けたような熱。

 それでも躊躇いなく五指で握れば、その熱さは俺の身体に入って来た。

 もう限界寸前だった身体に火が染み透る。

 重さの払われた手で、懐から賦活剤を取り出した。

 そっちも一気に飲み干して、肉体の負傷も帳消しにする。

 ――よし、これでとりあえず復活だな。

 

「テレサ」

「ブリーデとイーリスを連れて、一時離れます。

 流石に私の方は、これ以上戦うのは厳しそうなので」

「悪い、そっちは頼んだ」

 

 頭を下げるテレサに一つ頷いてから、俺は正面を見た。

 巻き添えの憂いがなければ存分に戦える。

 破壊の余波が未だ残る向こう側、強烈な竜の気配が渦巻いていた。

 この世の全てを引き裂こうとする憤怒に、この世の全てを燃やそうとする憎悪。

 真竜バンダースナッチは、尚も力を増大させている。

 

「あのやべー黒い奴を除けば、これまでで一等キツいな」

「相手は《古き王オールドキング》の一柱、それを喰らった《始祖》の残骸。

 確かに、これまで潰した真竜なんか比較にならないでしょうね」

「実際、《竜体》にもなれぬ今の我と長子殿ではキツい相手だ」

 

 俺が一歩前に出て、やや後ろにアウローラとボレアスが並ぶ。

 今さらながら、弱っているとはいえ竜の王様二人連れてとは豪華な戦力だ。

 そこまで揃えてようやく、勝ちが見えるレベルの相手だ。

 再び姿を見せたバンダースナッチは、殆どダメージを受けた様子はなかった。

 むしろ纏うオーラは黒い炎のような状態で、ますます禍々しい。

 触れた物体は実際に焼かれているようで、物理的に接触するだけで危険か。

 

「殺ス、全て、全て全て全て……!

 わたシが、この手で、焼き尽くシてやル……ッ!!」

「……完全にブチギレてるなぁ」

 

 さっきまでのワケ分からん事を口走ってる状態よりは分かりやすいが。

 それはそれとして、ヤバい敵である事に変わりはない。

 

「じゃ、ちょっとがんばるんで。援護は宜しく」

「ハハハハッ!! 古竜二柱の助けを得て、狂った竜の王に挑むか!

 まるで英雄のようじゃないか、竜殺し!」

「ちょっと! 『まるで』は余計よ、このお馬鹿!」

 

 大気が爆ぜた。

 オレ達は言葉を交わしながらも淀みなく動く。

 黒い炎を尾と引いて、バンダースナッチが突っ込んでくる。

 音の壁を突き破り、刃は真っ黒い軌跡を描いた。

 床や並んだ石棺など、破壊は速やかに空間を蝕んでいく。

 衝撃に砕けて吹き飛ぶ、黒い炎に焼かれて瞬く間に灰と化す。

 多分、この地下墓地自体は魔法か何かで補強されているんだろう。

 普通は崩落してもおかしくない状態で良く耐えている。

 だがそれも、バンダースナッチの暴威にどれだけ持つか分からない。

 この怪物に粉砕されて死ぬか、崩れ落ちた土砂に埋まって死ぬか。

 そのどっちかでくたばる前に仕留める必要があった。

 

「《跳躍ジャンプ》……!!」

 

 力尽きる心配はほぼ無くなったので、俺は《力ある言葉》を唱える。

 強化された脚力で瓦礫を蹴り、大振りで隙を晒したバンダースナッチに斬り込む。

 それとほぼ同時に、ボレアスも正面から突っ込んで来た。

 身体の一部が黒い炎で焼け焦げているが、一切意に介していない。

 鋭い爪を備えた五指を広げて、渾身の力で振り抜く。

 俺も頭上から全力で刃を打ち下ろすが――。

 

「マジか……!」

 

 バンダースナッチは、その両方を受け止めた。

 刃でボレアスの爪を受け、俺の剣は装甲の厚い部分に食い込む。

 無傷ではないが、刀身は鱗を完全に断ち斬れてもいない。

 

「狂い果てた女に喰われようが、《戦王》と称された力は健在か……!」

 

 焦り混じりの賞賛を口にするボレアス。

 当然、バンダースナッチはそんなものは聞きもしない。

 纏う黒炎がその勢いを増した――直後。

 

「離れなさい……!!」

 

 アウローラの蹴りがバンダースナッチの胴に突き刺さった。

 ヒラヒラしたスカートから真っ直ぐ伸びた足は、凄まじい馬力で真竜を打つ。

 俺とボレアスの攻撃を受け止めた状態では防ぎ切れず。

 こっちに反撃を仕掛ける前に、バンダースナッチの身体が床を抉る。

 

「流石は《最強最古》だな、長子殿。

 魔法だけでなく、力においても最強か」

「煽ててもお仕置きは軽くしないわよ。

 ……そんな事より、思った以上に厄介な相手ね」

 

 ボレアスの声に応えながら、アウローラは蹴った方の足を軽く揺らす。

 見れば、足首から膝の下ぐらいまでが黒く焼け焦げていた。

 バンダースナッチが出してる炎に焼かれた痕か。

 

「大丈夫か?」

「平気――と言いたいところだけど。

 アレは自然の炎でも、魔法の炎でも無いわね。

 私のを焼くだけでなく、治療や再生の効果が薄い」

「不可解な力だな。

 我の知る限りでは、《戦王》にそのような異能はなかったはずだが」

 

 良く分からないが、あの黒いのは何か凄い炎であるらしい。

 竜である二人がこれでは、俺はまともに受けたらヤバそうだな。

 逆に言えば、まともに受けなければ良いわけだ。

 

「……レックス、貴方は……」

「いや、避けたり何だりは多分俺の方が慣れてる。

 さっきみたいにヤバそうなら助けてくれ」

 

 気遣うアウローラに対して軽く手を振り、改めて剣を構える。

 蹴り転がされたバンダースナッチも既に立ち上がっていた。

 吹き出す黒炎は、怪物自身の身体も焼き焦がしているように見える。

 それで苦痛を感じた様子はなく、狂った声で吼えるのみ。

 

「――あの城での一戦と、どっちがキツイかね……!」

 

 狂って歪んだ真竜とはいえ、相手はかつての《古き王》の一柱であるらしい。

 なら格で言えばボレアス――《北の王》と同じだ。

 その力と脅威も、此処までで散々味わった。

 記憶に戻って来たあの時の戦いを思い浮かべながら、俺は自分から死線を踏む。

 勘働きで頭を低くすれば、紙一重の位置を刃がブチ抜いて行った。

 黒い火の粉が飛ぶが、これは鎧の表面で受ける。

 軽く触れただけでぶすぶすと焦げた音がするが気にしない。

 刃を払った事で開いた脇辺りを、剣の切っ先で引っ掻く。

 ――やっぱ硬いな。

 バンダースナッチが纏う装甲は、密集した鱗の鎧だ。

 竜殺しの剣は何枚かの鱗は問題なく斬り裂くが、全てを一度には断ち斬れない。

 結果として、与えられるのはほんの掠り傷。

 逆にこっちは、黒い炎の一撃が掠っただけでも即死があり得る。

 だから避ける。炎を纏う刃とかは弾くのも危なさそうなので、兎に角避ける。

 火の粉を浴び過ぎないよう位置取りも調整しながら、死線の上を踊る。

 こんな綱渡り、仮に渡り切っても最終的には力尽きるだろう。

 戦っているのが俺一人ならば、だが。

 

「ハッハッハ……!!

 確かにコレは、我も少々懐かしくなってしまうな!」

 

 そう笑いながら、ボレアスは《吐息ブレス》を吐き出す。

 全力ではなく、意外にも器用に威力を絞った炎だ。

 俺の身体と射線が重ならないよう動きながら、牽制するように真竜へと打ち込む。

 纏う鱗と黒い炎に阻まれ、《吐息》によるダメージは殆ど無い。

 それでも命中した衝撃はバンダースナッチを阻み、俺の寿命を延ばしてくれる。

 当然、アウローラの方も頑張ってくれる。

 

「無駄口を叩く暇があるなら集中しなさい!

 レックスは助けるけど、貴方はあくまで『片手間』なんだから!」

 

 遠すぎず、離れすぎず。

 俺とバンダースナッチの戦いを俯瞰できる位置。

 其処でアウローラは魔法による支援をしてくれていた。

 彼女は《力ある言葉》をわざわざ口に出さずとも、大抵の魔法は発動できる。

 なので何をしてるのかは、俺の方では全部は把握できない。

 間違いないのは、俺に対する援護バフだ。

 さっきまでより身体の動きは格段に軽く、腕や脚には力が漲っている。

 視野は広く感覚も鋭くなり、真竜の動きが良く見えた。

 加えて、隙あらば魔法による攻撃もバンダースナッチに対して撃ち込んでいた。

 其方はボレアスの《吐息》同様に、鱗と黒炎に防がれているようだが。

 

「ホントに硬いわね……!」

 

 うんざりした様子で呟くアウローラ。

 俺もまったく同意見だが、それも決して無敵なわけじゃない。

 二人の助けもあって、俺は何度目かも分からない死線を飛び越える。

 繰り出す刃は大きな成果は出せないまでも、新しい傷は間違いなく刻み付ける。

 少しずつ、少しずつ。

 大きな一撃は狙わない。

 黒い炎でも《一つの剣》は焼かれず、切っ先は鱗を断っている。

 装甲が厚く通り難いが、確実に損傷は積み重なっている。

 刃は通る。だったら死なずに繰り返せば最後は届く。

 俺はかつて、ボレアスと戦った時と同じ覚悟で挑む――が。

 

「ん……?」

 

 変化が起こった。

 騎士に似た姿になっても、バンダースナッチの体躯は俺よりデカい。

 少なくとも二回り以上はある巨体だ。巨体だった。

 戦っていく内に、少しずつ……そう、少しずつだが。

 バンダースナッチの身体が、小さくなっているような……?

 

「……マジか」

 

 気のせいではなかった。

 俺が剣を当てて鱗の一部を削るのに合わせる形で。

 間違いなくバンダースナッチの体格が小さくなっていく。

 分厚い装甲が薄くなるにつれて、全体的に細いシルエットになっていく。

 無骨な騎士の形から、女性的なラインに。

 弱っているわけではない。むしろ逆だ。

 失った鎧の質量を埋めるように黒い炎は燃え上がる。

 加えてサイズが小さくなる程に、動きそのものが加速していく。

 俺と殆ど変わらない大きさになる頃には、相手の速度は体感では倍近い。

 より密度を高めた鱗は強度を増し、膂力は据え置きで火力は割り増し。

 ダメージ与えて弱らせるどころか、余計にキツくなったとか。

 

「はははハハはははHAHAッ!!

 罪人ヨ、裁きを受けろォ!!」

「二段変身は卑怯だろ……!?」

 

 黒い炎が噴き出す刃が超高速で飛んでくる。

 《盾》の魔法も気休めにしかならず、俺はそれを剣で受け止める。

 しかしその瞬間、バンダースナッチは笑った。

 馬鹿な獲物を嘲る獣の笑みで。

 

「――爆ぜテ、燃え尽きロ」

 

 囁く女の声。

 同時に、バンダースナッチの刃から黒炎が炸裂した。

 それは竜の吐き出す炎の吐息のように。

 闇の如き炎の奔流は、剣で防いでいた俺の身体を呑み込んだ。

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