501話:終幕は間もなく
「……なんだ、そのふざけた話は」
何が起こり、これから起ころうとしているのか。
それを聞いたイーリスは、低く怒りの声をこぼした。
当然と言えば当然だろう。
理想世界を外れ、《造物主》を討つために集った者たち。
程度の差こそあれ、彼らも全員同じ思いだった。
「こんだけ好き勝手やっておいて、最後は自爆して死ぬ気だぁ?
しかも世界も道連れってお前……!」
「落ち着け、イーリス。
私も叫び出したい気分だが……」
「そうしたところで、何の解決にもならんからな。
――さて、どうするべきか」
妹を宥めるテレサ。
感情を努めて押し殺している彼女とは対照的に。
ウィリアムの声は、やはりいつもと変わらなかった。
こんな状況でも、余裕めいた笑みのまま。
「あの穴に見えるモノを、壊してしまえば良いんじゃないの?
この場には《盟約》の大真竜たちも集ってる。
それだったら、何とか……」
『難しい、と言わざるを得んだろう』
力での突破を語るイシュタルに、老賢人――オーティヌスは首を横に振る。
虚ろな眼窩に強い意思の火を灯し、渦巻く黒穴を見下ろす。
『今や《造物主》は、持てる力の全てを崩壊という概念に変換しようとしている。
穴のように見えるのは、その余波のようなものだ。
周囲の世界と、それらを構築する全てを文字通り「崩して」しまっているのだ。
下手にアレに触れれば、それも同様に崩壊に巻き込まれるだろう』
「つまり、迂闊に手を出しても意味はないと?」
『無理心中に巻き込まれるだけだな』
確認するヘカーティアの言葉に、オーティヌスは頷いた。
……さて、マジで厄介だな。
放ってはおけないが、手出しをすれば相手の自殺の準備に殺されかねない。
話している間にも、黒い穴は少しずつ大きくなっている気がした。
いや、それも多分気のせいではないだろう。
「――自殺をされる前に、《造物主》を討ち滅ぼす。
決定的な破局を避ける手段は、やはりそれしかありません」
拡大を続ける黒い穴に視線を向けながら、《黒銀の王》は語る。
黒い剣を握り締め、その眼には決意と覚悟が燃えていた。
「《造物主》の魂――その本質は、あの穴の底にいる。
私はそう考えていますが、誤りはありますか」
「……いえ、私も同意見よ。
間違いなく、愚かな父はあの『崩壊』の穴底にいるわ。
自分ごと、この星を殺すためにね」
問われて、アウローラは肯定で応えた。
……《造物主》を滅ぼす以外に、止める手立てはない。
そして相手は、あの穴の底にいる。
となれば、結局やるべき事は一つだけか。
「無理やりにでも、突入するしかないか」
「ええ。そういう事になりますね、竜殺しよ」
頷く。
俺の漏らした言葉に、《黒銀の王》は直ぐに同意した。
それを聞いて、ゲマトリアが低い唸り声を上げる。
『ちょっと、ちょっと待って下さい。
下手に突っつくと、巻き込まれてヤバいんですよねっ?
それを無理やり突入って……』
「あの虚無の穴を突破して、穴の底にいる《造物主》を滅ぼし、破局を阻止する。
今、それが私たちのやるべき事。
でなければ、《造物主》の自殺にこの星の全てが巻き添えを食らってしまう」
「まぁ、星がどうのってのは良く分からんが。
このまま自殺に無理やり付き合わされるのは、俺もゴメンだな」
一人で死ぬだけならまだしもな。
アウローラたちまで巻き込まれて、皆一緒に――なんて。
流石にそんなものは認められない。
腕の中で、アウローラが小さく身動いだ気がした。
『……話は分かったが、具体的にどうする気だ?』
『すべきこと、やるべきことは
あの穴に向かい、無理やり底までの道を作る。
できた道を通って、穴を拡げている《造物主》を討ち取る。
それだけで全てが終わる』
ボレアスの声に、オーティヌスが淡々と解答を示した。
単純だ、本当に単純な話だった。
けど、語る魔法使いの声は酷く重たい。
「……やるべき事は単純でも、それをやるには相応の犠牲が必要だと。
そういうことですね、翁よ」
『その通りだ、ウラノス。
星一つを呑み込もうという虚ろの穴だ。
先ほど言った通り、触れたモノは無差別に崩壊に巻き込まれる。
これに道を開くとなれば、殆ど特攻と変わるまい。
挑んだ者の命と引き換えになろう』
「まぁ、犠牲になること自体に否はないけどね」
気軽そうに。
敢えて重さを排した声で、ヘカーティアが笑った。
「ただ、全員がそうする必要はないだろう。
僕は志願するけど、他はどうだい?」
「おい、ヘカーティア……!」
「気持ちだけで良いよ、イーリス。
別にヤケになって死のうって話じゃないんだ。
死んで、僕は彼と《摂理》に還って眠りにつく。
結末としては、それで十分なんだよ」
咄嗟に、制止の言葉を口にしかけたイーリス。
そんな彼女に向けて、ヘカーティアは柔らかく微笑んでいた。
辿る結末に悔いはなく、やるべき事に躊躇いもない。
決意の表情を見れば、イーリスもそれ以上は何も言えなかった。
続いてウラノスが、ヘカーティアの傍らに立つ。
「私も、道を開く役目を果たそう。
我が星たちは、無理に付き合う必要はないぞ?」
「いやいや、大一番にご主人様ひとりだけ向かわせるってのは無しじゃない?」
主人の確認――いや気遣いを、ドロシアは軽く笑い飛ばした。
ドロシア以外の者たちも、全員同じ考えのようで。
「ま、死ぬか死なないかは結果次第なんだから。
どうせなら、生きて帰ってくるぐらいの気持ちの方が良くないかな」
「……確かに、お前の言う通りだなドロシア」
「勿論、それはそれとして死ぬ覚悟はできてますけどね」
クスクスと笑うドロシアに、ウラノスもまた小さく笑みをこぼした。
「…………」
「お前は止めておけよ、ブリーデ。
実際のところ、お前自身はこの状況では何の役にも立たんからな」
「言い難そうなことを遠慮なく突っ込んでくるわけアンタ……!?」
「主人への諫言を躊躇わない、良い部下だろう?」
糞エルフにしてはなかなか面白い冗談だった。
ただ、語る内容としては至って真面目なものだ。
ブリーデ自身では、虚空に道を作る役には立たない。
疑いようもない事実を指摘されて、鍛冶師の娘は不機嫌そうに唸る。
「そういうアンタはどうなのよ」
「俺にはまだやる事がある。
死にに行くつもりは当然ないな」
「素直だなぁ」
いや、まぁ当然っちゃ当然だと思うけどな。
俺のツッコミ(?)に対し、ウィリアムは微かに笑ったように見えた。
「繰り返すが、俺はそのつもりはない――が。
この者たちはそうでもないらしい」
「……!」
ブリーデは微かに息を呑んだ。
ウィリアムに応えるように、月の鱗である騎士たちが一歩踏み出す。
加えて、もう一人。
黒い甲冑姿の騎士が、ウィリアムが握る大剣から滲み出すように現れた。
アレが多分、最初の《森の王》か。
《黒銀の王》――オイフェが、少し懐かしむような表情を見せた。
「まさに、文字通りの死兵だ。
惜しむ命がない身ならば、躊躇する理由も無いらしい。
――お前も、まさか止めたりはすまい」
「……分かってる。分かってるわよ、そんなこと」
弱々しい拳を、強く握り締めて。
ブリーデは頷く他ないようだった。
……まぁ、止められないよな。
死せる騎士たちは何も語らず、けれど、何処か晴れ晴れとした空気があった。
『――死せる者は、死すべき時と場所へ。
私も、彼らの気持ちは良く理解できるぞ。
故にどうか、心穏やかに見送ってやって欲しい』
死者……いや、不死なる者。
《始祖》の王であるオーティヌスは、穏やかな声でそう語る。
こっちもこっちで、覚悟を決めた様子だった。
ただ、付いていこうとするイシュタルは静かに押し留めていた。
「っ……おじい様……!」
『ダメだ。お前は若く、まだ死に時を選ぶ歳ではない。
こればかりは譲ってやることはできん』
「……そんなの……!」
諭す言葉に、イシュタルは歯噛みする。
……死んで欲しくはないって気持ちは、同じはずだ。
きっとそれを理解した上で、オーティヌスは娘の肩に触れ、言葉をかける。
『これは私のワガママだ。
お前の気持ちを理解した上で、なお私の都合を押し付けようとしている。
罪に思うが――どうか、許して欲しい。
イシュタル……いや、ルミエルよ。
私は、お前には新たな未来を歩んで欲しいのだ』
「っ…………!」
言いたいことは、文字通り山ほどあるはずだ。
けれどイシュタルは、その全てを呑み込んだようだった。
口を噤み、涙を堪えて。
言葉にはできないまま、彼女はオーティヌスに一つ頷いてみせた。
老いた魔法使いは、そっと金色の髪を撫でた。
そして。
『ヤルダバオト』
『何か?』
『貴様には付き合って貰うぞ。
そちらの娘はねこ――いや、ヴリトラの上に移せ』
『では、そのように』
「あっ、おいコラ!?」
『あっ俺は行かなくて大丈夫な流れ? 良かったー!』
ねこは実に嬉しそうだなぁ。
それはそれとして、スムーズな流れでヤルダバオトはイーリスを引っ掴む。
有無を言わさず、けど意外なほど丁重に。
ヤルダバオトはイーリスをヴリトラの背に下ろした。
「おい、何を勝手に話進めて……!」
「ダメよ、イーリス。落ち着いて」
ほぼ反射的に食って掛かろうとした彼女を、柔らかく押し留める手。
それはマレウスのものだった。
いつの間にやら、水竜から人の姿へと変わっていた。
「っ、マレウス……!」
「――彼女の言う通りだ、イーリス。
先ずは落ち着いて話をしよう」
もう一人、テレサもまた妹を宥める。
宥めながらも、彼女の表情には微かに悲壮感が混じっていた。
イーリスもイーリスで、そんな姉の感情の動きを目敏く察する。
「……なぁ、姉さん」
「なんだ、イーリス」
「姉さんは行くとか言わねぇよな?」
「言わない。私は二度と、お前を一人にはしないよ。約束しただろう?」
「…………」
その言葉に偽りはない。
間違いなく、テレサは真実を口にしていた。
それを聞いたイーリスの表情は、さっきよりも曇っていた。
何かを察した様子で、強く奥歯を噛んで。
「――じゃあ、そっちはどうなんだ?」
「…………」
言葉の矛先を、迷うことなくこちらに向けた。
まぁ、そこらへんは分かるよな。
「こっちは行くつもりだな、ウン」
「何でだよ」
「俺の場合は、やることがあるからな」
頷く。
そうしてから、手にした剣を意識した。
この世でただ一振りだけの、竜を殺すための魔剣。
しかし今この時は、別の役割がある。
「――《造物主》を滅ぼす可能性があるのは、その剣のみ。
虚無の底へと通じる道は、我々が命に代えても必ず開きましょう」
落ち着いた声で、《黒銀の王》は語る。
彼女は俺の方を見ていた。
その眼差しから感じられるのは、決意と覚悟。
それからほんの少しだけ、こちらへの謝意が含まれていた。
「開いた道から《造物主》の元へ向かい、これを討ち滅ぼす。
道を開く私たちでは、そこまで届かせるのは難しい。
――だからその役目は、貴方に任せる他ない」
「大丈夫、分かってるよ」
別に言われずとも、俺はそうするつもりだしな。
全部分かっている。
多分、行けば戻って来るのが大分難しいだろうって事もだ。
手を握る細い指。
アウローラは黙って俺を見上げていた。
頷いて、こっちからも手を握り返す。
「俺が――俺たちが、《造物主》をぶっ殺して来る。それで全部終わりだ」
言葉にしても、不思議と気分は穏やかだった。
……一度死んで、生き返って。
それから何だかんだと続けて来た、やり直しの旅路。
長いようで短かった道行き。
とうとう、その終わりが見えてきていた。
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