幕間4:星を見送る


 ――ふざけんな、と。

 そう叫びだしそうな声を、オレは寸前で呑み込んだ。

 黒い穴。

 神様の残骸が創ろうとした、理想世界の成れの果て。

 空に口を開いているその虚無は、放っておけば全部台無しにしてしまう。

 分かっている。

 誰かがやらなくちゃいけない。

 そして、この場でそれができるのは――。


「イーリス」

「っ……」


 名を呼ばれた。

 いつの間にか、顔を伏せてしまっている自分に気が付いた。

 ……あぁ、チクショウ。

 これじゃあまるで、駄々をこねてる子供だ。

 情けなくて、顔に血が上って熱くなる。


「大丈夫か、イーリス?」

「…………そりゃ、こっちの台詞だろうが」


 もう一度、目の前の鎧兜がオレの名を呼ぶ。

 今度は応えることができた。

 顔を上げる。

 レックスの奴に、これ以上気遣われないように。

 改めて見れば、綺麗だった甲冑はもうズタボロになっていた。

 この様子じゃあ、鎧の下も似たようなもんだろう。

 いつもの事って言えば、それまでだけど。


「……マジで行く気かよ」

「あぁ」

「死ぬだろ、どう考えても」

「それはまぁ、やってみない事には――」

「やらなくても分かるだろ、そのぐらい!!」


 ダメだった。

 頭では冷静にと、そう考えていたのに。

 感情が爆ぜるのを止められなかった。

 相手が鎧姿じゃなかったら、襟首を掴み上げてたかもしれない。

 そのぐらいの勢いで、オレはレックスに詰め寄っていた。


「アレ見ろよ! 無茶苦茶だろ!

 大陸をぶっ壊して、星に風穴開けるような力だぞ!

 幾ら他の連中が道を開いても、飛び込んだ奴が無事で済むかよ!

 絶対に死ぬ! そんなもん馬鹿でも分かる話だ!」

「……イーリス」

「お前がそこまでする必要ねェだろ!

 《造物主》を殺すのに必要なのは、その剣じゃなきゃダメってだけで!

 死ぬと分かってて、お前が無理にやらなくとも――」

「イーリス」

「っ……」


 叫ぶ声は、抱き締める腕の力で遮られた。

 ……そういえば、コイツにこんな風にされるのは珍しい気がする。

 思ったよりもずっと力強い抱擁。

 いや……流石にこれは、ちょっと苦しい。


「おい……っ」

「あぁ、悪い。苦しかったか?」

「いきなりやんのは止めろよ……!」


 顔が熱い。

 離せと言ったつもりだが、レックスは腕の力を緩めるだけ。

 なんか微妙に視線を感じるのは、アウローラとか姉さん辺りが見てるからか。

 クソ、意識すると無茶苦茶恥ずかしいな……!


「信用できないかもしれないが、別に死にに行くつもりはないぞ」

「……そのつもりが無くても、結果的には死ぬだろ。絶対に」

「かもな」


 笑って言うなよ、バカ野郎。

 今までも、散々死ぬかもしれないってギリギリを戦ってきた。

 死にかけること自体は、別に珍しい話じゃない。

 けど、今回はそれとはまったく違う。

 溶岩が煮え滾る火口に、頭から飛び込むのと大差ないんだ。

 かもしれない、では済まない。

 確実に死ぬという結果は、誰の目から見ても明らかだ。

 ……それなのに。


「大丈夫だ」


 コイツは。

 このどうしようもないスケベ兜は。

 本当に、なんでもない事みたいに笑いやがる。

 信じる根拠なんて、一つもないのに。

 あぁ、コイツがそう言うなら本当に大丈夫なんだろう――と。

 そんな風に、思わされちまう。


「大丈夫な要素なんて、何処にもないだろ……!」

「うん、まぁ、それはそうなんだけどな。

 泣くほど心配してくれんのは、ありがたいよ」

「泣いてねェよバカ……!」


 嘘だ、ちょっと泣いてる。

 ちょっとどころじゃないかもしれない。

 クソ、クソ、全部このスケベ兜が悪いんだ。

 泣くつもりなんて、なかったのに。


「……ほら、落ち着いて。

 可愛い顔が台無しじゃない」


 横から伸びてきた、細い指。

 それはアウローラのものだった。

 困った顔で笑って、彼女はオレの目元を拭う。

 手付きが優しすぎて、ちょっと気持ち悪いぐらいだった。


「今、失礼なこと考えなかった?」

「ちょっとだけな」

「素直な子ね、ホントに」

「イーリスさんだからなぁ」


 笑う声は、本当にいつも通りだった。

 いつも通り。

 あの都市のゴミ溜めから、こんなところまで。

 馬鹿げたノリで、良くやってきたと思う。

 ……嗚呼、クソ。

 思い出したら、余計に涙が出てきた。

 オレは意外と涙脆かったらしい。

 そんなことに、今さらになって気付くなんて。


「……本当に、行かれるのですね」

「あぁ。流石にアレを放っておくのはマズいしな」


 姉さんの言葉に、レックスは頷く。

 軽い調子で指し示すのは、《造物主》が開いた虚無の穴。

 世界と、取り込んだ命ごと無理心中を図ろうとしているクソッタレの神様。

 ソイツを、これからぶっ殺しに行くんだ。

 オレはそこに、連れて行って貰えない。


「私は当然ついていくけど、貴女は?」

『飛ぶための翼は必要であろう?

 長子殿は、可能な限り力は温存しておけよ』


 アウローラ、それにボレアス。

 同行するのはこの二人。

 オレと姉さんは、この場に残る。

 それに対して、文句は付けられなかった。


「……死ぬ」

「あぁ」

「絶対に、間違いなく死ぬぞ」

「かもしれないな」

「だったら」

「《造物主》の奴をぶっ殺さないと、イーリスたちが死ぬからな。

 それはちょっと困るだろ」


 笑う。

 兜越しで、見えるワケじゃないけど。

 レックスの奴は、なんでもないことみたいに笑っていた。

 悲壮感なんて、どこにも見当たらなかった。

 それこそ、夜の散歩にでも行くのと全く同じノリだ。


「だから行く。この剣を一番使い慣れてるのは、俺だしな。

 後ぶっちゃけ、道を開く方の役には立たんだろうし」

『適材適所という奴だな』


 ふざけた口調で、ボレアスは愉快そうに喉を鳴らした。

 ホント、泣いてるのが馬鹿らしくなるぐらい、いつもと変わらない。

 これが今生の別れになるかもしれないってのに。


「戻ってくる」

「っ……」

「死にに行くつもりはないって言っただろ?

 俺だって、自殺する気もなければ心中に付き合うつもりも無いんだ。

 ぶっ殺して、片付けて。それでちゃんと戻ってくる。

 これだったら何の問題もないだろ?」


 ……泣いてるオレを、安心させるためだとか。

 出来もしないと分かっていて、優しい嘘を吐いてるだとか。

 それだったらきっと、ノータイムで顔面をブン殴っていたと思う。

 バカにしてんのかって。

 けど、違う。

 コイツ、マジで言ってやがる。

 「ヤバいはヤバいけど、まぁ何とかなるだろ」って。

 こんな状況でも、本気でいつも通りのノリで生きてやがる。

 絶句してしまったオレを見て、アウローラは小さく噴き出した。


「――彼がこういう人だって、貴女も知ってるはずよ?」

「…………あぁ、そうだな。そうだよな。

 くそっ、やっぱ一発ブン殴らせろよコイツ」

「手首痛めるから止めた方が良いぞ?」

「普通に心配するンじゃねェよバカ、スケベ兜」


 クソッタレめ。

 たったそれだけのやり取りで、色々バカバカしくなってしまった。

 抱き締める。

 甲冑がゴツゴツして微妙に痛いけど、そんな事は気にしない。

 後で冷静になったら、恥ずかしくてのたうち回るかもしれないけど。

 今だけは何も気にせず、レックスの奴を抱き締め返した。

 向こうは一瞬驚いたようだけど、すぐに笑みの気配が感じ取れた。


「笑うなよ、バカ」

「や、悪い」

「……必ず戻って来いよ」

「あぁ」

「約束だからな」

「分かった、約束だ」

「破ったらオレがぶっ殺すからな」

「それはマジで怖いな」


 レックスは笑っていた。

 オレも、ようやく少しだけ笑うことができた。

 できるなら、こうしてずっとアホみたいな話をしていたい。

 けど、もうあまり時間が無かった。


「――さぁ。行きましょう、ゲマトリア」

『うん! 行こう、一緒にね!』


 赴く先は死地だ。

 けど、《黒銀の王》と先陣を切る三頭竜は嬉しそうだった。

 彼女らに続く形で、更に何人かが虚空の穴へと向かっていく。

 見送る者と、見送られる者。

 オレたちは前者で、だから手を離した。

 名残惜しさが、少しだけ胸の奥を締め付ける。


「どうか、ご無事で」

「そっちもイーリスのこと、宜しく頼むな」


 姉さんは涙を堪えていた。

 祈る言葉は、誰に向ければその願いが通じるのか。

 星の神様だって万能じゃないんだ。

 そうと分かっていても、祈らずにはいられない。


「……大丈夫、なんて。彼ほどには気楽に言えないけど」


 アウローラの声は、これまでで一番優しく耳に響いた。

 元々は邪悪な竜の王様は、見送るオレたちに向けて微笑んだ。


「帰ってくるわ。

 だから、ちゃんと留守番をしてて頂戴ね」

「……あぁ。

 そっちも、彼氏の手綱ぐらいちゃんと握っておけよ」

「ええ、責任重大ね」


 小さく喉を鳴らして、アウローラはオレたちから離れた。

 離れて、レックスの手を取る。

 既にボレアスの方は、飛び立つ準備を済ませていた。

 後はその背に、二人を乗せるだけ。

 後は、それだけで。


「――――なぁ!!」


 叫ぶ声。

 それは意識せず、オレの口から発せられたものだった。

 足を止めて、レックスが振り向く。

 こっちを見てくれたという事実に、不思議と安堵した。

 ……呼び止めて、オレはどうしたいのか。

 時は限られている。

 きっとこれは、最後の機会チャンスだ。

 オレも連れて行ってくれと。

 言葉にする、最後の。


「……行ってこい!!

 それで、絶対に戻ってこいよ!!」

「――あぁ、行ってくる!」


 それが、別れとなった。

 終わりの言葉を交わしたら、もう彼は振り向かなかった。

 アウローラの手を握り、ボレアスの背に跨がる。

 大きな翼が広がって、暗い空へと真っ直ぐに竜は飛翔する。

 オレはそれを見ていた。

 他にも、言いたいことは色々あったはずだ。

 けれど今、胸の中にそれは一つも残ってはいなかった。


「イーリス……」

「大丈夫。オレは、大丈夫だから。姉さん」


 気遣う姉さんの指輪を握る。

 ――大丈夫。

 オレは、大丈夫だ。

 だってアイツも、大丈夫って言ったんだ。

 だから、大丈夫。


「姉さんも、泣いて良いんだぞ」

「……悲しくて、泣きたいワケじゃないからな」

「強がりだろ、それ」

「バレたか」


 本当は、姉さんだって一緒に行きたかったはずだ。

 本心を押し殺してたことぐらい、分かるに決まってるだろ。

 姉妹揃って泣きそうになりながら。

 見送る。

 最後の――本当に、最後の戦いへと向かっていく翼を。

 さっきはすぐ傍にいたのに、今はもうあんなに遠い。

 まるで流れ星だ。

 輝く軌跡を残して、暗闇の底へと落ちていく。


『……悪いな、気の利いた言葉はなんも出てこんわ』

「ねこがンなことを深く考えんなよ」


 足場の巨大ねこがニャアと鳴いた。

 オレと姉さんだけでなく、ブリーデやマレウスも同じ星を見ていた。

 見上げて、言葉もなく祈っている。

 糞エルフ――ウィリアムだけは、目を向けていない。

 「祈るまでもなく、結果は分かりきっている」――そう言ってるような。

 そんな態度に、何故だか妙に腹が立つ。


「……絶対に、戻ってこいよ」


 同じ言葉を、また繰り返す。

 それは祈りだ。

 届くか分からないけど、そうする以外には何も浮かばない。

 だからオレは、全身全霊で星に祈った。

 ……アイツらが、無事に戻ってきたとして。

 そうしたらきっと、糞エルフの奴が訳知り顔で何か言うんだ。

 オレはそれを張り倒すと決めていた。

 だってもう、想像するだけでムカつくからな。

 それから――それから。


「……信じよう。

 彼は、約束は守ってくれる。

 だから絶対に、大丈夫だ」

「……ん」


 自身にも言い聞かせるような、姉さんの言葉。

 頷いて、空を見る。

 それは長く短かった、オレにとっての旅路の終わりを示す空だった。

 オレたちを置いて、流れてしまった星。

 その輝きはもう、何処にもいなくなっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る